オレンジの密談(裏)
非常においしい夕食を頂いた。先輩が気を利かせて、小さめの部屋で和気藹々と食事を楽しむことができた。もしもよく歴史で出てくる城の晩餐会のようなものだったら、妙に緊張して味などよくわからなかったに違いない。赤く熟れたトマトをふんだんに使ったガスパチョと、音を立てて油が弾ける鶏肉のグリルが最高に美味しかった。明日の朝食が楽しみだ。
橙嶺先輩の許可をもらったので、図書室に向かっていた。奥まったところにあるので、地味に遠い。
重厚な木の扉を開けると老齢の司書さんが本を読んでいた。先輩は大した図書室ではないと言っていたが、素晴らしいの一言に尽きる。本を保管するのに最適な温度、暗さ。本は整然と本棚に収められ、埃一つない。俺は司書のおじいさんに軽く会釈して目的の本がありそうなところに突き進む。
七家の人間にしか読めないような本。それが俺のお目当てだ。光家と近しい橙嶺家には、何か情報が残っているかもしれない。代々の当主の手記とか、伝記とかから、何か分かればいいのだが。
そう言って手に取ったのは初代の手記だ。革命時の主――光のことが事細かに書かれている。
――ヒカル様はピーマンよりも煮魚が苦手。皇宮の料理人と喧嘩をした。鯖の味噌煮を出すと脅せば課題を絶対にこなす。味噌煮効果が続くうちに新しい苦手なものを見つけよう。
――常日頃仲の良い御兄弟だが、珍しく喧嘩なさった。ヒカル様は双子の弟妹のシロキ様とヌレハ様を殊更可愛がっていらっしゃるが、妾腹の弟妹ゆえに思うように接することができない。お助けしたいがどうにもうまくいかぬ。
――双子に付けている部下たちの報告より、お二人がヒカル様を慕うようになっていく様子が伝わる。加えて後継者争いのもとにならぬよう、消えるとおっしゃられたらしい。ヒカル様は大層嘆いておられる。私も同様だ。彼らはヒカル様の役に立つ。なんとか説得し、しばらくは側にいられるとのこと。ヒカル様は素直に喜んでいらっしゃった。
微笑ましい話だ。しかし段々と血なまぐさくなっていく。
――現在政権を握る者たちの素行が悪くなり、徐々にではあるが庶民の生活は苦しくなってきた。ヒカル様は既に皇太子として働きはじめ、象徴の役割を立派に務めていらっしゃるが、庶民の暮らしを公務の間に垣間見、お心を痛めていた。
――革命を企てる輩がヌレハ様の敷かれた防衛網を掻い潜り接触してきた。
――失策が目立ち、庶民の反発が高まり始めている。加えてじわりじわりと諸外国の干渉が始まり、とうとうヒカル様は革命軍と話されることを決意。今後この国はどうなってしまうのか。
――ヒカル様とシロキ様の鍵により、革命軍の幹部は血の鍵を得た。私は別にいらなかったのだが、ヒカル様にお願いされては断れなかった。
二代目の当主の記録を読む。
――父上に及ばぬ身でありながら、主上に仕えることになった。父上をお慕いする主上は、正直実子である私よりも可愛がられていたので、少々複雑な思いがあるのは秘密だ。しかし、父上が私に主上に仕えることをお許しになったことが、今でも夢ではないかと思ってしまう。任された以上、全力を尽くして主上の心を守らねば。私は父上から受け継いだ鍵を育てられるだろうか。
――革命の足音は着実に高くなり、東の都はこの度革命軍の手に落ちるに至った。しかし篠原の作戦は血を流しすぎ、地を荒らしすぎだと主上は嘆かれておられる。私には主上のお好きなプリンを用意するくらいしかできなかった。花田の者も、体を癒せても心は癒せぬとこぼしながら市井を渡り歩いている。
――シロキ殿下が一人の百姓を拾ってきた。主上と会せたのち、その者によって荒れ果てた大地は緑によって何もなかったかのように全てを覆ってしまった。
――ついに国中を巻き込んだ戦は終わり、明日からこの国は大日本皇国として新たな門出を迎える。革命軍の幹部たちは明日より新たな名を名乗る。シロキ様とヌレハ様はとうとう皇家をお出になるらしい。別に今生の別れではないのだと、これからは臣として共にあると主上を慰めておられたが、主上は泣きそうであった。
――主上はご立派に建国の詔をお出しになり、式典も順調に進んだ。我々東一族は橙嶺に、染崎は紅崎に、暮菱は支子に、山川は常盤に、花田は白藍に、今野は紺乃に、篠原は紫原に改名。シロキ様は白練家を、ヌレハ様は烏羽家をひっそりと興した。同時に主上は花嫁を迎えられた。
続いて、三代目。今度は女性だ。この人物は料理好きのようで、光皇のおやつをしばしば作っていたらしい。
――今日お作りしたシトロンのマドレーヌは上出来だったわ。太子のあの幸せそうなお顔!でも、最近お忍びに行きたいとおっしゃっているのよね。相談しないと。
――従兄君のヒトモリ様はお父君に似て聡明で実直だわ。今日も白練様について法律を学んでいらした。僕も立派な法官になるんです、ですって、なんてかわいいのかしら!
――今日は従妹君のメグリ様がいらして、ご一緒に私の自信作を笑顔で召し上がったわ。とってもうれしい。太子様には年下の兄弟がいらっしゃらないから特別扱いなのよね。メグリ様によれば最近、紫原と白練が政策で衝突しているらしいわ。
――血の鍵を持てなかった兄君姉君がどんどん婿に行ったり嫁に行くなか、太子様は光皇に立たれた。ご立派です!
