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白墨

作者: 王生らてぃ

※戯曲という形であるので、念のために記載しておきます。

上演用の台本として使用する場合は、メッセージ機能や感想欄で必ずひとこと告げて、原作者として「王生らてぃ」の名前を記載してください。無断使用は禁止します。

○登場人物


東山…哲学を曲解している少女

浅香…読書家。現実主義者

星野…星空に思いをはせるロマンチスト

谷川…職務に忠実な警備員

辻本…谷川の部下


四階建ての校舎の二階の教室。窓は東向きで、机と椅子が乱雑に並べられている。壁際には、塗料がぬられた白い布が乱雑に積まれている。

午後十一時。東山は机に座っていて、浅香は布にくるまりながら聖書を読んでいる。

黒板には英語で祈りが書いてあり、乱雑なAmenがある。


東山「(幾何学模様で祈りを潰しながら)宗教っていうのは、学校の延長戦みたいなもの、やたらに食べ物を制限したり、正座をしたり、毎日祈りを唱えたり、……何が言いたいかっていうと最終的には意味のないものだってこと、私はそう思う、まだ数学の面倒な計算式を覚えているほうが有意義だ、だって宗教はお金にはならないけれど、数学はお金になる」

浅香「お金もない、仕事もない人のためにあるもんだよ、そういうの」

星野「(夜空を眺めながら)わし座、こと座、はくちょう座……」

東山「私たちにはお金はあるじゃない、学生なんだから」

浅香「それもない人たちは、救いにすがるしかないの」

東山「(窓を開けて叫ぶ)かわいそう! かわいそう! 世界中の報われない子どもたちに、救いがありますように!」


沈黙。

ドアが開く。辻本と谷川が入ってくる。


谷川「まだ起きてるのか、君たち」

東山「駄目ですか? こんな夜遅くまで学校に残れることなんて、そんなにないんですから、大目に見てください」

谷川「遅くまで準備ご苦労さん、残るのはいいけど、学校に泊まるなんて特例なんだからな、せめて声が漏れないよう、大人しく寝るんだな」

東山「警備ご苦労様です」

谷川「熱心だねえ、君たちの学級は何をやるんだい? たかが学園祭だろう、そこまでこった物を作るこたア、ないじゃないか、若いうちにもっと苦労をしたらどうだい」

東山「若いうちだから、こういうことに熱心になっていたいんですよ、これも立派な苦労です、……うら若き女学生が、髪も洗えず、汗も流せず、湿った学校の中で布団も敷かずに寝泊まりしなきゃあいけないんですよ、これ以上の苦労がありますか――といっても、あなたにはわからないでしょうね」

谷川「髪が洗えないのはつらいな、この暑いなかに」

浅香「そうじゃないよ」

東山「夜になっても暑いですね、夏……夜……学校……」

谷川「その手の怪談は聞き飽きたよ、こんな仕事してると嫌でも分かるさ」

浅香「見たことあるの」

谷川「見れば分かる」

星野「ベガ!」

東山「警備員さん、私たち以外に学校に泊まっている人っていないのですか?」

谷川「どうかな、……一階の事務所から順繰りに上ってきているから、ここから上の階にはいるかもしれない」

浅香「そんな物好き、いないでしょう」

谷川「そろそろいいか」

東山「おつとめ、ごくろうさまです」

谷川「早めに休めよ」

浅香「お疲れ様です」


谷川去る。辻本も黙ってついていく。


東山「(窓を全開にして)自由! フリーダム!」

星野「東山さん、せっかく星が綺麗なのに」

東山「星なんて眺めてる場合じゃないでしょう!」

浅香「寝る以外に、することなんてないでしょ」

東山「折角の夜よ、こんなに静かで閉塞的な空間、この場所にいるのは私たちだけ、こんな空間でこそ生まれる新たな学が必ずあるはず、折角だからなにかを生み出しましょう」

星野「星を見ながらゆっくり寝たいよ」

浅香「本を読んでいたい気分よ、ちょうど満月なんだから、それに大きな満月、文庫本くらいなら問題なく読めるし」

東山「(黒板をまっさらにする)ほら、祈りの言葉を消すなんて、こんなに簡単なこと、ね、学校って素晴らしい場所でしょう、古今東西、いろいろな知識が集まって、記されては、消えていく、普段は大人たちが支配しているこの空間を、今は私たちが支配しているの、そう考えると凄いことだと思わない、何千年前に考えられていた円の書き方とか、星の動きとか、ずっと信じられてきて戦争の種にもなった祈りの言葉をこんな風に簡単に生み出しながら、簡単に消していける」

