菊光祭(北)
菊光祭の二日目は順当に始まった。作業量が二倍弱になった他、友人たちが茶を飲みに来てくれたくらいしか前日との違いはない。橙嶺先輩が言った通り、客足は増えていた。俺は途中でケーキ類を追加で作ることにもなった。ガトーショコラやベイクドチーズケーキは冷めていた方が美味しいので、俺の鍵がとても役に立つ。そして順当に営業を終えた。いくつか売切れも出たし、上出来だろう。先輩方も、疲れた表情ながら達成感を覗かせている。
ちりん
入口のベルが揺れた。つまり、誰かがやって来たということ。橙嶺先輩が対応に向かう。そして、あろうことか来客をもてなすらしい。
「城守、すまんがアップルパイを一つ。柑子、ダージリンを一杯入れてくれ。給仕は俺がやるが、もしかしたら城守にも出てもらうかもしれん」
よくわからないが、追い返せないくらいには偉い人らしい。
「わかりました」
既に焼いてあったアップルパイをオーブンで軽く炙り、温め直す。その上には先輩が仕入れてきたバニラの香りが強い濃厚なアイスクリームを乗せる。ミントをちょんと飾れば出来上がりだ。先輩はほぼ同時に淹れおわった紅茶と一緒に配膳しにいった。
「誰でしょうか、こんな時間に来るなんて」
「非常識よね。でも会長怒ってないのよねえ」
「疲れてるときの急な来客って最悪だからね、会長、いつもなら若干不機嫌になるのになあ」
「実は事前に知らされていたとか。俺たちには内緒だったんでしょうか」
みんなで誰だろうって話で盛り上がる。勿論、片付けの手は緩めない。皆早く終わらせて帰りたいのだ。
「城守、ちょっと来てくれ」
橙嶺先輩は何やら難しい顔をして俺を呼んだ。疑問符を頭に浮かべつつ俺は先輩に付いて行った。
誰もいないがらんとした茶館には月光が差し込み、青白い窓辺に一組のテーブルと椅子が浮かび上がる。そこには、白い魔女がいた。
「貴女は……」
「美味しいね、このアップルパイ」
「どうも……」
「言ったよね、早く見つめろと」
「それは……」
有無を言わさぬ瞳で見つめられ、何も言えなくなった。圧倒的な王者の気配。冬の雪のような、耳鳴りがするような沈黙。痛々しい沈黙はかちゃりというティーカップを置く音が破る。
「見舞いに行くんだね。王命だ」
その瞬間、俺の頭の中で何かが弾けた。白い光をまき散らし、影を揺らして魔女は去っていった。懐かしくも狂おしい感情に俺が囚われていたのも、束の間。
「大丈夫か」
「……平気です」
「随分気に入られているな。あの方は好き嫌いが激しいんだ」
「先輩は白い魔女と知り合いだったんですね」
だから俺が図書委員になることに反対しなかったんだな。積極的に賛成もしなかったが。しかも先輩があの方と呼ぶということは……。
「まあな。とにかく、あの人は嘘を言わない。アドバイスも的確だ。……ものすごく端的でわかりにくいが」
だから、従えということなのだろう。まあ、俺も逆らってはいけない気がしてはいたのだ。やはり、血、だろうか。
「……医務室に、行ってきます」
「おう」
コンコンコンコン
ノックすればどうぞと反応がある。開ければまだ露草先生がいた。なんでだ?
「待ってたよ。あと、はい」
理事長からと言って一通の飾り気のない封筒を差し出された。
「用事が済んだら読んでね。僕はここで待つように言われているから。……終わったら声を掛けてくれるかな」
先生は俺を病室に通すと、ぴしゃりとドアを閉めてしまった。
ツンとした、饐えたような臭い。
冷たい月に照らされた病室を抜けて、一番奥のブースの前に立つ。一歩一歩がひどくもどかしい。
ごくりと唾を飲み込む音が異様に大きく感じられた。意を決し、カーテンをめくれば、あっけなく開いた。
ベッドに横たわっていたのは、青ざめ、頬のこけた少年――支子の取り巻きのひょろひょろ君だった。元々肉付きの薄い体が、更に細くなって鶏ガラのよう。
「……お前だったんだな」
ぎょろりと、目が動きこちらを捉える。
「貴様か……」
「俺の鍵を、返してもらおう」
息を吸い、一息に俺は呪を唱える。
「我、城守キイト、白練に連なりし者なり。汝に相応しきは我が肉体、我が精神。真の主に戻るべし。命名、『鍵の中の鍵』!」
何かが自分を包み込み、滲みこんでくるような感覚。あるべきものがあるべき場所に収まったような感覚。足りなかった何かが埋まるような感覚。
鍵の争奪の儀式は思ったよりもあっさりと済んだ。拍子抜けするほど。そして戻って来た鍵を見つめる。今まではずっと靄がかかっていたような、厳重に鎖がされていたのだとわかる。命名と同時にその権能が解放されていた。その一つ、相手の鍵とその名を見る、というものを使う。じいちゃんの手記にも書かれていたものだ。
「……なるほど、あの烏は、お前だったんだな」
「……めろ、やめろやめろ!見るな!僕を、見るんじゃない!」
自分でも驚くほどすんなり能力を扱えた。その結果見えたのは、数々の錆びかけた鍵と、弱弱しく輝いている『烏』という名前の鍵だった。
「『解錠』、汝、主のもとに戻るべし」
「っ、やめろ!」
悲鳴に構わず、錆びかけた鍵をこの人間という牢から出してやる。細やかな光をまき散らし、鍵は消えた。これで体調不良の生徒たちも元に戻るだろう。
「『施錠』」
『烏』の鍵は、使えないように封印する。鍵の能力に固執したこいつには、一番むごいだろう。鍵を使えぬ貴族として、一生過ごさねばならないだろう。
自分でも何をされたか、悟ったのだろう。ベッドの上で崩れ落ちた。
病室と診察室の間で、理事長からの手紙を開く。中にあったのは許可の文字と理事長印のみ。
「終わりました」
俺は露草先生に告げて、そのまま医務室を出た。その一言に、俺にとって菊光祭が幕を閉じたことを確かに感じさせた。




