四章 散歩道と雨 1
偽雪に連れてこられたのは、二階のはじっこ。低い机が置いてあるだけの、シンプルな部屋だった。
「ここにいろ。ちゃんと、おとなしくしていろ」
暗い部屋だった。もう夜も遅いのだから当然なのだが、それにしても暗すぎる。灯りがほしいと、緋名が部屋をうろつくと、何かに足をとられた。
「わわっ!」
「大丈夫? 緋名」
「動くな。灯りくらい点けてやる」
そう言われて、すぐにぱっと灯りがついた。瞬間、緋名がつまずいた原因が目に入る。
「きゃっ!!」
「ひゃぁっ!」
男が一人、倒れていた。見覚えがあるような、無いような、若そうな男。
その男に近づいて、額をくっつけて偽雪が呟いた。
「……利八」
すると白っぽいもやが一瞬吹き出し、また一瞬のうちに収まる。そして次に見えたときには、男たちの立ち位置が入れ替わっていた。
眠っているように倒れているのは、雪だった。
用が済んだとばかりに、さっそうと立ち上がるのは、玖を押さえていた黒マントの男。
「あなた……それ…」
「淡桜の者はみな、魔法を理解しているのか。厄介だな。殿がお前たちを生かすと仰るから手を出さないでいてやるが。ここで仲間の首が届くのを待っているんだな」
男は玖の言葉を聞く間もなく部屋を出ていく。扉には、ガチャン、という音だけが残っていった。今度こそカギをかけられたのだ。
黒マントの男が出ていってすぐに、雪が目を開ける。どうやら起きていたようだ。
「っ…!!」
玖と緋名が声を出そうとしたのと同じタイミングで、雪は唇の前に人差し指を一本立てた。
しゃべるな、という合図。
二人がうなずいてくれるのを待って、雪は一人声を出す。
「もう、諦めて大人しくしていてください。玖姫、申し訳ありませんが……自分は、ここに残ります」
「!!?」
いつもと違う呼称。聞いているだけだと明らかにおかしいが、二人は気づかざるを得ない。雪の目が、手が、色々なジェスチャーをしていることに。
雪は床と窓を指差し、そこから出られると。他の者と合流してほしいと、たぶん言っている。
「もう、誰にもあの方は止められない。淡桜の城主が降伏したのなら、もう、用はありません。ここで……」
雪は懐から小太刀を取りだし、緋名に握らせる。そして緋名の手ごと握り締めて、そのまま自分の頭の上に降り下ろした。
ガンッ!!
痛そうな音が部屋に響く。そのまま雪は、まるで昼寝でもするかのように横になり、涙をこぼしながら目を閉じた。予想外に痛かったのかもしれない。
黙って見ていた玖は、小声で緋名に話しかける。
「……緋名、強い……ね」
「……雪が、油断していたんです。……おじ様に向かって、用はないなんて、ひどいことを…」
緋名は雪のやりたいことを察し、思っていたことをそのまま正直に並べた。二人は立ち上がり、部屋を出ようとする。ふと、玖は雪のもとに戻り、寝ている彼の頭をわしゃわしゃと乱暴になでまわした。
「雪のばか……」
「玖姫、行こう!」
「うん。今度こそ、一緒にみんなのところに帰ろう!」
ペシッと雪の頭をはたくと、玖と緋名は手を繋ぐ。そして扉へ向かおうとして、カギがかかっていたことを思い出す。
なにか言おうとして、二人で同時に口元に人差し指を立てる。声を出してもいいものか迷ったが、出さない方がいいと判断する。雪に目をやっても、そのまぶたは固く閉じられていて、こちらには反応してくれない。
仕方なく二人は腹をくくる。窓から屋根づたいに外へ出る。
しかしそれは簡単なことではなかった。膝までの着物を着用している緋名は、裾を踏む心配はないが、玖は違う。むしろいつも引きずっているようなものだ。裾をもって、少しずつ、前に進む。
「こ、こわい……」
「だ、大丈夫。ゆっくり、行こう!」
「い、いま、敵に見つかりませんように! 女神様お願いします!」
屋根から屋根へ渡り、跳び、転びそうになりながらも、玖と緋名は地上へ足を下ろす。玖の祈りは通じたようだ。
「あの部屋、高いところじゃなくて本当に良かったね」
しかしまだまだ。これから敵と遭遇しないように、康矢や登流たちと合流しなければならない。そうしない限り、雪を助け出すことは、叶わない。
「ど、どこへ向かえばいいの……?」
「さっきは雪がいたから、戦いになっても心配はなかったけど、今は自信ない、です……」
「緋名、戦いがある方向へいったら、まずい、よね?」
姫が二人、行くべき道が見えず、途方に暮れる。
しかし庭にいても、おそらく康矢たちとは会えない。そんな気がする。
緋名は右手に雪からもらった小太刀を持ち、左手で玖と手をつなぎ直す。
「おびえちゃダメ。行こう、玖!」
勇気をもって、城の中に入れる道を探す。




