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――ではまた私は黙っているよ。ここからは君の役目だ。ダ―ヴィドを何とかしてくれ。


 それはかなりの難題じゃないかしら。レアは思うだけで口に出さなかった。今更の話だ。

 ギイイ、と数百年閉ざされていた開かずの間が開放されたような重たげな音がして、別世界が緩慢に口を開けていた。中は廊下よりもさらに暗く、鼻がすえたような嫌な匂いがする。鼻をつまみながらレアは一歩中へと進んだ。カツン、と靴音がしたのは、下が石床になっていたからだ。


「うぅ、行きたくないわ……」


 弱音が零れたものの、レアは果敢に周囲を見回した。


 そこは窓ひとつない厨房のようだった。石が積み重なって作られたような作りで、それだけ見ると寒々しい光景だろうが、煙突へとつながっている大きな竈には明々と炎が燃え盛っていて、天井からつり下げられた巨大な鍋がぐつぐつと煮えたぎっている。悪臭はここから立ち上っているのだろう。部屋の中央にはまな板と包丁が乗せられたテーブルもあった。部屋の隅には食料とおぼしき大量の木箱が積みあげられている。

部屋の主は留守にしているようだった。レアはそっと後ろ手に扉を閉めて、中にあるものをしげしげと眺めた。すぐに気になったのは、入って真正面の壁にかけられていた赤い布の覆いだった。明らかに何かを隠している。


(こういうのって、なんだか見たくなるのよね……)


 怖いもの見たさに負けて、レアは傍に歩み寄ると、近くにあった椅子を昇降台にして、布をめくりあげた。ちょっと見るだけだったのが、布はたやすく隠していたものから滑り落ち、レアの手を離れて床に広がった。


 壁にかけられていたのは一枚の肖像画だった。金髪で編んだ三つ編みを振り乱した筋骨隆々な大男が猛禽類のような凶暴な笑みを浮かべながら、地面にしっかと立って剣を振り上げている。背景は戦場のようで、彼のすぐ足元には血まみれの遺体が横たわっている。


「我は英雄王! 千の屍を踏み越えて、万の民の理想郷を作ろうではないか!」


 レアは飛び上がるほど驚いた。まさかこの絵が叫びだすとは思わなかったのだ。だが、確かに絵画の中の男は口を動かしている。そして、確かにその黄色く濁った目はレアをしっかりと捉えているのだ。


「我は英雄王! 千の屍を踏み越えて、万の民の理想郷を作ろうではないか!」


 ウオオオオ。絵画の中から鼓膜が震えるほどの大音声が響いてきた。なるほど、英雄王と呼ばれるぐらいには他の人々に慕われているらしい。男は自信満々ににやっと粗暴に笑うと、レアに向かって剣を向けた。剣が絵画から飛び出してくるわけもないが、レアは昇降台の上で両手を上げた。


「そこにいる娘よ! お前はガミガミ女の仲間か!」

「は……た、たぶん違うわ。ガミガミ女が誰かも知らないし」

「じゃあ、お前は何だ! なぜガミガミ女の部屋にいるっ?」

「えーと、わたしはレアで、ここには迷い込んできただけ。あなたは?」


 男は剣を宝石で飾られた鞘に納め、威風堂々として告げた。


「我は英雄王! ここで新たな国を創るべく戦っているのだ。ガミガミ女の仲間でないならもうよい、食われたくなければ去れ!」


 血まみれの英雄王は意外にも親切心から言っているようである。レアは慌てて尋ねた。


「え、待って。わたしが食われるってこと?」

「ガミガミ女はお前を食べることを楽しみにしている。あのまな板の上でお前を切り刻み、あの鍋の中に放り込むのだ。あと他に必要な材料は、お前と星だけで、お前が来ることを知っているガミガミ女は星を探しに行ったぞ!」


 星とは何だと問い詰めたくなったが、ふいにガタガタと背後で音がするのが聞こえた。入ってきた扉が何かで叩かれて揺れている。


「ガミガミ女が帰ってきた! 逃げろ!」

「逃げろって、どこに!」

「考えろ! 無理ならガミガミ女を殺せ!」

「そんな物騒なことできないわよ!」

「ならば死ぬのかっ?」

「そんなのゴメンよ!」


 レアは怒鳴って昇降台から飛び降りた。役に立たない英雄王はなおも喚いていたが、レアはもはや気に留めなかった。ガミガミ女とやらに捕まるのはどう考えても得策じゃなかった。


