十七話 希望だっていうなら失わせるなよ
さて、僕たちが廃村で休んでからさらに二週間ほどが経過していた。
カレンさんが言うには、『魔竜』の予想地点まで残り半分といったところらしい。
瘴気の中心点に近づくにつれ、更に魔物は強大になっていく。
力だけではない。警戒心……いや、あれはもはや害意と言っていいだろう。凶暴さも強くなっていった。
瘴気に狂った魔物は、僕たちの気配を察した途端、急速に接近してくる。
まるで、『魔竜』の外敵を排除するかのように……。
僕は観戦しているわけではないので何とも言えないけど、雷牙が言うには
「倒すのはなんとかなるけど、連戦だとキツイ」
とのことだ。
実際、一日に三、四戦は当たり前になってきている。
僕も、血が怖いから離れているなんて悠長なことは言っていられない。
離れたところを襲われる可能性が高いからだ。
出来る限り、耳を塞ぎ、目を背ける。
ただでさえ足手まといだというのに庇われる。
それが僕の現状だった。
◆
そうして進み続けているとカレンさんが
「このあたりにも村があったはずです」
と進言してきた。
エルナ村というらしい。葡萄の名産地として有名だったとか。
僕たちは頷く。
当然生存者を期待してではない。
瘴気の外側に近い地で、あの有様だったのだ。避難していなければ、生存は絶望的だろう。
僕たちは、最初の村以外にも何度も廃村を宿として利用した。
逃げ遅れたのだろう。幾度となく死体を目にすることになった。
特に幼い子供のそれは……。
それでも僕たちは雨露をしのぎ、疲れを癒したかった。
口はしないものの、全員が同じ考えだったと思う。
それほど疲弊し始めていた。
罪悪感を覚える暇もなかった。
◆
エルナ村へ向かった僕たちが目にしたのは信じられない光景だった。
「村に……人がいる……?」
雷牙の口から言葉が漏れた。
驚いているのは当然彼一人ではない。僕たちもだ。
村はドーム状の光に覆われていた。光は瘴気を通さないようで、内部には正常な空気が保たれているのが見えた。
村人たちは鍬や鎌を持って駆け回っていた。
中には騎士装束を身に着けた、槍を持った男たちも数人いた。
けれど、安心するのはまだだった。
「ぐああっ!」
悲鳴が響く。
決して、彼らは僕たちを出迎えるために外にいたのではない。
ドームを襲う外敵を排除するため、武器を手にしていたのだった。
「あれは、ブラッドオーガです!」
カレンさんが叫んだ。
「ガァァ――――ッ!」
ドームを砕かんと接近していたオーガは、力いっぱい容赦なく村人を殴りつけた。
一度大きくバウンドした後、そのまま動かなくなった。
大地に落とされたザクロのように、血が、溢れ出ていく。
新たな目標――僕たちのことだ――を目にし、鮮血のように赤い肌をした大鬼が吠える。
カレンさんが手早く説明してくれる。ブラッドオーガは高位の魔物らしい。
知能は低く、魔法は使えない。
それだけ言えば雑魚としか思えないだろう。
だが、裏を返せば、知能が低くても、高位と認められるだけの力を持つということだ。
ブラッドオーガが手にした棍棒を振り回すだけで、暴風が巻き起こる。
圧倒的な暴力。
ただその言葉だけが相応しかった。
「くそっ、迎撃するぞ!」
鮮血の大鬼は一匹だけではなかった。
ざっと見て五匹。
一撃が致命傷となる相手だ。数の不利は大きく影響する。
「勇人は下がってろ!」
こんな時でも気遣ってくれる雷牙に感謝しつつ、僕は一目散にドームの内部へと逃げ込んだ。
気が緩むと
「うぅ……おぇ……」
途端に吐き気がこみあげてきた。
頭がくらくらする。
僕はためらうことなく、胃の中のものをすべて吐き出した。
◆
勇人が無事村へと避難したのを確認すると、俺はブラッドオーガへと向き直る。
手にはガラティーン。旅に出て一週間ほどなのに、幾度となく戦場を潜り抜けた相棒。
もう完全に俺の身体の一部へと化している。
背後にはカレン。
魔術を駆使した援護を行う、頼れる後衛だ。
――いけるか?
