森林演習(左)
◇◇◇
(どうしよう……)
自分のサバイバル能力では課題をクリアできない。というか、すでに腹ペコで身動きできず、完全なる行き倒れになっている。
(うう……授業もうちょっとちゃんと聞いてればよかった)
いつも試験前に詰め込むタイプ、典型的な夏休み死亡フラグ軍な彼女。後悔しても、それが次に生かされることはない。
既に持ち出した食料は尽きている、というのは語弊がある。彼女は念のため二週間分携帯食料は持ってきていた。演習開始直後、自分の英断を称えた。
しかし、一日目の昼。ちょうど食事にしようとしたとき。出たのだ、奴らが。
……狼の群れである。
自分の鍵が戦闘にはあまり……むしろ全く向いていないのは理解していたので、彼女は速攻で逃げた。全力で逃げた。そして逃げ切った後、気づいた。鞄、置いてきちゃった。自分の迂闊さに呆れるばかり。ポケットには信号筒が入っていた。
(これがカロリーメイトだったらなあ……しかもチョコレート味)
クラスの順位を下げたくなくて、使わずにいたけど……流石に自分の命はおしい。こうしているうちにも狼がパクパク自分を食べるために近づいてきているかもしれないのだ。ご飯さえあれば絶対ゴールできたのに……。
でも、もう限界だ。わたしは信号筒に手を伸ばした。
「ぐえッ」
自分の口からかすれた、蛙の鳴き声みたいな呻きがもれた。実際に踏まれたのだ。
「うわあ!わ、悪い、大丈夫か?」
空腹で力の出ない体を必死に起こして、文句を言おうとして顔をあげた。
目の前には、美形がいた。さらさらの黒い髪に、冬の空みたいな透き通った青い瞳。無表情だけど、どことなく心配そうな雰囲気が漂っている。
(もしかして、あの世に来ちゃったかも……)
自分でもバカだと思う考えに至るが、口に出たのは別の言葉だ。
「ごはん……」
それで力尽きて私の視界はあっさり暗転した。
(いい匂い……)
ぼんやりとした感覚が、匂いにつられて鋭敏になっていく。目を開ければ、そこには湯気のたつスープが。ほぼ無意識に手を伸ばし、椀に口をつけてがつがつとかきこんだ。
これほどご飯を美味しく感じたことはあっただろうか。いや、ない。気づかぬうちに頬には自然と涙が流れていた。えぐえぐとしゃくりあげながら飲み込む姿を、二人の美形がほほえましく見ているのに気づいたのは、中身の消えた椀をしばらく見つめた後だった。
◇◇◇
「もう一杯、いるか?」
名残惜し気に木椀――ユラギが作った――の底を見つめる少女に声を掛ける。彼女はまあるい瞳を更に丸くして、顔を赤、白、そしてまた赤くした。目を少しうろうろさせて、意を決したようにこちらを見た。
「お願いします」
木椀にもう一度よそってやる。目線は完全に具材を捉えて離さない。おれは笑いそうになるのをこらえながら手渡した。今度は幾分落ち着いた様子で食べている。
最後の一口を飲み込み、満足げに息を吐く。野外料理で十分な出来ではないが、作り手としては嬉しい反応だ。
一段落したと判断したのだろう、彼女が愛しげに見つめていた熊肉の串焼きを手渡しながらユラギが尋ねる。
「君は一体どうしてあんなところに倒れていたんだ?」
「実は……」
彼女は運が相当悪いのだろう。話を聞いて俺はそう思った。ユラギも同情を禁じ得なかったんだろう。俺にアイコンタクトをよこしてきた。俺は頷く。
「どうだろう。俺たちと一緒に来ないか?もちろん、無理強いはしないけど」
