三話 異世界だっていうなら説明しろよ
エルグランド王城内の儀式の間。
私は、召喚の儀が執り行われるのを今か今かと心待ちにしていた。
「カレン・スタッカート、『英雄』を導く『聖女』として、決して失礼のないようにするのですよ」
幼いころからお母様や先生に何度も言われ続けた言葉が脳裏に浮かんでくる。
そして、私は手の甲にある痣をじっと見つめた。
『英雄』と『聖女』は一対の存在である。
『英雄』には身体の何処かに使命を果たすまでの間、消えない痣がある――聖痕というらしい。それは『聖女』も同じ。対となる『英雄』と全く同じ形の聖痕が現れるのだ。
私は幼いころより聖痕が発現した。
確か20歳ぐらいのころだ。
エルフが『聖女』になるのは珍しいことらしく、国中から注目を受けたことは鮮烈に記憶に焼き付いている。
お母さんはとても名誉なことだって褒めてくれたっけ。
親戚の人々もよく私の家を訪れるようになって、その度贈り物をくれた。
だけど、すぐに対である『英雄』は来てくれなかった。
当時、世界はとても平和で、国同士の小競り合いや小規模な犯罪はあったけれど、『英雄』の必要はなかったのだ。
それから100年以上の間、私は修業に励んだ。戦うための魔術はもちろん、社交マナーなども必死に学んだ。
いつか現れる『英雄』をサポートするためだ。
『英雄』と『聖女』が異性同士の場合、結ばれることが多いらしい。そして、今回、召喚される相手は男性と聞いた。
つまり、今から召喚される方が将来の旦那様になるかもしれないのだ。
――どんな人なのだろう。
つい期待に胸を躍らせてしまう。
が、すぐに冷静になろうと邪な考えを打ち払った。
異世界召喚――本来ならば、こんなやり方で『英雄』を呼び出すなんてありえない。
『英雄』は、世界が危機に瀕したとき自然と生まれるものだからだ。わざわざこんな手段をとった理由は『神託』。
平たく言えば神のお告げだ。
「今、この世界には新しく『英雄』を生み出す力が足りないようなのです。そのため、神は『異世界の力を借りよ』と仰せでした」
そう神官長が王へと上申したのは一週間ほど前のことだった。
私の聖痕を使い、対になる『英雄』を探り当て異世界より引き寄せるらしい。
とても非人道的な魔術だと思う。
異世界の彼にも、家族がいるだろうから。私たちは自分たちの都合で引き裂こうというのだ。
実際、召喚魔術は古来より禁じられている。だけど、そうしなければならない理由があるのだ。
『魔竜』――一年ほど前、エルグランド南部に突如出現した一匹のドラゴン。
たった一匹に、常駐していた軍は壊滅してしまった。当然、多くの人々が暮らしていた街も……。
釈明しておくと、エルグランドの軍隊が貧弱なわけではない。
むしろ、魔導国家として大陸に名を轟かせているほどだ。エルフは魔力の扱いに長けた種なのだ。
それがどうしてあっさりと敗戦してしまったのか。
答えは一つ。『魔竜』は全身に黒い障壁を張り巡らせているらしい。
敗走した生存者が語るには、その障壁は一切の魔術を受け付けないとか。
エルフは魔法が得意だけど、その分非力な種族。肉弾戦は苦手なのだ。実際この国では剣術はあまり発達していない。
魔法騎士という職種もあるけど、それでも基本は魔術だ。
つまり、『魔竜』には本来の実力を発揮できず叩き潰されたのだ。
結論が『英雄』召喚。
軍が大きく力を失ったことで、国中に魔物が溢れ始めている。対応は急を要していた。そもそも、神託を聞いたのも神に助けを求めてのことなのだ。
「――異世界の強靭なる魂よ、我らが望みに応え、力を与えたまえ!」
いつの間にか儀式は終わりに近づいていた。
急速に魔力が収束し、強い光が生まれる。
「いたっ!」
突然手の甲に鋭い痛みが走り、私は悲鳴を上げてしまった。
熱い。
突如熱を持ち始めたそれは、疼き始める。まるで――私にはそんな経験はないけれど――ナイフで抉られているみたい。
私の状態に関係なく、異世界召喚は発動した。
◆
俺は、頭が痛むのを無視して自分の姿を確認する。
女神は肉体を新しく構成しなおすと言っていた。それが本当なのか確かめるためだ。
――うん。問題ない。
顔を自分で見ることは出来ないが、間違いなく肉体は変わっていなかった。それどころか、服装まで学生服のままだった。
無駄に忠実に再現されている。まあ、素っ裸で放り出されるよりマシだが。
「勇人、大丈夫か……? いてて……」
強引に起き上がると、頭痛が酷くなった。
