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少し長めです。


「星、星、星! その星を捕まえるんだ、レア!」

「は? ええええええっ?」


 名前を呼ばれた彼女は言われるがままに両手を伸ばした。図っていたように、すとんっと手の中に何かが落ちた。銀色のつるりとした飴玉のようなものだ。摘み上げて眺めていると、綺麗だろ、と自慢げな声が上ってくる。レアは左右を見渡して、最後に地面の砂を見た。するとひょっこりと顔を出しているのは、立派な王冠を被った魚の頭があった。ぱっちりと目が合った。くりくりとした愛嬌のある目だ。ヒレで両手を合わせて目礼する。


「なーむなーむ。ほっとけほっとけ。ごきげんよう、レア」

「ご、ごきげんよう?」


 また妙なものがでてきた。砂漠にいる魚というなら、砂漠魚というところだろうか。


「なーむなーむ。よろしい。百点満点の合格だ」

「あ、ありがとう……」

「我が輩は魚の国王だ。そして、こっちがいるのが」


 砂が大きく舞い上がった。次々と砂の海から魚が飛び出してくるん、と一回転する。一匹、二匹の話ではない、レアを取り囲んで、何百、何千の魚が一斉に現れたのだ。まるで雨のように砂が降り注いでくる。


「我が輩の国民たちだ」


 自己紹介はいいのだけれど、とレアは心の中で思った。砂が目に入って、前が見えない。痛い。


「ごめんなさい、えーと。目を洗いたいから、水のあるところは知らないかしら」


 見るのでさえ辛いので、レアは目を瞑ったままで言った。


「それは困ったな。なーむなーむ。ほっとけほっとけ……」


 大真面目な調子で魚の王は考え込んでいる様子のようだ。


「吾輩らは見てもらわなければ変われないのだがね。なむなーむ、ほーとっけほーとっけ。……おい、一番目の妃よ、右目を頼む。おい、二番目の妃よ、左目だ。レアよ、手をどけたまえ」


 レアが言う通りにすると、勢いよく両目に冷たいものがばしゃばしゃとかかった。慌てて目をしばたかせると、上手い具合に目の砂が流れ落ちていった。ひりひりとした感覚は残っていたが、もう目を開けるのに支障がないぐらい。


 レアは真っ先にお礼を言おうとして魚の国王を見下ろしたが、傍でミイラのように干からびている二つのものが目につき、言葉が喉の奥でひっかかる。


「改めて紹介しよう。こちらが」


 魚の国王が水分のすっかり抜けきったくしゃくしゃの剥製となったうちの片方をヒレで指し示した。


「吾輩の一番目の妃で、こちらが」


 もう片方を示す。


「二番目の妃だ。どちらも国で一番目と二番目の美女だった。すまぬな、吾輩らは砂漠の民ゆえ、ほとんど砂漠に潜っているのが普通なのだがね、潜る前に死んでしまって、このありさまだ」


 魚の国王は平然としている。


(わたしのせいなのよね。眼の砂を洗い流すのに、この二匹の魚が水をくれたってことよね)


 別にレアは干からびてしまえだなんて願っていなかった。目を洗いたかったからそのまま口にしてしまっただけなのに、魚の国王は容赦なくレアのお願いを聞いてくれたのだ。彼女の罪悪感をまるごと無視してしまっても。


 そうだ、ここは常識がまるで通じない異常な世界であって、そこにはそこのルールがあるかもしれないが……レアには彼らを糾弾する資格があるのかわからない。


(ダ―ヴィド……あなたはこんなものを抱えて生きてきたというの)


 他人の世界がどうか知らないが、この歪な世界は間違いなく持ち主のダ―ヴィドの状態を反映しているのだろう。表面上はレアの前で優しげな理想の婚約者を演じておきながら、その裏で女と遊びほうけ、享楽的な生活を送っていたダ―ヴィド。彼のせいで多くの女性が涙を流してきた。ヴィヴィアンもそうだが、以前屋敷まで来て、レアの前で崩れ落ちたひともいた。今すぐ、殿下と別れて頂戴、と……。それはレアにもどうにもならないことだったし、そこまで必死になる彼女を哀れんだものだった。ダ―ヴィドもこの出来事を風の噂で聞いていたはずだ。でも何もしなかった。無意味なお茶会でも優雅に紅茶のカップを傾けて、お菓子を楽しんで帰っていった。この男の中ではどうでもいいことなのだと思い知らされる出来事だった。


(やっぱり心を覗いたって、ダ―ヴィドのことは理解できないわ。何が好きで、何が大切か、何を思っているのか、全然わからないわよ。本当にめんどくさい。……わたしの人生の中で一番の厄介な男よ)


