二十九話 治癒術師だっていうなら絵心も鍛えろ
私は、ミューディさんと共に村長代理宅の一室にいた。もちろん、魔法を教えてもらうためだ。
部屋にいるのは二人だけ。ユートさんは全員の分の出立の準備を整えると言っていた。その代り、みんなは修業に励んでくれと。
「さて、あんたは現時点において、どの呪文を学ぶべきかわかっているかい?」
「どの呪文を……ですか? どんな呪文であれ、学ぶに越したことはないのではないでしょうか?」
ミューディさんの質問にとりあえず思ったことを返す。
選択肢が広くて困るということはないと考えたからだ。
「その考えは間違っちゃいないよ。ただし平時ならね。……あんた『魔竜』の特性を忘れたわけじゃないだろ?」
「……あっ!」
『魔竜』には魔法攻撃は通用しないのだ。
私が攻撃魔術を学ぶ意味は……ない。
「なら、私が伸ばすべきは治癒魔術ということですか」
「そうだね、他には付与魔術かね。あんた、使ったことは?」
「いえ……」
「ならいいさ。そこはあたしが担当する。今更付け焼刃は無駄さね」
彼女は回復魔法は使えないが、対象を強化する付与魔術が得意なのだという。この村を覆った結界や、私の魔法を跳ね返した盾もその一つらしい。
「治癒魔術はどのぐらいまでだい?」
「基本的に、病人や怪我人に使うことが多かったので……【治癒】がほとんどでしたが、【中位治癒】までは使えます」
【治癒】とは、下位の治癒魔法のことだ。切り傷程度なら一瞬で回復させることが出来る。
【中位治癒】となると骨折や大きな怪我まで範囲が拡大する。
残念ながら四肢欠損を治すほどの力は私にはまだない。高位にならないと不可能なのだ。
実は、回復魔法を戦闘中に使った経験はない。
基本的に、国軍の戦い方は遠距離からの魔法砲撃だったため、大けがをする騎士は稀だった。この旅の間も、ライガ様やリゼルは一瞬で決着をつけてしまうため、使用に迫られることはなかったのだ。
その旨を告げると
「それじゃ駄目だね。ここからの戦闘は激化するよ。『魔竜』に近づくにつれどんどんとね。その時に使ったことがないじゃ話にならないのさ」
厳しい物言いに俯いてしまう。
「しゃんとしな! あんたは自分の意思でついてきたんだろう。なら責務を果たすんだね」
すると喝が飛んだ。
「は、はい……!」
そうだ。私はユートさんの代わりにライガ様を戦場で助けなければならないのだ。
聖痕を失ったとはいえ、『聖女』の誇りは失っていない。
「さて、あたしは今朝、あんたの魔術の詠唱が遅いって言ったね?」
「はい……」
今朝の戦いを想起する。
私が長々と詠唱するのを、ミューディさんはあえて待ち続けた。そして、たった一言で詠唱を終えると防御魔法を繰り出したのだ。
私の攻撃を防ぐどころか跳ね返したのだから、あの呪文は私のものよりさらに高位なのだろう。つまり、それだけの力量の差がある。
「魔術ってのはイメージで作るもの……ってのは基本だね。つまり、どれだけ明確に事象を想像できるかが大事なのさ。詠唱ってのはその補助に過ぎない」
「はい」
「ここまで言えばわかるだろうけど、あんたの魔術はイメージが弱いのさね。だから長い呪文が必要になる」
言葉に詰まる。
思い当たることがあったからだ。私はつい魔力を制御するのに集中しすぎてしまい、事象を思い描くことがおろそかになる。
「まあ、無詠唱で使えなんて無理は言わないさ。そんなことが出来たら、古の魔王になっちまうからね」
とにやり。
かつて、人間族を恐怖へと陥れた魔王は、無詠唱で最上級呪文を無数に発動したという。その境地に至れば、『魔竜』の障壁すら破ってしまうのかもしれない。
「あんたの訓練は、前衛の連中よりもっと単純さ。傷を癒すのは漠然とした認識しか持てないだろ? だから呪文に『神』とか『奇跡』って単語が入るのさ。……イメージを強めるため、人体のお勉強をしてもらうよ」
それだけ言って、彼女は真っ白な紙を取り出した。【投影】と詠唱を済ませると、色鮮やかな絵が描かれていく。
注視してみれば――
「ひっ!」
悲鳴が漏れる。
生皮の剥がれたヒトや、人骨、血管など様々だ。
かなりグロテスク。これはユートさんでなくても卒倒すると思う。
「ビビるんじゃないよ! 『英雄』を死なせないため、丸暗記しな!」
「あ、暗記ですか……?」
「そのためにこいつを使う」
続けて取り出したのはペンと紙。
模写により構造を理解し、理解を深めるのだという。
残念なことに、私に絵心は――ない。
必然的にじっくり見つめる必要があるわけで。
ううう。
涙が出るのを堪えながら、私の勉強は始まった。
◆
勉強が始まってから三時間ほどが経過していた。私のお腹がきゅーっと鳴く。
ふと窓から外を見れば、太陽の位置が高い。そろそろお昼が近づいていた。
「結構長い間やってたね。流石に一度に詰め込みすぎるのは効率的じゃあない。少し休憩と行こうか」
ミューディさんのそんな一言で、お昼御飯が出来るまで雑談ということになった。
「あの、昨晩のことなのですが」
「ん、なんだい?」
「『似たようなことを言ってきた人がいた』という風なことを仰っていましたよね。どのような方なのでしょうか?」
実は、昨日からとても気になっていた。
なんとなくシンパシーを感じたからかもしれない。
「ああ、そんなことさね。セシリアって子だよ。あっち側の『聖女』さ。一週間鍛えただけだったけど、中々筋がよかったよ。あんたも似たところがあるからね、頑張りな」
「あの……」
「今度はなんだい?」
私は、意を決して聞いてみた。
「『聖女』に必要なものって、なんだと思われますか……?」
◆
少し、間が開いた。
「そうさねえ……。あたしゃ、『聖女』じゃないからわかんないね」
「そうですか……」
「でもね、一つだけ言えるさ。『英雄』が戦えるのは『聖女』がいるからなんだろうってね」
「どういうことでしょう……?」
ミューディさんはまた考え込むようにして、黙り込んでしまった。
そして
「言葉にするのは難しいね。『英雄』ってのも一人の人間でしかないのさ。大多数のために戦うってのは聞こえはいいけど、誰にでも出来ることじゃない。
でも、守りたい、認められたいって思う人のためなら戦える。その対象が『聖女』なんだと思うよ。それは、聖痕の有無じゃないとあたしは考えてる」
と告げた。
「そろそろ、ご飯ですよー!」
ユートさんの声が響いた。
「……ありがとうございます」
私はそう告げると、ミューディさんと共に居間へと向かった。