「えっと、いいんですか?私、足手まといですよ。荷物もないし」
「だからこそだよ。助けておいて、はいさよならでは見捨てるようなものだし」
「信号筒は奇跡的に持っているので、救援は呼べますよ?」
「……君は課題をクリアしたくないのか?」
「そんなわけないに決まってます!……あ」
思わず、といった感じで叫んでいた。顔を紅潮させて、口元に手を当てている。
俺たちはくすくすと笑いを漏らしていた。説得中口を開かずにいたが、俺も説得に加わる。
「じゃあ、一緒にくればいいじゃないか」
「でも、本当に足手まといですよ?クラスも違うし」
「クリアしたいんだろ?なら決まりだ」
彼女は困ったような、嬉しいような、曖昧に頷いて、よろしくお願いします、と頭を下げた。
カンナ――行き倒れていた少女――の先導で森を進む。本来なら、ユラギが道案内する予定だったんだが、私に任せてくださいと胸を張られたので任せている。何か役に立たなければという気持ちが痛いほど伝わってきたのだ。それはユラギにも伝わったようで、あまり見当違いでなければ口を出さないことにしたようだ。
「私、運だけは良いんです」
嘘だろう!?俺は耳を疑った。
「嘘だろう?」
ユラギは声を出していた。ふつう、狼に襲われた挙句、荷物をなくして、行き倒れ、俺に踏まれるなんて不運以外のなにものでもないと思う。
「私の鍵は、幸運をもたらすものなんです。私にとって一番利益が出る選択が、なんとなくわかるんです。さっきも魚のいる川に出たでしょう?」
私、川魚好きなんですよね。にこにこの笑顔で言い放った。……言われてみれば、さっきから何度も蜂の巣を見たな。きっと蜂蜜も好きなんだろう。
「あ、木苺!」
採ってきますね、と軽やかに駆けていく。しかし手前でつまずいた。むくりと起き上がってぶちぶちとかなり早生の木苺をむしっていく。そして満面の笑みを浮かべて帰ってきた。……彼女の中では転んだことになっていないのだろう。そんな気がする。
ユラギは彼女の頭を撫でていた。なんとなくわかる気がする。ぶんぶんと振られているしっぽが見える……。
とりあえず、俺は近くにあった蜂の巣を凍らせた。
彼女は確かに運がいいかもしれない。勘が良い、とも言えるだろう。直線距離で歩いていないのに、なんだかんだで予定の一・五倍は進んでいる。歩きやすい道を無意識に引き寄せるのかもしれない。
つらつらとそんなことを考えながら夕飯を作る。そろそろ飽きてきた肉と山菜のスープ。今日はそれに白身魚の香草焼き、木苺のアイスである。我ながらよくできたと思う。魚は口に入れればほろりと身が崩れ、口いっぱいに広がるハーブの香り、柑橘類の爽やかな後味。途中で柑橘類を見つけられたのは本当に幸運だった。木苺のアイスは、蜂蜜と柑橘類と一緒に煮込んで凍らせただけなのでアイスと言えるかは微妙だが、二人がおいしそうに食べているのでよしとする。
◇◇◇
やっぱり私って運がいい。もしあそこで行き倒れてなければ、こんな美形二人と知り合うこともなかっただろうし、あったかい食事も一週間くらいは諦めなければならなかったはずだ。しかも今日はデザート付きだ。
(このままいけば、もしかしたら上位を狙えるかも。思ったより私の鍵、役に立ってくれているみたいだし)
ユラギさんに頭なでられちゃった。キイトさんもみかんみたいな果物見つけたとき、ちょっと雰囲気がわくわくした感じだったし。ちゃんと寝て、明日も頑張ろう!
