1.主人公最強
うるせえ。うるせえ。うるせえ。
俺を物珍しげに取り囲み、白い吹き出しを飛びかわし合う人外ども。
獣人、エルフ、小さい妖精みたいな生き物。中には人間もいるみたいだが、そんなことどうだっていい。
街のど真ん中で突っ立つ俺を遠巻きに眺めながら、奴等は会話の度に看板に台詞を書いたようなボードを頭上に次々浮かび上がらせる。その内容はどれもこの俺のこと。
『何あれ、新しい装備? 初めて見るんだけど課金装備?』
『いや、あんなジャージみたいな課金装備なんて見たことねえよ。ていうか名前表記、あれ本名じゃねえのか?』
『職業表記、高校生って何? そんなジョブないよ? もしかしてイベントキャラなのかな?』
遠巻きに眺める奴等の頭上には例外なく外人みたいな名前と二本の蛍光灯みたいなカラフルなバーを光らせていた。
何がライオットだ、何がジェファーニアだ。外人かぶれな名前ばかりかと思ったら残念無念丸みたいな変な名前もいた。名付け親の顔が見たい、誰だよそんな名前つけた奴は。
中世ヨーロッパ風の洋館と日本屋敷が混合して立ち並ぶ、和洋折衷と言うにもおこがましい街並み。その道のど真ん中で数十人の化物どもに眺められる俺。
琵琶湖の如き心の広さを持つ俺も、このような動物園のチンパンジーのような扱いを受けて黙ってはいられない。相手が化物だろうが知ったことか。
腹筋に力を込め、あらん限りの声量で俺は奴等に叫ぶのだった。
「見世物じゃねえぞおらあっ! 俺は人見知りでシャイボーイだから、視線を集めると恥ずかしくて泣きそうになるんだよ!」
『うわっ! チャット飛んできた! NPCじゃなかったのか』
「誰も特定非営利活動法人の話なんかしてねえだろ! ほら、散れ! 散れ! 動物が人間様を珍獣の如く眺めてんじゃねえ! その尻尾ブラッシングされてえのか!」
『しかも感じ悪っ。君さ、人の集まるサーバーにインしておいてそれは無いんじゃないの? 暴言が酷いと通報されちゃうよ?』
「うるせえ猫耳男! いい歳した男が猫耳つけて街歩いて鯖だ鮪だの意味不明な発言連発しやがって、どう考えてもお前の方が通報対象じゃねえか! 国家ポリスに職務質問される前にイベント会場にでも帰れや!」
『通報しました』『通報しました』『通報しました』『通報しました』『通報しました』『通報しました』『通報しました』
「うるっせええええええええええええ!」
周囲の人外どもから飛び交う赤色の吹きだしと警報のような音に、俺はたまらず脱兎のごとく逃げ出した。
いや、逃げてるわけじゃない、これは戦略的撤退だ。俺の辞書に逃走の文字はない。
人外の連中から撤退し、路地裏のバケツに身を潜めながら、俺は大きく溜息をついて一人呟くしかできなかった。
「ちくしょう、いったいこの化物だらけの場所はなんだっつーんだよ……」
頭にバケツの蓋を載せて、俺はどうしてこのような事態に陥ったのかを振り返った。
夕食を食べ終え、自室に戻った俺はお気に入りのジャージに着替えて今日もマリモレーシングのタイムアタックに挑戦していた。
俺の華麗なテクが冴えわたり、インコーナーを突き抜けようとした刹那、気付けばこの場所にいた。そして人外どもの注目を浴びていた。回想終わり。
「やべえ、自分で振り返っても全然意味が分かんねえ……モコモコサーキットのショートカット先が化物ワールド第一ステージなんて、ゲームそのものが変わってんじゃねえか」
混乱のあまり、自分で言ってる言葉の意味すらよく分からない。人間、脳が理解出来る範疇を超えるとオーバーヒートするんだと今日初めて知った。
とにかくまとめると、俺はゲームをしていた、その途中で気付けばこの訳の分からん獣人やらエルフもどきやら日本とは思えない街並みのコスプレ会場に君臨していた。しかも奴等は言葉と併用するように、ホワイトボードを通じて日本語を介する不思議民族らしい。不便すぎるだろ。
右も左も分からない俺だが、とりあえずこのまま外に出るのは拙いというのは分かる。
俺にとっては往来でコスプレジャックしてる奴等こそワンワンオー通報するべき対象だと思っているが、この場所では俺のほうが物珍しい生物らしい。このまま街中に出て、奴等の玩具になるのはごめんだ。
とにかく今は状況を把握することが先決。現在俺の所有するもの、ジャージ。終わり。ジャージ一つで俺はこの不可思議な現象を乗り越えなければならないらしい。ふざけんな。
何かないかと必死にジャージのポケットを漁ったが、出てきたのは見慣れない真っ白な石……石?
