老将の訓戒
「お・わ・っ・た・あああ!」
喜びに満ち溢れているな、セロ。
「試験大丈夫だったのか?」
「ふふん、ユラギもうボケたの?」
「私達の鍵は記憶だって一緒。問題ない」
「それってカンニン……」
「「黙れ」」
言わなくて良かった。ユラギの方が一足早かった。
「夏の休暇の前に、まだ講演会がある。行こう」
講堂は人で一杯だ。ユラギは途中で別れた。生徒会の仕事があるらしい。
気怠い空気が漂うなか、入学式で座ったあたりに三人で座った。
「どんな講演だろうね」
「わくわく」
「そんなに面白いものではないと思うが」
「ええー、でも退役軍人さんだよ?」
「何か実演してくれるかも」
ふむ。言われてみれば、その可能性もあるな。心なしか空気が軽くなった気がする。
ようやく始まるらしい。ユラギが司会のようで、開会の言葉を述べた。さっき失言した人間には全く見えない卒のなさだ。ユラギが引っ込むと舞台袖から背筋をピンと伸ばしたスキンヘッド――禿とは言ってはいけない。髪が寂しいとかも厳禁だ――老人が歩いてくる。
ゲンじい!?
見覚えのありすぎる老人が出てきた。確かに会いにくるって言ってたけど。言ってたけど!
ゲンじいも俺を見つけたらしい。恐ろしいほどの野生の勘――もとい長年の経験である。目がキラリと光った気がした。
双子は俺の様子には全く頓着せずに、元気そうなおじいさんだねえ、なんて暢気に言ってる。俺は冷汗が止まらないというのに。
「儂は斎藤ゲンジロウ。紹介にあったように退役軍人じゃ。この老いぼれが話せることなど、ありゃあせん。……せいぜい半世紀以上前の第四次大戦くらいのモノじゃ」
あの頃はひどかった。そう言って語られる内容は初めて聞くもので。
当時、大日本皇国は政権が樹立して百年経つか経たないか。国内統一の内戦が始まるころから外部の干渉を避けるために江戸以来の鎖国政策――ただし大分緩め――をとっていた。そろそろ鎖国政策を止めようか、そういう時だった。
隣国の統一中華朝鮮人民共和国より宣戦布告を受ける。彼の国が欲したのは血の鍵の後継者及び技術者たちである。再びの鎖国によって、森林資源以外の資源の乏しい皇国の技術は否が応にも発達し、その流出にもかなり気を使っていた。しびれを切らしたことと、長年の恨み、彼の国での政情不安がこの戦争を引き起こしたと言われている。
ここら辺は中学生の時に習った内容である。
「当時は、当然だが今よりもっと鍵の研究が進んでおらんかった。それでも我が国の研究は一歩進んでおり、鍵の能力によっては戦争を左右した。銃火器なんぞ、たった一人の炎の鍵の保持者がいればよい。天候を操る者とておった」
鍵の発現が戦争をさらに過酷なものにしたといっていい。ゲンじいは淡々と語る。
「しかし、多勢に無勢。統一中華朝鮮人民共和国より雲霞のごとく兵が送られてくる。遂に軍人が足りなくなり、今の諸君らのように士官養成校に通っていた儂らにも出陣の命が下りた。儂の鍵の能力は健康だけじゃ。じゃから剣術は中々であっても儂は戦線の後方の補給部隊に配属された」
広域に能力を及ぼせる者、戦闘力の高い者は女子供関係なく前線に立った。技術覚悟ともに未熟であった学生は次々と死んでいった。
「儂は友人たちを失った。毎日のように友の訃報が届いた。だが同時に安堵もしておった。儂は生きて帰れると」
