序章 冬の行進曲 2
水仙の姫、緋名の目覚めは夜明けの少し前。
辺りは薄暗いなか、供の姿もないまま寝室を出て、稽古着姿で中庭へとおりる。本来ならば、緋名が勝手に大庭と呼んでいる、屋敷のどこからでも見える広い庭に出たいのだが、側近に叱られてしまったため、自室のすぐ近くの庭へと出る。
「さて、今日も始めますか!」
氷月の空は澄んでいて気持ちが良い。しっかりと準備運動をして、剣の素振りをする。騎士のように心を無にして、ただひたすら空を斬る。自身が納得するまで振り終えて、およそ一時間半後。小さく よしっと声を出した。
そのまま部屋に戻るには汗だくなので、風呂場へ向かう。終わった時間では誰にも見つからずにというのは無理なので、少し上品に歩いていく。長い廊下をゆっくり歩き、年頃の乙女たちより幾分早く湯を浴びてさっぱりした。
あとは自室に戻るだけ。もと来た道を歩き、自室のふすまに手をかけ、一息つこうとしたところで、中から声がかかった。
「……おはようございます。緋名姫」
「うっ……」
一瞬、緋名はふすまを開けずにどこかへ行きたいという思いにかられた。しかしそれを実行したところで、声をかけた人物からは逃げられないし、今よりもさらに大変な目にあうと察して、大人しくふすまを開けた。
「お、おはよう、登流」
「早く入ってください。姫のお部屋ですよ?」
登流の言葉に、緋名の背筋は凍る。怖くて真っ直ぐ前を見れない。登流と目を合わせられない。恐らくいつもの通り、怖いことになっている。絶対に怖い顔をしている。
それでもこれ以上このまま立ってはいられないので、そうっと部屋に入り、本心からの行動で登流に背を向けてふすまを閉める。そのままおずおずと、その場に正座した。
「何を言われるのか、分かってるんだろうなぁ?」
緋名が部屋に入ってすぐ、先程の空気が無くなった。
緋名は登流の顔を見ないように、若干横を向いて座っているが、紺色の袴と紫の着物は、長い髪の間から目に入る。この男、同じものを何着持っているのかと、緋名は毎日聞きたくなっている。が、聞こうとするたびにタイミングを失い、結局一度も聞けてない。そして今日も聞けないでいた。
「緋名、あんたはこの国の姫だ。姫が朝っぱらから騎士よりも早く稽古してんじゃねぇ。何度言わせる気だ?」
「分かってるよ。でも毎日続けないとすぐダメになるじゃん」
何度も同じことを言われているが、こればかりは緋名も黙ってはいられない。ずっと身体を鍛えてきたのに、ここで止めたくない。体調が悪いときには仕方なくとも、健康なのに止めるなど、今までのことが無駄になってしまう。
「それに今は朝稽古は日課になってるもの。なくしたら体調を崩すとおもうよ?」
「風邪引いたらおとなしく部屋で寝てろ」
「そしたらいざというとき動けないよ? 登流の足を引っ張ってもいいの?」
「その方が姫らしいんじゃねーの?」
どちらも引くことをしないので、この話はいつだって平行線だ。登流は立場上決して譲らず、緋名は譲るということを考えつかない。
緋名は朝稽古のあと、せめて登流に見つからないように事を終え部屋に帰ってこようとしている。その企みも、当人にも他の者たちにもバレバレなのだが、本人はまだ気づいていなかった。
いつもの話が一通り終わって、登流はふと時計を見る。そしてそのままゴロリと横になった。
「あー、お前の相手して疲れた」
「なに? 風邪でも引いたの?」
「まさか。仕事してて寝てないだけだ。朝飯んとき起こして」
私に小言を言うために寝ずに待ってたのか、そのまま寝てればいいのに。と、緋名は思ったが、すぐにそれは消え去る。