浅香「つまんない、もっと身の丈に合った話をしようよ」

星野「いま、何時くらいかな?」

東山「月の高さから見れば、まあ、十一時くらいでしょう」

浅香「月が綺麗だね」

星野「星だって綺麗だよ」

浅香「月も星も、太陽より綺麗に見えるよね、なんでだろうね、太陽の方が明るいし大きいに決まってるのに」

東山「大富豪が百万円もらうか、貧乏人が一万円貰うかの違いよ」

浅香「あなたの話はいつもいつも、抽象的でよくわからない」

星野「夜は眠いよ」

東山「困っている人間ほど、夜空は遠くて、そして輝いて見えるの」

浅香「そういう困っている人にこそ、救いが必要なんでしょう、だったらさっきあなたが消したAmenは、やっぱり必要なものであるってこと」

東山「救いの手を一本、折ってしまったってことね、ああ死にたい!」

浅香「死にたい人には、救いはないよ」

東山「(黒板に『折る』と『祈る』を並べて書く)どっちも、つくり、が、一緒だね」

浅香「そうね」

東山「つまり、祈る、と、折る、っていうのは、とてつもなく近い位置にいるってことなんじゃないかな? 私がやったことも、祈りの一種ってことになるのでは?」

浅香「そうかもね、絶対に違うけど」

星野「トイレ、行ってくるね」

東山「いってらっしゃい」


星野、はける。


浅香「(朗読しながら黒板に書き連ねる)夏は夜、月のころはさらなり、やみもなほ、蛍の多く飛びちがひたる、また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし、雨など降るもをかし……」

東山「学校らしいこと、しているね」

浅香「でも、蛍なんていないよ、私には蛍なんて見えない」

東山「私にだって見えない」

浅香「でも、夏には蛍が見えるのがいいことなんだってさ、今は蛍も見えないし雨も降ってないし、きっと駄目な夏の夜なんだね」

東山「そうだね」

浅香「こういう話をしたいってこと?」

東山「そう! まさに、そういうこと! いつもの学校みたいに、くだらないことをこの、黒板に書いては消して、でも、そういう繰り返しから新しい何かが常に生まれているってこと! そういうことを私は実感したいの、ただ本を読んだり、空を眺めているだけじゃあ、絶対に知ることのできない感覚をずっと口に含んでいたいの」

浅香「普通に学校に通うだけじゃあだめなの?」

東山「いまは、私たちの学校だよ、私たちの、私たちだけの、学校の勉強だけじゃ分からない、もっと面白いお勉強しましょう」


星野はゆっくりと戻ってきて、窓際に座っている。

東山、黒板に赤い字でAMENと書く。


東山「例えば、このAMENという言葉は、それぞれ、何の頭文字だと思う?」

浅香「それ、略語だったの?」

東山「たぶん違う、でも何かの頭文字だと思わない、そういうことを考えたいの」

星野「空の星って、どうしてあんなに綺麗なんだろう」

浅香「トイレには行けたの?」

星野「ううん、結局行けてないんだ」

東山「Aは、アルタイルの、Aかな、じゃあMは? メシエ? メシエってなんだか、メシアと似ている、つまり神は夜空にいる? ほうら、楽しくなってきたよ、理由もなく歌いだしたい気分だ! Eはなんだろう、アース、つまり地球? じゃあNはネプチューンとか、そういうことかな、アルタイル……メシエ……アース……ネプチューン……(黒板を消す)やっぱり、この言葉には脈絡が無いってことなのかな? 新たな発見だ、AMENという言葉は途方もなく天文学的だ! もっと別な言葉が無いか試してみよう」