士官養成校時代の友人はもう、年のこともあって片手で足りる程度だと寂しそうに笑った。
「その罰が当たったんじゃろうなあ。雨の降りしきったあの夜、補給部隊は背後から迫っていた敵軍に包囲されたのじゃ」
闇の中、飛び交う悲鳴、銃声。血の匂い、焦げた匂い、饐えた匂い。何もかもが雨に混じっていた。
「儂は混乱、いや、錯乱しておった。恥ずかしい限りじゃが、儂は逃げ出したのじゃ。途中敵軍に切りかかられ、銃を撃たれ、体は傷ついていたはずじゃった」
「夢中になって、逃げて、逃げて。森を抜けても走り続けて。いつの間にか、雨が止んで頭の上に太陽が来ておった。自分の体を見て、儂は戦慄したのじゃ。髪が血と雨で肌に張り付いていても、軍服は破れていても、爪に泥が入っていても、儂の体は無傷じゃった」
逃げ出したが、自分は軍人の端くれ。作戦本部に自分のいた補給部隊が全滅したことを報告した。その報告が前線で戦っていた七家出身の将軍の目に留まった。報告した人間が無傷だったからだ。
「将軍は、健康の鍵持ちを集めて一つの部隊にした。そして敵主力とぶつけたのじゃ」
その数の差、五倍。生存は絶望的だった。
「周りは敵、敵、敵。殺さねば、自分が殺される。斬って、斬って、斬って、どれくらい斬ったかわからんかった。儂自身も、攻撃されたはずじゃ。でも、儂が倒れることはなかった。見える範囲の動くものは全部斬った」
その日の昼頃、敵軍は撤退を始めた。世界平和維持機構、WKP、じゃったか?の勧告と経済制裁がようやっと効果を示し、統一中華朝鮮人民共和国と講和を結ぶ運びになった。
「戦争がやっと終わって――儂が実際に従軍したのはほんの一週間ほどじゃったが、とても長く感じたのう。戦争は復興を終えた皇国に無残な爪痕を残した。しかし儂はそれどころではなかった」
目を閉じれば、肉を切る感触がし、死んでいった者たちの怨嗟が聞こえてきた。返り血を浴びすぎて、動く赤でさえあった自分。
「儂は、自分に恐怖した。健康の鍵持ち部隊の中でも生き残ったのは儂だけじゃった。儂は皆と同じように死なない、死ねない化け物だと。他者の命を奪ったことも勿論怖かったが、それより自分自身に恐怖した自分が気持ち悪くて、薄情で、情けなかったのう」
今でも、偶に夢に出てくる。なぜ、お前だけが生きていると死んでいった友人やその家族、敵兵が叫ぶのだ。
一度は逃げ出した自分が、将軍によくやったと言われても、その後英雄のように扱われても、虚しさしか感じられなかった。
家族が無事だったことが唯一の救いだった。
「大事なものを守れれば化け物でもよいと最近になってようやっと思えるようになった。鍵は、使いようじゃ。生かすも殺すも、自分次第。自分だけは、鍵を否定してはならん。まあ、爺の世迷言じゃ。恥ずかしい昔話じゃ、気にせんでええ。」
穏やかな口調と表情で事実は淡々と並べられ、色濃い記憶が漂い、はっきりとした現実感を伴って俺たちの耳に届いた。ゲンじいがこんな体験をしたなんて、全然知らなかった。
「何はともあれ、講演は終いじゃ。これより実演とする。各学年の代表は実技担当の教官推薦の者二人じゃ。放送で名を呼ばれた者は儂と試合じゃ」
俺の背筋に寒気が走った。ゲンじいの目に明らかに面白がるような光が浮かんでいる。俺は死刑宣告を受けたも同然だ。
晴れ渡った空には白い雲が暢気にも浮いていて、地面に立ち空を見上げる俺を嘲笑うようだ。憂鬱だ。ああ憂鬱だ!
