序章 冬の行進曲 3
登流は水仙国の優秀な忍者だ。父・国王の信頼もかなり篤い。仕事がたまることはあっても、なくなることはないのだろう。
「寝てていいよ? ご飯置いておくよ?」
緋名にしては珍しく気を遣ったのだが、登流は聞き入れない。
「今日でしょ? 淡桜行くの」
「うん」
「ひとりで行くなよ」
半分眠りながらも、登流は了承を示さない。とはいえ、隣の淡桜へ行くのには、城門のドアを二つくぐれば着くというもので、ほとんど一本道だった。緋名は頬をふくらませて登流に意見する。
「道覚えたよ? もう迷わないもん」
「ダメ」
「えー」
緋名はそれでも前々回、一人で行動して迷うという偉業を成し遂げてしまった。そのせいでしつこく言われていると思ったが、横になっていた登流が起き上がったことにより、直感で“ちがう”と思えた。
「鈴蘭が動きそうできな臭い。どこでも一人禁止」
「……」
「城主だけじゃない、玖姫にも迷惑をかける」
「わかった。ひとりでは動かない」
緋名が了承してはじめて、登流は深く息をはいた。緋名は自分が発した言葉を、ほとんど取り消さない。この二人には確固たる信頼がある。
登流は真っ直ぐに緋名を見て、よろしい と、呟いた。そしてまた横になると、今度はすぐに眠りについた。
登流が夢を見始めた頃、隣の淡桜では、遅めの朝が来ていた。
「玖姫ー!?」
パタパタと、廊下を走る音が響いている。しかしその音をたしなめる声も聞こえた。
「雪、大きな音をたててはいけませんよ」
「分かってます。でも玖姫見つかりませんよ?」
「まったく、どこに隠れたのやら」
「康矢殿にもわからない場所に隠れたんですかね」
「雪、私にも分からないことはあります」
ふぅっと息をはいたのは、康矢と呼ばれた、どこかの住職を思わせる男。短髪で紫と黒の着物を着こなし、首もとには数珠に似た長い玉が連なっている。はや歩きをするたびに裾が捌かれるが、なぜか音はない。
隣を歩くのはきらびやかに、紫と濃緋の着物を着こなす。雪と呼ばれたその人は着物の裾を長いと感じさせないように、さばさばと歩く。先程康矢に言われたことを気にしてか、歩く速度が落ちている。うなじの辺りで一つにまとめた髪が、少しだけ踊っていた。
「でも、早く見つけないと。錫飛様に呼ばれているんですよね?」
「ええ。あ、私と雪も一緒です」
「え? 私も行かないといけないんですか?」
城といえど広い平屋。東西南北に部屋はある。全部探すとなると骨が折れそうだ。しかし話しながらでも、足は止めない。長い廊下を部屋の障子を開けながら進み、角を折れると、見慣れた男がいた。
「渓じゃん。なにうずくまっているの?」
「いえ、うずくまっているのではなく、跪いているんです」
「そりゃあそうでしょうよ」
「……雪、渓で遊ばないで。渓、なにをしてるんですか?」
真っ黒の装束に身を包み、右足には龍を携えている。細身だがきっちりと鍛えられていて、力強さが分かる。
渓と呼ばれたその男は、眉をしかめながら、それでも伝えなければと重い口を開いた。
「お二方がお探しの玖姫様は、錫飛様のお部屋におられます」