森林演習(右)
入学から約一週間後。今日は新入生歓迎オリエンテーションという名の森林演習である。この一週間、やたらと野外関連の座学が多いとは思った。先輩たちはニヤニヤと笑って何も言わなかったのは伝統か何かなのだろう。
先生曰く、これは一種の試験だそうだ。一週間の成果を軽く見、これからの実技のクラス分けの参考にするらしい。一時間で野外活動に必要だと思うものを五つ持ってくるようにと言われた。寮との行き来を考えると実質準備時間は四十分くらいだ。
準備を終えて教室に戻ってくる。俺はクラスで一番に戻ってきたらしい。ちょっと興味深げにこちらを見る先生に居心地の悪さを感じつつ、支給された鞄に荷物を入れる。現代の鞄には、時空間系統の鍵の保持者により見た目と内容量が比例しない鞄が割と簡単に手に入る。値は張るが。
荷物を収めるとぺらりと一枚の紙が手渡され、続けて筒と腕輪が一つずつ差し出される。もう行っていいらしい。
演習林と言っても、士官学校の所有するここはもはや樹海である。方位磁針が働くだけいいかもしれない。先の大戦で激戦区となり、一帯が廃墟となった。革命成立後、そこに常盤が植林をした。常盤家初代当主の鍵は協力で、種を蒔いた後は一瞬で緑の海になったそうだ。じいちゃんの知り合いはその光景を実際に見たそうで、植物が一斉に芽吹き、天へと伸びるさまは感動的だったと言っていた。
先ほど渡された指令書には簡単な地図と課題、諸注意が書かれていた。
十日後の正午までに地図中の七つ場所のうち、いずれかを訪れ、帰還すること。
登録した五つの持ち物と自分の鍵の能力以外は使わないこと。違反が発覚したとき、減点対象になるので注意。
死にそうだと思ったら、事前に配布された信号筒を使うこと。
腕輪には追跡用にGPS機能がついているので、肌身離さず持ち歩くこと。十二時間以上動かない場合、危険と判断し、救助に動くこと。
個人の成績は点数化され、個人の点数、クラスの平均点の上位には賞品があるので、奮って参加してほしいこと。
かくしてオリエンテーションの皮を被った地獄のサバイバルが幕を開けたのであった。
指令書に書いてあったスタート地点に立つ。うっそうとした木々は奥ほど黒々として光さえも吸収しそうなほどである。俺もまた犠牲者として森に呑まれた。仰々しく言ったところで、演習林に足を踏み入れただけである。
ぴちちちち……。
かさっ、かさささささ……。
さわさわさわさわ……。
ぎゃーお、けけけけけけ……。
少し進んだだけで生物の、植物の、息遣いが聞こえる。見えるのは緑一色。あまりにも圧倒的な自然。自分が小さく、異質であることがはっきりわかる気がする。でも、一つ深呼吸をすれば少しは自然に紛れた気がする。もう一度だけ深呼吸する。
(とりあえず狩りと採集をしながらできるだけ進もう)
方位磁針でときどき進路を確認し、地図を取り出してたまに方向を修正する。時折山菜を見つけてはちぎっていく。邪魔な枝は刀で払う。氷でできた、透明な薄刃の刀だ。刀というには角張ったものであるが、作りやすいので気に入っている。俺は鍵を『氷炎の獄 』と命名して、物凄く努力したのでこれくらいはお手の物である。
「今日はここで休むか」
空も薄くなり始めた。水場も近く、ちょうどいいぐらいに開けている。小枝を二本切り取り、薪を拾い集める。鍋を取り出し、火にかける。途中で仕留めたウサギを捌いて一口大に切る。脂身を先に温めて、十分融けたら取り出し、肉を投入する。表面がきつね色になったら山菜を加えてしんなりするまで炒める。煮沸した水を加え煮込む。最後にコンソメキューブ、塩、コショウで味を調えて終了だ。
調味料は纏めて一つに数えられていた。もし数えてもらえなかったら、塩だけを選ぶはめになったはずだ。鍋も、大中小で一つと見なされた。自信はないがおそらく、審査基準がひとまとまりで一つとしてよいことになっているのだろう。
食事を終えて火の始末をし、近くの木の根元で毛布にくるまる。フクロウの鳴き声を遠くに聞きながら顔をうずめた。
瞼の裏に光を感じて意識が浮上を始める。一つ欠伸をして顔を洗い、彩に欠ける具だくさんコンソメスープの残りを食べて出発する。
(今日は誰かに会えるだろうか)