――恐れていたことに、白練家は左遷されてしまった。加えて、大量の外国人の密偵や誘拐犯によって若干人間不信に陥ってしまった私の光皇陛下。鎖国政策の強化と、従兄弟たちの保護に全力を傾けるようになった。
今度は割と最近の、先々代の日誌だ。
――主が身ごもられた。大変喜ばしい。しかし、素直に喜べぬ愚か者もいる。支子の現当主は自分の息子を宛がえなかったために、祝辞を読み上げる際顔が引きつっていた。同じような不満があれど、完璧に隠しておる紫原は流石というべきか。要経過観察。
――支子の現中継ぎ当主は、次女に血の鍵が顕現し、その地位を追われた。何かしでかさねば良いが。主の御心を煩わせたくはない。しかし、伝えぬわけにも行かず。
――諸外国の開国要請が強くなってきた。主も、そろそろ潮時と考えているようだ。我が国は十分に力を蓄えたと、色家の会議でおっしゃった。
――隣国の突然の宣戦布告に政府は慌てた。まるで開国されては困るとばかりに。統一中華朝鮮人民共和国は我が国から何もかもを奪おうというのか。主は嘆かれておられた。
――次々と送り込まれる敵兵。中立を叫びつつ、隣国に陰ながら味方する各国。建国以来の絶望であろう。どの家も死力を尽くしていたが、効果は薄かった。没落して久しい白練が作戦及び戦場に介入し、逆転の目が出た。白練がまだ存続していたことに驚いたが。
――戦争に何とか勝利し、戦後処理も終わったころ。主は元気なお子を産まれた。生誕の式典は大々的に行われた。しかし、戦争を逆転へと導いた白練の若者は訪れなかった。主にお聞きしても、曖昧に微笑まれ、はぐらかされてしまう。聞いてはならぬことらしい。
――段々と、血の鍵を顕現する確率が減っている気がする。独自に調べたところ、確率的には顕現率は八十パーセント前後。年を経て、鍵に気に入られる気概の持ち主が育ちづらくなっているのかもしれない。橙嶺の血の鍵はなくとも努力でどうにかなるから良いが、紫原や常盤、卯羽は大変だろう。別の意味では支子か。あそこは、血の鍵に名誉を求めている節がある。
「熱心にお読みになっていますね。探し物は見つかりましたか?」
ハッとして振り返ると先程の司書の老人だ。全く気配を感じなかった。というか、目の前にいることが信じられないほど存在が希薄。いや、自然と言うべきか。
「いえ……でも、興味深いものが沢山ありました」
「そんなに警戒せずとも、私は幽霊ではありませんよ」
それはそうだろう。足がある。しかし下手をすれば幽霊より存在感がないんじゃないかと疑わざるをえない。
「そろそろ閉室の時間です。申し訳ありませんが、調べ物は明日になさってください」
にこやかに微笑みながら有無を言わさぬ口調に俺は驚き閉口した。そして、何故かは知らないが、しげしげと俺を見て首を傾げた。その反応に俺が疑問を覚える前に、老人は再び口を開く。それは退室を催促する言葉ではなかった。
「きみはキイチ殿の血縁者でしょうか?」
「……っと、そうですが。私の祖父です」
「ふむ。ちょっと待っていなさい」
老人はしばらくじっと、さっきとは違う確固たる意志をもって俺を観察した後、くるりと俺に背を向けていそいそと奥の棚の方へ消えた。なぜいきなりじいちゃんの名前がこの老人からでるのだろう?何の用だろう?じいちゃんとの関係は?なんで俺は値踏みされるような目で見られなければいけないのか?さっぱり分からないまま、動くこともできず俺はそこで固まっているしかなかった。
長いような、長くないような時間が経って、老人は戻ってきた。手には一冊の灰色の本がある。
「どうぞ」
「うわっと」
言葉とは反対に、本を扱う者とは思えない軽さで投げられた。俺に向かって本は綺麗な放物線を描いて手に落ちる。すると、灰色の表紙が白と黒に二分された。これは、もしかして……!
「数年前に、キイチ殿から預かったものです。……今度こそ部屋を閉めますから、お引き取り下さい」
「あの、ありがとうございます」
俺は老人に深く頭を下げ、その場を後にした。手に見た目以上の重さを感じながら。逸る足を必死に抑えて、俺はあてがわれた部屋に向かった。
月光が冷たく差している窓辺で、薄青いランプをつける。なんとなく、明かりをつける気分ではないのだ。庭の木には一羽の烏が止まっているほか、周囲に気配はない。
窓に背を預けて手の中にあるじいちゃんの日記を見る。俺は手を一度ぎゅっと握りこんでから表紙をめくった。あの栞と同じように、文字は読み終わると消えていく。一ページごとに明かされる、今まで知らなかった城守の歴史。俺に眠っているもう一つの鍵。犯人の動機は、おそらくこの二つに関わっていると、俺は確信した。
本を閉じる。若干前のめりになった体をもう一度窓に預け、目を瞑る。窓ガラスが、キシリと小さな悲鳴をあげた。外の木に止まっていた烏が飛び立つ。俺は瞼をゆっくりと持ち上げた。
「……とんだ遺産だな、じいちゃん。でも……」
続きは、自分でもわからないまま。中途半端な言葉は、冷房が程よくきいた空気に溶けてしまった。真実に触れて、体は妙にほてっている。今日は、眠れそうにない。真っ白になった本を枕元に置いて、ベッドでもう一度目を閉じた。




