イケメンの場合
容姿、もっと言えば【顔の美醜っていうのは人間にとって最も大きな能力】だ。
誰だって見目麗しい人間が好きであり、不細工な者に対しては嫌悪感を抱く。それを理解しているからこそ、服装や化粧や髪型に気を遣うわけだ。
想像してみて欲しい、絶世の美人やイケメンに告白された時を。
それと対比して、見るも無惨な面に告白された瞬間を。前者であれば大抵の人間は狂喜乱舞するが、後者であれば吐き気を催す奴だっているだろう。
今日のコンテンツ産業にどっぷり浸かったオタクなら、より理解しやすいんじゃないか?
ほら、『ツンデレ』とか『ヤンデレ』ってあるじゃん? あれって、顔に恵まれてるからこそ成り立つ属性だよな。
顔が良い奴が、主人公に対してちょっと嫉妬したり、程良くツンケンした態度を取るなら萌える。しかし、モザイクがかかる寸前の醜悪な面が同じ事をしたら、単なるウザイ不細工だ。
容姿に恵まれた奴が、主人公への恋慕をこじらせて凶器を持つなら、そう少なくはない需要が存在する。
だが、顔のパーツが常人からかけ離れた奴が同じ事をしたら、それは純然たる犯罪者として処理されるだろう。
頭が悪かったり運動が苦手だったり、その他多くの欠点を持つヒーローやヒロインは数あれど、ブスや不細工な顔をした主人公の恋人役なんてそういない。
男向けならヒロインは美女に、女向けならヒーローは美男に。それが当然ってもんだ。『かわいいは正義』とか『※ただし、イケメンに限る』って標語もその傾向を象徴してる。
顔が良いからこそ許される行為や言動なんてのは、数限りなくあるんだ。
【顔の美醜っていうのは人間にとって最も大きな能力】だ。それはどれだけ取り繕っても、建前という薄皮一枚を隔てて厳然と存在している価値観である。
極端すぎると思うか? でもしょうがないだろう、実際に俺こと池 照吉自身がずっとそういう扱いを受けてきたんだから。
自分で言うのも何だが、俺は絶世の美男子だ。
暗く澱んだギョロ目・下唇だけがやけに厚ぼったい大口・吹き出物まみれの団子鼻・肌は月面のように荒れ果て・髪や眉はボサボサだ。まぁ、およそ100人中120人が『イケメンだ!』って断言するだろうな。
道を歩けば女が寄ってきて、ラブレターや贈り物で靴箱が溢れかえり。告白やデートの誘いはひっきりなし、フォークダンスは女子が俺の相手を争い……そんなテンプレートな、『モテる生き様』を体現してきたのが俺だ。
『神が祝福したかのような美形だ』って言われた程の俺のイケメンっぷりは、この世界において絶対かつ揺るぎない真実だった。
本当に、『昨日』までは。
俺は生まれた時からイケメンだった。
母の産道を通って顔が見えた瞬間、医師や看護師があまりの愛くるしさに息を飲んだらしい。そんな想定外があった後も、医療従事者たる務めを無事に果たした彼らには賞賛の念を送りたい。
そうして医師達が人事を尽くした結果として、空前絶後にないくらいにイケメンな俺が生まれた。俺の美形っぷりに、周囲の人間が魂を抜かれたような表情をしている中、俺の母は普通に俺を慈しんでいたらしい。
以上は全て、父から聞いた当時の状況だ。
育児中の俺の周りは、何かと人が途絶えなかった。
女看護師は何くれとなく用事を思いつき、俺の顔を一目見ようとする。他の乳幼児の母親ですら、我が子よりも俺に目を奪われる始末だ。退院の時は、実に盛大な見送りが行われたらしい。
保育園に入ってからもそれは続いた。
同年代の女子からの告白は日常、保育士も明らかに俺を贔屓する、それに伴って増大する男子からの嫉妬や羨望。誘拐されかかった事も一度や二度じゃないし、刃傷沙汰だって経験した。
