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親愛なる国王陛下へ
この手紙があなたのところに届いたということは、私は確かに順調に死んだようだね。このような結果になっているのを、あなたがどう思っているか知らないが、私はおおむね納得しているよ。どうしてだろうね。
私はこの手紙で二つのことを告白する。
一つ目。私は今回のことで死ぬことを予期していた。答えは私の老いだ。私は以前から力が衰えているのを感じていた。他人と他人の意識を繋げるだなんて危険なことは一生に一度できればいいところだが、私は老いている。失敗こそしなくとも、私の命は失われていた。でも、あなたはそれを知らないで私に命令したわけだよ。
二つ目。私は〈戦争盤〉にわざと負けた。理由は決まっている。私の自殺的行為にあなたを巻き込むためだ。そもそも私には簡単にあなたの思考が読めてしまうのだから、今までの私の勝利に対しても言わずもがなだろう。私は今回初めてあなたに実力で挑んで負けたのだ。……だがこれくらい、あなたはきっと看破していただろう? そうでなかったら、「あんなこと」を言わないはずだ。でも答え合わせのために書いておくことにする。
あなたが冷徹な人物でない限り、きっとこう思っているはずだ。どうして、私は死んだのか、と。残念なことに私もその答えを明確に答えることはできない。死ぬべきときだと思ったから、死んだだけのことだ。
ああ、そうだ。もう一つだけ告白しよう。私はあなたが私の行き別れた母の居場所を知りながら口をつぐみつづけ、私を欺いたことを知っている。これは大したことはないかもしれない。なにせ、あなたは私が母の墓を訪れたことを報告で受けているはずだから。
これは今まで口に出したことはなかっただろう。あなたには言わなければ伝わらないからね。これを知った時、私は一旦心に収めた。私とあなたは互いに孤独にさいなまれた友人同士だったから、波風を立てたくなかったのだ。しかし、ここでひとつの疑念が生まれたのも確かだった。あれからあなたは徐々にその人格の片鱗を表していったようだったよ。女に狂い、彼女を誘惑して男の子を生ませた。さらにその子を庶子ではなく王子だと認めさせた。彼を愛しているかと思えばそれも違う。あなたはその向こうにいる女しか見てなかったのだね。物と同じように思って、彼の子守りの悪意に気づこうとしなかった。すでに友人としてのあなたを見限っていたころになる。
幸いなことに、あなたの息子は母親似のようで、まだ見どころがありそうだったよ。だが彼を見るたびに、私はあなたのことを思い出した。逃れられないのだとあなたが脅しをかけているかのようだったよ。いや、実際そうだったのだろう? あなたには都合のいい道具である〈魔法使い〉を逃がす気がなかったのだ。
だがね、私は逃げるよ。これは私の心が求めていることだった。不思議なものでね――人の心を知るはずの私でも、自分の心だけはどうにもならないのだよ。
この手紙が敬語でないのは、死人に身分がないからだ。だからこそ、あなたに本心を言える。昔は互いにこんな口調だったものだがね。時間がないから、この手紙もそろそろ終わりにしよう。
ああ、そうだ。君の息子とレア嬢については二人に任せたほうがいい。君の望み通り、二人の心が通じ合えば、二人は現実に戻ってくるだろう。できなかったら? そういう可能性があることも否定しないよ。どちらも同確率だ。この不安定さがいいだろう……賭けになるからね。あなたはどちらだと思うだろうか。
さあ、国王陛下。私の復讐を受け取ってくれ。
――私はあなたと敵対する……〈楽園〉の〈王さま〉だ。
ヴァルハマ
その日、彼女はひそかに園遊会を抜け出した。人が賑わう庭園の一角から王宮近くの奥まった木立の影に細身の身体を滑り込ませ、彼女は三階の窓を見上げた。大きなガラス張りで、少しだけ廊下が見える。彼女はそこでひとつの恋が終りを迎えるのを待っていた。
(そして、そのあとに私は彼に会う。振られた彼女からすれば残酷なことでも、それが私たちなのだから)
女は自分が彼の唯一無二の存在でいられることが嬉しかった。決して切れない糸で繋がっている彼。〈私の〉王子さま。彼がどんな女と遊んでも、秘密の共犯者は彼女だけしかいない。彼の考えていることは彼女にもわかって、彼にも同様のことが起きているのだから、通じ合っているのだ。初対面からしてそうだった。二人は同志で、彼の孤独を癒してあげられるのは「私」しかいない。傷一つない宝石のように完璧に研磨された王子さまならば美しい彼女の持ち物にふさわしい。たくさんの女性に囲まれても、その中の彼はやがて、もっとも馴染んだ年上の美しい愛人を選ぶことだろう。国中の注目を一心に受けて、彼女こそ彼の婚約者にふさわしいと誰もが言う。「元」婚約者の名はあっと言う間に風化する。
レア・ハイメクン。ここ二年ほどは沈黙を守っている婚約者だけが、彼の心をかき乱す存在であることを女は知っていた。女と疎遠になっていた時期はそのまま彼女と親密だった時期に重なっている。それは女にとって退屈で好ましくない時期でもあった。彼の魅力は高貴にして危険な恋の刺激を得られるところにあるというのに、幼い婚約者は子供じみたわがままで彼を平凡な男に作り変えようとした。
思い出すたびに、彼女に噛まれた右手の人差し指にもやもやとした痛みを覚える。だがもうあれほど脅威を感じることもない。ある時を境に、彼は婚約者と距離を取り、今まで通りの「関係」を続けることを選択した。もう誰も彼女の敵にはならない。勝利者は、彼女だ。
だがその時に。
彼女の王子さまが、ガラスをまとって落ちてきた。地面に落ちたときに耳奥に響くのは、なんと不吉な音なのだろう。
慌てて駆け寄る彼女の視界の端には、上から倒れた彼を覗き込んでたじろぐ赤毛の女が映った。彼女と一瞬視線を交わすが、すぐに消えた。だがすぐに誰かわかった。彼の交友関係で女が知らないことなど何一つない。相手を知った婚約者がどんな顔をするだろうと考えただけで胸が浮き立つ。
女は仰向けになって横たわった彼を見下ろした。血だらけになってしまった王子さま――。ガラスの破片が散らばっている。これは夢に違いない。何年もの間思い描いた、彼女の理想が粉々に砕け散るなんていうことは。
整った白い面が少しだけ動く。彼はぽっかりとどこか虚空を見つめていた。そして何者をそこに見出したのか、切れた唇がかすかな言葉を紡ぐ。たった二文字。それも、別の女の名だった。
女はもう我慢ならなかった。いや、後で振り返ればそう思ったぐらいで、実際何が起こったことは彼女自身にも説明できない。
ただ彼女は誰かに命令でも受けたかのように、そうしなければならないのだと思って実行したのだ。
綺麗だった彼の頬に散乱したガラス片を押し当てて、力を込めて引く。どくどくと血がまた流れる。彼には刻印のように二度と消えない醜い傷が残された。
完璧な王子さまはこうして壊れてしまったが、彼女は後悔することもなかった。気に入っていた絵画だったのに、近づいてみると実はひびが入っていて急にみすぼらしくなった見えた時のようだ。
一方で彼女の頭にはずっと白い霧がかかっていた。その時彼女を支配したのは――ただただ白くて純粋な、本能だった。
次回が本編最終回です。