だが構わない。そんなことより親友――まあ俺が一方的にそう思っているだけなんだろうな――が大事だ。
そして、俺の目に映ったのは――
かつての面影を残したものの、間違いなく少女になった勇人だった。
「どうなってんのさぁ――!」
体躯に合わせてか声も高くなっている。澄んだ少女のソプラノボイス。
「は? は?」
思考が追い付かない。
間違いなく一番困惑しているのは勇人本人だろうが……。
想い返す。
勇人は中性的な容姿の少年だった。高校生だというのに身長は低く、大人の男へと成長しつつある同級生と比べても、弱弱しい。
その上、目立たないようにと心がけている。興味を持たない周囲には、大人しい少年程度しか印象に残らないだろう。
だが、間違いなく男だった。
男装の少女とかでもない。水泳の授業で水着になっていたのだから当たり前だ。
だが、今はどうだろう。
以前から華奢だった腕はさらに細く。
ただでさえ中性的だった顔も丸みを帯びている。黒髪も、男だったころに比べ、肩にかかるまで長くなり艶やかさを増している。完全に少女のそれだった。
何より目を引くのは――細い肢体に反して主張の激しい胸だ。勇人も服装はそのままなので、学校の夏服のカッターシャツだ。それを押し上げぴちぴちに張りつめる膨らみは、とても煽情的だった。
そこへつい目が行ってしまうのは、俺が男なのだから当然だろう。胸を張って当人には言えないが。
「『英雄』殿。よくぞお出で下さいました」
困惑している俺たちの前に一人のエルフが歩み出た。一気に群衆は落ち着きを取り戻し、場が静寂に包まれた。
まだ若い青年だった。頭上の王冠を見るに、彼が王なのだろう。
だが、よくドラマやゲームの中に出てくるような豪華絢爛な服装ではない。マントを中心とした衣服は、緑を基調としていて上品にまとまっている。決して主張しすぎないよう、シックな装飾を施されていた。
「私はこの国――エルグランドの王、リシャール・エルグランドと申します」
そして跪く。
おいおい、王がそんな簡単に足をついていいのか?
疑問を率直に口に出すと
「私たちの勝手な都合で異世界の方を巻き込んでしまったのです。礼を尽くすのは当然でしょう。それに、この国では『英雄』は王に匹敵する権力を持ちます。救世主なのですから」
心苦しそうに答えた。
彼は知らないんだろうが、俺たちを連れてきて断れない状況に追い込んだのは女神とやらだ。彼らに責任があるわけではない。
まあ黙っておく。
この状況だ。利用できるなら何でも利用しておきたい。
「霧雨 雷牙だ。こっちのが羽原 勇人」
向こうが名乗ったならこちらも応じるのが礼儀だろう。
頷くとリシャールは説明を始めた。
この国を襲っている危機だとか、エルフでは魔竜に歯が立たないだとか。
最後に、全面的なバックアップを約束する旨を公言してくれた。
「王様、どうなってるんだ? 俺の連れが女になってるんだが」
「そ、そうです、説明してください!」
俺の言葉に、先ほど叫んだあと呆然としていた勇人がハッとなった。
「それは……わかりませぬな。手違いとしか言いようがない。本来なら、一人だけをお招きする予定だったのです」
そして俺の手の甲を指さす。
「それが『英雄』の証となる聖痕です」
まるで鎖のような痣がそこにはあった。
……地球にいたころ、俺にこんな痣はなかった。女神による再構成の影響だろうか?
それにどこかで見覚えがあるような……?
「同じ痣を持つ少女を『聖女』と呼びます。カレン! カレン・スタッカート! こちらへ来なさい!」
俺の反応を無視して、王は呼んだ。
少し逡巡して、一人の少女が歩み出る。透き通るような肌をしていた。
正装なのだろう。長い金髪を結い上げ、純白のドレスに身を包んでいる。どこのお姫様だといいたくなる。
だが、彼女の顔色は蒼白だった。今にも倒れそうだ。
不調を押して現れたのだろうか。
「カレン、聖痕を見せなさい」
リシャールはカレンと呼ばれた少女に告げる。だが、カレンは手の甲をもう片方の手で押さえ、決して見せようとはしなかった。
「何をしている? ついに『英雄』と出会うことが出来たのだぞ?」
不可解な行動に苛立っているのか、リシャールの声がささくれ立つ。
「――ないのです」
業を煮やし近寄ろうとするリシャールに、カレンが言った。振るえるような声だった。
「何がだ?」
怪訝そうなリシャール。
「私の聖痕が、どこにもないのですっ!」
カレンの悲痛な叫びがこの部屋全体に響いた。