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三人それぞれに宛てがわれた客室でくつろいでいると、あっと言う間に日が落ちた。
夕食のために、二階の客室から一階の食堂に降りていく。ゆるやかに渦巻いた階段の下に、ダーヴィドが待ち構えていた。ごく自然にレアの手を引きながら、小声で言う。
「今夜少し時間を取れないか。二人きりで話したいことがあるんだ」
レアは少し考えたが、いいわよ、と小さく頷いた。警戒心が働かないわけではなかったが、彼がこうやって誘ってくるということにそれなりの意味があるのだと思ったのだ。
食事会は表面上和やかに進んだ。後から到着したアンナ・レーナにそれぞれ挨拶をし、互いの世間話に花をさかせる。タマラとアンナ・レーナは年が近いせいか、すぐに打ち解けた様子で話し始めている。レアが聞き耳をたてた時には、貴族の篤志家の在り方について真面目に論議しているようだった。レアは家に従順な印象を持つタマラが自分の意見を述べていることと、アンナ・レーナもその堅苦しい論議を好んでいることに驚いた。
「タマラ叔母さまについては不思議には思わないな」
ヴィルケがカモのステーキを切り分けながらこともなげに言った。
「ハイメクンの家の篤志活動は大体あのひとが取り仕切っているんだぜ。いろいろ見聞きしていると言いたくなることもあるさ」
「そういうものかしらね」
そうだ、とヴィルケは力強く肯定する。
「大体、ハイメクンの女は気が強いんだ。お前しかり、タマラ叔母さましかり。あのおじい様を相手にしなくてはならない時点で、弱々しくはいられないだろう。カトリネは例外だ」
カトリネはヴィルケの妹である。
「だったら、ハイメクンの男はどうなの」
レアの疑問にヴィルケは言葉に詰まった。とくに自分たちを傾向づけようとも考えていなかったからだ。
「まあ、わりと……やりたいようにやっているんじゃないか。色々と。あぁ、そうだ、話は戻るが、アンナ・レーナさまは若いころから才媛として知られていたし、そういった分野にも明るいんじゃないか」
ヴィルケが助けを求めるようにダ―ヴィドに目を向けると、そうですね、と彼は慎ましく答える。
「母は元から女性教育を推奨していますから。自分自身でも勉強しているようです。……ただ、頭の固い保守派にとってはいい印象を与えないので、公にはしていませんが」
「女性教育ですか」
ヴィルケが苦々しさ隠し切れないといった様子で呟く。
「何か思うところでも」
ダ―ヴィドの言葉にヴィルケは自分の意見を述べる。
「俺は女性には変に学を学んで外に出るよりも、家庭を守っていってほしいですよ。そもそも我々が上流と言われるのは、財産だけのためでなく、高度な教育を受けてきたからです。教育を奪われれば、我々の位置も揺らぐ。少なくとも、慎重に考えるべき問題です」
「あなたの言うことももっともですよ。僕もだいたい同意見です。母の邪魔をするほどでもないですがね。ですが」
ダ―ヴィドはちょうど食べ終わってナイフとフォークを置いたレアを見た。
「君は当事者のひとりとしてどう思う?」
ちらりとヴィルケの方を見てから、ダ―ヴィドに向き直る。ひたりと目線を合わせて告げた。
「わたしはいいと思うわ」
「レアならそう言うだろうと思っていたが……」
ヴィルケがくどくどと言い連ねようとする前置きを手で制し、レアは続ける。
「学びたい人には学ぶ機会が与えられるべきだわ。だって、知的好奇心に男女の差はないし、階級の差もないのよ。ヴィルケは身分秩序が変わってしまうことを心配しているようだけれど、別の見方もできるのではないかしら。教育は人を豊かにする。つまりは国を豊かにすることになるって。例えば、研究の分野があるでしょう? 今まで男性しかいなかったところに、女性も入ってきて、単純に従事する人数が増えるわ。そのことによって、もっと早く研究が進むし、さらに言えば、女性ならではの視点で新しい研究分野ができるかもしれないわ。そもそも考えてみて? 世界の半分は女なのよ? 彼女たちの中から新たな労働力が期待できれば、ジリアクスはもっと強い国になれるのではないかしら」
「だが、レアは忘れているだろ。絶対に強い反発があるぞ」
「別に急激に進めるべきとは思っていないわよ。意識の問題はどうにもならないじゃない。内心で嫌悪感があるのなら、現実問題、難しいものがあるわ。ほら、おじいさまもおっしゃっていたでしょう。いつものお言葉」
