水の章 クランバトル編 一回戦Ⅴ
○ 日常における「舞」
(マリエ)
そもそも。
皆は、私がフィーブルとの戦いで「舞」を披露していないと思っている。
ここが一番の認識の違いを産んでいるのよ。
(マザー)
それでは…。
あの戦いの中で、マリエさんは「舞」をきちんと披露していた。
しかし、私達はそれに気付かなかった。
そういうことになりますか?
(マリエ)
ええ。正にその通りね。
マリエさんは自信満々に言い切っている。
しかし、俺達は試合をずっと見ていた。
その中では、一度もマリエさんが踊っている姿を見ていない気がするのだが…。
(リナ)
うっそだ~!
マリ姉嘘ついてるよ!
私達は、ちゃんとマリ姉の戦い見てたもん!
けど、マリ姉が踊っている所、見た人が誰もいないなんておかしーじゃんか!
マリ姉、私達になんか隠し事してるでしょ!?
ズバリと聞くリナの性格。
こういう時には、ホントに頼りになるね。
クスクス…。
マリエさんは、また扇で口元を隠し笑っている。
(マリエ)
ごめんなさいね。
隠し事はしていないのよ。
さっきも話したけれど、そもそもね。
きっと皆と私には「舞」に対する、大きな認識の違いがあるのよ。
(レイナ)
私達が認識する「舞」は、以前にマリエさんが見せてくれた、音やリズムなんかに合わせて、ホントに踊るといった感じのものですよね~。
マリエさんの「舞」は、そうではないのですか?
(マリエ)
もちろん、私の中でもそれは「舞」に含まれるし、「舞」のメインの姿だと思うわ。
(悠)
メインの姿…。
つまりは、俺達が「舞」として認識している姿。
それはメインの姿で。
それ以外にも、マリエさんが言う「舞」が存在する…。ってことになるのかな?
(マリエ)
その通り。
「舞」には音やリズムに合わせて披露する、正に「躍り」としての姿がある。
そして、それ以外の姿も存在する。
それは、いわゆる日常の所作。
「立ち振舞い」と呼ばれる姿よ。
(マザー)
「立ち振舞い」!?躍り自体ではなく!?
身振りや手振りと言うことですか!?
それだけの動きが、精霊と交信し得る程の「舞」に含まれるというのですか?
立ち振舞いは、「舞」を美しく見せる、動作の中の一部でしょう?
そんなの…。
その程度の。正に動作で魔力を得るなんて…。
確かに漢字は似ていますが…。
にわかには信じられない…。
ただのこじつけではないのですか!?
マザーが驚きの声をあげた。
無理もない。
いくらなんでも「立ち振舞い」を躍りの「舞」と同レベルに結びつけるなんて…。
誰一人予想をしていなかった事なのだから。
(悠)
マリエさん。
今の話は本当なんですか?
その~。
「立ち振舞い」に、躍りの「舞」と同じ効果の様なものが。
ホントにあると?
俺は恐る恐るマリエさんに質問をした。
マリエさんは、躍りに関して相当なプライドをもっている。こちらが嘘をついていると決め付けるのは、彼女のそういったプライドを、傷付ける可能性があると思ったからだ。
(マリエ)
ええ。あるわ。
むしろ「舞」を綺麗に見せるための、必要条件とも言えるわね。
マリエさんの解答は揺るぎなかった。
現に彼女は、「立ち振舞い」を利用し、魔力を得ていた様だし…。
彼女が、嘘をついている訳では無いようだ。
(レイナ)
確かに~。
マリエさんが強く魔力を練っていたのは、観客の皆さんに扇を使用しながら、アピールをしていた時でした~。
ああ言った「立ち振舞い」が、「舞」の一部だとすれば説明はつきます~。
(悠)
観客へのアピール…。
サービスを「振る舞って」いる?
何だかどうもしっくり来ないな~。
(マリエ)
難しく考えすぎよ。
私も決して「立ち振舞い」=「舞」とは考えていないわ。
「立ち振舞い」は、あくまで「舞」を綺麗に見せるための構成部位よ。
だから、練られる魔力は微弱だし、魔法の出力にも時間を有したのだから。
「立ち振舞い」は、相手に何かを振る舞う、とは違うのよ。
「舞」における、表情や手の動き、指先や体の向き。相手を「舞」に引き込むための、ホントに小さな所作の部分よ。
ほら、テレビとかで「女形」の人が、女性の仕草を真似てみたり、体の動きを研究したりしているの。見たことがないかしら?