浅香「(本を取り出し、読み始める)」

東山「アンド……モア……アァリー……ナッシング……違う、違うな、もっと試してみよう、奥が深い! 考えれば考えるほど面白い!」

星野「もう日付が変わりそうだ」


浅香はうつらうつらとしながら、文庫本を開いては取り落とし、その度びっくりして拾い上げる。星野は窓に寄り掛かり、星を見上げるようにすっかり眠っている。


東山「(つまらなさそうに)みんな、本能に忠実すぎるよ、退屈だなあ」


非常ベルが鳴り響く。それに紛れて、遠くで銃声が聞こえる。

浅香が跳ね起きる。星野はまだ眠っている。


東山「(嬉々としながら)ハルマゲドンだ!」

浅香「うるさい! 眠れないよ!」

東山「火事かな?」

浅香「どこから? 調理室とか?」

東山「宿直室からかもしれないよ、様子を見に行ってみようか」

浅香「やめておいた方がいいよ」


非常ベルが止まる。


東山「止まったね」

浅香「はあ、(座って読書をする)」

東山「アポカリプティックサウンドって知ってる? 突然、奇妙な音が鳴り響く超常現象の事、聖書なんかでよく描かれてる天使とか神とかの『お告げ』っていうのは、これなんじゃないかって見方をすると、ちょっとおもしろいよね」

浅香「私は落ち着いて読書が出来れば、何だっていいよ」

東山「ああ、退屈! 退屈なひと時に突然鳴り響いた、アポカリプティックサウンドは、私に人時の喜びをもたらしてくれた、ありがとう!」


谷川がやってくる。

ドアを開けて、ずけずけと教室の中を歩き回る。


谷川「嗚呼、全く」

東山「警備員さん、いったい何が?」

谷川「分からないよ、それが分かってるならここまで来ないさ、とにかく非常ベルが鳴ったから原因を探して回っているところだ、……とりあえず、ここじゃ、ないみたいだ、火種になりそうなものもないしね、念のために聞くんだが、ここに火災の元になりそうなものはあるかい? 例えばカセットコンロとか、マッチ、ライター等々……」

東山「心当たりはないです」

浅香「しいて言うなら、コンセントプラグくらいですね」

谷川「ありがとう」

浅香「火事、ですか?」

谷川「念のためだよ、非常ベルが鳴るのにはいろいろな理由があるけれど、特に火災を検知したときは自動的に鳴るからね、猛暑日にはまれに誤作動することもあるけれど」

東山「機械仕掛けって大変ですね」

谷川「とにかく、また探しに行くから、何かあったら直ぐに建物の外に出るんだ、いいね」

浅香「わかりました」


谷川去る。


浅香「火事、だって、怖いね」

東山「火っていうのは、人類の最大の発明らしいよ、(黒板にfireと書く)まだ人類が人類というより、ホモ・サピエンスだったときに、火を使い始めたことで生態系の枠から外れて、それまでと違うルールに従って行動し始めた」

浅香「聖書の次は進化論?」

東山「(大仰に嘆く)おお、しまった、そうだね、おかしな話だね、さっきまでAmenを必死に考えていた私が、今この瞬間には人類をヒトとして見ている、ヒトという生物として、まったくおかしな話、でも、学生らしくていいじゃない、私たちは研究者じゃない、学生なんだから、いろいろな学問に手を出してみるべきなんじゃないかな、というわけで次はこの、fireという語について考えてみようよ」


星野がのっそりと立ち上がり、ゆらゆらと教室の隅まで歩き始める。


東山「それこそ、蛍だよ、蛍は英語でfireflyでしょう、火が飛ぶ、という意味、けれど実際は蛍は燃えているわけじゃないでしょ? 唯光っているだけ、つまり人間にとって大切なのは、火は光を発しているということなのよ」

浅香「星野ちゃん?」

星野「ちょっと、トイレに行ってくるね」

浅香「いってらっしゃい」


星野、はける。


東山「誰だって夜はこわいわ、夜は何も見えないし、夜の闇にはなにが潜んでいるかわからない、それを自在に払拭する火を生み出した人間は、やっぱり世界の中では異質な存在なの、他の動物は神という概念を生み出して、崇拝したり、断食したり、ましてやいけにえを捧げたりしないもの」

浅香「(本を閉じて)それは、一概には言いきれないんじゃないかしら」

東山「あら、どうしてそう思うの?」

浅香「蝿をよく見たことがある? 前の二本足をこすり合わせて、後ろの四本足で立っていることがある、それってまるで、揉み手をしながら神を拝むポーズとそっくりだと思わない? ……蚊だって同じようなことをする、蚊は生きものの血を吸うときに、必ず一本だけ脚を挙げているの、針を深く身体に差し込みながら、それは地べたに額づいて聖地を拝むのに、よく似ていると思わない?」

