婚約破棄ですか? 受けますので、人形劇の続きを見に行ってもいいですか?
「クラリス! お前との婚約を破棄する!」
王都で開かれた春の園遊会。
伯爵令息のエドワードは、大勢の貴族たちが見守る中、私に向かってそう宣言した。
彼の隣には、淡い金髪の美しい令嬢が寄り添っている。
子爵令嬢のミレーヌ。
彼女はエドワードにしなだれかかっていた。
「私はミレーヌを愛している。お前のような退屈な女と結婚するつもりはない!」
退屈な女。
まあ、否定はできない。
それに。
彼から婚約破棄破棄してくれるとは好都合だ。
「そうですか。承知いたしました」
「……は?」
あまりにもあっさり答えたせいか、エドワードは拍子抜けした顔をした。
「何だ、その反応は。泣いて縋ると思っていたのだが」
「泣くほどのことでもありませんので」
「強がるな! お前は私を愛しているのだろう!」
私は少し考えた。
「ええ。以前はそうでしたね」
本心からそう言う。
正確には、彼のことを好きだった時期もある。
最初は彼も優しく、私のことを尊重してくれていた。
けれど、今となっては懐かしい思い出だ。
彼と婚約してから三年。
私は彼の趣味に付き合い、彼の友人たちとの食事にも出席し、彼の好きな話題を覚えようと努力した。
彼は馬が好きだった。
私は馬が苦手だった。
彼は狩猟が好きだった。
私は血を見るのが苦手だった。
彼は政治談議が好きだった。
私はその手の話に興味がなかった。
それでも、彼の隣にいたかったから、できる範囲で合わせてきた。
しかし、ある日を境に私は彼のために何かをすることをやめた。
きっかけは、街の小さな人形劇場だった。
偶然見かけた人形劇に夢中になり、終演後も席を立てずにいた私に、彼はこう言ったのだ。
『子供じみた遊びに夢中になるなんて、君は本当に幼稚だな』
それ以来、私は彼の前で人形劇の話をしなくなった。
話してもそんな反応が返ってくると思うと、全く嬉しくないから。
そんな事を考えていると、エドワードが声を荒げる。
「クラリス。聞いているのか?」
「はい。聞いております」
「ならば、ミレーヌを見習え。彼女は私の趣味を理解してくれる」
隣の令嬢が、控えめに微笑む。
ただし、私の目には優越感たっぷり微笑んでいるように見えた。
「私、エドワード様となら、どんな狩猟にもご一緒いたしますわ」
「ほらな!」
彼は得意げだった。
私は頷いた。
「それは素晴らしいですね。どうぞ末永くお幸せに」
これも本心からの言葉である。
もう彼と一緒に居続けることはできないな、と思っていたから。
彼に尽くす気持ちすら消えていたから。
私はその場を離れた。
背後から何か言われた気もするが、振り返らなかった。
ようやく自由になったのだから。
◇
婚約破棄から一週間後。
私は王都の片隅にある小さな人形劇場を訪れていた。
とある手筈を整えてから。
「本当に来たんですね、お嬢さん」
出迎えてくれたのは、劇場の座長だった。
「はい。以前お話しした件ですが、雑用でも構いません。ここで働かせていただけませんか?」
「貴族のお嬢さんが、こんな場所で?」
「もう婚約者もおりませんから。それに既に家族の了承も得ています」
座長は困ったように笑った。
「うちは給金も安いし、仕事も楽じゃありませんよ」
「承知しています」
「……それなら、まずは掃除からお願いします」
「はい!」
こうして私は、人形劇場で働き始めた。
人形を動かすことはまだできない。
舞台装置の扱いも分からない。
それでも、毎日劇場に通うのは楽しかった。
そして一か月後。
私は久しぶりに王都の大通りを歩いていた。
すると、見覚えのある二人が目に入った。
エドワードとミレーヌだ。
ただし、以前のように仲睦まじい様子ではなかった。
どこか険悪な様子である。
「だから、私は狩猟なんて嫌だと言ったでしょう!」
「君は私の趣味を理解してくれると言ったではないか!」
「理解することと付き合わされることは違います!
それに、限度があります!貴方は狩猟に行きすぎです!」
どうやら、揉めているらしい。
さらに、ミレーヌは周囲を気にしながら言った。
「それに、あなたの好きな討論会だかに付き合うために、わざわざ新しいドレスまで用意したのよ!
それなのに貴方たちは訳のわからない話で、王様達を批判して!」
「おい、こんなところでそんな事をいうな!」
私は足を止めた。
なるほど。
彼女は彼の趣味を理解していたのではなく、彼の隣にいる自分が好きだったらしい。
だからこそ、ずっとそんなことに付き合わされて、限度が来てしまったのだろう。
もっとも、私も人のことは言えない。
かつては同じだったのだから。
私は早々にリタイアしてしまったしね。
「クラリス!」
エドワードが私に気づいた。
「お前、こんなところで何をしている!」
「お仕事の帰りです」
「仕事だと? まさか、本当にあの人形劇場で働いているのか?」
「はい」
彼は呆れたように笑った。
一応、本当に一応、元婚約者だから、今後のことを少し報告していたのだ。
返事はいらない、と言ったから彼の感想を聞くのはここが初めてだ。
まあ想定通りの反応だった。
「伯爵令嬢が人形遊びとはな。婚約を破棄して正解だったようだ」
その言葉に、私は少しだけ笑った。
「ええ。私もそう思います」
「なっ……!」
「それでは失礼いたします」
私は再び歩き出した。
背後からは、再び二人の言い争う声が聞こえていた。
◇
その日の夜。
劇場では新しい演目の稽古が行われていた。
「クラリス、そこの人形を取ってくれ」
「はい!」
座長に呼ばれ、私は舞台袖から人形を手渡す。
すると、隣にいた若い男性が笑った。
「すっかり馴染みましたね」
「まだ失敗ばかりですけれど」
「最初は誰だってそうですよ。僕も何度、人形を落としたことか」
彼はこの劇場で人形を操る青年、ルカだった。
「今度の公演、よかったら客席から見てください。あなたが手伝ってくれた舞台ですから」
「でも、私は仕事がありますし……」
「……では、仕事が終わったら貴女のために演じます。
僕1人で良ければ、ですが……」
彼は当たり前のように言った。
私は少しだけ頬が熱くなるのを感じた。
かつて私は、誰かに好かれるために、その人の好きなものを好きになろうとしていた。
けれど今は違う。
自分が好きなものを好きだと言える。
それだけで、こんなにも毎日が楽しい。
「ルカさん」
「はい?」
「貴方の演技、客席から楽しみにしていますね」
彼は嬉しそうに笑った。
舞台の幕が上がる。
小さな劇場に、拍手と笑い声が広がった。
私と彼も頷きあって、仕事モードになる。
もう今の私たちは劇団員だ。
そこではと思う。
私の人生も、ようやく幕が上がったところなのだろう。
今度は誰かのためではなく、私自身が楽しむために。
そんな事を思いながら、私は裏方として駆け出すのであった。