◇◇◇
森林演習も今日で四日目。朝出発して、もうすぐ日が真上に来るというころ。地図に示された場所に着いた。そこには小さめのログハウスがあって、中の黒板にはメッセージと指示があった。
常盤荘へようこそ。自然に愛し愛され、運に恵まれし学徒たちよ、よくぞここに辿りついた。ここでのミッションは簡単。机の上にある紙に自分の名前を書き、側のファックスで学校に送ること。そしてこの部屋のどこかにある緑色のビー玉を一人一つ持って帰ることだ。ビー玉はまとめて瓶に入っている。見つけた瓶は、君たちがこの部屋の中のここぞというところに隠し直してくれたまえ。森を抜けたら、第二体育館に向かうように。無事の帰還を祈る。
「あったか?」
ユラギもカンナも見つけられていないようで、首を横に振る。仕方ない、今日はここで一泊しよう。さて、食事の準備をしよう。今日はここに来る途中で猪肉を手に入れた。贅沢にステーキかな。早生の木苺のソース添えにしよう。下味を心持薄くつけて焼く。油の弾ける音が気持ちよく響く。
ガッ
変な音がした。たぶんカンナが転んだんだろう。慌てたような気配が伝わってくる。フォローはユラギに任せ、俺はスープと乾パンを温め始めた。
「キイトさん、見つけましたよ!」
ログハウス内に入れば、カンナに声をかけられた。目線はがっつり匂いのもとを向いているが、伝えられた内容は驚愕ものだ。ユラギに目で問う。
「本当だよ、ほら。カンナちゃんのお手柄さ」
「えへへ、転んだ拍子に床板が一枚ずれたんです。そこを覗いたらあったんです」
ユラギの手には鮮やかな緑のビー玉が三つ存在していた。瓶は元の場所に隠しなおしたらしい。ここ以上に見つかりにくいところはないだろう。後は帰るだけだな、と和気あいあいと食事を楽しんだ。
帰りは順調に進んだ。特筆すべきは、野鳥とその卵を手に入れたくらい。あと一日歩き続ければ、演習林を抜けられるだろう。
――事件は起きた。
行きの時に見かけたバカ貴族――子ブタと取り巻きのひょろひょろ――と出くわした。そして出合い頭にビー玉をよこせと言ってきたのだ。この前見かけた少女たちとは別れたらしい。見限られた、が正しいだろうが。
「いいからよこせ!持っているだろう!」
「渡す理由はない」
ユラギがそっけなく応える。
「貴様、俺様は七家だぞ!俺に証を捧げる栄誉を断るというのか!」
「そもそも、ビー玉を得た時点で名前を書いて送るのです、奪っても意味がないのでは?」
カンナ、ナイス。ただの抜けた食いしん坊ではなかったんだな。……しかし、イライラしてきた。俺も煽りに加わる。
「七家のくせに自力でビー玉を手に入れられなかったのか?」
「うるさい!さっさと私達によこさないか!」
「こうなれば力づくで奪うまで!」
「……これからの行為は、正当防衛だよな?」
その言葉を待っていた、とばかりにユラギがやけにいい笑顔を俺に向けた。俺はそうだな、と呟いて子ブタとひょろひょろの服を凍らせる。今にも駆けださんといったポーズで固まり、バランスをとれずに地面に転がった。ざまあ。指さして笑いたいのを我慢する。
「奪う、と言ったからには、自分が奪われる立場になることも覚悟の上ですよね?」
カンナは二人の荷物を剥ぎとる。その中からユラギが信号筒を取り出した。
「キイト、この凍っている服ってどれぐらい持つ?」
「大体、数時間持たないくらいだと思うが」
そうか、と胡散臭い笑顔のまま、あっさりと信号筒に手をかける。
ばか、やめろと外野が白い顔で喚く。ユラギは空に向けて信号筒を打ち上げた。
「それでは、ごきげんよう」
明日の夕方くらいには森を出られるだろうというところで、俺たちは最後の晩餐をしていた。明日で演習も終わりだな、ぽつりとユラギが呟く。すると、るんるん気分だったカンナはしょぼんとした。
「二人と、お別れですね……、クラスも違うし」
「クラスが違うくらい、どうってことないさ。部活が一緒かもしれないし」
