21 ある患者の治療メモ2
いつもより少し長めです。
四回目の面談。アーダ暦三六一九年八の月十六日。午後一時ちょうどに開始。これまでの三回とも五分から十分程度遅れてやってきたのだが、彼は五分前に到着して、私があらわれるのを待っていた。珍しいことがあるものだね、と言うと、彼はにこやかにこの後の約束に遅れたくないからですよ、と答えた。
「ほう。恋人との約束かね」
「違いますよ。女性ではありますが」
私は長年の直感というべきもので、彼の言葉の微妙なニュアンスに込められた意味を察した。声に滲んだ喜色も彼の心情を物語っている。カマをかけた。
「でも私との面談を早く切り上げていきたいと思うほどには大切に思っている相手だろうね」
彼は冗談めかして軽く笑った。彼は私をごまかせると考えていたのだろう。
「ええ、わかりますか」
「君と会うのも四回目にもなると、君が時間にルーズなことぐらいわかるよ。あまり感心しないがね。今回はそうしないということは、特別な理由があるということだ。私は君の惚れ込む女性に興味があるよ」
優しいキツネの表情にさっと陰が走った。完璧な仮面にヒビが入って、無防備な素顔が垣間見えたようだった。
「惚れ込んでいる……というと語弊があります。僕はそんなつもりじゃありませんよ」
早口で続ける。
「だって、僕と彼女じゃ違い過ぎる」
彼が口を閉じかけたところに、たとえば? と言葉を滑り込ませる。彼は誤魔化す間もなく素直に答えた。
「僕はたくさんの女性を愛したいし、彼女はたった一人でいいと言いました。だから彼女は決して僕を好きにはならない。そんな身体をひらいてくれない女性と付き合ったって、僕に何の得があるって言うんです。僕は何も満足できませんよ。……ああ、違いますか」
彼は自分が本音を喋っていたことに今更ながら気づいたような顔をして、観念したように天井を見上げた。
「あなたには見えているんですよね。……僕の心が。僕が誤魔化したって、わかっているんだ。そうですよ……僕は、柄にもなく浮かれているんです。あなたの前でボロを出すぐらいには」
私には君の心をみることができなかった。……この四回目の面談で、私は彼に伝えるつもりだった。だが、そうするとようやく年相応になった青年の本音が隠されてしまうだろう。私はこの事実をひとまず伏せることにした。
「君は最近、心境の変化があったようだね。彼女と何かあった?」
「彼女と月を眺めていました」
「うん」
「話も少しだけ」
「うん」
「それだけのことでしたよ。もういいでしょう、この話は」
アナグマ女史が持つ精妙な観察眼によると、ここで私はにやりとしたらしい。そうかもしれない。私はこの時、確かに彼の抱える問題に対する解決の糸口が見つかったと思っていたのだから。
「そんなに彼女が魅力的だったかね」
それを聞いた途端、ふ、と彼は微笑む。彼の顔を覆う完璧な仮面がたちまち現れた。どうやら彼は客観的視点で考えることで我に返ったらしい。これは私の失言だ。
「どんな女性だって魅力的じゃないですか。彼女だけがよく見えるだなんて、僕がまるで彼女に恋に落ちたようですね。さきほどのことだって、冗談みたいなものですから、間に受けないでくださいよ……」
私は黙って、彼と視線を合わせた。私の持つ変わった瞳は、こういうとき、人の真意を引き出すのに長けているのだと経験上知っていたからだ。案の定、彼は真っ青な瞳を揺らした。
たっぷりと間をあけてから、ゆっくりと語りかけた。いつものように、夜も人を明るく照らす星でありたいと願いながら。
「初回の面談で私は言っただろう。私は君の味方で、君が何を言ってもそれを人に告げることはないよ。たとえ君の父上に言われたところでもね。だから思っていることを何でも言って構わない。どんなに……そう、どんなにだね」
君が普段から卑猥なことを考え、果ては実行していたって、私はちっとも構やしないよ。むしろ、嫌いじゃない。私がそう言うと、彼は思惑通り、にやっと笑う。秘密の共犯者の笑みだ。
「それはいいですね。話の幅が広がりそうだ。僕はあなたを頭でっかちの学者のように思っていたんですが、今日からそれを訂正しますよ。あなたは僕の相談役というわけですね。国王陛下の相談役よりは数段見劣りしますが」