東山「蝿が手をこすり合わせるのは手を綺麗にするため、蚊が脚を挙げているのは一瞬早く逃げられるようにするため、ちゃんと理由があるじゃない」

浅香「けれど、そんなの分からないでしょう、蝿も蚊も口を利かないんだもの、あなたはまさにそれよ、いつまでたっても、どこまで行っても、確かめようのない議論よ、それを人は不毛なことだというの、……人間には言葉があって、言葉で意思の疎通ができるの、だったら言語を介さない議論をダラダラと続けていても、どうしようもないと思わない?」


東山、冷静な表情のままでチョークを手に取り、浅香に投げつける。

浅香は椅子から転がり落ちる。


東山「私は腹が立った、あなたがそれを避けた、……言語を介さなくても、私たちの間に意志の疎通は成り立つの、分かる?」

浅香「(チョークを拾い上げながら)分からないね」

東山「分かって! 私はずっと言葉について真剣に考えているの、それをどうしようもないだなんて! この人殺し! 罰当たりめ!」

浅香「どっちが罰当たりだ! 人にこんなものを投げつけやがって!(チョークを投げ返す)」

東山「(大仰に驚きながら)こんなもの、こんなものだって! 学校にとってこれ以上に大切なものがあるもんか!」


ふたりはわめきたてながら、お互いにチョークを投げあう。床に散乱するチョーク。白が大半であるが、白一色ではない。


辻本がドアを開けて、教室の中をのぞき込む。


浅香「どうしました?」

東山「話をそらさないでよ、浅香さん」

浅香「さっき、もうひとりの警備員さんが来ましたよ、……非常ベルがどうとか、火の気がどうとか、でもさっき確認して行かれましたよ」

東山「ねえ、あなた、私たちは今とても重要な議論の最中なんです、だから邪魔をしないでください! 同じ場所をなんども監視して、そんなに私たちが疑わしいんでしょうか? 無駄なことを何度も繰り返して、不毛なことだと思いませんか! どう思ってるんですか? なにも言わないんだったら、さっさと出て行ってください!」


星野があくびをしながら教室に戻ってくる。


東山「なんてかわいそうな人、口がきけないんだわ、……だから、こんな夜遅くに校舎を見回っているのね」

星野「トイレ、結局行けてないんだ」

浅香「そっか」

東山「ごめんなさい、ひどいことを言ってしまって、この教室には本当に何もないの、何もありませんから、大丈夫ですよ」

星野「もう、日付が変わりそうだね」

浅香「汚い!」

東山「本当に、ごめんなさい、ごめんなさい」


辻本はいない。東山が頭を下げている間に、いつの間にか去っていたのである。


星野「星が綺麗だよ、とっても、ふたりも星を見ようよ、喧嘩ばっかりしていたって、だめだよ、大昔から人間は困ったときには夜空を見上げていたんだよ、北極星を見れば方角が分かったし、月の満ち欠けを見たら自分がどれくらい生きていたかもわかるし、けれどそれを見て喧嘩したことなんてたぶん一度もないよ。だって誰が見たって星の位置は変わらないし、月の形は変わらないもの」

東山「(チョークを拾い上げながら)散らかしてしまったね、いろいろと散らかしてしまった」

浅香「あなたの悪い癖だ、散らかしたまんまで後片づけのことを考えていない、いつだってそう」

星野「ね、星が綺麗だよ、今日はちょっと冷えるからかな」

東山「綺麗にしないと、整理整頓しないと」


浅香は本を読み、東山はチョークを片付けつづける。


星野「月がちょっと欠けてきたね……(『きよしこの夜』をハミングする)」


間。


東山「この大量のチョークをすりつぶして、石灰の粉みたいにして、校庭に大きく真円を描くとするじゃない……それで、そのまま私は素知らぬ顔をして立ち去るの、何もなかったみたいに朝日を浴びながら教室の扉を開けて、席について、ドストエフスキーでも読んでるとするでしょう……夕方まで外を見ないように、見ないように……それで、下校時間になる、あっという間に、帰り際にふっとその真円を見て見ると、誰かがそこに一本の線を書き加えているのよ、いつの間にか、それで横に比較的小さな文字で、書いてあるのよ、これは真円じゃありません……中心から見て北北東の円周上にちいさな歪みを見つけました……ってね、その次の日に学校に来たら、その中心に大きく十字架が書いてあって、その日の下校時間にはそれが真っ赤な鉤十字になっているのよ、けれど真円は白いままなの」

