エピローグ 僕の冒険は終わった。そして…
「……ここは?」
僕が目覚めたのは――最初に転移した女神の空間だった。
姿もいつぞやの光の球体だ。
……沸々と込み上げる怒りを抑えながら叫んだ。
「女神っ! ここにいるんだろ!」
「あらあら。また来ちゃったんですか? 貴女」
あきれたような女神の声。
「ふざけるなっ! 全部あんたの目論見通りじゃないのか?」
「目論見……ですか?」
とぼけた様な彼女に益々苛立ちが募る。
「『魔竜』を倒して『英雄』は死ぬ。そりゃ、後腐れのない話さ。異世界から後処理も必要なくなるからね」
そう。
戦いが終われば、様々な処理が必要になる。
『英雄』は過ぎた力を持つ存在だ。異世界から呼び出したので、あの世界に愛着なんてない。むしろ、世界を恨んでいるかもしれない。
後々の災厄になりかねないだろう。
僕は使い捨ての雑巾みたいなものだ。
汚れを拭いて、そのままゴミ箱へぽい。
「くすくす……面白い考えですね。でも、私、そういう勿体ない考え方はしませんよ」
女神はただただ笑う。
僕は挑発されている気がして真っ赤になった――様な気がした。
魂だけの球体なのだ。本当に気がしただけだった。
「では、何のためにあなたを女性に変えたと思います? それに、脆弱な肉体にしたわけは? 使い捨てにしたいだけなら、男性のままでいいですし、強力な肉体を与えれば良いでしょう?」
「それは――」
言葉に詰まる。
確かに、説明が出来なかった。
「私はですね、あなたに子を孕んでほしいのですよ」
「は?」
久々に、脳が理解を拒んだ。
何を言っているんだこいつは。
僕は、死んだんだぞ?
「『平穏な世界ですが、近い将来災厄に見舞われる』。最初にそう言ったのは覚えていますか?」
「……うん、でも『魔竜』は僕が倒した。残りの災厄も、残ったもう一人の『英雄』が倒す。それで災厄は終わりのはずだ」
「『魔竜』がどこから来たのか、気になりません?」
「……は?」
確かに僕は疑問に思っていた。
なんで、こんなことを今聞く必要がある?
「別に、どうでもいい」
憮然とした態度で答えると「嘘はいけませんねえ。ずっと気になってたくせに」と愉快そうに笑う。
「別の世界からなんですよ。双星界でも、地球でもない、全く別の世界。私の管轄外の世界から、侵略のために送り込まれたんです」
一気に女神の声色が不愉快そうになった。
「あれはテラフォーミングのための機械でしかないんです。瘴気で世界を満たし、現地の生物を操り、敵対するであろう知的生命体を滅ぼす。そう仕向けられた機械」
だから――エルフを殺し、魔物を進化させ、瘴気を吐き出し続けていたというのか?
植物を変化させなかったのは、それが自分たちの脅威にならなかったから?
「それが本当の災厄。あなたが来た時代はまだそれが訪れていない。『魔竜』たちは前兆でしかないんです」
呆然とする僕に、彼女は続けた。
「あなたは、かつて世界を救った『勇者』と同等の魂を持っていたんですよ。まさしく、規格外の力を。だから、あなたにはその力を受け継いだ子供を産んでもらいたいんです」
「ふざけるな! それだけのために、僕を女にしたっていうのか!?」
言っていることが信じられず、僕は吠えた。
「ええ。最初はエルフの『聖女』と結ばれる予定だったんです。狙ったわけではありませんが、貴女の好みのタイプでしたしね。他にも、旅の中で出会う女性たちという選択肢もありました」
「カレンさんたちと…?」
「でも、間違えて隣にいた男の子まで連れてきちゃったんです。捨てちゃってもよかったんですが、どうせだから利用しようかなと。言ったでしょう? 私、結構勿体ないの嫌いなんですよ」
捨ててもいい?
利用?