「十分だよ。名目だけの役職よりやりがいがありそうだ」
私たちは初回以来の握手を交わし、私はついでとばかりに尋ねてみた。
「それで、君を射止めたお嬢さんはどこの誰だったのかね?」
彼は渋々、夢見るネコ、と答えた。
それからしばらくの間、私たちはたくさんの話をした。そう、あまりにもたくさんの……。だがそれらをつぶさに語るにはこの記録が長くなりすぎるし、私自身が読み返すのも大変な話だ。あとは無駄話も多い上に、優しいキツネが素直に語ったために文章にするのにさえ躊躇われるものもあったからでもある。一方で、私は彼に対しては心を読めないことを巧妙に隠していた。たとえヴィジョンが見えていなくとも、私にはしばらく隠し通せるだけの経験の蓄積があった。ただ、いつ話すべきかという時期を測りかねていたというだけ。いいや、そもそも彼にわざわざいうべきことでもなかったのかもしれない。
とにかく、私と彼は良好な関係を築いていた。あるときは年の離れた友人のように、あるときは人生に指針を与える師のように私は振舞った。決して彼に自分を押し付けることはなく、若者が年寄りに望むように、たまに助言を与えうるだけの無害な聞き役に徹した。だが彼はそれだけでは満足していなかった。彼は私自身のことも聞きたがった。彼もまた《魔法使い》という神秘の存在のベールを剥がしたいのだろう。もちろん、私が語れることなど驚く程少ないのだが。いつの間にか子どもから大人になり、気づけばもう六十を通り過ぎている。積み重ねてきた月日は思い返すことができても、なんの感慨もない。私はすぐにでも十歳の子どもに戻れるのではないかと思うことさえある。母の手から離れ、王宮に引き取られた頃から、私は大層鈍くなってしまった。はたして、友人も存在していたのだろうか……。本当は霧のように消え失せてしまうものに縋っていただけかもしれない。
話を戻そう。彼が私の話を求めてきたので、私はそれに応じた。おそらく一通りのことは話していっただろう。かつて一緒に暮らした母のこと、先々代の国王に引き取られたこと……そこで教育を受けたこと、先代の国王の即位とともに今のオフィスを開いたことも。あと彼は今の国王との友情について興味を持ったようだったが、私は上手くぼかせただろうか。どちらにせよ、私と国王との間にあった「あのこと」を知る者はもう本人たちだけだろう。あまりにも長い時間が過ぎたが、時折私の心に現れて、黒い澱をまき散らしていく。少しずつ溜まっていって……最後に待つものは気になっている。
また話が脱線してしまった。今度は彼自身の話をしよう。彼が話したことだ。たとえばこんな会話があった。
「どうだね、夢見るネコとの進展は?」
これは世間話とともに振った話題だった。あくまでさりげなくだったが、その回の面談で私がもっとも得たかった情報でもあった。彼の余裕をわずかながらでもくずせる「彼女」。キツネ氏の抱える問題を解決する方法は、実は単純な話だ。彼を夢見るネコ一筋の男にすればいい。簡単にうまくいくとも思っていないので、現状を把握しようと考えたのだ。
「とくに変わりありませんよ。僕に手厳しいまま」
「おや、会っていないのかね」
「いえ、たまに。勝手に父と彼女の祖父が約束を取り付けてきますよ。この間は観劇に行きました。ご存じないですか、最近流行っている《少女と王様》を」
それは貧しい少女と彼女に一目ぼれした王様の悲恋物語だという。私は詳細に彼からあらすじを聞き、へえ、と相槌を打った。なんでも、ヒロイン役の女優の演技が素晴らしいらしく、王様の愛を失った彼女が息も絶え絶えに泣き崩れるシーンに世の女性たちが涙を流すのだとか。
彼女も泣いたのかな、と私が尋ねると、彼は曖昧な笑い方をする。頬をかきながら、何といおうか迷っているようだった。
「ほとんど泣き出しそうな顔をしていたんですが、僕が見ているのに気づくと意地でも泣いてたまるかという感じで睨んできましたよ。手に持ったハンカチをぶるぶる震えさせながら必死に耐えているんです。それでも目の端に涙がたまっているのが見逃せなくて、手を伸ばしたら、機敏にかわしていましたよ。なかなか人に慣れてくれないネコみたいでしょう」