というか、マヨや双子、文学少女は平気か?俺みたいにじいちゃんとしたような山菜取りをしたことはないだろうし……。座学ではあんまり身につかないものだしな。
できるだけ水場を経由して移動することにする。持ち込んだ水はできるだけ取っておきたい。
昼頃だろうか、人間の声がした。現在地から印をつけつつ声の方へ近づく。様子を窺ってみると、男女のグループだ。見るからに貴族っぽい。小太りの少年、ひょろっとした少年、穏やかそうな少女、小柄で色素の薄い少女の四人だ。
「全く、なんだって俺様がこんな野蛮な生活をせねばならないのだ」
「本当にその通りです。週末には父に言いつけます」
「まあまあ、二人とも。そんなに熱くならずとも……」
「だまれ、この低能者が!貴様が探索系統の鍵さえ持っていなければ、俺様は貴様を連れたくはないのだ!」
「クラスの勝利のために、支子様が仕方なく連れていってくださるのだからな!白藍、この役立たずが!お前には七家の誇りはないのか!」
小柄な少女が白藍なのだろう。びくっとして黙り込んでしまった。あんまりな言葉に穏やかそうな少女が言い添える。
「その言い方はないでしょう。彼女は医者よりですし、出番がないのが一番です」
「ふん。女のくせに俺様に口答えしやがって。かわいげのない」
「大体、毒の有無は僕が確認できる。そういう鍵だからな」
支子はいかにも傲慢で役立たずの貴族といった雰囲気だが、何か有用な鍵の保持者なのだろうか。白藍は逆に自信がなさすぎる。理由が気になるところだ。
(このグループには混ざりたくない)
おそらく全員が色家に関わる家柄だろう。何よりも、あの歪んだ卑屈な空気の中にいたくない。
「うわあっ!」
小さく悲鳴が聞こえた。続いて慌てたようにガサガサと茂みを掻き分ける音が聞こえる。俺は急いで声のした方へと駆ける。
見つけた!
飛び出した先にいたのは同じくらいの身長の少年と、二頭の熊だった。
「「おい、大丈夫か!」」
声が重なったことに驚いてそちらを見ると、相手と目が合った。首席くんだ。どうやら彼も近くにいて駆け付けたらしい。
新しい獲物の出現に、熊は目をぎらつかせた。たぶん。
「お前は戦うのか?」
もともといた少年に尋ねると、彼は首を横に振った。首席くんが目線で、一頭ずつヤるぞと物騒な提案をする。……うなずいた俺も俺だが。
俺は右の熊と相対する。右手には氷の透明な刃を、左手には炎の朱色の刃を逆手で持ち、半身で構える。熊が身を沈めた。熊の体が急速に近づく。
「シッ」
左足を踏み出し、右手を下から斜め上に。全ての呼吸を意識して。滑らかに。
シャン、と首が切れ、ドパッ、と血が噴き出す。仕上げにズドンと胴体が倒れこむ音がする。
左を見ると、熊の四肢が切り落とされていた。ほぼ同時に仕留めたらしい。振り返れば、熊の首が名もなき少年のそばを、ころりころりと転がっていた。ちょっと顔色が悪い。
「礼は言わないが、助かった。感謝する。オレは更科アキラ」
「……無事でなによりだ」
お礼、言ってるじゃん。
そう思ったのは俺だけではないみたいで、首席くんは苦笑したような、困ったような、表情に迷いが出ていた。しかし首席くんからは矛盾を指摘する言葉はでなかった。
「俺は万木ユラギで……なあ、更科は姉がいるか?」
「いるが……ああ、五組か。あの怠惰の塊は残念なことにオレの姉だ」
意外な縁だな。少し面倒な性格のようだが、悪いやつではなさそうだ。
「俺は城守キイト。五組だ。更科は近接攻撃の手段がないんだろう?これも何かの縁だし、一緒に行動しないか」
「それには俺も入っているか?」
「もちろん」
首席くん、改め万木が聞いてきたのでうなずいてやる。更科には悪くない提案だと思う。
「悪いが、遠慮させてもらう。誘いは嬉しく思うが、クラスが違う。協力はできない」
「だけど」
「さっきは油断しただけだ。遠距離攻撃には自信がある」
「……そうか。気をつけろよ」
万木は言い募ろうとしていたが、俺は止めた。更科の目には強い光がある。何かプライドを刺激したんだろう。
更科は軽く顎を引いて手をあげ、北に進んでいった。
「この熊、うまいかな?」
「さあな、うまいんじゃないか?」
残された俺たちは熊の解体作業中だ。夕飯のおかずになる予定である。