小学校に入学する頃には、俺のイケメンっぷりは近隣一帯に轟いていた。
芸能事務所からのスカウトはひっきりなしにあったし、地域の有力者が俺と同年代の娘との縁談を積極的に組もうとした。注目される・優遇される・他者に好かれる、ってのが嫌いな奴はいないだろ? ガキの俺もその例に漏れずに、人気者になりたがったよ。
喉元すぎれば熱さを忘れる。誘拐や刃傷沙汰の事は覚えてても、それ以上に魅力的な話だったんだ。
でも、そんな美味しいオハナシを、俺の両親は一切合財キッパリと断った。保育園時代に血を見た事が、よっぽどこたえたらしい。俺はダダをこねたが、当時年齢一桁のガキが親に逆らう事はできず、俺の顔が地域外部に露出する機会はそうそうなかった。
俺のイケメンっぷりを利用すれば金はいくらでも入ってくるだろうに、頭が固い両親には今でもモヤモヤとした感情がある。
そして、両親が平等にお断りをした結果、権力者同士の綱引きによって『池 照吉に関しては不干渉』という取り決めがされたらしい。
詳しい事情は知らないし、知っちゃいけない気がする。
中学校くらいになると、俺のファンクラブがかなりの規模になった。少なくとも、俺や俺のファンクラブに睨まれると、その地域で生活を続けるのが難しいくらいには。
前述の『池 照吉に関しては不干渉』っていう取り決めの影響力もあって、俺への告白・接触・贈り物はファンクラブで厳重に管理され、厳正かつアトランダムな抽選によってしか許可されないらしい。
ここまで来ると、もう何かしらの猛獣扱いだよな。しかし、そのファンクラブの男女比が2:8というのが空恐ろしい。俺にそっちのケはねぇぞ!
こんな人生を歩んできたという前提を鑑みれば、俺が【顔の美醜っていうのは人間にとって最も大きな能力】って考えるのも、おかしくないと理解してくれるよな?
このイケメンっぷりで優遇された事は多々ある。口喧嘩をしても、何故か俺の言い分ばかりが尊重される。女子からの態度が、他の男子へのそれと露骨に違う。何をしても好意的に受け取られるんだ。
【顔の美醜っていうのは人間にとって最も大きな能力】だ。そして、最高にイケメンな俺は最高に有能だから、周囲も理解を示す。俺はそれが当然だと思ってたよ。いくらかの『例外』はあったにせよ、俺がイケメンだからという理由で許された行為はいくつもあったしな。
具体例を挙げようか。俺は小学校に入学する以前まで、『金を使った』事がなかった。
お小遣いを与えられていなかった訳じゃない。レジに商品を持ってけば、そこで働いてるオバちゃんや買い物客の主婦の方々が俺の商品の代金を肩代わりしてくれるんだ。「照吉君の笑顔が何よりのご褒美よ」って言いながら、若白髪の混じった俺の髪の毛を愛おしそうに撫でつつな。
『コレ』が異常な事態であると知ったのは小学校入学後だが、同時に気づいた。イケメンな俺は何をしても許されるんだと。
他の能力に関してもそうだ。
俺はハッキリ言って、運動も勉強も得意じゃない。でも、周りに群がってくる連中はそれを認めてくれるんだ。テストで赤点を取らない程度で、頑張ったと褒めてくれる。マラソン大会でビリでなかっただけで、万雷の拍手を送られる。
勉強も運動も、他に優れた奴はいくらでもいたのに、イケメンだというだけで周囲からの評価は俺がぶっちぎりで高かった。
高校生一年生となり、学生生活を謳歌していた時だって変わらなかった。自分の所属する教室で、椅子に座ったまま放課後を迎えた瞬間、こんな状態になる。
