四章 散歩道と雨 4
全員から完全にスルーされていた少年は、その瞬間、標的を絞った。
(殺す。この際誰でもいい!)
弱い、そして近くにいるやつ。裏切り者の二人も、自分に止めを刺さなかった忍も、油断したことを後悔すればいい。そう思って、身を低くして近付いた。
緋名が持っていた小太刀を拾い、ちからいっぱい駆ける。かろうじて、足のしびれは取れかかっていた。
(この、くらいならっ!)
玖か緋名か。迷ったのは一瞬。やっぱり弱いこの女だと、緋名に向かっていく。
「あっ!!」
直前で玖に気付かれる。だけどもう刺せる位置だ。どいつもこいつも、遅いんだよ! と、とっさに笑ってしまった。絶対にいけると思った。けれど、思った以上に裏切り者は素早く動いてきた。
「緋名姫っ!!」
横から惟月が緋名にかぶさる。そしてその前に楓牙が立ちはだかり、彼の左手を捻って、右足で少年の脇を思い切り蹴り飛ばした。
「ぅガッ!!」
受け身を取れなかった少年は、そのまま音をたてて植木を壊しに飛んでいった。
「緋名っ! 大丈夫?」
しゃがみこんだ緋名の周りに四人が集まる。玖は不安にかられたまま緋名の手をぎゅっと握った。
楓牙と惟月は植木を睨み付けていた。
「許さん……」
呟いた楓牙は構えを解かない。植木に近づき、無造作に手を突っ込み、少年の髪を握ってそのまま投げた。ドサッと地に伏した少年は、ピクリとも動いていない。
「……ひっ!!」
息を飲む音は誰のものか。
惟月は緋名を抱き上げ、登流と康矢の間に座らせる。そうして楓牙の背に近づいて、触れる。
「姫たちが近くにいて、俺も気が抜けてたよ。でもその辺で。みんながめちゃくちゃ怖がってるよ」
落ち着いてくれと惟月は相棒に頼む。姫たちの顔色は真っ白だ。まるでボールを投げるかのように軽々と少年を投げ捨てた楓牙に、姫どころか康矢も登流も渓も、言葉を失っている。
…………怖い。無双の登流より怖い。
きっとだれもがそう思っている。のっぺらぼうを持つ登流ですらそう思っているだろう。
「ふっ!!」
楓牙が短く息を吐く。すると背中から駄々漏れしていた鬼のような殺気が和らぐ。ピリッとした緊張感は薄れたような気がした。
「悪い。だがもう油断はしない。惟月は姫の近くにいてくれ。あいつは消す」
そう言って剣を抜く。大柄の楓牙にピッタリの、大きな両刃の剣だ。そして少年の首に剣をつける。
「ま、待って! 楓牙!」
止めたのは、玖だった。自らも庭に出て、楓牙の右腕を掴んだ。
「危ないです。見なくていいですから下がっていてください、玖姫」
楓牙は玖の方に顔を向けないが、その声色は優しい。
少年は頭を打っているだろうが、なんとか声を出す。
「……なに? もう、なんでもいいから、殺せよ」
身を投げられ、剣を向けられて、よろよろとしながらも顔を向けるネコ少年は、強がりを口にしつつ敗けを認めていたようだった。瞳の中には闇しかない。
「ダメだってば! 殺さないよ。楓牙も剣を納めて」
しっかりと相手の瞳をのぞき込んでいる玖は、ゆずる気など毛頭ないのだろう。しかし、分かってはいるが、ここで剣を納めたら、今度は玖が危険だ。楓牙は押さえられている腕を下げない。この二人の不思議なやり取りを見て、ネコ少年は思わずいう。
「なんなの? ここで殺さないなら、ボクはまた何度でもやるよ。次は、首を飛ばす」
それを聞いて、楓牙は玖の手をそのままに、ネコ少年の首に剣を軽く刺す。皮膚からはゆっくりと血が流れる。
「ねぇ、あなたはどうして殺されたがっているの?」
玖が放った言葉に、楓牙とネコ少年はそろって声の主に視線を向ける。
強い力に負けじと、玖は両手を使って楓牙の剣を押さえようとしている。
「……は?」
うろたえながらも、地面についたおしりを浮かせ、ネコ少年は立ち上がる。それに合わせて剣も上がる。目線をまっすぐネコ少年に向けて、玖はもう一度、問う。
「あなた今、幸せなんでしょう?」