「なんだこれ?」
野球ボール大の大きさの真っ白な石を見つめる。こんなもんポケットに入れてた記憶はない。
まあいいやと俺はその白い石を迷うことなく放り捨てた。だって重いし邪魔だしいらないし。俺は石マニアでも何でもない。
放り投げた丸石は、地面に転がり石としての職務を再開した……かと思ったら、凄い勢いで俺の元に戻ってきた。戻ってきたというか、飛んできた。俺の右頬に突っ込み、表示される『このアイテムは捨てられません』の白ボード。
「って捨てられませんって何だそりゃああああああ! 馬鹿にしてんかテメエ!」
右頬を押さえながら、俺は怒りに身を委ね、高校野球児ばりの強肩を発揮して空の彼方へ石を斜方投射した。こう見えても小学生時代は野球少年だったりする、全試合ベンチだったが。
別れを告げた丸石は、まるで俺との別れを必死に拒むかのように再び大きくカーブを描いて舞い戻り、俺の顔面にクリーンヒットした。こいつ、わざとか!?
許せない。胸の中でふつふつと湧き上がる怒りを抑えられず、俺は石に対して指を指し、宣戦布告を突きつけた。
「俺は舐められるのが許せねえ人間なんだよ。ましてや相手が人外、石ごときに舐められたなんてあっちゃあ、俺は明日から街を歩けねえ。矜持ってもんがあんだよ……石如きが、舐めてくれてんじゃねえぞおらぁ!」
怒りを爆発させた俺は、石を鷲掴みにして大地へと叩きつける。空ではなく地面に叩きつけるならば即座に対応はできまい。
だが、石もやるもの。まるでそれを見透かしていたかのように、白石は地面すれすれで軌道を変え、空へと舞い上がる。まるで逆フォークだ。
しかし、それを更に読んでみせてこそ人間の知恵というもの。浮き上がってきた白い石に、待ってましたとばかりに俺は回し蹴りを繰り出していた。タイミングどんぴしゃり、完璧に捉えた。
「石如きが二度と人間様に盾突くんじゃねえぞ! ひゃっはー! 空の彼方に消えやがれえええええええ!」
爪先で石を蹴り飛ばす瞬間――俺の時間はスローモーションへと変わる。
ゆっくりと足先が石へとめり込む中で、俺はようやく悲しい事実に気付いてしまった。俺、今、裸足じゃん。
何の保護もされていない爪先で固い石を蹴ればどうなるか。その答えは、俺が地に倒れ伏したこの光景が全てを雄弁に物語っているだろう。
痛いとか、つらいとか、そんなレベルじゃねえ。死にたい。本当、もう、いっそ殺してくれ。それくらいの酷さだった。
「ふぅぅぅ……あおぅ……」
変な呼吸を繰り返しながら、大地を転げまわって悶絶するしかない俺。今は一秒でも早く痛みが消え去ることを祈るしかできない。
中学生の頃、クラスメートの男子連中で必死に練習したラマーズ法を繰り返す俺。そんな哀れな子羊を見下ろしてくる少女が一人。
いつのまに俺の近くまで接近していたのか、その少女は地面に転がる俺に眉を顰めながら見下ろして観察していた。狩人風の軽装に金の髪と尖った耳……どう見てもエルフコスプレ女だ。ただ、顔に少しばかり見覚えがあるような気がした。コスプレ趣味の女に知り合いなんていないんだが。
とりあえず、こいつも俺を見て物珍しげに馬鹿にするつもりなんだろう。往来でコスプレをする人間より、ジャージ姿の俺の方が馬鹿にされるなんて何て嫌な世の中だ。何もかも時代が悪い。
だが、何の罪もない善良男子高校生の俺が理由もなく見下されていい筈がない。何度も言う、俺は見下されるのが何よりも嫌いなのだと。
痛みを堪えながら、何とか立ち上がりエルフ女に文句を言おうとした、その時だ――エルフ女が俺に対して大きな溜息をついて、疲れたように言葉を放ってきたのは。
