十四話 廃屋だっていうなら休憩させろ
予想よりもあっさりとエレフィア山脈を抜けることが出来た。
勇人の【索敵】のおかげだ。怪しげな反応には近づかず、木陰に身を潜めることで出来る限り戦闘を避ける。
本人が言うには、瘴気が影響して索敵範囲が狭まったらしいのだが、十分効果を発揮していた。
俺は、連携の練習や力試しも兼ねて少しは戦うべきではないか、と発言をしてみたものの
「ゲームじゃないんだ。雑魚と戦ってもレベルは上がらない。それより『魔竜』の元へ急ぐべきだよ」
という勇人の鶴の一声で方針が決まった。
山脈を抜けた先は、木々が生い茂っていた。
エルグランド南部は肥沃な土地で、森の資源や農作物が豊富だったという。その恩恵に与りエルフたちは栄え、王都に勝るとも劣らない豊かさだったらしい。
だが、今は見る影もない。
瘴気に侵された森に巣食うのは、優しげに歌う小鳥たちではなく、不気味に蠢く魔物だけだ。
瘴気による視界の悪さで方向感覚を失いそうになる。
カレンの持つコンパスを頼りに最後に『魔竜』が出現したというポイントに向けて進む。
そして、数日が経過した。
◆
俺たちは、途中にある農村へと立ち寄ることにした。
進路から少しだけずれたところにあるのだが
「もしかしたら逃げ遅れた民がいるかもしれません」
そうカレンが提言したのだ。
逡巡し、俺と勇人は賛同した。
「こいつは、酷いな」
俺の呟きに、カレンが頷く。
「ええ……、民が一人もいません……」
村は、完全に放棄されていた。
民家の屋根は崩れ落ち、畑は踏み荒らされていた。
南部の、最も『魔竜』から離れているだろう村がこの惨状である。生存者は絶望的に思えた。
「でも、死体はない」
勇人はきっぱりと言った。
「全員逃げ延びた。そう信じる方が、幸せだと思うよ」
事実、村人の遺体は見つからなかった。
俺たちは、彼らが無事山脈を越えられたことを願い、黙祷をささげ――
「火事場泥棒みたいで気が引けるけど、使えそうなものは拝借して行こう」
勇人の提案に従った。
◆
残念ながら、あまり有用そうなものは見つからなかった。
村人たちも財産は持ち出しただろうから当然である。
しかし、少しばかりの食糧を見つけ出すことは出来た。
屋内は動物や魔物に荒らされた形跡はあったものの、地下の氷室に蓄えられた保存食などは無事だった。
どうしても旅先で採取頼りだと、レパートリーが固定されてくる。
久々に豪華な食事が楽しめそうだと、俺たちは期待に震えた。
「日が暮れそうだし、今日はここで休んでいこうか」
「異議なし」
「そうですね……申し訳ないですが、お借りしましょう」
今度の提案も、すぐに可決された。
出来るだけましな廃屋を見つくろう。幸いなことに、被害が軽微な家屋が二件すぐに見つかった。
そして勇人は戦利品を片手に調理に取り掛かった。
旅の初日に手に入れた鹿肉の最後の一欠けら。そこにハーブやキノコ、つい先ほど手に入れたチーズなどを投入したグラタンだった。チーズが焦げる匂いが香ばしい。
腹いっぱい食べた俺は、つい
「久々にまともな食事にありついた気がする」
と漏らしてしまった。
すると
「今まで食べたのがまともじゃないっていうなら、もう作らないよ」
と勇人は拗ねたように答えた。
「すまん、そういう意味じゃないんだが……」
俺は慌てて平謝り。
しかし、勇人はむくれたままだった。
土下座するべきかと額をこすり付けようとしたところで、彼女は
「冗談だよ。確かに、満足いく食事を作れたのは随分久しぶりだと思う」
と告げ
「まさかそこまでするとはね」
鈴の音のような笑い声を立てた。
「いや、勇人の飯はいつ食っても旨い。それを食わせてもらえなくなるのは辛いからな」
「あの、そんなに雷牙様はユートさんのお食事を頂いているのですか?」
俺が神妙な顔をしていると、カレンが訊いてきた。
「ああ、向こうでは月に一回ぐらい泊まりに行ってたから」
「と、泊まり……!?」
「僕が嫌だっていっても無理やり押し掛けてくるんです」
「嫌だといっても無理やり……」
何やら考え込むと真っ赤になる。
「カレン、顔が赤いけど、風邪でも引いたのか? 普段のテントは冷えるからなあ」
