夏の試験前(川)
◇◇◇
毎週土曜日の四限目。一週間の最後を締めくくる授業。それは一年の合同訓練だ。朝練以外にも訓練が週に二回あり、毎回違う二クラス合同で本人の自主性にある程度任せた訓練メニューをこなさせる。
今年はなかなか、いや、かなり優秀な生徒が多い。今日私が教官を務めているのは三組と五組だ。三組には七家の者が二人、七家の親戚が数人いる。
クラス分けには実はうっすらと差別――貴族の特権が存在する。毎年三組に貴族の者とその縁戚が振り分けられている。よって、三組の寮風は煌びやかだ。しかし、幅広い交流や貴族らしくないことを求める者は他のクラスに交じるといったものだ。三年生なら橙嶺、今年だと紫原がそれに当たる。橙嶺――貴人に仕える家柄――が希望したあの時は、職員室に衝撃が走ったものだ。基本的には本人の希望だが、家の希望という時もある。
白藍は家の強い希望で三組に振り分けられた。しかし、本人は辛そうで見ていられない。今も卯羽に庇われているが支子と金子にねちねちと厭味を言われている。卯羽がいないときは大丈夫なのだろうか。支子も金子も、あの性格さえどうにかなれば文句なく優秀なんだが……。
対する五組は一般人だが、特筆すべき生徒が四人ほどいる。
万木は貴族を抑えて首席になっただけあって戦闘力、学力ともに素晴らしい。本人は文官志望だが、紅崎家は早々に勧誘しているようだ。
次に城守。彼の入試成績は二位。森林演習では驚くほど優秀な結果を残した。鍵の能力はさして特別ではないが、普通共存しないはずの能力が共存していること、制御が完璧に近いことが評価された形だ。これまた貴族たちを抑えている。先日橙嶺と引き分けたときは驚いたが。
この二人が同じクラスに振り分けられた時、職員たちは大いに悩んだものだ。例年通り完全に無作為に振り分けたところ学年首席次席が同じクラスになってしまったから。やり直してみては、という案も出たが、結局そのままになった。
「百瀬せんせー」
「新技、見て」
この人懐っこい双子もまた特筆すべき生徒たちだ。入試結果は振るわなかったが、この二人は揃って初めて実力を発揮する。さて今回は何をやらかしてくれるのか。
◇◇◇
双子が新技を見せると言って百瀬教官のところに走っていった。ちょっと気になるのでユラギとの打ち合いをやめて二人で見に行く。
「どっちが勝つと思う?ちなみに俺は百瀬教官」
「安全パイだな。……俺は双子で」
「そうこなっくちゃ。俺はキイト秘蔵の木苺のアイスが欲しい」
あれ、うまいよな、とユラギが呟く。森林演習で地味に気に入っていたらしい。しかし、木苺のアイスはあまり量がないのであげたくない。先日カンナの目力に負けて分けてしまい、ちょっと心許ないのだ。……そもそもなぜユラギは俺の冷凍庫の中身を知っているんだ?
「俺は、そうだな。ユラギの部屋の本棚に紛れているエロ本をもらおうか」
「!?」
「冗談だったんだが……まさか本当にあるのか?」
からかうついでに鎌をかけただけだったんだが、面白いほど挙動が不自然だ。俺は笑いながら、賭けに買ったら近くの喫茶店の一番高いパンケーキを奢らせることにした。
セロは薙刀を構え、メロは糸の着いたナイフを持っている。百瀬教官は様子見だ。刀はだらりと楽に構えられている。
セロは常より早く駆け出し、距離を詰める。教官は防御の構えを見せる。メロはナイフを前方に投げる。届かなくないか?
「「交代!」」
セロが不自然に突然止まった……――!?