わかっていたことだけど、まるで人を人と思わない言葉に、ついかちんと来そうになる。
「ヒトと異種族で交配させても、ちゃんと『勇者』の力が引き継がれるかわかりませんでしたし……。それで、雷牙くんの方にも『勇者』の力を半分割り振ったんです。足りない分は本来の『聖女』に補ってもらいましたよ。聖痕が消えたのもその影響でしょう。
いわば、二人ともが『勇者』で『聖女』だったんですよ。強靭な肉体は彼に、『力の解放』は貴女にってね」
理解しがたい考えだけど、女神の考えは筋が通っている。
でも、だからこそ一つ疑問が湧く。
「なら、最初から僕をその、災厄が訪れる時代に転移させればよかったんじゃないのか? それぐらい、出来るんだろう?」
「ええ。できますよ。ですが、私の作った肉体というのはどうしても脆いんです。一度の『解放』で崩れるぐらいにはね。言ったでしょう? 私、勿体ないのは嫌いなんです。
だから、産んでほしいんです。使い捨てじゃなくて、これからもこの世界を守り続ける、『勇者』の力を継いだ子孫をね。……残念ながら、二千年前の『勇者』はそれまでに死んでしまいましたから」
女神の馬鹿げた計画の暴露に、僕は冷笑で答えてやった。
そして、告げる。
「でも、僕は死んだ。これであんたのバカげた計画もお終い。おじゃんだよ」
「……アッハハハハ!」
僕が忌々しげに言えば、本当におかしそうに――腹があるわけではないけど――腹を抱えて笑う。
「死んでませんよ?」
「……は?」
「そのぐらい想定していますよ。じゃないと本末転倒でしょう? 聖痕の最後の力を使って一度だけなら再生できるよう、調整していたんです。残念ながら、『解放』の力はもう使えませんがね」
「は?」
「この世界にあなたが再び現れるなんて、完全に想定外でした。奇跡としか言いようがありません。――そろそろ、目覚めますよ?」
「ちょ、ちょっと待て!」
超展開についていけず、僕は叫んだ。
「なんです?」
もうすぐ目覚めるというのなら、これだけは聞いておかねば。
だとすれば由々しき事態となるから。
「僕の、僕の感情も、あんたが仕組んだものなのかっ!?」
「違いますよ。それはあなたの意思です。元からあなた、雷牙くんのことなんだかんだいいつつ憎からず思ってたでしょう?
血に対する嫌悪を取っ払ったのは、それが不都合だったからです。『魔竜』と戦う時に気絶されても困りますし、何より女性となれば色々ありますからね」
大真面目に女神は言った。
が、すぐに頬を緩め
「散々『誠意』を見せてもらったんです。いい加減報いてあげたらどうです?」
僕は薄れゆく意識の中で叫ぶ。
「そんなこと、言われなくてもわかってるよ!」
――そして再び僕の意識は暗転した。
◆
気が付けば、僕は荒野に立っていた。
久方ぶりに青い空を見た気がする。照りつける太陽がまぶしい。
とりあえず慌てて確認してみたところ、崩れ去った腕は完全に復元されていた。
それに髪色も生来の黒のまま。
今までのことは夢だった……なんて言われたら信じてしまいそう。
でも、この荒野を作り上げた一因は僕だということは確か。
大地は抉られ、溶けてガラス状になっている。僕がトドメに放った【超新星】の破壊の痕跡が、そこにはあった。
……感傷に浸っている暇はなかった。
すぐに雷牙たち、旅の仲間が駆けつけてきて、僕は揉みくちゃにされてしまったから。
最初はカレンさん。
彼女は、僕に縋るように泣きながら謝り続ける。
「カレンさんに責はない。むしろ、全部隠していた僕が悪い」
と宥めるつもりだったのに、何故か僕まで鼻がつんとして来て駄目だった。
次はリゼル。
「死んだかと思った……」
普段とは違い、呆然とする彼女の頭を優しく撫でてやる。
「妹みたいだって、言ったじゃん……」
「ごめんね……」
少しでも元気が出るよう、リゼルをぎゅっと抱きしめると、彼女は
「生きてるんだ……」
と涙を流した。
「ふん、ずっと謀ってたとはね。とんでもない狸だよ」
ミューディは相変わらず。
不満そうだけど
「まあ、生きてるに越したことはないさ。そんなの後味が悪すぎるからね」
と漏らした辺り、心配してくれたんだと思う。
雷牙?
