七話 旅立つっていうなら準備をさせてよ
さて、とは言ったものの、すぐに旅立つわけにはいかなかった。
僕と雷牙は、この世界――そういえば双星界だったか――について知らなさすぎる。
一週間の間、城で常識を学んだり、訓練で肉体の感覚を掴む必要があった。
僕はカレンさんと対面して授業を受けていた。雷牙は国の、少しでも剣術の心得がある人に稽古をつけてもらっている。
幸いなことに女神が細工をしてくれたのか、言語の問題はなかった。
エルフたちの言葉――汎用人間語は問題なく理解が出来ていたし(そもそもそうでなければ会話が成り立たなかった)、文字も不思議と使い慣れた日本語のようにさらさらと書くことが出来た。
それどころか、魔族の言語である魔界語すら簡単に話すことが出来た。
とはいえ、現代ではわざわざ人間語と使い分ける必要性が薄いと考えられたのか、魔界語の使い道はほとんどないらしい。死語となりつつあって、今となっては魔族ですら話せないものも多いとか。
算術なんかも問題なし。僕たちの世界と同様、十進数が使われていた。もし三進数とかだったら頭がこんがらがってパンクしていたと思う。
となれば問題となるのは、文化についてだ。
『英雄』と『聖女』という立場上、ある程度の失礼なら笑って許されるだろうけど、限度というものはある。それに、文化への無理解による見落としがどんな落とし穴につながっているかわからない。
カレンさんに頭を下げて教えを乞うたのは、本来ならば彼女が『聖女』だったからに他ならない。旅に赴くはずだった彼女には基礎知識があり、気まずいのを無視してでも手っ取り早い相手だった。
「そういえば、素朴な疑問なんですけど、どうして『英雄』なんでしょう。『勇者』では駄目なんですか?」
「この世界では、『勇者』というのは2000年前、双星界を創り出した人物を差します。『英雄』とは比べ物にならない力を持ち、特殊な聖痕を持っていたと伝えられています」
へえ……。
『勇者』は、かつて命を賭して『人間界』と『魔界』に分かれていた世界を融合させ救った人物らしい。
なんと、『勇者』はその偉業から一大宗教にすらなっているという。その名も勇者教団。
――すごい言葉の組み合わせだ。
そしてカレンさんの文化の授業が始まった。
「私たちのいる大陸は、聖大陸クリスロードといい、人間族が栄える地です。人間族とは四つの種族からなります。ヒト、エルフ、ドワーフ、竜人の四つです」
「えっと、魔族と人間族がいるんですよね」
「ええ。あとは動物と魔物という区別があります。大体の生物はこの四つに分けられます。……話を戻しますが、種族の説明をしましょう――」
彼女の説明はこうだった。
ヒト――僕や雷牙によく似た種族だ。もしかしたら同じなのかもしれない。人間族の中でもっとも寿命が短く、長くて百年しか生きられない。生命力も魔力も強いわけではないが、数が多く、不思議と『英雄』が生まれやすいという。
エルフ――この国の人々。魔力の扱いが得意で、その分ひ弱。寿命は1000年と最も長寿。耳が尖っているのが特徴。
ドワーフ――身長が低く筋肉質な種族。鍛冶や細工といったもの作りが好きだという。逆に魔力に関しては最低クラス。寿命は500年ほど。
竜人――羽や角の生えた、所謂リザードマン。人間に近い姿に化けることが出来て(それでも羽や角は隠せないらしい)、現代ではこの姿を取るのが基本なのだとか。
「って、カレンさんは何歳なんですか?」
女性に年を聞くのは失礼かと思いつつ、つい尋ねる。
「まだ150歳です。若輩者ですね」
「は、はあ」
少なくとも僕の価値観では計り知れなかった。
聞けば、100年以上、『聖女』の役目を果たすため修業してきたらしい。
……益々気まずい。
僕としてはカレンさんのような女性は好みなのだけれど。
おしとやかで物腰柔らか。こういう女性とお付き合いしたかった。まあ、今では敵わない話だけど……・。
カレンさんはリシャール王の従妹らしい。聖痕がなければ、やんごとなき人とお近づきになれたかも疑問だ。
「魔族については割愛しますね。数が多すぎますし、基本的に魔大陸バルバトスに住んでいるんです。『魔竜』の討伐には関係ないでしょう」
僕の心境など意に介さず、カレンさんが続ける。
「この大陸には五つの国があります。『エルグランド』のように、単一の種族だけが住む国が四つ。そして、最後に『レギオニア』という五つの種族が混ざって暮らす国です」
そして
「種族ごとに差別意識があるわけではありませんが、寿命や文化を考えると別れて住んだ方が暮らしやすいのです。『レギオニア』は特別ですけどね」
と補足した。
「あの、エルフは『魔竜』に刃が立たないって言いましたけど、なら他の国に力を借りては駄目なのですか?」
僕は政治的なことはわからないけど、四つもあるのだから、一つぐらいは協力的でもおかしくないだろう。
「いえ、残念ながら、そのような余裕がないのです」
カレンさんは悲しそうだった。
「他の四つの国すべてに『魔竜』に相当する存在が襲いかかっています。『レギオニア』では一人のヒトの『英雄』が討ち果たしたと聞いていますが、他の国は食い止めるのに精いっぱいなのです」
ああ、そうだった。女神が言っていたじゃないか。
「異世界には『英雄』が不足している」って。
「そうなんですか……」
「異世界からの召喚を必要とした原因が、そこにあります。……申し訳ありません」
今度はカレンさんが気まずそうな顔をする番だった。
「気にしないでください。大丈夫ですから」
本当はあんまり大丈夫じゃなかった。
あやふやな土台に立っているような、脆い決意だ。
でも、本当なら異世界召喚は失敗するはずだったのだ。あの女神の介在が、全ての根源だ。
僕としては、彼女たちが気に病む必要はないと思う。
目の前の災厄に、たまらず助けを求めただけだ。
もしかしたら、かつて僕を身を挺して助けてくれた母さんと同じことが、僕にもできるのかもしれない。
◆
「では、『英雄』と『聖女』の役割についてお話いたしますね」
いろいろ教わっていると、訓練を終えた雷牙が合流してきた。
雷牙を見たカレンさんが少し頬を染めたのは気のせいだろうか?
まずい兆候だと思った。カレンさんが雷牙の毒牙にかかってしまうかもしれない。
「『英雄』ってのは、要するに『魔竜』と戦えばいいだけだろう?」
雷牙の単純明快な一言に、カレンさんは頷く。
「ええ、それで間違いありません。それだけの力がある存在だと聞いています」
実際、雷牙は城全員の兵士と戦い、一方的に勝ってしまったらしい。
最初は魔法を使わない魔法騎士相手だったのだが、力量に差がありすぎて勝負にならなかった。魔法を解禁してもてんで駄目。
最終的に、魔術師を後衛に、十対一で戦っていたとか。
「一方、『聖女』とは、『英雄』を戦いへと導き、そして癒すものだと言われています。『レギオニア』の『英雄』に付き従う『聖女』は、魔術を巧みに扱い戦場を支配すると聞いています」
「へえ……。よろしくな、『聖女』様」
僕を見て雷牙が言う。
「……僕は戦えないけどね」
「知ってる。ま、いてくれるだけで十分だ」
――そうして、あっという間に一週間が過ぎ去った。