「照吉君、その……一緒に帰らないかな?」
「ちょっと! 何抜け駆けしてんのよ! ファンクラブの規則を破るつもり!?」
「はぁ、覚悟しておく事ですね。あなたは明日から居場所がありませんよ?」
数え切れない程の女子が群がってくる訳だ。中にはそこそこ美人の娘もいるが……まぁ、顔という能力を鑑みれば、俺と釣り合う程じゃない。
運動も勉強も大した事はない。コミュニケーション能力だって高いとは言えない。そんな俺なのに、クラスにおけるスクールカーストは最上位が当然で、俺が是と言えばそれがクラス(の女子)の総意となる。
だからまぁ、増長するのも当然だわな。整った顔立ちをしたブサメンは積極的に虐めようとしたし、未成年には許可されていない嗜好品に手を出そうとした事もある。結局、実行はできなかったが。せいぜい、不細工共をせせら笑いながら、人気者の学校生活を送るぐらいだ。
それでも、仮に何かやらかした所で『イケメン無罪』は成立するんだろう。【顔の美醜っていうのは人間にとって最も大きな能力】ってのは、俺にとって絶対的な価値観であり正義だったんだ。
さっき思った『例外』を除いて、な。
その筆頭は、まず両親だ。数ある誘惑を断ち切り、俺を真っ当に育ててくれた良識のある父と母ではあるが……イケメンである俺を贔屓しないので、やや複雑な想いだ。
そしてもう一つが、古い付き合いのある岸下の家族だ。
元々、池家と岸下家の両親同士が親友の間柄にあったらしい。結婚した後も付き合いは続き、同じようなタイミングで子供が生まれた。
当然、その子供同士を仲良くさせようとするよな。だから、幼馴染の少女である岸下 恵が傍にいるのは俺にとって当然だったし、恵もそれを受け入れてくれてたと思う。
恵は何というか……訳の分からない女の子だ。人間にとって最重要である顔に関しては、美人でもないが不細工でもない、特徴のない顔だ。セミロングの黒髪・体格はやや小さめ・一度視界に入れても、10秒後には忘れてる。そんな印象しか持てない地味っぷりだ。
そして恵自身が、他人の顔を覚えるのがすっげぇ苦手ってんだから、皮肉な話だよな。
そんな十人並みの容姿をした恵だが、見た目とは裏腹に行動は奇っ怪極まる。
誰もいない場所を見ながらブツブツと呟いていたり、何だか変な祈りを捧げていたり。後はもっと直接的に、「私ね、神様が見えるの。照吉だから言うんだよ?」って内緒話のように俺に話した事もあったか。
ぶっちゃけ、電波で虚言癖のある奴だった。しかし、幼い子供の言う事でもあり、運動や勉強みたいな大人受けするスペック自体は抜群に高かったから、周囲の大人達は苦笑しつつも放置していた。まぁ実際、年を経る毎にそういう言動は減っていったしな。
ただ、子供同士のコミュニティの中では完全に浮いていた。実家が『崖下神社』っていう由緒正しき宗教施設って事で、妙な雰囲気や説得力があったのも相まって、恵の発言は凄く『それっぽい』のだ。
恵の言葉を本気にして泣き出す奴もいたし、「嘘つき!」って言って突っかかる奴もいたな。当然の帰結過ぎて恵の自業自得としか思えないが。
そんな奇行が目立つ恵だが……一番おかしな点と言えば、俺との関係性だろう。
恵は俺に逆らう事がある。
これは、俺の顔による影響を考えると驚くべき事だと言える。
俺と相対した女は、大抵の場合ことごとく俺の虜になる。俺が「死ね」って言えば、躊躇なく死ぬレベルでな。実際、俺が保育園時代に、何ともなしに「チョコレートが食べたいな」と呟いたら、それを聞いていた女児が近くのスーパーでチョコレートを万引きしてきた。