 周りを見渡したが、やはり扉は一つだけ。レアが入ってきた扉だけだった。つまり、ここは行き止まりで、逃げ場所はない。一か八か、やるほかない。


 要は意表をつくのだ。レアは武器になりそうなものを探して、すばやく白い木製の延べ棒に目を付けた。包丁ほど危なくなくてレアにも扱いやすそうだった。これを握りしめ、扉をうかがった。ガミガミ女とやらはまだ姿を現さないが、音でその存在を主張している。


(どうしてすぐに入らないかわからないけれど……よし)


 棒を持たない方の手には鍋の中身がなみなみと入ったお玉が握りしめられている。目つぶしにもなるだろうと思い、扉が開いた瞬間にまだ熱々のそれを顔に投げつけるつもりだった。鍋の中身は深緑色をしていて、何が入っているか知れたものではないが、気にしないことにする。


 レアは息を殺した。そして、ガチャリ。扉が開く。レアは相手の顔をよく見もしないうちにすばやくお玉を投げつけて、うずくまる相手の横をすり抜けた。その黒い影はすぐに頭を上げてこちらを見ようとしたので、その脳天に一発延べ棒をお見舞いして、扉の外に出る。そして、すぐに閉めた。延べ棒を放り投げ、息をつく。そして、その粉っぽさと廊下が続いているとばかり思っていた景色の変わりように呆然とした。


 辺り一面が草木も生えない砂漠になっていた。空は夜のような青紫色で、点々と銀の砂をまぶしたような星々が輝いている。月はない。


 足元も全部黄金色の砂だった。細かい粒子があっという間に靴底に溜まっていく。


 わたし、確かに扉から出てきたのよね、と後ろを振り返ると、出てきた扉は無くなっている。レアはますますわけがわからなくなってきた。何もない砂漠に一人きり。砂漠はなだらかな丘のような隆起を伴って、どこまでも続いているように思えた。


 レアは気を取り直して歩き始めたが、すぐにへばってきた。


「というか……ガミガミ女って何。わたしを食べるって、星も必要って……」


 呟いたものの、すぐに思考をやめた。深く考えるだけ無駄という類の疑問であることはここに来て何度も思い知らされている。


 力ない足取りでレアは進む。この間にも何度かヴァルハマに呼びかけたが、部屋に入る直前以降から一言も発していない。どこかで聞いているのだろうが、不安になった。


 幾つもの砂の丘を越えた。たまに気まぐれのように砂を蹴ってみたり、空を見上げたりする。砂を蹴ると舞い上がったそれで咳をして、空を見上げると今にも落ちてきそうな星々の並びを見て、好き勝手に星座を描いてみたりする。この状況でやることが見いだせないと、どうでもよいことばかりしてしまう。


 そうやって、また星を見上げた時だった。レアは流星群を見た。きらきらと銀の粉が地上に向かって降り

注いでくるようだった。変な世界とはいえ、流星群を観察したのは初めてだ。少しだけ足を止めて、じっと見上げる。


(なんだか妙に長い時間ここにいる気がするわね……)


 廊下で四十三回同じことを繰り返していたこともあるだろうが、それ以上に色々なことが彼女に降りかかってきた。空からまっさかさまに落ちたと思えば、海で遭難し、迷路庭園で捕まった。そして今は砂漠を彷徨っている。大変な道のりを歩んできたもので、レアはため息をつくほかない。もう通り過ぎてきたはずの苦い思い出まで水面の泡沫のように浮き上がってきて、振り払うのも面倒だった。ダ―ヴィドが、レアの捨て去ったはずの甘い期待や希望を揺り動かそうとしている。涼しい顔で、自分勝手に欲しいものを手に入れようとしているのだ、あの時のように。欲しいものと言ってもそれは彼の中で流行しているものでもあり、しょっちゅう別のものに取って代わる。ダ―ヴィドが多くの女性とデートをし、パーティーに「友人」として同伴してきても、彼女らは日によって変わる。一定の頻度があったのは、第一の愛人とも言われるラネ伯爵夫人と婚約者であるレアぐらいだろう。彼の中でのレアの価値はそんなものだ。それなのに彼の命を救う状況となっている不思議。妙に切ない気分になった彼女は涙ぐみそうになりながら星を視線で追った。だが、ぽつぽつと流れていた星のうちの一つが明らかにこちらに向かってぐんぐんと迫ってくるのを見ると目の色を変えた。しかも何やら下の方から声まで聞こえてくる。


「星、星、星! その星を捕まえるんだ、レア!」

「は? ええええええっ?」


 名前を呼ばれた彼女は言われるがままに両手を伸ばした。

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