「じゃあ、結局君は彼女の涙を拭えなかったわけだ。警戒されているから」
彼は楽しそうに声を上げた。
「まさか。僕がやられっぱなしで終わるわけがないでしょう。彼女が舞台に夢中になっている隙にぴったり横についてじっくり横顔を観察していましたよ。ものすごく嫌な顔されましたが」
「逆に君が彼女のことを話すときはとても嬉しそうな顔をするね」
「そんなこともないですよ。そんなに顔に出ていますか」
「いや。よっぽど近くで観察していないとわからないのではないかね。だが私からすると君は今とてもいい顔をしているよ。彼女は君によい影響を与える人物のようだね。生憎と、彼女の方はそうでもないようだが……君はどうするつもり?」
私の質問に彼は少し逡巡してから、言った。
「そうですね、まずは彼女に贈りものをします」
その様子はいかにも自信たっぷりといったよう。だがここで私が疑念を抱いたのは、以前彼からそのネコ嬢はまったく彼からの贈り物を受け取りたがらないということを聞いていたからであった。受け取らないわけではないが、毎回、たかが物で人の好意を買えるわけではないのよ、と口をすっぱくして言っているらしい。それでも贈り続ける彼も彼だが、毎回毎回言う彼女も辛抱強い。よほどキツネ氏が高価なプレゼントを贈っているのだろうか。私が興味本位で何を贈ったか聞くと、どれもこれも庶民には一生手の届かない高価な品ばかりであった。何でも、キツネ氏は自分と「親しい」女性にはとにかくものを贈るらしい。そしてキツネ氏によると、どの女性もとても喜んで、もっともっととねだってくるとか。でも、ネコ嬢はそれに眉をひそめる女性であるようなので、彼の自信の根拠がどこから来るのかは気になるところであった。彼はすぐに答えをくれた。
「彼女が初めて、欲しいものを口にしたからですよ。そりゃあもう、オペラグラス片手に見入っていましたからね、間違いなく彼女は喜んでくれますよ。あとは誕生日プレゼントだと名目を付ければ完璧です」
「へえ。それでいつ渡すのかね」
「偶然にも彼女の誕生日には、僕の持つ屋敷でささやかなパーティーを行います。その時に」
「そうか、よかった……と言いたいところだけれどね」
上機嫌に話す彼に水を差したくはないのだが、私は避けて通れぬ話題を出した。
「君は親しくしていたほかの女性たちをどうするつもりかね。ネコ嬢は君の《遊び》を許さないだろうに」
人の常識からすればまったく自然な質問だろうに、彼は怪訝そうな顔をする。
「どうするか……あまり考えていませんでしたね。彼女たちを愛しているのも事実ですし、今のところ不都合は何もありませんしね。ネコ嬢が許してくれるのなら、僕は今のままでいたいです」
それを聞いて、私はひそかに失望を覚えた。彼はまだ変わっていない、ネコ嬢は「特別」にはなれなかったのだと。私は続けて尋ねる。
「ネコ嬢は許してくれそう?」
「僕が思うにそれは難しそうです。あの年頃の女性は純粋で、自分に幸せな夢が訪れることを期待しているような節がありますが、それに加えて彼女は極端に潔癖なんですよ。なかなか隙は見せません。せめて彼女がもう少し大人になってくれないと……僕を受け入れられるぐらいには」
彼の言葉はさらりとした爽やかな風のようであったが、そこに潜む仄暗い欲望……男としての執着心が終わりがけにねっとりと漂ったのは気のせいではなかったように思う。そもそも彼は父親から高貴の皮をかぶった獣の血を受け継いでいるはずなのだ。彼の母親について話す父親の姿に重ね合わせても不思議ではない。
そして……その直感は結果として当たってしまった。このことを記すことはできない。たとえ文字であっても残すことが憚られる。彼がしでかしてしまった出来事が世に出れば、一人の女性の名誉を損なうことになる。……出来事の断片でさえ、私はここに残せない。だが、私はきっと読み返すときも鮮明に覚えているはずだ。彼が最後の面談で言った言葉……狼狽しきり、むき出しの本心から叫んだ後悔も。だが、それを語るのはもう少し後のことになるだろう。