星野「(空を見上げたまま)どうして真円じゃなかったの?」

東山「人間が書いたから、神様なら完璧な円を描けるかも知れないけれど」

星野「完璧な円って、何? 完璧な円なんて、見たことないよ」

東山「満月は?」

星野「月は丸くないもん」


浅香、本を取り落とす。うつらうつらと、眠りそうになっている。慌てて本を拾い上げる。

東山、黒板を乱暴に消して、その上に『鎌と槌』を赤いチョークで描く。それを白い十字架で潰す。


星野「流れ星!」


遠くでファンファーレが鳴る。遅れて、爆発音。

三人はそれぞれのことに没頭しており、無反応である。


東山「完璧な円……真円……」


浅香は眠りこけている。本が足元に転がっている。


星野「(のっそりと立ち上がり、出ていく)トイレ、行ってくるね」


黒板には次々に、脈絡のない文章がつづられていく。


東山「真円が校庭にあらわれるの……それで、その中心に大きな鉤十字が、真っ赤な鉤十字が書き足されるの、でも、私はそれを真っ白に塗りつぶしてあげるのよ……チョークはたくさんあるから、だってここは学校! チョークが無いと何もできないものね、赤い十字は白く塗りつぶしてあげましょう、夜空みたいに真っ白く、塗りつぶしてあげましょう……」


狂笑し、黒板を白いチョークで塗りつぶしては消し、塗りつぶしては消し、と繰りかえす。

浅香はずっと眠っている。


谷川が入ってくる。


谷川「旧校舎で爆発があった、調理室に続くガスの配線が破裂したんだ、すぐそこまで火の手が迫っている、……こんな時にあいつは何をやってるんだ、畜生、こういう時のために俺たちが居るんじゃないのか! 君たち、早く避難しなさい! 早く!」


浅香は眠っている。

東山は白い黒板を、赤く塗りつぶし始める。


谷川「おい、話を聞きなさい、旧校舎で爆発があったんだ……すぐに火が回ってくる……」


谷川が突然、目を開き、前のめりに倒れる。

その後ろからナイフを持った辻本が現れる。


東山「(真っ赤になった黒板を見ながら)チョークは日本語で『白墨』って言うんだって、白い墨、これのどこが白いんだろう! 真っ赤に光っているのに、これが白墨! チョーク! 嗚呼、言葉の意味は死んだ! どうしてこんな不条理がまかり通るんだろう! ねえ、口のきけない警備員さん、あなたはどう思う? これが白いんですって! 白っていったい何だと思うかしら、白っていったいどんな色だと思うかしら!」


浅香が椅子から崩れ落ちる。

辻本が馬乗りになり、ナイフで何度も顔を撫でるように切りつける。


東山「飽きた」

星野「(のっそりと入ってくる)ただいま」

東山「おかえりなさい」

星野「トイレ、結局行けてないんだ」

東山「トイレなんて本当にあるの?」

星野「分からないよ」

東山「探せばわかるでしょう」

星野「目に見えないからって、そこに無いってことにはならないよ」


東山、黒板を綺麗に消してから、勇んで教室を出ていく。

辻本は浅香の身体を布でくるんで、ナイフを持ったままで教室を出ていく。

教室には谷川の死体と星野だけがいる。


星野「(落ちていた浅香の本を拾い上げて、窓のそばに座る)寝よう、もう眠いよ、そろそろ夜が明ける、ねえ、見て、東の空があんなに明るい……夕焼けみたいな朝焼け……真っ赤な光が、闇を消し去っていく……眠いよ……すぐそこまで来てる……」