指先までも美しく見せる。
彼らはそうやって「女性」を表現している。
「舞」というのは、そういった細かい一つ一つの動作が組み合わさって、始めて美しく見える。
「舞」は、そういった「立ち振舞い」が積み重なって、始めて産まれる姿とも言えるのよ。
マリエさんは、「舞」について、自分の解釈を詳しく説明してくれた。
けれど…。
(リナ)
う~ん。分かったような。
分からないような?
どれが「舞」で、どれが「立ち振舞い」なのか。
私達に見ても分かるのかなぁ?
リナは、首をかしげ、正に頭に?マークをつけているようだ。
それを見て、マリエさんは再びクスクスと笑う。
(マリエ)
リナちゃん。それでいいのよ。
踊り手以外は分からない。
「立ち振舞い」なんて、演者の勝手なこだわりみたいな物なのよ。
(リナ)
な~んだ。
そしたら私達素人には、分かりっこない訳ね~。
(マリエ)
うん。けれどね。
(リナ)
え?
(マリエ)
相手には、いつ魔力を練ったのかが分からない。
私はこれは、バトルにおいて大きなアドバンテージになる、と思っているわ。
マリエさんの表情が、真剣なものに変わった。
マリエさんがこれまで話してきた内容が、全てこの結論に収束されるということだろう。
(悠)
確かにな。
相手から見てれば、普通の会話や、少し大袈裟な仕草にしか見えない。
一般的な、
「はい。私、今魔力練ってます」という時間が、相手からは確認出来ない、という訳か。
(マザー)
簡単な様に言っていますが、これは相手からしたら、脅威以外の何物でもありませんね。
魔力を練っているのが確認できれば、相手の攻撃のタイプや、発動のタイミングを意識することが出来る。
しかし、マリエさんの場合は、実際は魔力を練っているのに、それが確認できないのですから。
相手からすると、いきなりノーモーションで、魔法に晒される訳だ。
フィーブル氏のように、何も気付かずに拘束されても仕方がない。
何せ予想すら出来ないのだから…。
レイナさんが気付けたのも、マリエさんの微弱な魔力の流れを感知できたから。
でも、これは現実的な防ぎ方じゃない。
レイナさんレベルの魔法使いなんて、滅多に存在しないのだから…。
つまりは…。
(悠)
誰にも防ぎようがない。
発動にさえ気付かず。
成す術もなくやられるのがオチ。
ということなんだな。
事態を理解し、一瞬俺達の中で空気が止まる。
マリエさんの能力の凄さに、思わず息を飲んだのだ。
(レイナ)
やっぱり!マリエさんは凄いです!
踊りも美しく、戦っても強いなんて!
正に完璧な女性です~!
レイナが無邪気に静寂を破った。
レイナは、いつも以上に目を輝かせ、マリエさんを見つめている。
今の考察だけで、マリエさんが如何に強いのか。
誰しもが、認識することとなった。
ホントに、ウチの女性陣は凄い人ばかりだ。
どんどん頭が上がらなくなってきた…。
(マリエ)
レイナちゃん。誉めてくれてありがとう。
けれど、さっきも話したけど、このやり方が完璧と言うわけではないのよ。
(悠)
と、いいますと?
(マリエ)
まず第1に、練られる魔力が微量なの。
きちんとした「舞」であれば、精霊との交信も強く深くなるから、魔力も沢山得られるのよ。
けれど、流石に「立ち振舞い」レベルでは、この子(扇)と少し会話する程度なの。
だから、一度に大量の魔力を得ることは出来ないのよ。
(悠)
精霊との交流の「強さ・深さ」か…。
この感覚は、実際に体験した人じゃないと分かりそうもないな。
(マリエ)
そうね。ここはあくまで感覚的な部分。
誰しもが理解できるとは思ってないわ。
そして、もう一つ問題がある。
それは、魔法が出力出来るまでの魔力は、この子の中に貯めておかなくてはいけない。
つまり、一気に出力出来ない分、魔力を何処かに貯めて隠す必要がある。
正直、やってみてこれが一番大変だったわ。
(マザー)
つまりは…。
マリエさんは、「立ち振舞い」で得た小さな魔力を、徐々に心具の中に貯めていった。
そして、魔力が充分に貯まったのを確認した後、フィーブル氏に向け魔法を発動させた。
ということでしょうか?