結末を知らなかった当時の私は、彼の言葉から滲み出たものに気づかなかったふりをして、彼に調子を合わせた。
「だったら、ネコ嬢には時間をかけて大人になってもらうことにして、その間に他の女性について考えたらどうだね。実のところ、最近の君の恋愛事情が気になっているのだよ。やはり混迷を極めているのかね」
「混迷と言うほどではありませんよ。いつもどおり、変わりなく……」
言いかけて、あぁ、とわずかに眉をひそめた。
「最近、あまり〈遊ぶ〉気分になれなくて、色々誘いを断ることが増えたのですが、彼女……ええと、カッコウ夫人が特にご機嫌ななめになっていますよ。ネコ嬢の話をするとさりげなく、その話はしないで、と釘を差してきますし。物言いもいつも余裕な彼女らしくなく、とがっている感じがします。……ちょっとがっかりですよ。僕の知っている彼女はそんな女性じゃなかったはずなんですけれどね。この間も冗談めかしたように、こう言われたんです。――あなたはわたくしの仲間と思っていますのよ。そうでなくなったら、さみしくて、わたくし、何をしでかしてしまいそうですわ」
それは物騒な話だ、と述べると、彼は頷く。
「そもそも僕たちの関係は〈友人〉です。互いにあとくされなく遊ぶ仲間で、それ以上に踏み込んだことはありません。金属同士がぶつかって火花が散るように、僕たちはたまに会って刺激を与えあうのがちょうどいい。だって、互いがもっとも嫌うのが退屈と惰性だとわかっていましたからね」
「でも今、その均衡は崩れているように思うがね。どうしてだろうね」
私は答えを求めるように彼を見た。これは、彼が導かなければならないことだから。私の不揃いな一対の眼から逃れるように彼は俯き、ようやく言葉を引き出した。
「彼女は、僕を引き留めようとしている」
「うん、どうしてだろう」
「僕が変わったと思ったから」
「何を見て、彼女は君が変わったと思ったのだろう」
それは。彼は視線を彷徨わせている。
「僕が以前ほど彼女と過ごす時間を楽しめなくなったから」
「だったら、君が今楽しいのは、誰といるときだろうか」
「カッコウ夫人といるのが楽しくなくなったわけじゃない。それ以上に楽しいことが見つかってしまったから。身体を触れ合わせるわけじゃなくとも……なぜか楽しい。彼女が嫌々なのもわかっていても、本当は彼女も楽しんでくれる方がもっと楽しいだろうけれど……そうじゃなくとも、僕は楽しいのかもしれない……」
君が出そうとする結論は案外単純なのかもしれないね。私の言葉に対して深いため息を漏らした彼は、珍しく弱った顔をしていた。
もう一つ、別の話をしよう。この会話の後、別の面談での話だ。メモのための紙と万年筆ぐらいしか置いていなかった面談用の机にはいつもと違う「あるもの」が置かれている。彼は赤い革張りのそれを見て、すぐにぴんと来たようで、なんですこれ、と固い声を出した。
「これは君のアルバムだよ。君の母上からお借りした」
「母が? あぁ、でもそれぐらいしそうだな、あの人は」
彼は納得したような反応を見せ、すぐにパラパラとアルバムをめくった。
「これ、もう中身を見ましたか」
「まだだよ。君と話をしながらにしようと思ってね。どうだい、懐かしい?」
「懐かしいよりも恥ずかしいですよ……。この写真なんか、上着まで泥だらけで大層間抜けな恰好なのに、魚を抱えて満面の笑みを浮かべているんです。父は僕の情けない姿を写真に収めるのを趣味にしているようなものです」
その分厚いアルバムには彼の約二十年の人生が詰まっている。セピア色の写真たちは順序良く並んでおり、赤ん坊のころはピントぼけも多かったが、年月が経つに連れてそれも少なくなっていく。彼の父の写真趣味は彼の誕生から始まっている。離れて暮らす母親に息子の成長を知らせるために覚えたのだという。一方で母親のほうは送られてくる写真を綺麗に整理していた。その成果がこのアルバムである。
「私からすれば微笑ましい光景だよ。私が生まれたころは写真もなかったからね。幼いころの自分がどういう姿だったのか、もう覚えていないよ。もう大体死んでいる」