「あれか。……『世の中は、好き嫌いと金で動いとる』」
それはヨーナスの口癖だった。
「ええ。だから数十年単位でどうにかするしかないわ。少なくとも、まずは保護する法律を作るべきね。その前にも、政府に訴えるだけの運動家たちがアピールしなくちゃ……議会のほうでも味方を何人も作って、根回しをして、それで……」
「わかった! もうわかったから!」
ヴィルケが夢中になって話し続けるレアの口を塞ぐ。
「こうなると本当に止まらないんだからな……」
「だがそこが彼女のいいところじゃないかな」
話に耳を傾けていたダ―ヴィドは目を細めた。
「難しい話をしている時ほど、輝いているようだ。僕は好きだよ」
嘘だろ。ヴィルケは素で呆けた。プレイボーイの王子がわりと本気で言っているのが伝わった。同性ならではの勘というやつだ。どんな種類であれ、ダ―ヴィド王子はレアに好意を抱いている。だがレアは知ってか知らずか、軽く流している。
「わたしからすれば、あなたは好きだと口にする自分に酔っているように見える。大盤振る舞いしすぎ」
「言っておかないと、君を繋ぎ留められないと思ってね。君は従兄殿とのおしゃべりに夢中だ」
レアは無言の笑みで返した。
食事が済めば、一同は談話室に移動した。ダーヴィドが呼んでおいたオルガン奏者が夜にふさわしいしっとりとした曲を奏でながら、思い思いに過ごす。
タマラとアンナ・レーナはぽつぽつと言葉を交わしながら、音楽に耳を傾け、ヴィルケとレアはダーヴィドが取り出してきた〈戦争盤〉で対戦する。
〈戦争盤〉はジリアクスでもっともポピュラーなボードゲームのひとつ。縦横九マスずつの盤上で敵味方の陣営に分かれ、多様な役割を振られた駒を操り、敵の〈王様〉を取れば勝つ。駒の役割によって進めるマスも変わるので、頭を使う。
駒の形は〈王様〉、〈王妃〉、〈大臣〉、〈将軍〉、〈騎士〉、〈魔法使い〉、〈城塞〉、〈兵士〉になぞらえているのだが、ダーヴィドの持ってきた〈戦争盤〉は顔まで精巧に彫られた芸術品とも呼べる代物だった。駒が盤上で動いていくと、まるでそのうちこのミニチュアの人間たちが勝手に生き生きと自分たちの意志を発揮しはじめるのではないかとレアは思う。
戦局のほうは一進一退を繰り返し、〈魔法使い〉を取られてしまったことから陣営が崩れてしまった。ヴィルケが喜びを押し殺すように口元を拳で覆い隠しながら宣言する。
「〈将軍〉を中央へ……これでゲームオーバーだ、レア」
ヴィルケの正面のソファに腰かけたレアははあ、と大きなため息をついた。
「負けちゃった……。もしかしてまた強くなったんじゃない?」
「学校の友人ともよくやっているからな。思いだしたようにやるやつには負けん。あと、〈魔法使い〉の使いどころがどうにもわかっていないだろ。獣の巣穴に飛び込むような使い方をする癖、治っていないんじゃないか。何でも突進すればいいものじゃない」
むっとして言いかえす。ヴィルケは偉そうにレアにアドバイスするのが好きなのだ。
「そんなつもりで使っていないわ。もっと考えてるもの。ただ、今日はそんなに調子がいいわけじゃないのよ」
「御託を並べるな。わかっている」
お前は俺に負けたんだ。それがすべてだとヴィルケは言い切った。レアは不満げにヴィルケを睨む。
(そんな言い方をしなくたっていいじゃないの。ヴィルケはわたしを押さえつけておかなくちゃ気が済まないのだわ)
だがそれにしたって、ヴィルケは少し気が立っている。たとえ思っていたことだとしても、ここまで刺々しい言い方をすることは珍しいのもわかっていた。きっと早く学校に戻りたいのに、こんなところまで引っ張り出されたのが不満なのだろうと考え、レアはそれ以上何も言わなかった。
「レア。余裕があるのなら、次は僕とやろう」
気づけば、まだぐずぐずとしていたヴィルケを押しのけたダ―ヴィドがレアの正面に座っている。頬杖をつきながら、にっこりと笑いかけている。世の女性たちが感嘆の息を漏らすほどの絶景だ。独り占めにしたくなる気持ちもわかる。ただ、レアの好みでないだけで。
もうそれなりに夜も更けている。引き上げてもよかったが、レアとヴィルケの対戦中に人数が余ってしまったダ―ヴィドは盤上を眺めることしかできなかったのを知っていた。駄目だときっぱり断るのもはばかられる。
「わたしでいいのなら、構わないわ。でも、ヴィルケのほうが強いから対戦のしがいはあると思うわよ」
「僕は君がいい。そのために順番が回ってくるのを待っていたんだよ」




