働きたい妻
我が家を見上げる。
妻の妊娠を気に、二十年ローンで購入した。ローンはまだ十五年残っている。
新宿と郊外の中間に位置し、交通の便も悪くない。近所付き合いもそこそこ良好だし、今日まではこの家に不安など感じたことはなかった。
だが今は違う。不安で不安でたまらない。
意を決して、ドアを押し開ける。
「おかえりー」
廊下の先にあるリビングから声がした。
舌っ足らずの声から、息子の孝明の声だとわかった。
昨日までは、この声を聞くだけで、幸せな気分になったが、今は後ろめたさで崖に飛び込みたくなる。
「おかえり」
パタパタと足音をたてて、妻の美智子がやってきた。その後ろには孝明が笑っていた。
この二人の屈託のない笑顔に、いかなる殺傷能力があることか……
「ただいま。
先にお風呂もらっていいかな??」
ネクタイを取りながら言った。
風呂で作戦会議をすることにした。もっとも、公園で一時間悩んで回答はでなかったんだから、入浴の短い時間で、なにか良い案が浮かぶとも思わないが。
「僕もパパと入る」
孝明が足もとに駆け寄る。
「孝明はもうママと入ったでしょ。
ほら、宿題見てあげるからおいで」
美智子は、そう言って手を広げた。
孝明はそれがスイッチだったかのように、美智子の胸に飛び込んだ。
美智子は義人のネクタイと、孝明を片手にリビングに戻って行った。
一つため息をついて、脱衣所に向かった。
服を脱いで、鏡に映る自分を見つめた。
全く、贅肉は付いてない。十代の時の体脂肪率を維持している。おそらく十パーセントを切っているだろう。
この若さに有り溢れた自分が、なぜ首になったのかわからなかった。仕事も人並みにできたし、なにかトラブルがあったわけでもない。
無難な仕事をして、無難に会社での仕事をこなしていた。
そんな自分がなぜ首になったかわからなかった。考えれば考えるほど、謎は深まった。
考えたところで、わかるはずもなく、湯につかった。
風呂を上がり、リビングに移動すると、孝明が食い入るようにテレビアニメを見ていた。
ダイニングテーブルには、夕飯のおかずが並んでいた。
「今上がったよ」
「うん。ご飯、食べるでしょ??」
「もちろん」
そう言うと、美智子は椅子から立ち上がり、ご飯茶わんに、山盛りの白い御飯をよそった。
普段はそれくらいなら、二杯は食べるが、今日は食がなかなか進まなかった。
「どうしたの??今日は、あんまたべないんだね??」
「あぁ。
……実は話があるんだ」
「あ、ちょっと待って。
私もお願いしたいことがあるんだ」
お願い??
今、ブランドのバッグがほしいのー、なんて言われたら対応できないぞ。
「実はね、私また働きたいの」
「え??」
予想だにしないお願いだった。