俺が覗き込むと、更に赤みが増していく。
「雷牙、顔が近いよ」
「あ、すまん」
勇人に指摘され、慌てて顔を離す。
「この家にはお風呂もあるみたいだ。幸運なことに風呂釜は無事みたいだし、体調を崩さないよう、温まってから寝よう」
本日三度目の勇人からの提案。
カレンの顔がパッと明るくなる。
やはり、箱入り娘の彼女には、体を拭くだけで済ませる毎日は苦痛だったらしい。
◆
――そういえば、屋内で休むのは、久しぶりなんだな。
俺は、満腹になった腹を撫で、風に震えることない壁と屋根に安心を覚えながら思考する。
ふと、テントで就寝するのが当たり前に感じつつある自分に驚き、そして苦笑した。
テントなど、中学生二年生のころの林間学校で一度使ったきりだったというのに。
そして、あの頃を想い返す。
◆
俺は、周囲に林間学校の実行委員へ推薦され、推されるまま就任してしまった。いつもならば余裕でこなせるのだが、そのときばかりは駄目だった。
親から出された課題のためだ。
高校卒業までに預けた金を百倍にしろというバカげたそれは、実のところ全く上手くいっていなかったのだ。
最初の一年は上手く回っていた。
多分ビギナーズラックもあったのだろう。手堅く投資し、こつこつと資産を増やしていった。このペースを続ければ、五年もあるのだから順調に達成できると高をくくっていた。
しかし、二年目から調子が狂い始めた。甘く見た俺は、調子に乗り惨敗。たった一晩にして資産の九割を溶かしてしまった。
俺の心は折れた。驚くほど簡単に、あっさり、べっきりと。
親の期待に応えなければならない。そう急かす心と、結果がついて行かない現実。
普段購読していた経済新聞を見るだけで苦いものが込み上げてきたのは、今なお鮮烈に覚えている。
だが、それを周りの友人に打ち明けられるはずがない。
俺は普通のサラリーマンの家庭で暮らしていることになっていたし、もし事実を知っていても、学生なんだ。そんな話相談された方も困るだろう。あまりに現実離れしすぎている。
本当はずたぼろなのに、必死で外面だけを取り繕っていたのが当時の俺だった。
明るくて、クラスのムードメーカーで、頼まれたらノーとは言わない。
そんな都合のいい存在の俺。
自分を自分で定義づけて、縛られていた。
そこに現れたのが勇人だった。
当時の俺からすれば、一切目立たない変な奴程度の認識だった。
つい俺はいつものように声をかけた。
「どうしたんだ? 一人だけど、何か困っているのか?」
「別に。何も困ってないよ。君の方こそ、顔色を窺ってばかりで何に困ってるの? 別に、君が思うほど周囲は君のことを気にしていないよ」
そういってすたすた立ち去ってしまった。
一刀両断だった。親切で声をかけたのに、こんな返しをされたら、普通は怒るだろう。
だが、俺は何故か胸がすく思いだった。
――顔色を窺ってばかりで何に困ってるの?
図星だった。
俺は、困り果てていた。人の期待を裏切り失望されるのが怖くて仕方がなかったのだ。
――君が思うほど周囲は君のことを気にしていないよ。
本当にそうなのだろうか?
でも。
でも、そう考えた方が、こんなおどおどした生き方よりずっと楽しい。
俺はそう思ったのだ。
◆
「――何考えてるの?」
「うおわっ!」
思い出に浸っていたところを後ろからつつかれ、俺は情けない声を上げる。
勇人だった。
「まさか、カレンさんの入浴姿とか想像してたんじゃ……」
「違うわっ!」
カレンは早々に風呂へ行ってしまった。
じゃんけんで順番を決めることになり、一発目で一抜けしてしまった。余談だが、この世界にはじゃんけんに相当する遊びがないらしい。
ルールを教えてあげると、興味深そうに考え込んでいた。
「昔のことだよ」
なぜか無性に恥ずかしくなり、顔を背けながら呟いた。
黒歴史を掘り返しているところを覗かれた気分だ。
「……家族が心配?」
少し熱っぽい目で、見上げるようにして勇人が言った。
俺は……。
「別に。まだ課題はクリアできてなかったしな。縁を切られたもんだと思って、とっくに諦めてるよ」
少し早口でそう答えた。
もしかして M