四章 散歩道と雨 13
いつもより長いです。
「そういえば、姫たちはどこの部屋から脱出してきました?」
歩きながら楓牙が問いかける。考えるのは、暗い中必死に自分と玖を奮い立たせて降りてきたこと。
「えっと……二階の角部屋」
「もう一声お願いします。候補が多すぎて……」
緋名としては精一杯答えたが、当然だが情報が足りない。いや、逆に多すぎる。
「えーっと、屋根づたいに下りてきたから……」
「ごめん。必死だったから覚えてないや。あ、でも櫓みたいな明かりが右手側に見えたような?」
「櫓? それなら候補は二つだな」
玖のヒントを頼りに、惟月と楓牙は場所を絞る。近くても遠くても、櫓の明かりが右側に見える部屋は北と南。そのうち南の部屋は、行こうとしていた場所だった。
「玖姫、その着物で下りたんですか?」
「すげぇ」
「すっごく怖かったんだよ。今敵に見つかりませんようにってお祈りしたもん」
「でもネコ少年以外には会わなかったの」
「そうでしょうね。登流と戦ったときに居合わせた兵士はみな殺されてしまいましたし、“畑”を警備していた者たちも連れて行っているはずなので、一般兵士はもう残っていないでしょう」
「畑ってなんだ?」
惟月が話す言葉には、理解できない内容がある。質問をしたけれど、真っ先に理解した楓牙が止めた。
「待ってくれ。玖姫、連れて行ったのは黒マントですか?」
「そう。そこに雪が寝ていて、利八で戻って……」
「南ですかね?」
「おそらく。他に部屋について覚えていることはありますか?」
「え? えっと……」
「低い文机みたいなのがあったと思う。とてもシンプルに思えて」
姫は姫でいいコンビだと惟月は思う。着眼点が違うのは面白い。そして答えが見える。
「当たりだろ」
「彼はネコさんの部屋は使わなかったんですね」
「入りたくなかったんだろ」
「どういうこと?」
惟月と楓牙の二人だけが分かって話をしていて、他の者たちは蚊帳の外だ。玖が耐えきれずに質問するが、またも止められた。
「説明は後で必ずします。今は急ぐので。二人、姫を頼む」
そういってダダっと走り出す。康矢と登流はそれぞれ姫を抱き上げてあとに続いた。
着いた先は南側の二階の角部屋。玖と緋名が下りてきた部屋だった。姫二人は部屋の隅に座らされ、側近は囲うように立つ。
「ここは我らの直部下の部屋です。全く怪しまれてなかったのは助かりますが、逆になんか怖いですね」
「……惟月でも怖いことがあるんだな」
「相方をなんだと思っているんですか?」
「はいはい。それで? 得るものはあるんでしょうね?」
呆れ顔の康矢に促されて話を止め、惟月は文机を引っくり返して隠された引出しを開けた。楓牙はふすまを開けてその天井板を外す。そのまま文机からの手紙を読み上げ、玖に手渡す。
『あとはお前たち八人の仕事だけ』
達筆で書かれた差出人は、皆がよく知る人のもの。
「……父さま、無事なんだね」
良かった、と玖はホッと一息つく。もちろん緋名をはじめとする周りも一安心だ。
「あぁ、そうでしたね。すみませんでした」
突然、惟月が謝罪した。何かと思えば淡桜の城主が降伏したのは嘘であるということ。
「あれは俺の部下が報告しました。お察しのとおり、錫飛様も鳴雲様もそのような言葉は伝えてません」
錫飛は淡桜、鳴雲は水仙の城主だ。惟月の口から城主たちの名が出てきたことに、康矢と登流は驚きを隠せない。
『始まり』
そうして今度は、楓牙が外した天井板から声が聞こえた。誰もが、「何が?」と思ったとき、楓牙と惟月は周りを確認してから声を揃えて「知性美」と応えた。すると天井から男が二人、おりてきた。身構える五人の前に跪く。