雷牙はただ無言で僕を抱きしめる。
そんな彼が少し可愛いと感じてしまったあたり、僕はもうだめなんだと思う。
◆
エルナ村。
『魔竜』の爪痕は大きかったエルグランド南部だけど、かつての姿を取り戻しつつある。
僕たちの旅から、早いものでもう十年以上が経っているんだから当たり前だけど。
今日もいい天気だからと洗濯物を干していると
「おかーさーん! 僕のガラティーンどこー!?」
僕を呼ぶ声が聞こえた。
階段から視線をやれば、銀髪の少女が旅荷物をひっくり返している。
……今日が旅立ちの日だっていうのに、何をやってるんだこの子は。
僕は呆れつつ、下に降り一緒に探してやる。
「僕が知ってるわけないだろ? あれは今はライナにしか使えないんだから」
「む~、昨日一緒にしておいたのになあ」
彼女の名はライナ・キリサメ。
まあ、一言でいうと僕の娘。
女神の目論見通りというべきか、彼女にも聖痕が出た。
本来なら聖痕は遺伝しないものらしいけど、それだけ僕の力が強かったらしい。
掌の上で転がされてるようで不満なのも事実だけど、出来ちゃったものは出来ちゃったんだから仕方ない。
それにしても――
「いつも言ってるけど、自分のことを『僕』って言うのはやめなさい。村の中ならいいけど、外で笑われるよ?」
「お母さんも『僕』って言ってるくせに! そういうの、横暴っていうんだ!」
口の減らない子に育ってしまった。
全く、誰に似たんだか。
全くガラティーンが見つからないので、ライナの部屋へと向かう。
少なくとも旅荷物と一緒にはない。
「あ、これじゃないの?」
彼女のベッドの下でキラリと光輝くものを発見。
注視してみれば、鞘の先に付いた宝石だった。
「ホントだ! でも、どうしてだろ……あ、昨晩、寝る前に抱いて寝たんだった!」
恐らく、そのままベッドの端から落下し、転がって床へと辿り着いたのだろう。
愛娘はてへへ、とかわいらしく誤魔化すけど僕には通じない。
「寝床に剣を持ち込むのは止めなさい」
かつて『英雄』と共に戦場を駆けた聖剣が、今では抱き枕替わり。
リシャール王とカレンさんが聞いたら泣くだろうな……。
「む~。でも、旅の間は常に武器を手放すなってお父さんの本に書いてたよ?」
「それはそれ、これはこれ。少なくとも家ではダメ」
「お母さんは理不尽だ……!」
ライナはオーバーリアクション。
このあたり、たまに遊びに来るリゼルの影響を受けてるのかも。
「――お母さん」
「ん?」
視線をやれば、ライナは真剣な顔をしていた。
「今までありがとう」
「何? 急に」
「旅立つ前だから、言っておきたいなって。もしかしたら、もう戻ってこれないかもしれないし」
「……大丈夫だよ」
僕がそう答えると、急に泣きそうな顔。
やれやれ、旅に出たいって言ったのは自分なのに、なんでそんなに不安そうなんだか。
「なんで?」
「神様と、勇者様の加護が君にはあるから。あと、ちょっと親父臭いエルフにも会うかもね……。だから、安心して世界を見てきなさい。いつ帰ってきてもいいよう、待っていてあげるから」
「……なにそれ」
「いずれわかるよ、きっと」
自分でも答えになってないと思うけど、それ以上ライナは何も言わなかった。
「じゃあ、行くね。お父さんがいると絶対邪魔してくるから」
「気を付けて」
そうして、ライナは旅立ち、僕はいつかと同じように大切な人の帰る場所を守る日々が始まる。
「……行ったのか?」
裏口から、僕の伴侶が声をかけてくる。
あのころは少年だった彼も、今では立派な青年。頬には十文字の傷。
魔法で治癒できるのに、格好いいからって言い張った大ばか者だ。
「うん……」
「泣くなよ……、俺まで泣きたくなる」
子供が生まれたら厳しく鍛え上げる……なんて言ってたけど、結局彼は子煩悩だった。目に入れても痛くないって、こういうことなんだなって実感するくらい。
そのせいで、僕は娘に少しだけ厳しく接しなければいけなくなったのだけど。
――理不尽な女神の命令の結果、僕の願いは一つだけ叶った。
かつて、家族と過ごした家にはもう二度と戻ることは出来ない。
思い出の品も、何処にもない。
でも、新しく家族を作ることは出来た。
初めてライナを抱いたとき、僕は泣いた。
「産まれてきてくれてありがとう」
自然に口をついたのは感謝の言葉だった。
これから、僕は――いや、僕たちはこの世界で生きていく。
多分、困難はこれからもあるんだろう。あの女神様は不穏なことを言い残していたし。
でもきっと大丈夫。
僕の娘はそんなに軟じゃない。
そして、孫、曾孫へ――僕にとっては遠いけど、エルフにとってはそう遠くない未来へ、思いは受け継がれていくんだと思う。