十一話 旅先だっていうなら風呂は我慢しろ
昼食を終えた僕たちは、目的地であるエルグランド南部へと向かう。
僕は、普段と比べ上機嫌だった。
自分の作った食事を、残さず食べてもらうのは悪い気分ではない。むしろ快感だと言っていいだろう。自炊して一人で食べるのが日常だったから尚更だ。
鼻歌交じりになりそうなのをなんとか堪えた。
三時間ほど歩いたので小休止をとり、また歩き始める。
出立の際、「目的の方角はすぐにわかる」と言われていたのだけれど、その理由を僕たちは思い知ることになった。
――まだ遠いけれど、山の向こうが黒い靄に覆われている。
カレンさんが言うには『魔竜』の生み出す瘴気らしい。
瘴気は毒のようなものだ。抵抗できなければ、恐ろしく簡単に命を奪うという。
不幸中の幸いというべきか、エルフは魔力の扱いに長けた種族だ。短い間ならば耐えることが出来るはずだ。
だけど、すでに『魔竜』が現れてから一年が経過している。
……『魔竜』に近づけば近づくほど、生存者の確率は減っていく。
祓う方法を聞いてみたが、エルフの知恵ですらわからないようだ。
僕たちにできるのは、一刻も早く『魔竜』を討伐することだけ。
歩み続ける僕たちを、沈黙が支配する。
カレンは沈痛な表情だったし、雷牙も何かを考え込んでいる。そして僕はこういうとき、場を和ませるタイプではない。
【索敵】に集中することにした。
◆
そして、夜になった。
大分、先ほどの山へと近づいてきた。明日には瘴気の中へと入ることが出来るだろう。
雷牙は、少しでも早く『魔竜』へ向かおうと、夜間行軍を希望した。
だが、僕とカレンさんが「休むことも大事だ」と諭すと、大人しく従った。僕は兎も角、当事者である彼女が言うのだから、雷牙も逆らうのは難しかったのだと思う。
夕食は、昼食より豪華だった。
瘴気から逃れるために山を降り、行き場を失くした野生動物が多かったからだ。僕に待機するよう告げると、二人は狩りへ向かった。
流石に鹿を背負ってきたときは驚いた。
図鑑を読んだ時にわかっていたのだけど、この世界の動物は、地球の動物と似たような種類が多い。魔力のある世界でも、環境が近ければ生物の進化は似通ってくるのかもしれない。
カレンさんと「鹿」という名前で通じたのは、多分、女神のつけた翻訳効果の影響だと思う。
野菜の話題で「サツマイモ」という単語が出てきたのは驚いたけど。
この世界に薩摩はないだろう。確かにサツマイモそっくりの品種だったけど、意訳にもほどがある。
鹿の解体は苦戦した。僕にそんな経験はない。
この辺りを切ればいいのかなー、なんて適当にすすっと刃を入れていく。
それでも何とかなるぐらい、ミスリル刃の切れ味は凄まじい。
動物を捌いてていると、父の友人のおじさんが猟師をしていたのを思い出す。駆け落ちして頼るところのなかったお父さんに、職などの便宜を図ってくれた人らしい。
当時、五歳だった僕に見せるようなものではないと思うけど、自慢したかったのだろう。何度か捌くところを見せてもらった。意外と覚えているものだ。
もしかしたら、幸せだったころの記憶なので焼き付いているのかもしれない。
六歳の時、おじさんは病気で逝ってしまった。その一年後、両親の事故があるのだから悪いことは重なるものだ。
まあ、ミスリルの包丁の切れ味に任せてバラバラにすることだけは出来た。
骨付きのそれを、火で炙り食らいつく。
カレンさんは少し引いていたので、これからは野菜中心の食事も別に作る必要があるかもしれない。
食べ盛りとはいえ男が一人では、流石に一食で片づけることは出来なかった。
残りをカレンさんの魔術で凍りつかせ、鍋の中に突っ込んでおく。凍らせるだけなら低位の魔術なのだが、今回カレンさんが施した術は特殊なもので、術者の意思がなければ解けないのだという。
保存する方法が思いつかず、捨てるしかないかと思っていたのでありがたい。
残念ながら、お風呂はどうしようもなかった。
お湯は魔法で用意できるけど、肝心の風呂桶がない。毎日入浴するのが当たり前だった日本人としてはつらいものがある。
あ、お城では毎日お風呂に入れた。この世界では体を拭くだけで済ませる人間が多いらしいけど、エルフは別だ。魔術で簡単に用意できるからだ。桶さえあれば誰でも入ることが出来る。
カレンさんが言うには、旅先では【浄化】の魔法で我慢するのだという。身体の汚れだけでなく、衣服も洗浄してくれるらしく、とても衛生的だ。
でも、なんとなく気持ち悪い。
なので、気休め程度に布をお湯で湿らせ拭くことにした。
当然雷牙は席を外してもらう。
カレンさんも同意してくれた。
リラックスして眠るのに良いと考えたみたいだった。
「ユート様、ご一緒しませんか?」
なんて言われたけど……流石に断った。
カレンさんは女の僕しか知らないのだから、かつて男だったと言われても、現実感がなく同性気分なのだろう。
一方僕は、見れるものなら見たいが、何故だかとても強い後ろめたさを感じてしまったのだ。
多分、自分を偽って無防備な女性に忍び寄るような気分になってしまったのだと思う。
一週間の間、風呂や着替えのたび目撃する自分の裸体ですら目を背けてしまったのだから。
カレンさんが体を拭いている間、僕は女性用テントの前に座り込んでいた。
門番のようなものである。
まあ、雷牙が覗きに来るとは思わないけど。
あいつは覗くぐらいなら、見せろと言ってくるタイプだろう。あくまで僕の偏見だが。
……本来ならテントは一個しか持ってくる予定ではなかった。
雷牙と僕の二人で一つのテントを使うつもりだったのだ。荷物の準備の時、カレンさんに「それでは同衾になってしまうのでは」と言われ、慌てて二つ目を追加した。
僕は時々、体が女だということを忘れてしまう。
少し前の僕なら、相手が雷牙なら問題ないかと思っただろうが、告白の直後である。それも「俺の子を産め」と言われた。
――いや、少し違ったかな?
まあ、どちらにしろ貞操の危機を感じずにはいられなかった。
カレンさんがついて来たことを考えると、結果的に幸運だったとおもう。彼女が危ないし、何より三人で使うには狭い。
「終わりましたよ。交代しましょう」
カレンさんの言葉に、僕は思考を一端中断させる。
僕の番だ。
「ふぅ」
テントに入ると、旅装をするすると解いていく。下着も外すと、手拭いをお湯で湿らせた。
そして、肌へとこすり付けていく。まずは顔、そして肩――胸。
「んっ……」
つい声が漏れそうになるのを、テントの向こう側にカレンさんがいることを考え潜める。
女神の介在で作り変えられたこの肉体は、無駄に敏感だ。少しのことに反応してしまう。不愉快この上なかった。
なんとか全身を拭き終わると、旅装よりも着心地のいい寝巻を纏う。旅装は今のうちに【浄化】で清めておく。
これで、ようやく一安心。