「何を一人で遊んでいるんですか、斉木君……やっと知ってる人を見つけて話をしようと思ったら、他のプレイヤーたちに喧嘩を売りまくっているわ、路地裏で一人遊びを初めているわ……そういうの、コメントに困ります」
「……ああん? なんでエルフコスプレ女が俺の名前を知ってんだ? いや、大事なのはそこじゃねえ、俺は別に路地裏で一人遊びしてるんじゃねえぞ!」
「いや、大事なのはそこだと思うんですけど……では、路地裏で何をしてたんですか?」
「聖戦だ。この石コロの野郎、何度捨てても俺の元に戻ってきて俺を虚仮にしやがる。石如きに負けたとあっちゃ、俺のこれから先の人生において石への敗北者なんていうレッテルが張られちまう。これは言うなれば人の尊厳を守る戦いなんだよ」
「……馬鹿ですか? 斉木君、馬鹿なんですか?」
「馬鹿馬鹿うっせえ! お天道様の下で元気にコスプレカーニバル真っ最中のお前に馬鹿の何たるかを教えてもらいたくは……」
そこまで言葉を続け、俺はあることに気がついた。このエルフ女、他の連中とは違って会話しているときに白ボードが出てない。
頭上に表示されたこいつの名前、『レム』。その疑問を訊ねるより早く、レムって女は溜息をつきながら事情を語り始めた。
「私も気付いたらこの『メアサガ』の世界にいたんです。なぜか自分の作ったキャラの格好になっていて、ゲームの世界に入り込んでしまっていて……一人どうすればいいか悩んでいたときに、斉木君、あなたを見つけたんです。一人じゃないって気付いて、ちょっとだけ安心したんですが、あなたの奇行を見て、私、とても今不安です」
「おい、俺の聖戦を奇行なんて表現すんじゃねえ。あとお前、初対面の相手になれなれしい奴だな。美少女じゃなかったら顔面に闘魂込めてやるところだ。俺は礼儀のなってない奴と言葉遣いの悪い奴が世界で一番嫌いなんだよ」
「斉木君、鏡見たことあります?」
「あるぜ、鏡は素晴らしいな。あれは毎日世界で一番格好良くて美しい男の姿を映し出してくれる世界の誇る発明品だ」
「馬鹿なんですね、斉木君ってやっぱり馬鹿なんですね。分かっていたけど馬鹿なんですね。それと私、初対面じゃないです」
「だから馬鹿馬鹿言うんじゃねえ! 初対面じゃないって何だ、俺はエルフの知人なんざ一人もいねえぞ。コスプレ趣味の奴だって一人も知らねえ」
「この格好なのは不可抗力です! 私だって好きでこの格好になったわけじゃありません! あと、本当に私のこと分からないんですか?」
そう言いながら、エルフ女は両手の指で輪っかを作り、眼鏡のように顔に当ててみせた。
いや、眼鏡エルフなんてマニアック過ぎる存在なんか知る訳ねえだろ。どんなマニアックなあはーんな本を探せばそんな存在が……いや、待て。この顔と眼鏡、どこかで覚えが……考えること一分、俺は自信なさげにレムって女に訊ねかけた。
「もしかして、お前……ウチのクラスの河合か?」
俺の自信ゼロの問いかけに、目の前の美少女エルフはこくんと頷いて肯定した。マジかよこいつ……本当に河合なのかよ。
河合玲夢。俺の所属する二年B組の女子で、みつあみ眼鏡と地味オブ地味子を行く女だ。会話をしたことない上に、じっと顔を見たことなかったんだが、こいつ、ここまで美少女だったのか。
……いや、しみじみと感嘆してる場合じゃねえ。よく分からんが、とりあえず言っておくべき言葉がある。
「詐欺過ぎるだろお前」
「詐欺って何ですか!?」
「俺の記憶では河合はクイーン・オブ・地味子を行く女だったはずだ。それがここまで美少女デビューするなんてありえねえだろ。お前だけそんなに美少女になるなんて卑怯だ、俺もカッチョイイさわやか美少年にしやがれ」
「そんな理不尽な要求をされましても……あと、髪とか耳とかは変わってますけど、この顔、現実の私と変わってませんから」