〈私〉には名字はない。家族がいても切り離される。〈私〉は限られた人々を癒すための玩具であって――
「ご主人さま」を第一にしなくてはならず、庶民に手の届かない神秘的な存在でなくてはならなかった。そうすることが、大勢の人々から流れてくる無数のヴィジョンから逃れる方法だ。私は会う人を限定して身を守らなければならないほど力が強すぎた。もしも子どものころのようにごったがえした人の波に身を沈めていたら、私はとうに気が狂っていたかもしれない。だから私は無理やりにでも私を召し抱えた王室に感謝しなければならないのだろう。
「君の母上はとても心根の優しい女性だろうね。文章からも十分に伝わってきたよ」
彼は肩をすくめてみせた。
「確かに母は出来た女性だと思いますよ。母は他人からもよく慕われていますしね。……そうです、〈私〉の母はどのような方でしたか?」
唐突に矛先が私に向いた。話の運び方を間違えたかもしれない。私は仕方なく口を開いた。
「残念ながらあまり覚えていないね。私の容姿のせいで苦労していただろうが、それをおくびにも出さなかっただけ、いい母親だったように思うよ。少なくとも、私にとっては悪い母親ではなかったね」
王室に引き取られることとなった幼い私に、最後母は、元気でやりなさい、と言い聞かせるように呟いていた。次に再会した時には、私の知らないうちにすでに墓の下に眠っていた。もちろん、そんなことを目の前にいた青年に話すつもりもなく、私はさっさと話を切り替えるためにアルバムをのぞきこむ。そこに見慣れぬ夫人と彼と思しき少年が二人で写っている一枚があった。せっかち時計ですよ、と彼は言う。
「僕の乳母に当たる人です。……僕は彼女が苦手でしたよ」
「確かに。この写真の君はいかにもかしこまった顔をしているように見えるよ。あと、彼女は気が強そうだね。彼女のしつけは大層厳しそうだ」
「そうでもありませんよ」
私は次のページをめくると、眉間に皺を寄せた。乳母と彼が一ページ前と同じ構図で写っているが、彼はもう少しだけ幼く、フリルのドレスを身に付け、まるで儚げな人形だった。
ああ、それは、と彼は気にするほどのことでもない、と言いたげなそっけない口調で、私の疑問に答えてくれた。
「彼女が僕に着せていたのですよ。昔のまじないの類ですが、彼女は迷信深い人でしたから」
死は男の子の方をより好むから、女の子の格好をすれば連れて行かれることもない。私もそんな話を聞いたことがあった。
「それは君も大変だったね。嫌だったのではないかね」
「今でも疑問には思っていますよ」
彼はしかめっつらをしながら、何でもないように言う。もっと突っ込んでもよかったかもしれないが、私はこのことをメモしただけで済ませた。彼から聞きだすにはまだ時間が足りない。
私はまた別の写真を選んだ。十歳ほどの少年とそれより少しだけ年嵩の少女が姉弟のように庭園のベンチで連れ添っている、無邪気な写真だった。よく見れば、彼女との写真が他にもちらほらとある。私は一つの予想を立てて尋ねた。
「彼女が初恋の君かね」
彼の動揺は一瞬だった。私にはそれで十分だった。ヴィジョンがなくとも、少しずつ心に触れていく作業は、根気がいると同時に、刺激のない私の人生に新たな一面を見せてくれている。私はこの時点で、ある種の充実感を得ていたのだろう。
「彼女は、僕の恩師の娘ですよ。僕が十五才ぐらいになるまで王宮にも出入りしていただけで、あなたが勘ぐるような関係ではありませんでしたよ」
「そうかね。実のところ当てずっぽうだったから、外れても仕方がない」
私は彼を観察していた。彼が訝し気な顔をするのも、しっかりと。きっと彼は私がどこまで心を読んでいるのか、わからなくなったのだろう。私があっさりと引き下がったものだから。彼女が本当に「初恋の君」だと知っていたなら、こんなにもあっさり引き下がらないはずだ、と彼は考えている。そう考えていること自体、私の予想は当たったということだ。だが私はもう少しだけ黙っていることにした。
私はすべてお見通しとでも言いたげな顔を作った……作れた、はずだ。アナグマ女史のメモには残っていないのでわからないが。