当然、周囲の大人達は叱るわけだが、その女児が「照吉君が食べたいって言ったから」と主張したら、女の保育士は納得しそうになったという経緯もあった。まぁ、男の園長先生がいたから、辛うじて事態は収集できたが。
あるいは、俺と直接の面識の無い女は、一人歩きした噂を鵜呑みにして、俺を限りなくレイプ魔に近いチャラ男扱いしているか。大きく分けてその二種類だ。チャラ男は否定しないが、俺はまだ童貞だってのにな。
周囲の女共の監視が厳しすぎて牽制のし合いになってるのと、それと童貞特有の『始めては好きな人と』っていうロマンス脳によって、俺の貞操は守られてる訳だ。
まぁ、俺と女共の関わりなんざそんなもんさ。周囲の面識がある女は俺の言うが成すまま、男は嫉妬しつつも女子からの圧力を恐れて何も言えない。面識が無くて噂に踊らされる女なんて、いないのと一緒。女という存在は、俺のために都合良く動くだけの駒に過ぎない……ただし、両親と岸下家の面子を除いては。
不細工な奴をいじめようとしたら、恵に蹴られて中断した。未成年に許されてない嗜好品に手を出そうとしたら、恵から両親にチクられた。恵は発言や行動は奇人そのものなのに、妙な所でお行儀が良く、それでいて俺に対して躊躇や容赦が無い。
「本当に、照吉は私がいないとダメになるよね。神様だってそう言ってる」
俺が『悪さ』をしようとすると、そう言いながらマウントを取って、俺にとって何よりも大事な顔をボコろうとするのだ。
当然、俺は必死に許しを乞う。自分より背の低い少女に組み伏せられているというのは屈辱だし、いじめや嗜好品を止められたのは業腹だったが、それ以上に俺の最大の武器を守る事に精一杯だった。恥も外聞もなく「ごめんなさい」を言い続けて、もう俺のプライドはズタズタさ。
そんなこんなで、俺は恵に完全に尻に敷かれていた。普通なら憤る所なんだろうが、俺はむしろそんな関係に心地よさすら感じていた。他の女が俺の言う事に唯々諾々と従う脇で、同年代の女の中では恵だけがフラットな接し方をしてくれた。
自分の言いなりにしかならないロボットに囲まれてりゃ、必然的に『人間』が恋しくなるわな。
恵は恵で面倒見が良く、運動も勉強もできない俺に根気強く付き合ってくれた。俺がマラソンでビリにならなかったのは、恵がペースメーカーになってくれたからだ。テストで赤点を取らなかったのも、恵に勉強を教えて貰ったからだ。
そして、その度に恵はため息をつきながらこう言うのだ。
「本当に、照吉は私がいないとダメになるよね。神様だってそう言ってる」
忌々しいが、助かっているのは事実だ。イケメンという最強の能力を持つ俺とはいえ、他のスペックが低くて良い事はない。
となれば、恵には感謝すべきなんだろう。まぁ、口に出してやった事はないが。そこまでやると、本当に後戻りが出来ないくらいに、上下の立ち位置が決まってしまう気がする。
まぁ、そんな顔だけ普通な恵に助けられつつも……それでも、【顔の美醜っていうのは人間にとって最も大きな能力】だ。俺のこの考えは変わらないさ。ただ単に、たまには両親や岸下家のような例外がいるってだけだ。
その例外こそが、俺にとっては割と居心地の良い場所を提供してくれた訳だが。
そんなこんなで、自然体で接してくれる恵は俺にとっての癒しだったわけだが……それが、俺のファンクラブには気に入らなかったらしい。元々、幼少期の奇人ぶりが知れ渡っていた恵は、口実さえあればいじめられてもおかしくはなかった。
