三十二話 君が好きだっていうなら僕は譲るよ
テントに戻った僕を待っていたのは、カレンさんだった。
普段なら眠っているはずの時間だというのに起きていたようだった。
「あれ、カレンさん、起きていたんだ」
「ええ。寝付けなくて」
一瞬だけ、カレンさんは目を逸らす。
そして、もう一度僕の方を向いた。そのとき、彼女の顔つきは、先ほどとはまるで異なる――真剣なものだった。
「――いえ、嘘です。ユートさんを待っていました」
そう告げると、彼女は僕を見据える。
「ユートさん、私は、私はライガ様が好きです」
「うん……」
突然の告白だが、僕は知っている。
かつて『聖女』であったこと。僕たちを追いかけて城を抜け出してきたこと。そして、普段からつい雷牙を目で追っていること。すべて繋ぎ合わせれば、明らかなことだった。
表には出していないため、雷牙は気づいていないだろうけど。
「ユートさんは、どうなのですか?」
「どう、って?」
言い方が不明瞭だ。
僕は白を切る。
「ユートさんは、ライガ様を好きなのではないですか?」
「僕が? 雷牙を? ないね」
「……どうして、そのような嘘を?」
嘘じゃない。
僕に、その資格はない。
「本音を言えば、私は……ただ守られるだけの貴女は『聖女』にふさわしくないと思っています」
「うん、そうだね」
そうだ。
それに、僕は雷牙の想いを利用し、弄んだ。
だから、彼女の想いは正当なもの。僕に反論の余地はない。
「そうだねって、貴女はそれでいいのですかっ! 私は……、私はいまだ聖痕を失ったことに納得がいっていないんです!」
そんな僕に、カレンさんは感情の奔流をぶつけてくる。
多分、とてもありがたいことだと思う。
地球にいたころの僕はとても無気力で、こんなむき出しの感情を向けてくれる人はいなかった。
ずっと、旅の間貯め込んでおいた澱みが、最後になって噴出している。
僕にはそれを受け止める責任があった。
100年もの間、一人の『英雄』に尽くすため生き続けてきた彼女の全て。それを、女神のいたずらとはいえ僕たちは一瞬にして奪ってしまったのだ。
だから
「ごめんね?」
「ごめんねじゃ、ありません……!」
彼女は、泣く。
決壊した涙の防波堤は、留めることを知らず、ただぽろぽろと溢れ出していた。
「だから、僕は譲るよ。雷牙は君にあげる」
「――馬鹿にしているのですか!」
怒りが爆発した。
忙しいね。
僕はつい笑いそうになる。
でも、僕はそれがいいと。
それがいいと心の底から思ったんだ。
「多分、多分だけどね。明日は全員そろって帰ってこれないと思うんだ。だから……だからよろしく」
言い切って、僕の頬にも涙が伝っていることにようやく気付いた。
僕は、堪えながら、なんとか言葉を絞り出す。
「――知りませんっ!」
カレンさんはそう言って立ち上がり、テントを抜け出してどこかへ行ってしまった。
「僕は、どうしたらいいんだろうね……?」
呟きにこたえるものは誰もいなかった。
◆
私は、走っていた。
ただ悔しくて、腹立たしくて――悲しくて、どうすればいいのだかわからなかった。
思いを発散するかのように走り続ける。
すると
「……カレン、お前も眠れないのか?」
川べりにライガ様が立っていた。
私が泣いているのに気づくと、腰を下ろして落ち着くように言った。
私が従うと、ライガ様も座る。
目線が同じになり
「明日のことを想うと、眠れなくてさ」
とだけ言った。
「そう、ですか……」
さっきの出来事を話すわけにもいかず、口ごもる。
だけど
「どうして、ユートさんが『聖女』なのでしょうか……」
つい言葉がこぼれてしまった。
「どうしてって、聖痕が移ったから――」
「そうではありません……!」
「じゃあ、どういう……」
「――私は、あなたが好きなのです!」
そのまま、勢いに任せて告白。
ライガ様が息をのむのがわかった。
私は、自分が卑怯で浅ましいと自嘲する。
決戦前夜に何を言っているのだろう?
「すまん……。いや、ごめん」
彼は、一度言い直してから謝罪の言葉を告げた。
「俺は思いにこたえられない。俺には勇人がいるから」
わかっていた。
この中で、一番二人を長く見てきたのは私だから。
「この世界に来てすぐさ。『『聖女』とは、『英雄』を戦いへと導き、そして癒すもの』って教えてくれたよな。俺にとって、勇人がそうなんだよ」
ライガ様は遠くを見るような目でそう言った。
「実は、最初からずっと怖くて仕方なかったんだ。言ってなかったけど、この世界に来る前、神様にあったんだ。無茶苦茶理不尽なやつでさ。要約すると『戦わないなら死ね』って言ったんだぜ?」
そしてハハハと笑った。
「理不尽すぎるって逃げ出したかった。でも、目の前に震えてる勇人がいてさ。こいつは親友なんだから、守ってやらなきゃって思ったんだよ」
優しい目だった。
「この世界に来てからもそうだった。カレンの前でいうのもなんだけど、エルフなんて知ったこっちゃないから逃げ出したかった。でも、勇人はなんていったと思う? 『『魔竜』との戦いが終わるまで絶対に僕を守ること』だぜ? なら、なら戦って――守るしかねえだろうがよ」
最後に、にっこりと微笑んで
「間違いなく勇人がいないと俺は戦えなかった。だから、改めてごめん。俺は君とは付き合えない」
「ええ……わかっていました」
私も微笑みを返す。
望みなんてないのはわかっていた。
ただ、気持ちに踏ん切りをつけるため、言っておきたかった。
これから、ユートさんと雷牙様は二人の道を進むのだろう。
そう考えると、不思議と、涙は止まっていた。
「じゃあ、寝るよ」
「ええ。おやすみなさい」
何故かとても穏やかな気分だった。
◆
そして、夜が明け――『魔竜』との決戦が始まった。