 挙句の果てに勝手に死のうとしている。冗談じゃないと言いたい。そんなこと誰が許すものですか。

 ふいに手に握っていた星が温かくなり、柔らかな銀色の光を放ち始めた。魚の国王はおお、と大げさに二つのヒレを広げた。


「星が主を定めたぞ! めでたい!」


 レアの周りを渦巻くように、魚の背びれが祝福するように何千、何万と同時に現われ、激しく動いた。


「思った通り、レアのものだったのだ! あのガミガミ女は間違っていた!」


 またガミガミ女だ。いい加減どういうものか教えてもらいたいところである。


「ガミガミ女って誰のこと?」


 魚の国王はもったいぶらずに教えてくれた。


「なーむなーむ。ガミガミ女は腹をすかして、部屋を訪れた者を食べようとしている。さきほども星を探していた。でも、あの女のところに星は落ちてこない」

「どうして?」


 魚の国王はヒレで頬を撫でつける仕草をした。すると、ぴょん、と青黒い体のエラの辺りから黒い髭のようなものが出てきて、彼はそれもヒレで器用にいじっている。


「ガミガミ女は世界の嫌われ者で、もっとも邪悪な意志を持っているからさ。星だって寄り付きたくないだろうよ。始終誰かを苦しめることしか考えていないのさ。結局、星は手に入らないから、レアが来るのを待っていた」


 魚の国王がびくっと艶のある体をくねらせて、甲高い声を発した。


「そうだ! ずっと、君の背後で……」


 回っていた背びれの大群が突然砂に潜り、魚の国王もぴゅん、と頭を引っ込める。レアは嫌な予感を覚えながら、おそるおそる振り向いた。手の中の星がひったくられ、ついでにぎゅっと尻をつねられた。


「なんてこと!」

「痛っ」


 レアは体をくねらせたが、背後にいた女はますます力を込めて、つねってくる。さらに髪の毛まで掴まれて、ますます痛みが増した。


 女はきっちりと後ろで髪の毛をひっつめ、化粧っけのない顔をきつく歪めている。身なりはぼろをまとったようにみすぼらしい。


「ガミガミ貴婦人に対するなんたる無礼! 私の予定を狂わせた!」


 まるで野菜を高速で千切りにしているようなしゃべりだ。


「午後一時に明日の夕食を完成させるはずだったのに! もう三分も過ぎてしまいましたよ! 一時一分にお裁縫、一時二分に掃除、一時三分におもちゃ部屋に行くはずだったのに! 十二時五十九分に私から逃げたでしょう、逃げましたよね。私を殴りましたよね、あのろくでなしの絵画にそそのかされてね! そこの餌のせいです、おしおきが必要ですね! ほら、いらっしゃいっ!」


 どん、と突き飛ばされる。すると、悪臭が戻ってきた。砂漠から、またあの嫌な部屋だ。鍋はまたぐつぐつと煮えているようで、今は深緑色から粘り気のありそうな黒色の汁が煮えている。視界にはあの絵が見えた。大きくバツ印で切り刻まれている。英雄王は口から血を流して磔にされていた。横には勝利者と思しき人々の群れだ。悪逆王を殺したぞ! 彼らは叫び続けている。


 鍋の前にレアを立たせておいたガミガミ女は、包丁を突き出した。ぎらりと包丁が凶悪な光を放つ。今にも刺されそう。


「さて、どこから切り落としましょうかね。手足、目、耳、鼻、唇……。足はいけませんね、だって後々放り込むのが面倒になりそうですから。いいですか、私が切ってもずっと立ち続けてくださいね」


 レアは震えた。冗談ではなく、カタカタと体中が軋んだような音がする。口の中がしきりに乾いたけれども、彼女は女を睨み付けた。


「何でわたしが食べられなくてはならないの」

「一時五分、ああ、もう六分……。早くあの子のところへ行かなくては………。今から明日の昼食の時間だというのに。ほら、餌!」


 口元に運ばれたのは、レアがつかまえた星だった。


――食べてはいけない、レア。


 わかっているわよ。ふいに口を挟んできたヴァルハマに心の中で怒鳴りつけ、いやいやと顔をそらして拒絶する。だがそれも続かなかった。レアの力よりもガミガミ女のほうが何倍も強かったのだ。


 つるん、とレアの唇から押し込まれた星は確かに喉の奥を通って、お腹の中に辿りついてしまった。熱の塊が生まれた。お腹の中からレアを食いつぶそうとしているかのように、熱の塊はレアの中を暴れ回る。熱は肩にも頭にも、足にも首にも移動していく。目に到達すると、レアの視界は水の中のように滲み始めた。ぼんやりと女が包丁を振り上げようとしているのが見えた。でもその刃物を押しとどめるほどの力がもう出なかった。自分の感じていたものすべてが他人に譲り渡されていく。自分という存在が消えていこうとしている。自分の世界が黒に染め上げられた。もう、何も見えない世界だ。


 レアは機械を思い浮かべた。多くの部品と燃料を元にして動いている機械が、今理不尽な力を加えられて、分解しようとしている。分解されたら? 決まっている。ダ―ヴィドのものになるのだ。