相対しながら、俺は、明らかに今までの魔物と違うものを感じていた。
オーガを例えるなら、知性の全く感じられない、野生。
瘴気によって進化した存在は、狂気に蝕まれるという。
元々知力は低い種だというのに、更に劣化したそれは、単なる攻撃衝動の塊だ。
だがそれ故に厄介。
傷つくことを恐れず、ただ破壊だけを求める相手はやりづらい。
『英雄』の力を得て鋭敏になった俺の感覚は、敵の戦力を無意識のうちに測ってしまう。
数が互角――いや、二対四ぐらいなら何とかなったと思う。
だが、現実は二対五。もしかしたら増援すら考えられる。
村にいた騎士たちは頼りにならない。
王都にいた兵たちより強いということは、まずないだろう。彼らを基準にして考えれば、オーガと相対した一瞬後には血と肉の塊となり果てるだろう。
もしブラッドオーガが村へ向かおうとしたら――嫌な考えばかりが頭を駆け巡る。
この世界に来て初めて、俺は危機というものを感じていた。
「やるしかないだろっ!」
やらなきゃ死ぬ。
それだけだ。
自分に言い聞かせるように喝を入れ、ネガティブな思考を頭から打ち払う。
「いくぞ!」
魔力を通電させたガラティーンを振りかぶり、俺は近接戦を挑む――!
「はいっ!」
カレンが応え
「風よ、雷を呼び、槍となりて、我が敵を貫け! 【雷槍】!」
呪文を高らかに叫ぶ!
ガラティーンは、魔力により切れ味を増す魔剣だ。
バターを引き裂くようにあっさりと棍棒を引き裂き、オーガの肉へと襲いかかる。
――浅い。
傷を負わせたものの、致命傷ではない。
だがその一瞬後を、【雷槍】が貫いた。
オーガは感電し、ぶすぶすと黒い煙を出しながら崩れ落ちた。
――一匹!
二匹目を見定めると、疾走。
今度は心臓目がけ突きを繰り出す。
単なる子供だと思ってか、舐めていたのだろう。
急所を貫かれてはひとたまりもないのか、あっさりと崩れ落ちた。
――二匹目!
俺はまだ止まらない。
加速し、聖剣を三匹目の顔面へ――
三匹目の大鬼は、ニヤリと笑った。
「なっ――」
背筋に怖気が走るも、引き返す暇はない。
ままよと思い、そのまま聖剣を振り下ろす。
俺の懸念を嘲笑うかのように、ガラティーンはオーガを頭から一刀両断――することなく、胸のあたりで何かに引っかかったように固定された。
死に際、筋肉を収縮させ、刃を巻き取る。そんな命がけどころか、命を投げ捨てた下策だった。
死んだはずなのに抜けない。
「くそっ!」
俺へと一斉に襲いかかる四匹目と五匹目のオーガが見えた。
諦めガラティーンから手を離すと、振り下ろされる二匹の棍棒から逃れるため、俺は退いた。
――すべてはこの一瞬のため? そんな馬鹿な。
俺の得物を奪い取るために、三匹を犠牲にして隙を作ったと?
それはもう、個体の思考じゃない。群れの思考だ。
うすら寒いものを感じながら、逃げ回る。
ガラティーンを失った俺は、やつらの一撃を受けられない。
カレンは――
目をやれば、援護のため魔術を何度も打ち出すものの、目まぐるしく移り変わる戦場についていけていなかった。
魔法というのは、呪文を詠唱する都合、どうしても数瞬の間が開いてしまう。
距離の空いた状況なら問題ないものの、現状では致命的だ。下手をすれば、俺ごと誤射で貫いてしまう。
それは俺も同じ。魔法を使おうとした一瞬、隙が生まれオーガの一撃を受けるだろう。
――どうすればいい、どうすれば――。
焦る俺。
容赦なく迫りくるブラッドオーガ。
戦場に響いたのは
「おっまたせーっ!」
底抜けに明るい少女の声だった。