それに加えて、奇人らしからぬ運動や勉強等のスペックの高さと、何より俺との距離感。周囲の嫉妬心を煽るには十分だわな。
そんな事情を知って、中学時代に恵に対して割とえげつないいじめが行われているのに気づいた時、俺は生まれて初めて心底から怒った。その時ばかりは、イケメンコネクションをフル活用して、恵を守る事に心血を注いだ。アフターフォローまで含めてな。
結果、前述の取り決めは『池 照吉と岸下 恵に関しては不干渉』と変更されたんだ。
それでまぁ、そこまでやれば流石に気づくよな。俺は恵の事が好きなんだって。超絶イケメンたる俺が、普通顔の恵に恋慕する、ってのも皮肉な話だ。
でも、彼女いない歴=年齢 の俺には恋愛は荷が重かった。周囲に女は五万といるが、俺が恵に惚れている事を知ったら良い顔はしないだろう。
前述の取り決めのため、積極的に妨害をする事こそないだろうが、間違った知識を伝える可能性は十分にある。
だから、数少ない彼女持ちの男友達にアドバイスをもらい、恵と何度もデートをして、互いの気持ちをそれとなく確かめて、両想いである事をほぼ確信した。
そして、プレゼント等の段取りを整えて雰囲気の良い舞台を設定し、いよいよ明日こそ恵に告白しよう。と決意したその瞬間――
――世界が反転した。
最初は何も実感が沸かなかった。寝て起きて、目が覚めたら知らない天井なんて事もない。
魔法陣に囚われたわけでも、トラックが突っ込んで来たわけでも、周囲が鬱蒼とした森だったなんてわけでもない。『ここ』は間違いなく見慣れた地球の日本の我が家であり、起床した時はその違和感に首をひねるばかりだった。
違和感が強まったのは、リビングでテレビを見た時だ。目の前でニュースを読み上げる女子アナが、いやに不細工な事に困惑する。髪の毛はサラサラだし、目はパッチリしていて、肌もむきたてのゆで卵のようにツルリとしている。
この曜日のこの時間は、結構人気のある美人アナが映っていたと思うのだが……
不思議に思いながらも、朝食を食べた後に高校に出発する。その間も不審感はつのるばかりだ。
いつもなら、ファンクラブの掟を破って俺の出待ちをしている女子が、今日は誰一人として目に付かない。そして通学道を歩いても、偶然を装って俺に近づいてくる奴が一切いない。むしろ、遠巻きにされているようである。ファンクラブの規定が変わったのか?とも思ったが、感じる視線の質がそれを否定する。
他者に見られる事に慣れた俺は、それらの視線に含まれている感情を正確に読み取り、そして驚く。
周囲から向けられるのは、嫌悪・忌避・侮蔑・憐憫といった否定的な感情だ。老若男女関係なしに発せられるそれは、俺にとってはあまり馴染みのない物で。
男から嫉妬に満ちた視線を受ける事はたまにあるが、女からこうも一方的に負の視線――敵意と言って良いかも知れない――を感じるのはそうそうない。
困惑したまま高校に到着し、下駄箱で靴をはき替え、自分が所属するクラスに移動する。今日はやけに下駄箱がスッキリしているのが不思議だ。いつもなら、プレゼントやラブレターで埋まっているのが定番なのに。
首を捻りながら歩きつつも、向けられる視線の嫌悪感は段々と色濃くなっていく。というか、俺が通る度に舌打ちやため息すら聞こえて来る。何だか非常に気分が悪い。
これじゃあ、まるで不細工に対する態度そのものじゃないか。
クソッ、訳が分かんねぇ。だが、そんな事を考えている間にも足は進み、自分が所属する教室に到着していた。ドアを勢いよく開け、嫌な気分を振り払うように大声で挨拶をする。
みんなー! おはよーう!