「時間がないので軽く。鈴蘭での我らの部下です。こちらは水仙から連れてきた者。こっちは鈴蘭で見つけました」
鈴蘭で見つけたという言葉に、五人は驚きと警戒を隠さない。信用できるのか? という声が上がる。
「いいたいことは分かりますが、この者は大丈夫です。錫飛様と鳴雲様の許可はもちろんですが、楓牙の威圧に耐えています」
「皆様の信用はこれから得られればと思っております。逃亡しようとした折、楓牙様惟月様に救っていただきました」
両城主の許可はもちろんだが、楓牙のあの威圧に耐えたというのがちょっとすごい。惟月に促されて彼は平伏したまま思いを告げる。
「今すぐ信用できなくてごめんなさい。この二人に報告があるなら、私たちも聞きたい」
「お気遣い感謝致します、玖姫様」
失礼致します、と断りを入れて彼は話し出す。
水仙へ向かい二人の城主を捕らえようとした兵士たちは、そっくりそのまま捕らえられ、「薬抜き」が行われている。その際錫飛から玖たち 宛に言伝を預かったという。
「言伝?」
「錫飛様は玖姫様へ、『許可を出す。間違えぬように』と言っておられました」
その言葉に玖は目を見開き、康矢と渓は逆に目を細めるように彼を睨んだ。
少しの間が空いてから、水仙から来たというもう一人が発言する。
「私は畑を警備していた者たちを説き伏せて、水仙へ向かうように仕向けました。力技になってしまいましたが、騎士と忍を付け、十人中七人を向かわせました。あとの三人は手遅れのため、花を折りました」
最後の言葉は少しだけ小さな声だ。姫二人が気付かないように伏せたつもりだが、表情を見るにおそらく気づいている。けれど鈴蘭では当然のことなのだ。ここで十数年育ってきた彼らもまた、仕方のない事だと割り切っていた。
「心配しないでください、姫様。汚れ役は俺と楓牙が引き受けますし、桐雪をこちらに取り戻せば、我ら三人でやれます。この二人も使えますよ」
惟月も楓牙も、あくまでも姫を安心させたかった。その一心だった。嫌なことを見なくて済むように、辛いこと怖いことは鈴蘭に居たことのある自分たちがやれば良いと思っていた。きっと桐雪もそうするだろうと思った。けれど姫はそう思わなかった。それを有難いとも思わなかった。
「楓牙、惟月、あなた達も。ちゃんと理解してほしいの」
「はい?」
「どうしましたか?」
部下の二人も、真顔の玖を見つめる。いつものような笑顔はない。凛とした美しい表情。
「あの子は、雪よ」
「「??」」
「雪なの。“桐雪”じゃないの」
「玖姫……」
背をまっすぐに伸ばした、まるであの時のような姿に、康矢は懐かしさを覚えた。そしてあの時と同じセリフを、玖は告げた。
「鈴蘭はもう関係ないの。雪は淡桜出身で、保護者は父さまと私。……もう兵士じゃないわ。だからもう、殺めてはだめ」
四人には衝撃だったかもしれない。実際当時の雪は衝撃を受けていた。けれど玖の手を取って緋名も一緒に告げる。
「あなた達も、そうでしょう? スパイとして鈴蘭に居ただけ。もうこっちに戻ってきてる。もう兵士じゃなくて、騎士と忍者でしょう?」
「そうね。騎士は“護る者”」
「忍者は“情報を持ち帰る者”」
双子のようにそれぞれの役目を伝える。そしてそんな姫に付いていることを誇るように周りが続ける。
「命を散らすことはしてはいけない」
「主人を泣かせることはしない」
まるで自分との約束事かのようにすらすらと紡いだ。
黙って聞いていた四人も、この各々承知したと告げる。
「おれたちはもう兵士でなければ兵士の真似事もしない」
「みなさんと一緒に帰って、もっと仲良くなりますね!」
「「…………」」
真面目な空気は惟月が散らすが、それでもきれいに一礼している。部下の二人も胸に手を当てて頭を下げた。