「なにさりげなく『私本当は美少女です』アピールしてんだ。さり気なくめんどくせえ女だな、お前」
「め、めんどくないです! 本当に斉木君は失礼ですね!」
「お前がめんどくさい系女子なのは分かったから、さっさと俺を絶世の美少年にする方法か俺以外の男を不細工にする方法を教えやがれ!」
「知りませんよ!?」
結局それから五分ほど尋問したが、河合は俺の求める情報は握っていなかった。役立たずが。
失望する俺に対し、呆れるような溜息をつきながら河合は改めて話を進めた。
「斉木君、私たちの現状をちゃんと理解してますか? 私たち、どうやらゲームの世界に入り込んでしまったみたいなんです」
「……お前、頭大丈夫か? ゲームのし過ぎは現実と妄想の境界線が……」
「真面目な話なんですからちゃんと聞いて下さい! あと私を可哀想な子扱いしないでください!」
そう言って、河合は俺にこの『ゲームの世界』のことを話し始めた。
この世界は半年前に発売されたネットゲーム『メアーリー・サーガ』っていうゲームの世界らしい。らしいと表現したのは、俺が未プレイでゲームのことを微塵も知らないためだ。
ただ、友達でプレイしてるって奴はいることはいる。ロールプレイングゲームで、市販のゲーム機で出来るから、ネトゲに詳しくない奴でも手が出せるとかで人気になってるやつだ。
俺が未プレイなのは、ロールプレイングゲームがそこまで得意じゃないのと、今はマリモレーシングに熱中しているためだ。
話を戻そう。河合の話では、この世界はその『メアーリー・サーガ』のゲームの街と一致しているのだとか。説明を軽く受けた俺は、とりあえず思った疑問を口にした。
「お前、めちゃくちゃ詳しいな。さっき、そのキャラも自分の作ったキャラになっていたって言ってたし……お前、プレイヤーか?」
「た、嗜む程度にです。別に私はガチ勢という訳ではありませんから」
「嗜む程度にしては熱入れて語ってたように見えたけどよ。ちょっと総プレイ時間俺に教えてみ?」
「……黙秘します」
「お前絶対ガチプレイヤーだったろ! 目を逸らして誤魔化すんじゃねえ!」
「わ、私のことは今は置いておきましょう! とにかく、この現状は異常なんです! ゲームの世界に入ってしまうなんて、どうすればいいんですか! どうやったら元の世界に帰られるんですか!?」
「そんなの俺が知りてえわ! お前にとっちゃ馴染みある世界だからまだマシだろうが、俺なんか微塵も触れたことのないゲームの世界にジャージ姿でコンニチワしてるんだぞ!? なんとかしろよ河合! 俺を元の世界に戻せ! 俺はゲームの世界に入りたい願望なんて微塵もねえんだよ!」
「私に頼られても困りますっ! さ、斉木君は男の子なんですから、こういうときは私が頼る側ではないんですか!?」
「男女平等舐めんな! 女性の権利を向上させようという俺の全国水平社的な思想が分からんのか!」
「微塵も分かりませんよ!? それだけ偉そうな話し方してるんだから、何とかしてください! 名前だって最強っぽいし、なんとかなりませんか!?」
「おま、ひ、人のトラウマに触れるんじゃねえ! 小学生の頃、クラスメイトたちから『最強太のくせに最弱なんだ』って腕相撲大会でからかわれた時の心の傷が……ぐ、沈まれ、俺の心の傷よ……」
「馬鹿じゃないですか!?」
結局、互いに唾を飛ばし合って激しい激論を交わし合ったものの、俺たちは有用な情報は何も持たず。
こうして俺、斉木陽太はめんどくさい系女子こと河合玲夢と『メアサガ』の世界に理由も分からず入ってしまったのだった。ああ、泣きてえ、くそが。
謎の石が淡く光り輝きました。
属性『主人公最強』を石に記録します。
(≧▽≦)