イケメン補正により、スクールカーストの頂点に立っている俺が声を出せば大抵のクラスメイトは何らかの反応を見せてくれるのだが……しかし、返って来たのはいかにも興味の無さそうな視線。次いで、俺の顔を認識した途端に露骨に表情を歪めて目を逸らす。
何だこれは? 普段なら、俺の声を聞けて顔を見る事ができただけでキャーキャー言ってた女子共の反応が鈍い……いや、あからさまに悪い。試しに、手近にいるそこそこ美人な女(名前は忘れた)に声をかける。すると……
「ひっ!? ち、近寄らないでよ気持ち悪い! 何でアンタみたいなのが……もう、朝から最悪!」
意味が分からなかった。
俺が両親や岸下家以外の女から直に拒絶されたのは、この時が人生で始めてだったと言って良い。俺が声をかければ、尻尾を振って何でも喋る存在にこうも嫌悪を示されたのは、あまりに意外過ぎた。
人間って、あまりに予想外の事が起きると思考が停止するらしいな。そうして硬直したままの俺に声をかけたのは、クラスでも最底辺に位置する不細工な男(こいつも名前を覚えてない)だった。
「おいおい、その辺にしておけよ。何があったか知らねぇけど、女の子を嫌がらせてまで口説くなんて最低だぞ?」
スクールカーストにおいて最下層なはずのその男は、丁寧に整えられた眉をひそめて、スッと通った鼻筋を鳴らしながらそう言った。
普段なら、こいつが俺に逆らうなんて許されない。不細工は不細工同士で寄り集まって、クラスの隅っこでコソコソしていれば良いんだ。だが、この時の周囲の雰囲気や視線は、全面的にこの男を擁護し、そして俺を非難する物であり……そして、俺の混乱に拍車をかけたのは、さっき俺を拒絶した女の放った言葉だった。
「何で、アンタみたいな不細工に話しかけられなきゃいけないのよ! もうちょっと自分の不細工っぷりを顧みなさいよ! アンタみたない不細工、喋って動くだけで迷惑なのよ!」
今度こそ、俺の動きは完全に停止した。
不細工? 誰が? 俺が? この俺が? 暗く澱んだギョロ目・下唇だけがやけに厚ぼったい大口・吹き出物まみれの団子鼻・肌は月面のように荒れ果て・髪や眉はボサボサで……神が祝福したかのような美形だと讃えられてきた、この俺が!?
ありえない、こんな事はあってはいけない。一体何を言われているのか分からなかった。まるで、この大地が実は球体じゃなくて、平たい皿だと言われたような感覚さ。
「あー、そういう言い方は良くないと思うけど……でもよ、お前はもう少し自分の格好を鑑みるとかだな……」
注意をしてきた男が、歯切れが悪そうに言った。その言葉を裏付けるように、周囲からの視線の圧力も増してきて。俺の目の前に、容赦なく『現実』を突きつけて来ていて。
朝見たテレビのアナウンサー、道行く人々の視線、空っぽの下駄箱。証拠は十分に揃っていて、こんなドッキリを仕掛ける価値も見いだせなくて。
地面は平らである事を強制的に認識させられて……
瞬間、俺は逃げていた。その場から踵を返して、お化けを見た子供のように情けなく。
何だコレは? 訳が分からない! 昨日までは、確かに俺は比類なきイケメンだったんだ! なのに、一夜にして価値観が逆転してしまった! それとも、この学校が得体の知れないオカルトに染まっちまったのか!?
そんな事を考えながら走っている間にも、廊下にいる生徒達からは負の感情と視線が送られてきた。そんな悪意から離れたくて、急いで下駄箱で靴を履き替え、学外に向かって飛び出す。
そして、校門を飛び出す寸前で、俺は恵の姿を発見した。もっと良い進学校に行けたろうに、俺に付き合ってこの高校に入学してくれた、心を許せる幼馴染に。
「あ、おはよう照吉。今日も――」
朝の挨拶もそこそこに、俺は鈍い身体能力を必死に働かせつつ恵に走り寄り、間近に迫ってその肩を掴んで問いかける。恵、俺は一体どうしちまったんだ? 周囲の認識がおかしいんだ! イケメンである筈の俺を不細工扱いするんだ! それとも……俺は! ひょっとして! 不細工なのか!?