(マリエ)
ええ。正にその通りよ。
(レイナ)
フィーブルさんを指差した瞬間ですね!
あの時が一番魔力の揺らぎを感じましたから~!
(マリエ)
そこを含めて、うまく隠したつもりなんだけど。
やっぱりレイナちゃんには敵わなかったわね。
少し残念だわ。
私もまだまだ、皆みたいなトレーニングが必要ね。
マリエさんは、少しがっかりした様子で空を見上げていた。
(レイナ)
ご、ごめんなさい~。
でも、マリエさんが凄いのは本当です~!
私なんかよりもずっと凄いです~!
レイナはマリエさんの様子を見て、慌ててフォローしたようだ。
レイナはいつも周りの空気を気にしているので、疲れてしまわないかと少し心配になる。
マリエさんもそれに気付き、気にしないようにとレイナに笑顔で手を降っていた。
(悠)
さて、マリエさんの戦いは大体こんな感じだったみたいだけど…。
マザーさん。感想はこれいかに?
俺は横でフヨフヨと漂い、何か考えているであろうマザーに声をかけた。
(マザー)
感想もなにも、あまりの衝撃に言葉がでません。
(悠)
お?ディープインパクトか?
(マザー)
ええ。本当に。それくらいの衝撃です。
悠さんは、マリエさんが理知的だと仰いました。
彼女は無駄なことはしないと…。
正にその通りの戦い方だったという訳ですね。
(悠)
俺はそこまで深く考えて言ってないよ。
あくまでイメージの話だった。
でも、マザーはどうしてそう感じたんだ?
少し気になるから教えてくれよ。
(マザー)
だってそうでしょ?
マリエさんの話を聞くに、彼女はこの戦いで、一切無駄な行動はしていない。
フィーブルも、我々や観客も、全て彼女の掌の上だったということですよ?
(悠)
確かに、俺達はマリエさんの魔力の動きに気付かなかったけど…。
全部が全部。思い通りに動かされたってのは、言い過ぎじゃないのか?
流石にマリエさんでも、そこまでは…。
(マザー)
私もそう思いたいのですが…。
上手く纏まらないというか…。
悠さん。もしよろしければ。
少し、私の検討に付き合っていただけますか?
(悠)
おう。何だか楽しそうだしな。
ただ、俺も試合前だから、可能な限りでな。
(マザー)
はい。充分です。
よろしくお願いします。
○ 舞姫の知略
(マザー)
では、できるだけ手短にいきます。
この試合を場面毎に切り取って説明してみますね。分からないことや、意見などありましたら、その都度仰って下さい。
私も考えながらなので、上手く纏まらない場合もありますし…。
(悠)
おう。分かったよ。
まあ、取り合えずやってみようや。
(マザー)
はい。
では、最初の場面から。
この戦い、開始と同時に実況の方が、興奮しながら注意事項を述べました。
(悠)
ああ、確かに。
節度への応援になっていた時だな。
(マザー)
そうです。
そして、この後でマリエさんは観客へのアピールをする。
いわゆる大袈裟に「立ち振舞った」場面です。
(悠)
ああ、確かにそうだった。
いつもより、仕草が大袈裟で。
身ぶり手振りが大きかったな。
俺はてっきり、大きい会場向けのパフォーマンスなのかと思っていたけど…。
マリエさんとレイナの話では、この「立ち振舞い」の場面で、一番強く魔力を練り上げていた訳だな。
(マザー)
はい。
しかも、対戦相手や私達に気づかれないほど、魔力の出力を小さく押さえながら。
彼女はこの時に、扇に魔力を「溜めた」と仰いました。実はこれ。非常に難しい技術なんです。
(悠)
魔力を「溜める」か。
確かにあんまり聞いたことないな。
レイナは魔力を練り終えたら、直ぐに出力に移すし。それもスゲー威力の…。
そういえば、マリエさんも、やってみてこれが一番大変だったって、言ってたよな?