(いや……それはいやだわ……。こんなところで死ぬなんて笑えるでしょ。わたしにだって、やり残したことがあるもの。まずは色々なひとにちゃんと説明してもらわないと。それで、それで……ダ―ヴィドに今度こそ婚約破棄させてやるのだわ。だって、わたしだって、幸せになりたい……)


――ここで死ぬのも、自業自得とは思わないかね、レア。私は食べるな、と言ったのだがね。


 暗闇の中で、ヴァルハマがぽつりと立っていた。銀色の髪に、赤と青のオッドアイ。一目で彼だとわかる証だ。最初に会った時と同じく、絶望を一身に背負ったような陰鬱な表情を浮かべている。


(だって、あれは……いけないわよ。あんなひとがいるだなんて、反則だわ。わたしは《魔法使い》じゃない)


 心の世界で自由に動く方法なんて知らないのだ。そして、知っているだろうひとは手とり足取り教えてくれなかった。


――確かにこの世界は危険だよ。ひとの心に入り込む、それ自体が危険な行為なのだからね。他人の意識の中

ではその持ち主にひどく影響されやすい。君がついさきほど、暴力的な意識に侵食され、溶けかけていたように。私なら簡単だろうと責めたいのだろうが、ここに入れたのは、ダーヴィドに近しかった君だからこそだ。どうしたって私が直接乗り込めたものじゃない。


(さっきの思考を読んでいたのね)


 ヴァルハマを睨むが、彼は意にも解さなかった。別の話題を振ってくる。


――レア、君は幸せになりたい?


 彼女は質問の意図がわからずに戸惑ったが、迷わず頷く。


――ダ―ヴィドは君のしあわせだろうか?


 レアは首を横に振った。それだけでも足りなくて、レアは言葉にする。


「幸せでないことはわかるわ。……でも、わたしのせいで死ぬとかは嫌に決まっている。わたしの幸せは少なくともダ―ヴィドの死で成り立つものではないから」


――だったら、やることは決まっている。君は生きるんだ。


 ヴァルハマはレアの手を取り、手首に巻かれた金の糸をしゅるしゅると解いてしまった。


「どうして解いてしまうの」


――もう要らないものだからだよ。付けてはダメだ。……私と心中したいわけではないだろう?


 驚いて、ヴァルハマを見る。彼は口角を釣り上げていた。オッドアイは不穏な輝きを放ち続けている。


――ここから先はひとりで行け。私の力で君の崩壊は食い止めたから、大丈夫。底まで辿りつけば、ダ―ヴィドの本心である《駒》が君を帰してくれるだろう。


「あなたはどうするつもりなの」


――旅に出るのさ。もう二度と戻らないつもりでね。私の結末は最初から決まっているのだよ。誰が何といおうとも、いつか旅に出ようとね。それは国王にだって邪魔できるものじゃない。なにせ、《魔法使い》はお偉い人々の元に安住するか、あるいは放浪する生き物だから。健闘を祈る、レア。また夢と夢が繋がったら会おう。


 ヴァルハマはすうっと遠ざかっていこうとする。レアは慌てて呼び止めた。


「このまま行くつもりなの? せめてもう少しアドバイスとかしてほしいわ!」


――ないね。


「即答しないで! こっちはものすごく不安なのに!」


――そうだろうとも。今のままでは《どちらも》足りないものが多すぎる。だから我々は欠けたものを埋めるために生きて……旅をするのかもしれないね。レア、君も旅の途上だ。その先で何かを手に入れるだろうし、逆に何かを失うかもしれない。


 ヴァルハマはほんのひと時だけ旅の道連れだった少女を眺めた。ゆるくウェーブのかかった黒髪に、真実を見抜く鋭い黒い目。ネコのようなレア。ここまで深く知ってしまえば、ただの他人とは言えない。彼女には表も裏もなく、そのせいで生きにくかろうが、彼にとっては居心地のいい世界だった。あとは……率直な物言いも、芯が強くて、妙に潔癖なところも、知るほどに情が移っている。少しばかり名残惜しいと、柄にもなく思うほどには。


 だがヴァルハマは今までの旅でもう手に入れたものがある。今度は別のものを探しにいかなければ。彼は《魔法使い》。他人の心を知る術を持つ者だ。彼だけの特別な誰かが待っているかもしれない。世界の果てまでも、探っていこう。


 レアが待って、と叫んでいる。誰も揺り動かすことのできないヴァルハマの心に確かに届いた気がした。もはや失われたと思っていた情が、まだ生きているぞ、と彼の内側から叩いている。彼は無視した。


(残念だ……。もう少し早く出会ったら、別の選択もあったかもしれない。でもこうなることも満足のいく結果だね)


――ぜひともまた会うことがあったなら、その後の話を聞かせ給えよ。君のこと、ダ―ヴィドのこと……私という駒を失った国王陛下のご様子まで、つぶさにね。


 さようなら。ヴァルハマは会話を打ち切る。

 そうして彼は旅に出たのだ。


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