でもそう思っているのは俺だけのようで、他の者たちはそう思っている者はあんまりいないらしい。見える限りの知り合いは紅崎会長と子ブタ君――支子くらいだ。支子は俺以外の例外である。
「全く、ゾンビ一歩手前のじじいと試合なんぞ、俺様の圧勝に決まっている。なぜこんなことをせねばならんのだ。それもこれも俺様が優秀すぎるせいだな」
得意気に言っているが、紅崎先輩に窘められた。実力が目に見える貴族には媚びへつらうとまではいかなくとも、横柄な態度は控えるらしい。その後自分を生徒会に入れるべきと穴だらけのオブラートに包んで申し出ていたが、笑顔ですげなく却下されている。紅崎先輩が離れてから、くそアマが、俺様の価値を理解できないとは、などと罵っている。心の中で言えばいいのに。
二年生は二人とも知らない人だったが、どうやら貴族生徒から一人、一般生徒一人という選び方をしているらしい。そんな観察をしているうちに他の生徒たちはグラウンドを囲み、早く始めろとばかりにそわそわしている。
「ふむ、では一年生から順に。支子チマキ、前へ」
百瀬教官が名を呼び、子ブタ君はいかにも渋々と言った体で前に出る。俺を睨んでからだ。……ブタくらいには知能があるらしい。ゲンじいが眉を顰めた。
「小僧、その体で思うように動けるのか」
「ふん、余計なお世話だ。老いぼれをいたぶるには丁度よかろう?貴族でもない貴様が俺様に勝てるとでも?」
「……そうか」
あ、ゲンじいキレた。百瀬教官がハラハラしてる。子ブタ君は自分に向けられた怒気に気づいていないのか、侮蔑の表情を変えない。ある意味すごい奴だ。百瀬教官は覚悟を決めたよう。キリッとした表情になり、始め!と手を振り上げた。
「ふん、口ほどにもない」
勝敗は一瞬で着いた。ぶべらッと変な音に続いてどしっと重量感を感じさせる音が響くと白目を剥いた子ブタがあったのだ。流石ゲンじい、今の動きを捉えられたのはほとんどいないのではなかろうか。
医務室付きの教官と控えていた保健委員が子ブタを担架に載せて連れて行った。ドナドナが聞こえる。
仕切りなおして今度は俺の番だ。……いやだなあ、自分の部屋に戻りたい。せめて見る側に回りたい。
「精進しとるか?」
「勿論」
「じゃろうなあ、もしお前が推薦されなんだら一から鍛え直さんと思っておった」
ゲンじいはうんうん頷いているが、俺は選ばれて本当に良かったと思った。百瀬教官には今度何か差し入れしよう。そうしよう。百瀬教官に目でお礼を伝えたが、わからなかったらしい。
「にしても、ゲンじい容赦なさすぎないか?」
「礼を尽くさぬ奴は嫌いじゃ。そろそろ始めよう、いつも通り何でもありじゃ」
俺は顎を軽く引き、いつも通り氷と炎の刃を構える。向こうも構えた。教官の手が上がると同時に駆けだす。二合、三合と刃を合わせて、そのまま暫く切り結ぶ。そこで一旦距離を置いた。二人でやるときの準備運動のようなもの。
既に俺の目や耳には戦いの情報以外は入らなくなっていた。
今度は俺だけが前に出る。舞うように刃を運ぶ。迫りくる剣は、いなせればいなし、滑らせていく。
しかしゲンじいの剣は乱れない。優美というよりも、無骨の方が似合う、正確無比の剣捌き。時折変則的な動きが混ざるから要注意。剣を払っては斬りかかり、斬ってはまた防御する。
試合は膠着状態だ。正確にはゲンじいが多少手加減している状況。
「なんじゃ、大して進歩しとらんの」
イラッとしたが、我慢、我慢。攻撃に合わせて滑るように――実際に靴底に氷を作り、滑って後退する。ふぅと一息つき、勝負を仕掛けることにする。
「ゲンじい、後悔するなよ」
俺は地面に氷の刃を突き刺した。
「氷帝の庭」
刃を中心に氷の床がピシリ、ピシリと広がってゆく。真夏の太陽の下、氷原が姿を現した。刃を地面から抜きつつ炎の刃を砕いて炎の欠片を作り出す。
「炎弾」
俺に向かい始めていたゲンじいの方へ飛ばす。その数、五十。
「ふむ、制御の方は腕をあげたか」
そう言って向かってくる速度を落とすことなく弾丸を打ち落とす。なんで足を取られないんだ、普通滑るだろう!?俺はさらに作り出した炎の欠片を飛ばしていく。
「炎姫の来訪」