(マザー)
はい。やってみたら出来てしまった。
それが何よりも凄いのですが…。
力というものは、例え「溜める」としても、一ヶ所に。そして一方向に。
これ以外の形で留めておくのは、非常に難しいものなのです。
ですから、レイナさんは魔力を練る間は、一ヶ所に留まり、自分と周囲を中心に魔力を練ります。
そして、練りあげた魔力は一方向に、一気に出力します。その方が威力も増しますしね。
(悠)
確かに。レイナが魔力を練る間はそんな感じか。
トレーニングでも、レイナが安定して魔力を練る時間を作るのが、俺達の役割になってるしな。
でも、マリエさんも扇という「一ヶ所」に魔力を留めているとも言えるけど…。
それとは、また違う話なのか?
(マザー)
そこは、若干感覚的な部分かもしれません。
ですが、マリエさんは、自身やその場に魔力を溜めず、扇という心具に魔力を溜めています。
そして、彼女は扇を絶えず動かし、「立ち振舞い」の媒体としても使用していた。
つまり、扇には「立ち振舞い」と「魔力を溜める」という2つの役割を与えていた訳です。
(悠)
なるほどね。
マザーの言いたいことは何となく分かったよ。
本来、魔力を練るという行為は、一ヶ所に留まり。集中して行うのが原則。
大きな魔力を短時間に練るならなおさらだ。
けれど、マリエさんは絶えず動かしている扇に。 しかも、魔力を練る媒体として、使用している物に魔力を溜めた。
何というか、このやり方だと手順が複雑だし、力のコントロールが難しいってことだろ?
(マザー)
力のコントロール。
正にその通りかもしれません。
マリエさんは、絶えず動かし、魔力生成の媒体としていた「扇」に魔力を溜めた。
しかも、レイナさん以外の人物に悟られることもなく…。これは非常に難しいことです。
彼女の力のコントロールは、正に神がかっていたということですね。
そして…。コントロールという部分ですが。
力を弱く練るというのも、実は結構難しい話なんです。
(悠)
弱く練るか…。
そういえば、レイナもボールトレーニングでは、いつも魔力を小さく抑えるのが大変。
って言ってるよな。
大体出力上げすぎて、部屋が水浸しか、ぼや騒ぎになるしな…。
(マザー)
その通りです。
魔力に限らず、力を小さく使うというのは、人間にとって、非常に難しい行為なんです。
力を一気に溜めて、一気に出す。
この方が、シンプルで力を使いやすいのですよ。
よく、スポーツでも、何でこの距離でミスするの?という場面がありますが、あれと同様と言っていいでしょう。
(悠)
ああ~!なるほど!
これはスポーツする身としては分かるかもな。
確かに、ある程度の距離があった方が、ボールを投げるときも楽だったりするよ。
相手が近いと、力の加減が難しくてミスしたりするもんだよな。
(マザー)
そうですよね。
力というものは、荒く・大きく使う方が楽なんです。
逆に、繊細に・小さく使う方が、神経と集中力が必要になります。
つまり、人に気付かれないほどの小さな魔力を、少しずつ練り上げ、動く物体に留めた。
マリエさんの力のコントロールが、如何に素晴らしいかを。
この事実だけでも物語っているのです。
(悠)
レイナにも出来ない力の小さなコントロール。
マリエさんは、いきなりの実戦で、さも当然の様にこなしてみせた訳か…。
そう考えると、やっぱりあの人も、怪物じみた資質の持ち主。
ってことになるわけだな…。
(マザー)
はい、お考えの通りだと言えます。
あのレベルの、緻密で繊細な力のコントロールは、なかなか出来るものではないでしょう。
彼女もまた、皆さんと同じ高い資質を有していること。この戦いで証明されましたね。
さて、ここまでは、私が伝えたかった、マリエさん自身の「力」のコントロールの部分でした。
(悠)
「力」を強調したということは、他にも何かをコントロールしてたってことか?