違う、メロと入れ替わったのだ。前方に投げ出された二本のナイフが教官に向かう。セロをいなすつもりだった百瀬教官は驚きつつも冷静に対処する。そのうちにメロは糸を手繰りつつさらに近づく。セロも教官の背面にこっそり向かう。
教官も気づいたのだろう。セロが背面に来る前にメロを抑えようと動く。この距離ではどちらかと言えば刀が有利。糸が邪魔だ。しかもナイフは届かない。
なぜかメロはナイフを斜めにつなぐように構える。
「「交換!」」
今度は武器だけが入れ替わる。ちょうど手には薙刀が握られていた。ナイフでは間合いの外でも、薙刀なら逆にちょうどいい。
うまい具合に刀は受け止められた。その一瞬の均衡を狙って、今度はセロからナイフが飛び出す。百瀬教官は力ずくで距離を取ろうとしてバランスを崩した。
再び交代の声でセロとメロが入れ替わり、刀は空を切ったのだ。そして後ろに迫っていたメロが薙刀を突き付けようとして弾かれた。
今日はここで終了らしい。
「双葉、すごいじゃないか!まさか俺が鍵を使うことになるとは思わなかったぞ」
「でも、勝てませんでした」
「……悔しい」
二人は肩で息をしながら答える。自信があったから余計に悔しいんだろう。でも教官に鍵を使わせたのはすごいと思う。大抵の生徒は剣一本であしらわれてしまうからだ。
双子は教官に頭を下げてこちらに戻ってきた。
「賭けは俺の勝ちだな」
ユラギが嬉し気に言ってくる。しかし俺もみすみす木苺のアイスを分けてやる気はない。
「引き分けだ。百瀬教官に鍵を使わせたのだから、賭けはなかったことになる」
「どうしたの?」
「二人が騒ぐなんて珍しい」
いいところに。よし、全力でごまかそう。
「ああ、実はユラギと賭けをしていてな、お前たちと教官……」
「あっ、バカ!」
「……どちらが勝つか。ユラギは百瀬教官に賭け、俺はお前たちに賭けたんだが。それで今俺は引き分けで賭けが成立しなくなったと言ったんだがな?」
「……ユラギ?」
「友達甲斐の無い奴」
二人は少しムッとしたらしい。ユラギに手に持っていた武器で襲い掛かる。いい気味だ。まあ、どちらも本気ではないし、止める必要はないだろう。
……と思ったが止めることにした。ユラギは鍵の特性上、無傷は難しい。工夫すればできると思うのだが。
「……にしても、いつの間にあんな技を身につけたんだ?随分トリッキーだが、相当練習が必要だろう?」
「そうだよな、メロは薙刀練習してないだろう?」
ユラギは助かったとばかりに口を開いた。二人は思わぬことを聞かれたとばかりに顔を見合わせた。褒められたことにも気づいて、得意気な、しかし照れも入ったような顔だ。
「僕らは二人で一人だからさ」
「ん。セロのモノは私のモノ、私のモノはセロのモノ」
「経験も、物も、全部二人のモノ。そういう鍵なんだ。まだまだ慣れてないから、呪を唱えといけないけどね」
「私たちはどっちかができるようになれば、もう片方もできるようになる」
「……へえ、それは羨ましいな」
「つまり、今回はモノと場所を共有する能力を応用したのか。やはり能力は使い方次第だな」
全くだ。双子の在るはずのないモノが迫ってくるというのは面白い。
「あ」
「キイト、どうしたの?」
「俺もちょっとした新技思いついたかも。礼を言う」
「マジか。キイトに差をつけられるのは勘弁なんだけど」
「ユラギも精進すればいいじゃん」
「蟻のように地道に」
「……俺、キリギリス派なんだけど」
「工夫すれば、お前が悩んでいるような、無傷で人を捕らえるというのもできると思うが」
本当か!?とユラギが思ったより食いついてきたので、どうしようかなあ、とあからさまにもったいぶる。
「……よし、さっき言っていたパンケーキを奢ろう」
「それで手を打とう」
流石首席、よくわかっている。俺は口の端が持ち上がるのを感じた。
「あ、キイトが笑ってる!」
「確かに珍しいな。しかし、キイトは何気に黒いよな」
「偶にまじめな顔してバカやるけど。それよりユラギ、私達にも誠意を見せるべき。忘れてないよね」
「ははは、メロの方があくどかったか、これは失敗」