俺の今までの人生で培った価値観そのものを含んだ問いは、しかし――
「ごめん、照吉。その言葉を私から言う事はできない」
――困ったような表情をした恵によって、一刀両断に処された。
普段なら、俺に対して遠慮の無い態度を取る幼馴染。いつもなら、俺に対して忌憚の無い意見をぶつけてくる初恋の人。そんな風に良く知った間柄のはずなのに、今みたいな恵の曖昧な顔つきは始めて見た。
恐らく、それは死刑宣告だ。
悪くない感情を持っているだろう幼馴染に対して、面と向かって「お前は不細工だ」とは言えないだろう。だからこそのノーコメント、だからこその困ったような表情。
最後の希望すら絶たれた俺は、そこから再び走って逃げた。後ろで恵が何か大声を出しているが、それを気にする余裕もない。
そんな風にヒロイックな想いで走ったは良いが……元々運動神経が悪く、スタミナにも乏しい身体だ。高校から程近い商店街まで達した所で息が上がり、今はコンビニのイートインスペースで休んでいる。
……いや、今日が平日で授業がある事を考えれば、『サボっている』という表現が的確か。
それはともかく、ペットボトルのスポーツドリンクを買って休憩したは良いものの、Yシャツが肌に張り付くぐらいに汗まみれだ。息も荒く、さっきのショックから立ち直れてない俺は、さぞかし無様に見えるだろう。
それでいて、ここでも悪夢は終わらない。コンビニ店員達がこちらをチラチラ見ては、「……不細工」だの「うわぁ……」だの聞こえる。それが決して聞き間違えではない事は、俺と目が合った瞬間の店員の反応で露骨に理解させられた。
加えて、釣り銭を交換する時に女の店員と手が触れ合ったら、「ひっ!?」なんて悲鳴が付くオマケもあったな。
本当に、訳が分からない。俺自身の顔が変わっていない事は、今日の朝に洗面台で確認している。ならば、変わったのは周囲の価値観か? 何で変わった? 誰が変えた? 一体何のために? あるいは、単なる偶然でこんなクソみたいな世界に迷いこんじまったのか?
悶々としながら思考の迷路を彷徨っていると、そこそこ可愛い幼女がコンビニの陳列物を誤って床にブチ撒けてしまったのが見えた。幼女は泣きそうになりながら、品物を拾い集めている。店員からは死角となって見えない位置のようで、仕方なく俺が手伝おうとしたのだが……
「ひっ! こ、こないでぇ!」
この拒絶っぷりで、元々疲弊していた心が完全に折れた。しかも、その場面を幼女の母親に見つかり、警察を呼ばれそうになるという有様だ。
学生が平日の昼間からコンビニでたむろしているのは見栄えが良くないだろうが、それにしても『昨日までの俺』なら、大事にはならなかったろう。少なくとも、不審者扱いはされなかったはずだ。
そして、事ここに至って俺はようやく、『今の自分』が不細工扱いされているという事を確信する。それも、見た者が例外なく悪感情を抱くレベルでだ。理由も原因も分からないが、周囲の反応がそれを証明している。
今までの俺は、ずっとイケメン補正に助けられてきた。運動や勉強が中の下程度でも、いじめや違法行為に手を染めようとする最悪の性格でも、顔が良いという一点だけでどうとでもなった。
しかし、その価値観が通じなくなったなら……むしろ、不細工扱いされるようになったなら。後に残されるのは、何一つ取り柄の無い醜男に過ぎない。
この状態がいつまで続くかは分からない。今日限りの間違いかも知れないし、あるいはこの先もずっと続くのか……分からない、俺には何一つ分からない。
だが、こうした認識をする事で俺は原点に立ち戻る。ああそうさ、ずっと思っていたはずだし、実感してもいた。ただ単に、『それ』が反転して、一番嫌な形で跳ね返って来ただけさ。
そう……【顔の美醜っていうのは人間にとって最も大きな能力】だ。
だから、今の俺はとんでもなく無能な、単なる不細工に成り下がったんだろう。
今までは、イケメンという特権を振りかざすだけで、何もかもが手に入った。しかし、この美醜の価値観が逆転した世界で、一体俺に何が得られるのか。その答えはまるで見つからない。