(マザー)
はい、彼女は見事に私達。
つまりは、対戦相手を含め、この会場全てをコントロールしていたと言えると思います。
(悠)
さっきの、「掌の上」の話だね。
(マザー)
その通りです。
先ずは、先程から話しているバトルの最初の場面。ここでは、マリエさんは観客を煽り、魔力を練る時間を作りました。
(悠)
うん。小さく練るのは難しいんだよな。
(マザー)
ええ、その話です。
この場面では、観客を煽ることで。
彼女は、魔力を練る時間と立ち振舞う理由を作り出しました。
(悠)
なるほど。確かにそうも考えられるな。
(マザー)
そして、この後。
マリエさんは、フィーブル氏と会話をしながら、隙を見て、少しずつ魔力を練っていく。
彼を会話に集中させ、自分の準備が悟られぬように、時々挑発を交えながら…。
(悠)
フィーブルに女性の扱いを説いたりした場面か。
あれにも意味があるのかよ…。
俺なんか自分の寂しい青春時代の話まで暴露しちゃったのに…。
(マザー)
マリエさんに言わせれば、最高の助け船だったかもしれませんね…。
…。話を戻します。
そして、会話の中で、彼を拘束するには、充分な魔力が練り上がったのを確認した後。
マリエさんは、今度は観客を挑発しながら、フィーブル氏を指差します。
フィーブル氏が指を指されても、違和感を感じないように。
挑発対象に、敢えて観客を含めたのがポイントです。
マリエさんとレイナさんの話では、あの指差し行為で、扇に出力対象を認識させた。ということみたいですね。
(悠)
いきなり観客煽ったのにも理由があるのか…。
でも、そういえば。何で指差しなんだ?
対象を認識させるなら、扇で指した方がいい気がするけど…。
(マザー)
私もそう考えました。
ですが、恐らく。
マリエさんは、扇を出すことで、相手や周囲に、魔力の揺らぎを悟られることを警戒した。
魔力を溜めている扇が目立てば、そのリスクも増す。
マリエさんは、万に一つでも、相手に自分の準備がバレる可能性を潰していたのです。
(悠)
へえ~!あの行動にまで意味が!?
すげぇなあの人!頭ん中どうなってんだ!?
(マザー)
本当に恐ろしい方です。
味方でない場合を考えると寒気がしますね。
そして…。
マリエさんは、フィーブル氏と会話を続ける。
いつでも魔法を出力出来る状態のまま。
彼が挑発にのり、心具を取り出すのを待ったのです。
(悠)
ん?そういえば。その後も結構話してたよな?
なんで準備が出来たのに、マリエさんは直ぐにフィーブルを拘束しなかったんだ?
(マザー)
恐らく…。
彼女はフィーブル氏の心具が何か。
せめて、形状だけでも確認しようとしたのでしょう。
万が一、フィーブル氏の心具が刃状の物であれば、持っている側の手を拘束しなければいけない。
それ以外の、マリエさんと相性の悪いタイプのものであれば…。
場合によっては拘束以外の、別の手を考えなくてはならない。
そうなると、植物を操作する能力が、先に相手に悟られるのはマズイ。
次の一手を予測されやすくなってしまう。
恐らく彼女が最優先にしていたのは…。
自分の手の内を如何に晒さず、相手の情報を如何に引き出すか。
万が一拘束に失敗した後でも、相手に彼女の心具がどのような能力かを悟らせないこと。
彼女は、勝ちがほぼ確定したあの状況下でも、最後まで僅かな敗けの可能性を消しに行っていたのです。
(悠)
…。
改めて聞くとスゲエ話だな…。
マリエさんは、あの戦いの中で、そこまで頭を回していたなんて…。
戦いの最中でも、いつも通り。
傲慢で自信家な様子しかなかったのに。
(マザー)
実際は、緻密で繊細な策略家だったということですね。
彼女の行動に、意味がないものなど、一つとして存在しなかった。
つまり、今までの話で私が言いたいのは…。
この戦いで。
マリエさんは、「立ち振舞い」という、精霊との交信が不安定な状態で。
練るのが難しいと言われる、小さな魔力を、誰にも悟られない間に練り上げた。
しかも、それを自分ではなく「扇」という媒体に溜め込み。その媒体を絶えず動かし続け。
そして、自分の準備が整うまでの間、それがバレぬよう。
したたかに相手や観客を誘導し、会話を続けた。
自分が拘束に向けた準備をしていることを悟られないよう、あくまで平静を装いながら。
準備が整った後も、フィーブル氏の心具がどのようなものかを確かめるために、彼女は挑発を続けた。
そして、挑発を受けてしまったフィーブル氏は、彼女の策略にまんまとはまり。
拘束され。
そして破れた。
つまり彼女は…。
対戦相手・観客・魔力・そして私達を、予定調和のように全て操り。
そして、まんまと思い通りに動かしてみせた。
正にこの戦いにおいては。
この会場全てが、彼女の掌の上だった。
これが私が伝えたかった結論なのです。
如何ですか?恐ろしい話でしょう?