俺はそんなに笑わないだろうか。聞こうにも三人は再びじゃれ始めていた。俺は一つ溜息をついて、放置することに決めた。ユラギには今度アドバイスすればいいだろう。
人気のない場所で、暫く一人で新技を練習していると、近くから不快なやり取りが聞こえてきた。
またあいつらか。今日は穏やかな少女がいないようで、幸薄そうな小柄な少女はやられっぱなしだ。
「この栄えある貴族クラスの恥さらしが!」
「貴様のせいで、教官に注意を受けたのだぞ!」
「それもこれも、お前が弱いせいだ。この俺様が直々に手ほどきをしてやろうとしたものを」
「全く、あの教官も平民のくせに忌々しい!」
「貴様には、俺様の素晴らしさが全く理解できない鳥頭しか備わっていないものなあ」
「……」
「森林演習でも、俺様の力に縋りついたくせになあ?お前には貴族の誇りもないんだろう?」
「この、ゴミくず!貴様など生きている価値もない」
「おい、そこまでだ」
正直、俺はこいつらのアホさ加減にイラッときていた。少女は唇を噛締め、握りこぶしは震えている。
「二人がかりで女の子をいたぶるとは、余程自分に自信がないと思われる。この子にお前たちが言っていた貴族の誇りとやら、貴様ら自身も持っていないのでは?」
突然部外者が来たことにポカンとしたが、一瞬の出来事であってすぐに子ブタの顔は赤みを帯びた。黒豚はうまいんだが、この赤ブタはまずいだろうな。
「ふざけるな、平民!俺様を誰だと思っている、まさか知らないはずないよな?」
「そのまさかだ。支子くん?」
「きっ貴様あああ!」
お互いに鍵の能力を解放しようとした。その時だ。
キーンコーンカーンコーン
あまりにもタイミングよくチャイムが響いたせいでお互いの間に妙な沈黙が流れた。
「……ふん、命拾いしたな。次に同じことを言ってみろ。ただでは済まさん。おい、ククル、行くぞ」
「は、はい」
取り巻きは恨めし気にこちらを睨んでから、先を行く支子を追いかけていった。
「あの、ありがとう」
「礼はいい。俺は君にも怒っているんだ」
戸惑ったようなお礼に、思ったよりも幾分低い、冷たい声が出た。
俺は結構単純で、人の思惑とか、策略には気づけない。自分の意思が最優先。自分の興味が最重要。だから他人のことはよくわからないし、冷たいとも言われる。
「君はくやしくないのか、あんな風に言われて」
でもその分、自分とは向き合ってきた。俺は人を馬鹿にする人は嫌いだ。でも、卑屈に自分を見る人も同じくらい嫌いだ。
「君だって、君が誇れる君がいるはずだ」
「もう、いいのよ……。何も知らないくせに、そんなこと言わないで……!」
「知らない、知らないとも。でも、今まで君は努力したはず。それは君が一番知ってる。その怒り具合を見ればなんとなくわかる。君の態度は君の努力に対して失礼だ」
「でも、でも……黙っていれば早く終わる。私が能無しなのは、事実……」
俺は溜息をついた。そしてゆっくりと息を吸い込み、彼女の揺れる目にしっかりと目を合わせた。
「黙っていれば、早く終わる?確かにそうかもしれないけど、それは君にとって負の遺産になる。否定され続けた心はやがて疲弊して君は君でなくなるだろう。俺に言い返せるうちに、君は君自身に向かい合って能無しでない自分を見るんだ」
「私の鍵は、非戦闘の支援系なの!手術の時に触るべき場所、施術するべき場所がわかるだけ!医者の資格がなければ役には立たない!戦えなければ、ずっとバカにされる……。もう家に帰りたい……」
俺は驚いた。随分いい鍵を持っている。
「鍵は、使い方次第だ。君の鍵は、俺には魅力的に映る」
少女は思わぬことを言われたとでも言いたげだ。俺の苛立ちは既になりを潜め始めていた。そもそも感情があんまり長続きしないのだ。諭すように口を開いた。
「医療系の補助の鍵を発現する君は、きっと優しいんだろう。だから攻撃に転用することに心が……鍵が反発するかもしれないけど。君の鍵は人の弱点がわかる、そういう風に捉えることもできる」
君自身が更に努力することできっと可能になる。俺は今の自分を今さら客観的に見始めていて、異様に恥ずかしくなってきた。最後にそう言って俺は寮に向かうことにした。
「あの、ありがとう」
背中に追いついた言葉は、先程とは違う強い響きを湛えていた気がした。