今度はゲンじいが氷から足を踏み込むタイミングで氷の地面を消す。いきなり消すよりも地面がぐらつくのだ。ちぃッ、姿勢を崩せなかった。
再び炎の刃を作り出し、氷の刃と共に切りかかる。普通なら、届かない距離から。ゲンじいに刃の先が重なる直前、刃を一気に伸ばす。流石に予想外だったようで、少し体勢が崩れた。今だ。俺は一気にゲンじいの懐に潜りこみ、短くした刃を突き付ける。
カキン
俺は信じられない気持ちで自分の手を見、ゲンじいを見た。
「ふふん、儂の勝ちじゃ」
刃が半ばから折られ、俺の首には剣が当てられていた。上機嫌なゲンじいは剣を鞘に仕舞い、成長したの、と肩を軽く叩いた。俺は苦笑しつつ、ゲンじいに話しかける。
「やっぱりゲンじいには敵わないな」
「当り前じゃ、儂はまだまだ弟子には負けん。最後の刃を伸ばすのは、タイミングが悪かったのう」
あれは双子のないはずのモノが存在するっていうのを参考にした新技だったんだが、まだまだ修行が足りないらしい。練習するよ、とゲンじいに返した。
その後は、アドバイスしながらの試合が展開されたが、紅崎先輩だけは違った。本人が何でもありの試合を希望したのだ。ゲンじいは傍目にも楽しみだという雰囲気が滲んでいた。
紅崎先輩が前に出る。声援があがった。あまりの量に驚いた。
「きゃああ、お姉さま頑張って!」
「会長、勝ってください!」
男女問わず慕われているようだ。紅崎先輩は軽く手を振ればそちらで悲鳴があがる。ゲンじいも流石に苦笑しているようだが、先輩が正眼に刀を構えると、目がすうと細められた。
「……参ります」
先輩の顔には、今まで見てきた笑顔は幻かと疑うような、獰猛な笑顔があった。とんだバトルジャンキーだ。
(見事)
しかし先輩の剣技は流石武門の家柄と言うほかなく、その一言に尽きた。一撃一撃が洗練され、必殺の威力を秘めている。空振りした勢いも全てを利用し、合理的だ。
しかし、先輩の剣も経験の差か、じゃれつく猫のように捌かれている。俺も傍から見るとあんな感じなのだろうか。へこむ。
先輩のスピードがいきなり増す。どうやら先輩は速度の支援系の鍵の保持者らしい。先程より緩急がきつくなっている。
「中々やるのう」
しかし、まだまだじゃ。そう口を動かせば次の瞬間にはもう先輩の喉元に剣が添えられている。
先輩は一つ溜息を吐いて、参りましたと言う。ゲンじいは一つ頷くと上機嫌に言った。
「経験じゃ、お嬢ちゃん、お前さんに足りないのは。教官や仲間、後輩とどんどん手合わせしなさい」
「はい!」
……俺の聞き間違いだと信じたい。
ちょっとがっかりしつつも紅崎先輩にお疲れ様です、格好良かったですとファンが声を掛けているのを聞きながら、ぼんやりと今後の予定を考えた。
これが終われば、一度茶館に顔を出して、里帰り――と言っても徒歩十数分――する。たぶんゲンじいが泊めろと言うに決まっているから、帰りにスーパーに寄らないと。
完全に油断していたから、紅崎先輩がこちらに近づいてきているなんて、声を掛けられるまで気付かなかった。
「……りくん、城守君?聞いていますか」
やばい、相当無視していたかもしれない。ちょっと声に棘が生えていた。チクチクする。
「すいません、聞いていませんでした」
しまった、つい事実が。
先輩が何故か笑ったが、機嫌が直ったようなので気にしないことにする。結わえられた髪がふわりと揺れて、目はネコ科の猛獣のようにらんらんと輝き、形の良い唇から先輩が俺に声を掛けた理由が語られた。
「ねえ、城守君、剣術部に入らない?あなたはうちにぴったりよ。橙嶺を馬鹿にするわけではないけど、こちらの方があなたに合うのではないかしら」
「お言葉ですが……」
「夏の休暇中に合宿があるの。試しに来ない?あ、生徒会でもいいのよ、所属する?」
「引き抜きは駄目だぞ、紅崎」
断る途中で橙嶺先輩が割って入ってきた。橙嶺先輩がこんなに頼もしく感じるのは初めてかもしれない。俺は勧誘にうんざりしているので、二人が舌戦を繰り広げているうちに戦略的撤退を行うことにする。待ちなさい!という声には聞こえないふりを、後でなという声には軽く会釈しておいた。
俺の夏は前途多難だ。
青が透けていき、黄色を帯びはじめた空が、どんまいとでも励ますように生温い風を呼んだ。