白い布をまとった辻本が入ってきて、谷川の死体を引き摺って教室を出ていく。


けたたましい鐘の音が鳴る。暗転。


  ○


明転。黒板の前には東山が立っている。

浅香は本を読んでいる。星野は窓際で空を眺めている。


東山「黒板って、決して黒いわけじゃ無いでしょう、けれど私たちはこれを黒い板と書いて『黒板』と呼んでいる、これって意外とおかしな話だと思わない? よく見たらこれって緑色でしょ、でも黒いって言っているの、……昔の沖縄県には卵の黄身っていう物質は無かったらしいわ、本土で黄身と呼ばれているものを『青身』って言ってたんですって、なぜかっていうと昔の沖縄の言葉には黄色が無かったの、赤とか、白とか、それ以外はみんな青だったらしい……けれど、緑も黒も昔からある色でしょう、それなのにどうして!」

浅香「あなた東山でしょ、けれど東に住んでいるわけでもなければ山に住んでいるわけでもない、そういうことでしょ」

星野「アルタイル、ベガ、デネブ……夏の大三角……」

東山「チョークだってそうよ」

浅香「チョーク?」

東山「チョークって、日本語で言える?」

浅香「チョークはチョークでしょ」

東山「チョークは日本語で白墨っていうの、白い墨で、白墨、けれど赤いチョークだって、黄色だって青色だってあるわ、それでもチョークはチョークでしょ、赤いチョークは赤い白墨、黄色いチョークは黄色い白墨、青いチョークは青い白墨……そう考えると、この世に正しいものなんて数えるほどしかないんじゃないかな、って、そう思えてくるの」

浅香「そうね」

星野「今日から月が欠け始めたなあ」

東山「世の中の不思議は尽きないわ……今日はきっとそのための時間なのよ! 夜遅くまでずっと学校に残って、明日の準備をして、終わったら硬い床に眠る、そんな時間の一つ一つを削って学生らしいことをしましょう! くだらないことをしよう! 不思議なことを考えよう! 普段は先生たちの独壇場と化しているこの教室は、今は私たちだけのもの!」

浅香「もう寝よう、夜遅いよ」

星野「そろそろ日付が変わるよ」

東山「つまらないの」


東山、白いチョークで『黒板』と大きく書く。

そして、その周りに赤、黄色、青、様々な色で「白墨」と書き続ける。


辻本と谷川が顔をのぞかせる。


浅香「警備員さん、お疲れ様です」

東山「お疲れ様です、口のきけない警備員さん、私たちは危ないことはしていませんよ……火も使いません、必要以上に騒ぎたてもしません、誰にも迷惑はかけませんから、だからこの時間だけは見逃してください……(穏やかな声で)この貴重な時間だけは私たちに下さい……」

谷川「早めに休めよ」

東山「お疲れ様です」


辻本が去る。谷川が続く。


東山「(窓を開けて叫ぶ)自由! フリーダム! なんてすばらしい夜!」

星野「ああ、せっかく星空が綺麗だったのに」

東山「星なんていつでも見られるでしょう、さあ! 不毛なことをしよう、世の中の疑問を一つ一つ、摘み取っていこう、それが正しいことかどうかは分からないけれど、そんな風にしてみよう! 私たちにしか出来ない、なにかを生み出そう!」

浅香「例えば?」

東山「聖書の新しい一文、とか」


東山、黒板に「あたらしいEVANGELION」と書く。


浅香「聖書に新しい一文を付け足すの?」

東山「Amenの他に祈る言葉を作るとか、白いチョークの粉で真円を書いてみたり、学校を意味もなく徘徊したり、……やろうと思えば、いくらでも!」

浅香「祈る言葉っていうのは、祈るしかない人たちのためにあるものだよ」

星野「今日も綺麗な星空だね……あ、流れ星!」


終幕。

「夏のホラー2015」に間に合わなかったホラー(もどき)作品です。


「戯曲でホラーは可能か?」という試みに挑戦したのですが、結果は微妙です。ホラー要素はやっぱり視覚的に取り入れる方法しか思いつかず、そのためジャンルをホラーではなく「その他」にしております。

果たして、私の試みは成功しているのかどうか。皆さんにゆだねたいと思います。

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― 新着の感想 ―
[一言]  読みました。面白かったです。  戯曲、というのですか、前々から演劇の脚本を書ける人はすごいなあ、と思っていたので、こういうかたちで目にする機会が頂けてうれしいです。  ストーリーそのもの…
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