二十一話 勝てないっていうなら逃げてもいいんだ
僕が湯上りで火照った体を冷まそうと、一人で夜道を歩いていると土手沿いに出た。
瘴気と結界の境界は、夜になってもくっきりとしていてわかりやすかった。
すると
「お、勇人」
雷牙に出会った。見れば彼もお風呂に入ったばかりなのか、肌が上気している。
この村はあまり被害を受けていないので、複数のお風呂が健在である。
なので、リゼル同様汗をかいた雷牙が、僕たちと同じ時間帯にお風呂へ向かうのは必然といえた。
「やあ、雷牙。さっきはこっぴどくやられたみたいだね」
と僕はにやり。
ちなみに僕とカレンさん、リゼルの女性陣は村長さんの家に泊まらせてもらっている。ああ、村長さんといっても代理ではない、すでに亡くなった方だ。
村長代理は独身のため女性を止めるには不適当だし、かといって貴族であるカレンさんと『聖女』の僕を泊めるのはほかの村人たちにとって気後れするものだったらしい。
結果、元村長宅である空き家に宿泊することとなった。元々、リゼルが滞在中の宿泊先として使わせてもらっていたのも幸いした。
「うるせ、相性が悪いんだよ」
とぶっきらぼうに答え、土手沿いに腰を落ち着ける。
僕も同じように座り込むのを見ると
「でも、まだまだ実力が足りないのは事実だ」
と続けた。
「……そうだね、ブラッドオーガと戦っていたとき、危なかったって聞いた」
「ああ、ガラティーンを取られたとき、正直、もうだめかと思ったぜ」
彼は手をぷらぷらさせる。
「ねえ、雷牙」
一度前置きをして、僕は重い口を開く。
「別に、戦わなくてもいいんだよ?」
◆
「別に、戦わなくてもいいんだよ?」
勇人の一言は俺に、ガツンと頭を殴りつけられたような衝撃を与えた。
「……どういうことだよ」
意味が分からず、問い返す。
「女神が、僕たちをこの世界に送るときなんて言っていたか覚えてる?」
「そりゃ、覚えてるさ」
「『確実に勝てる』なんて言ってたけど、嘘だ。まだ旅路の半分の時点で危なかったんだ。リゼルが来てくれなきゃどうなっていたかわからない」
俺を強い視線で睨み付けながら
「まだ引き返せる。カレンさんたちと君は違う。この国の、別の世界のために命を懸ける義務はないんだ」
「勇人も、乗り気だっただろ!?」
信じられないことを喋る勇人に、つい語気が熱くなった。
王城を旅立ったときは、あんなに乗り気だったじゃないか。それをたった一度危なかっただけで……。
「あのときは、もっと簡単だと考えていたんだ。女神の言葉を――あんなことされていうのもおかしいけど、信じていたんだ。雷牙一人で『魔竜』までたどり着けると思っていたし、カレンさんが来てくれたなら心配ないって」
「俺が弱いからだっていうのか?」
苛立つ心を抑えきれない。
「違う……。怖いんだ。君が帰ってこない可能性を考えるのが」
勇人の瞳が揺れる。
「弱いっていうなら、弱いのは僕の心だよ」
そして、笑う。儚げで、触れれば壊れてしまいそうなほど弱弱しい。
――っ。
息が詰まる。
そんな勇人を見て、俺は――
「逃げて、逃げてどうなるってんだ」
と呟くしかなかった。
「『魔竜』が、いつまでエルグランドに留まるかなんて確証もないだろ。一年間で被害が南部だけなのも奇跡みたいなもんだし、それに、この村の人たちもどうなる?」
冷静に、諭すように続ける俺。
「本当の、『英雄』を待てばいい。レギオニアを救ったっていう『英雄』と、『聖女』。僕たちは異世界から無理やり連れてこられた仮初のそれだ。すでに女神のいうことが怪しい今、『魔竜』に勝てるかも怪しいんだよ」
勇人は、ただ逃げろという。
言っていることが無茶苦茶だ。それじゃこの村の人たちは間違いなく死ぬ。
恐らく、今の彼女は、とても不安定なのだろう。
そんな俺の視線に気づいたのか
「――ごめん。本当に、逃げたいのは多分、僕なんだ」
それだけ言って、勇人は目を伏せた。
小刻みに肩が震えている。
「僕は何のために呼ばれたんだろう。この世界に来てからずっと、そんなことを考えてる。君たちに守られ、隠れているだけの僕。……この先を考えると、怖くて何もかも捨てて逃げ出したくなる」
身近な人を失った心理的外傷と、それに縛られ戦えない勇人。そんな彼女は、俺たちが魔物と戦ってる間、自分の不安と戦っていたのかもしれなかった。
「大丈夫だ」
勇人を安心させるのが先決と考え、俺は宥める。
欲を言えば抱き寄せたいくらいだが、そんなことをしたら間違いなく嫌われる。
「大丈夫って、何が?」
「俺は死なないよ。少なくとも、お前を置いては死なない」
「あはは。何の証拠もないよ、それは」
俺のいうことすべてを否定する勇人。
彼女から漏れるのは乾いた笑い。いつものこいつなら、もっと自信満々で、呆れたように言うはずなのに。
だから、俺は言うんだ。
「いや、だって告白したしな」
「――は?」
勇人は一瞬フリーズ。
「旅が終わるまでの間、『誠意』を見せてもらうんだろ? なら俺は、それを示してお前の返事を聞くまでは死なない」
風呂上りより真っ赤になった彼女は
「ななな、信じられるか、そんなのっ!」
「お前さ、『何があっても僕を絶対に信じること』って言っただろ?」
「確かに言ったよ」
「なら、お前も俺を信じろ」
ここで一区切り。
彼女の不安を取り除くためにも、ここで外すわけにはいかない。
「お前のことが好きな俺を、お前も信じろ」
信じてもらえるよう、彼女の瞳を、強く覗き込む。
たった数秒のことだったかもしれない。だが、俺にとっては永遠ともいえるような時間が過ぎ――
「……わかったよ。君は僕より先に死なない。四つ目の約束だ」
新たな『誠意』が付け加えられた。