出発
開発優先地区の外側、多くの秀真人が住む寂れた一角の『針須製作所』に逆瀬川とエリカは住んでいる。見た目はコンクリート造りの四角くみずぼらしい建物だ。
「どうしたのその顔」
作業着の袖をまくり、アイスでべとべとになった顔を洗面所で洗っているとエリカがそこに入ってきた。
「別に」
もう終わった事をわざわざ武勇伝のように語る必要は無いと逆瀬川は考えた。
「じゃあ先に行ってるから落ち着いたら来てね」
「分かった」
ポケットから格安スマートフォンを取り出す。電話帳に登録されているのはエリカだけだ。
(そろそろ行くか)
十分精神は整えた。これなら成功に必要なパフォーマンスは期待出来るだろう。
「おっと動くなよ重犯罪人」
何故その声が聞こえるのか一瞬分からなかった。後頭部に突き付けられている硬い金属は拳銃の銃口だと理解出来る。秀真人は大体その経験があるからだ。
「智?」
エリカは扉の回るその音を聞いて振り向いた。
だが入ってきたのは見知らぬ3人の男、そして頬に痣の出来た逆瀬川だった。
「屋根裏部屋に隠し扉か。お前らの考えそうな事だ。この野郎いくら殴ろうが吐かなくてな。このボロ小屋まるごと放火するって言ったらようやくゲロッたよ」
見知らぬ3人は拳銃を持っている。
「お、やっぱり違法スペイス使ってやがったか」
スペイスの出入口の色は圧縮率によって変化する。使用が許可されるスペイスは個人の権限によって異なる。秀真人は二倍の白、一般ヴェスゴア人は6倍の黄、上級ヴェスゴア人は10倍の赤でこれが個人で使用出来る限界となっている。国家的プロジェクトが15倍の青、理論上最大値が16倍の黒だ。
「金に銀というのは見た事はないがどのみち死刑か無期懲役なのは免れない。正義のヴェスゴア人が重罪を犯した秀真人に刑の執行をする訳だ」
「ジョージはなあ、芸藻の戦いを指揮した偉い人の息子なんだぞ」
取り巻きの一人、細い方が言った。
「うるせえよ」
ジョージと呼ばれた男は本気でその言葉を言った。一瞬細い方が委縮する。
「それにしても変な格好してるな。二人きりで好き放題?」
細い方は口の矛先を変えた。ニタニタと笑う。エリカの服装は秀真人基準でもヴェスゴア人基準でも一般的なものではない。
「俺はスペイスで自身の感覚を磨き続けた探偵人間。お前等とは頭の出来が違うんだよ。秀真人には必ず勝てるぐらいには武道の心得もある。ここに違法スペイスがあると分かったのはこいつに僅かな輻射反応があったからだ。来ている服の型も何十年も使っているような型崩れがあったしな」
エリカはジョージの言葉を無視してスカートの中に隠したものを取り出そうとした。
「おっとスカートの右の方に拳銃隠してやがるな。だがそれが無駄だって事ぐらいは知っているはずだ」
一口に拳銃と言っても、ヴェスゴア人の買える物と秀真人の買える物とは大きな違いがある。具体的に言うと、秀真人の購入可能な拳銃はヴェスゴア人の持つタグに反応して勝手にセイフティがかかる仕様になっている。この技術はスペイス内で長い時間をかけて開発されたもので下手に解除しようとすると拳銃自体が壊れてしまう。
「こいつを殺されたくなかったらさっさとスペイスのロックを解除するんだな。そうすりゃ俺達は報奨金がたんまり貰えるって訳だ。ハッハッハ」
「走って!」
エリカはW&S M9313レディスミスを取り出すと天井から吊り下げられた電球の紐を撃ち抜いた。
電球と傘型のガラスは真下に居たジョージの腕に当たり、辺りは真っ暗になった
「撃っちまえ! 片方生きてりゃ問題無い」
「暗くて狙いが……」
銃声の轟く中、逆瀬川は走った。あまり運動は得意ではない。
「イッ」
左肩を銃弾が霞める。だが痛がる暇は無い。
「ログイン!」
金色のスペイスの中に飛び込む。左肩を抑えながら現実世界とスペイスを結ぶ亜空間を落ちていき、綺麗に着地した。
「ちょ、撃たれたの!?」
エリカが心配してくれる。逆瀬川は作業着とシャツを脱ぐと、傷口に大きな絆創膏を貼った。
「かすり傷だよ。もう応急措置は済んだ。それよりあいつらが警察を呼んだらここも危ない。すぐに出発しよう」
「分かったわ。もう準備は出来てるからセンテニアルに乗り込みましょう」
「迂闊だった。子供を虐めていたあいつらを諫めたら尾行されたんだ」
「カッコいいじゃない。智は何も悪くないわ」
逆瀬川はエリカから否定的な言葉を掛けられた事が無かった。いつでも逆瀬川を肯定してくれる。
「え?」
「あなたは正しい事をした」
「ありがとう」
センテニアルから三角形の足具の付いた乗り込み用のロープを下ろし、二人で上がっていく。
「智が来るまで暇だったから調べたんだけどあのジョージって奴本当に将校の息子みたい」
現実世界ではスペイスに入った時のエリカと逆瀬川の時間の差は僅かなものであるが、そのわずかな差は高倍率のスペイスの中ではかなりの時間となる。
「あいつが? つまり芸藻の戦いでその将校を殺せばスペイスの前のあいつらも居なくなるのか」
「そういう事。名前はダニエル・マイヤーズ。芸藻の戦いの指揮官ね」
「好都合だ。今日は案外運が良いかも知れないな」
背中からセンテニアルの操縦席に入る。下方が逆瀬川、上方がエリカだ。
「システム異常無し。いつでも起動出来るわ」
「了解。センテニアルメインエンジン起動!」
エンジンが低い唸り声を上げる。
「タイムマシン、スイッチオン!」
キンキンと耳障りな音が辺りに鳴り響く。そして一瞬でセンテニアルは縦軸時間空域に突入した。
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