すすす、と万木のナイフが皮を剥いでいく。
ざくざくと俺の氷の刃が死体を肉にする。
「熊、解体したことあるのか?やけにナイフの扱いが上手いけど」
「ああ、俺は田舎育ちなんだ。これくらいの森は、近所にもあったし」
「それは、また……」
「でも、城守も手馴れているな」
「じいちゃんとその友達に、仕込まれたんだ。二人とも、手作りの鹿肉のジャーキーが好きでさ。……ま、こんなもんだろう」
大体三日分の肉を確保し、土に埋める。穴は万木がいつの間にか掘っていた。
(いっけね、現在地わからん)
悲鳴を聞いて飛び出して来てしまったから、目印をつけてない。これでは課題をクリアできない。
いきなり黙り込んだ俺を不審に思ったのか、万木にどうしたのかと聞かれてしまった。張れる見栄などないので正直に答えると、なんだ、そんなことかという言葉が返ってきた。
「俺は空間系統の鍵の保持者なんだ。位置把握はお手の物だよ」
「へえ!親が職人だったりするのか?」
「いや、親は関係ないな」
笑いながら答えた。
大体の子供は親の真似をする。そして大人と同じことをしたがって、半分くらいは親と似た能力を発現する。
空間系統の鍵は子供の願望には現れにくい。よって、空間系統の鍵の保持者は親も空間系の鍵の保持者であることが多い。せいぜい、面倒くさがりな子供が空間転移をごく稀に取得するくらいだ。しかし、空間転移は移動系統の鍵に分類されている。
俺の疑問が顔に出ていたのだろう。
「うちはこの少子化の世の中の庶民には珍しく、七人兄弟なんだ。祖父母も一緒に住んでいるから、十一人家族で、そのくせ家は六人用。兄弟の半分は自分の部屋が欲しくて空間系統の鍵持ちなのさ」
「それは、すごい。残り半分は?」
「時間系統さ」
「……何というか、レア一家だな。俺は一人っ子だから、少し羨ましいけどね」
「何人かいるか?」
けらけらと笑いながら提案してくるので、俺も困ったように笑って断った。
俺たちは更科の消えた方とは違う方向を目指して移動を始めた。
ぱちりぱちりと火が弾ける。ゆらゆらと煙が立ち上る。魚にはいい感じの焦げ目が付き、熊肉は燻製にされている。山菜のスープはうっすらと色づいて、月の光を反射している。お互いの食器によそる。魚は串に刺して火のそばにあるので、自由に食べる。
「まさか、燻製用に使える樹がわかるとは思わなかったよ。香草も見つけられるし」
「俺はキイトが氷と炎を使えるとは思わなかった。ふつう片方だろう?それに料理もうまいし」
スープに浸した乾パン――万木が持ち込んだもの――をもぐもぐしながら万木は俺を褒めた。照れるじゃないか。
理由は俺もわからない。そう口にはした。でも実はわかっている。教える気はない。
「でも、俺の鍵はそんなに便利じゃない。その現象を現実に定着させるには物がないと無理なんだ」
「……よくわからないんだが」
「例えば、こうやって氷を作る。でも、維持しないと消えてしまう。こんな風に」
俺の指先にできていた一センチ四方の氷は、忽然と消えた。
「でも水を用意して凍らせれば、それは氷のままだ」
今度は飲み水を凍らせてひらひらと手を振る。他人から見て能力を維持しているかはわからないから、あまり意味はないかもしれない。
「なるほど……。つまりキイトは水を作れないってことか?」
「そう。だから水場を伝って目的地に行こうと思って」
「どんな鍵も欠点はあるよな」
どこかしみじみとした口調で万木が言った。
「万木も試してできなかったことはあるのか?」
「あるぞ。俺は異空間に物を入れておけないんだ」
「……どういうことだ?」
何て言えばいいのかなあ、と頬を掻く。言うことがまとまったのだろう。顎に手を当てて口を開いた。
「異空間に入れるけど、あそこはただの場所なんだ。誰もいない場所っていうのが俺の鍵の特徴だから、いつも同じ空間に行くわけではないんだ。うーん、一番近いのはネットカフェかな。この説明でわかるか?」
「なんとなく」
要するに忘れ物は許されないってことだろう。
「それと、俺のことはユラギでいい。キイトとは仲良くできる気がする」
俺は少し面食らったが、笑顔で頷いた。見張りは俺の鍵がするから、と万木……ユラギが言って、それから二人そろって満天の空の下で横になった。