私は自分で話していても、身震いが止まりませんでしたよ。
彼女にしてみれば、我々を欺くなんて朝飯前。
レイナさんに気配を悟られたことが、唯一の計算違い。
最後に見せた風の刃。
あれは、きっとフィーブル氏への情けでしょう。
せめて相手に、一瞬でも心具を使用してあげる。
そうすることで、相手がきちんとバトルで破れたと、周囲に認識させるための…。
つまりは…。
彼女には、一科学者など、元より眼中にはない。
彼女が見ているのは、もっと先。
遥か上空。主賓席にいる帝という存在。
今回の戦いも、いつか戦うであろう、水の帝に対し。その手の内を、晒すつもりなどはない。
必ずそこにたどり着き、いつか喉元に食らいつく。精々今は、高みから見ていろ。と。
そういった彼女の意志の表れだったと感じました。
そして…。
彼女の行動は、正にそのレベルで、完璧に構築されていた…。
恐らく彼女は…。
開会式の出来事を受けて。
帝という存在を本気で意識した。
越えるべき対象として。
あの圧倒的な力に、本気で挑むと決めたのです。
今回の戦いからは、彼女のそういった決意が滲み出ていた。
少なくとも、私にはそう見えました。
マザーの話に、俺はただ茫然と聞き入ることしか出来なかった。
普段から自信家で、振る舞いも横暴だが、彼女にはそれを裏付ける力が。
能力が備わっている。
彼女なら、もしかすると、帝にも届き得るのかもしれない。
そんな可能性を感じ、俺はただ、身震いする体を押さえていた…。
そして、マザーは更に話続ける。
(マザー)
この戦いを見て、彼女は皆さんの中で、一番実戦向きの方だと感じました。
バトルを大局的に判断し、先の先を常に意識している。いい方を変えれば、思考の視野が広い。
そう。本当に恐ろしいほど。
彼女こそが、本物の未来予知かと思ってしまう程に…。
相手に情報を与えず、如何に情報を得るのか。
彼女レベルで、この駆け引きを行える人は、恐らく存在しないでしょう。
相手の心具が分からない状態で挑むクランバトル。彼女は正に、その申し子と言えるかもしれない。
このバトルだけで、私はそこまでの可能性を感じてしまいました。
悠さん?聞いていますか?
マザーに促されて、俺は我に返った。
(悠)
あ、ああ!ごめん!
なんか話が大きすぎて!
よく分からなくなってたよ。
とにかく!ウチの踊り子さんは凄い!
今はそういう纏めでいいですかね?
俺はそう話すので精一杯だった。
あまりに話のレベルが凄すぎて、頭がついてきてくれないのだ。
この話題に対し、若干恐怖心まで、俺は抱き始めていた。
その時…。
(審判)
それでは、中将戦の準備が整いました!
出場者は準備を行って下さい!
(悠)
お!いよいよ出番か!
気張っていくぞ~!
俺はその声に安心感を抱いた。
この話題を早く終わらせたい。
俺は何故か、そう考えていたからだ。
(マザー)
悠さん!長くなってしまい、すいません!
とにかく今は試合に集中です!
がんばって下さい!
(リナ)
悠兄!がんばってよ!
負けたら承知しないからね!
(レイナ)
優兄さん!
がんばって!怪我だけはしないでください!
(マリエ)
悠さん!
信じているわ!
悪ふざけしないで、さっさと帰ってきてね!
ウチの頼もしい女性人の声援を背中に受ける。
俺も男だ!
たまには、いいとこ見せてきたる!
こうして、ディープインパクトの一回戦。
その中将戦である、
俺の戦いがいよいよ始まろうとしていた…。