うんうん、と俺もうなずいてやる。ユラギも必死に慰めているが、効果は薄そうだ。
ついに言葉が尽きてしんみりとした空気が漂った。
ガサガサッ
近くの茂みが揺れる音がした。俺たちは一気に緊張感を持つ。
ガサッガサッ
段々こちらに近づいてくる。
ガサッ
「あ、キイト!と、万木君と、誰?」
ひょっこりと現れたのは人間――双子の片割れ――セロだった。
「なんだ、お前か……」
「いい匂いを辿ってきたんだよ、マヨさんもいるよ」
マヨも後ろから顔を出して、ひらひらと手を振る。元気そうでよかった。後からメロと文学少女が来るらしい。二人はスープをがっついていた。
「料理できるやつ、いなかったのか?マヨができないのは知っているけど」
「いやあ、コヨリさんはできるって言ってたけど、誰も調理器具持ってなくてさ」
「あたしたちはずうっと焼肉と携帯食料だけよ」
せいぜい偶に柑橘類の果物を見かけた程度ね、と恨みがまし気に言われた。どうしようもないんだが。
そうこうしているうちにメロとコヨリがやってきた。二人もスープをおいしそうに飲んでいる。全員が落ち着いたところで自己紹介とか情報交換とか、諸々をこなす。
どうやら双子は紫原荘、八組ペア――マヨとコヨリは白藍荘に辿りついて、帰る途中に合流したらしい。ちなみに子ブタ貴族は見かけなかったようだ。運がいいやつらだ。
暫くお互いの健闘を称えて就寝した。
びゅんびゅんと風を切って進む。一面の緑が後ろへ後ろへと流れていく。俺たちは現在、虎に乗っていた。文学少女――大橋さんの鍵の能力で、他人も知っている作品に登場する人物以外の生き物を召喚できるというものだ。山月記がお気に入りらしい。そんなこんなで光が見えた。
森を抜ければ、太陽が真上にある。虎から降り、六日間分の光を浴びるように体を伸ばす。いつの間にか虎は消えていた。少し離れたところでみんなが早く!と急かしている。
双子がわくわくと第二体育館のドアを開ける。
「お、一番乗りかな?」
「だといい」
「残念ながら、君たちは三番目のグループだ」
声のした方を見ると長い髪を一つに括り、眼鏡をかけた女性が立っていた。
「あ、鬼宮先生!」
「榊、お前が元気で本当に嬉しいよ。十一時間移動が絶えて救援に向かう準備を始めていたんだからな」
「ご、ごめんなさい」
演習終了手続きをするように、といって去っていった。
用意されていたカウンターにはそれぞれの寮の寮監たちが待っていた。
「先輩方は授業ないんですか?」
「ああ、毎年恒例だからこの時期は部活や自習に充てられているよ。半分くらいは森林演習の手伝いだけど」
「あなたたち、水仙寮では一番」
「今年はいい線いきそうだな」
先輩たちは上機嫌だ。しかもまだ棄権した者もいないらしい。
「ゆっくり休めよ、金曜日の夕方に表彰式だ」
「それまで自由」
ビー玉を提出し、採点基準を手渡され俺たちは寮に戻った。
あっという間に金曜日になった。一昨日、昨日に続き、今日も食堂は涙ながらに食事をする者たちで溢れかえっていた。まともな食事が久々だったんだろう。俺たちのグループは比較的落ち着いていたので、先輩方は少し驚いていたみたいだ。
日が傾き始めたころ、表彰式が始まった。
「個人総合の部、一位、三組港リョウマ、二位、五組城守キイト、三位、七組紫原ユイリ、四位……」
個人総合、個人速度、個人特殊点数、個人技能の部、審査員特別賞と発表されていく。
俺は個人総合の部で二位、個人速度の部で三位(これはグループ別らしい)、個人特殊点数の部で五位だった。個人速度以外で知り合いでは、ユラギと穏やかそうな少女――卯羽というらしい――が個人技能の部、カンナが審査員特別賞に輝いた。副賞があるので、後で取りに行かねばならない。
続いてクラスだ。ごくり、と隣で息をのむ音がする。
「学級総合の部、三位、八組!」
マヨのクラスだ。わあっと声が上がる。
「二位、二組!」
今度はカンナのクラスだ。やはり歓声が起こる。
「一位……五組!」
俺の周囲で、喜びが爆発した。