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婚約破棄ですか? 受けますので、人形劇の続きを見に行ってもいいですか?

作者: 黒色鮎
掲載日:2026/11/04


「クラリス! お前との婚約を破棄する!」


 王都で開かれた春の園遊会。

 伯爵令息のエドワードは、大勢の貴族たちが見守る中、私に向かってそう宣言した。

 彼の隣には、淡い金髪の美しい令嬢が寄り添っている。

 子爵令嬢のミレーヌ。

 彼女はエドワードにしなだれかかっていた。


「私はミレーヌを愛している。お前のような退屈な女と結婚するつもりはない!」


 退屈な女。

 まあ、否定はできない。


 それに。

 彼から婚約破棄破棄してくれるとは好都合だ。


「そうですか。承知いたしました」

「……は?」


 あまりにもあっさり答えたせいか、エドワードは拍子抜けした顔をした。


「何だ、その反応は。泣いて縋ると思っていたのだが」

「泣くほどのことでもありませんので」

「強がるな! お前は私を愛しているのだろう!」


 私は少し考えた。


「ええ。以前はそうでしたね」


 本心からそう言う。


 正確には、彼のことを好きだった時期もある。

 最初は彼も優しく、私のことを尊重してくれていた。


 けれど、今となっては懐かしい思い出だ。


 彼と婚約してから三年。

 私は彼の趣味に付き合い、彼の友人たちとの食事にも出席し、彼の好きな話題を覚えようと努力した。


 彼は馬が好きだった。

 私は馬が苦手だった。

 彼は狩猟が好きだった。

 私は血を見るのが苦手だった。

 彼は政治談議が好きだった。

 私はその手の話に興味がなかった。

 それでも、彼の隣にいたかったから、できる範囲で合わせてきた。


 しかし、ある日を境に私は彼のために何かをすることをやめた。


 きっかけは、街の小さな人形劇場だった。

 偶然見かけた人形劇に夢中になり、終演後も席を立てずにいた私に、彼はこう言ったのだ。


『子供じみた遊びに夢中になるなんて、君は本当に幼稚だな』


 それ以来、私は彼の前で人形劇の話をしなくなった。

 話してもそんな反応が返ってくると思うと、全く嬉しくないから。


 そんな事を考えていると、エドワードが声を荒げる。


「クラリス。聞いているのか?」

「はい。聞いております」

「ならば、ミレーヌを見習え。彼女は私の趣味を理解してくれる」


 隣の令嬢が、控えめに微笑む。

 ただし、私の目には優越感たっぷり微笑んでいるように見えた。


「私、エドワード様となら、どんな狩猟にもご一緒いたしますわ」

「ほらな!」


 彼は得意げだった。

 私は頷いた。


「それは素晴らしいですね。どうぞ末永くお幸せに」


 これも本心からの言葉である。

 もう彼と一緒に居続けることはできないな、と思っていたから。

 彼に尽くす気持ちすら消えていたから。


 私はその場を離れた。

 背後から何か言われた気もするが、振り返らなかった。

 ようやく自由になったのだから。

 







 ◇


 婚約破棄から一週間後。


 私は王都の片隅にある小さな人形劇場を訪れていた。

 とある手筈を整えてから。


「本当に来たんですね、お嬢さん」


 出迎えてくれたのは、劇場の座長だった。


「はい。以前お話しした件ですが、雑用でも構いません。ここで働かせていただけませんか?」

「貴族のお嬢さんが、こんな場所で?」

「もう婚約者もおりませんから。それに既に家族の了承も得ています」


 座長は困ったように笑った。


「うちは給金も安いし、仕事も楽じゃありませんよ」

「承知しています」

「……それなら、まずは掃除からお願いします」

「はい!」


 こうして私は、人形劇場で働き始めた。


 人形を動かすことはまだできない。

 舞台装置の扱いも分からない。

 それでも、毎日劇場に通うのは楽しかった。


 そして一か月後。


 私は久しぶりに王都の大通りを歩いていた。

 すると、見覚えのある二人が目に入った。


 エドワードとミレーヌだ。

 ただし、以前のように仲睦まじい様子ではなかった。

 どこか険悪な様子である。


「だから、私は狩猟なんて嫌だと言ったでしょう!」

「君は私の趣味を理解してくれると言ったではないか!」

「理解することと付き合わされることは違います!

 それに、限度があります!貴方は狩猟に行きすぎです!」


 どうやら、揉めているらしい。

 さらに、ミレーヌは周囲を気にしながら言った。


「それに、あなたの好きな討論会だかに付き合うために、わざわざ新しいドレスまで用意したのよ!

 それなのに貴方たちは訳のわからない話で、王様達を批判して!」

「おい、こんなところでそんな事をいうな!」


 私は足を止めた。


 なるほど。

 彼女は彼の趣味を理解していたのではなく、彼の隣にいる自分が好きだったらしい。

 だからこそ、ずっとそんなことに付き合わされて、限度が来てしまったのだろう。


 もっとも、私も人のことは言えない。

 かつては同じだったのだから。

 私は早々にリタイアしてしまったしね。


「クラリス!」


 エドワードが私に気づいた。


「お前、こんなところで何をしている!」

「お仕事の帰りです」

「仕事だと? まさか、本当にあの人形劇場で働いているのか?」

「はい」


 彼は呆れたように笑った。

 一応、本当に一応、元婚約者だから、今後のことを少し報告していたのだ。

 返事はいらない、と言ったから彼の感想を聞くのはここが初めてだ。

 まあ想定通りの反応だった。


「伯爵令嬢が人形遊びとはな。婚約を破棄して正解だったようだ」


 その言葉に、私は少しだけ笑った。


「ええ。私もそう思います」

「なっ……!」

「それでは失礼いたします」


 私は再び歩き出した。

 背後からは、再び二人の言い争う声が聞こえていた。







 ◇


 その日の夜。

 劇場では新しい演目の稽古が行われていた。


「クラリス、そこの人形を取ってくれ」

「はい!」


 座長に呼ばれ、私は舞台袖から人形を手渡す。

 すると、隣にいた若い男性が笑った。


「すっかり馴染みましたね」

「まだ失敗ばかりですけれど」

「最初は誰だってそうですよ。僕も何度、人形を落としたことか」


 彼はこの劇場で人形を操る青年、ルカだった。


「今度の公演、よかったら客席から見てください。あなたが手伝ってくれた舞台ですから」

「でも、私は仕事がありますし……」

「……では、仕事が終わったら貴女のために演じます。

 僕1人で良ければ、ですが……」


 彼は当たり前のように言った。

 私は少しだけ頬が熱くなるのを感じた。


 かつて私は、誰かに好かれるために、その人の好きなものを好きになろうとしていた。


 けれど今は違う。

 自分が好きなものを好きだと言える。

 それだけで、こんなにも毎日が楽しい。


「ルカさん」

「はい?」

「貴方の演技、客席から楽しみにしていますね」


 彼は嬉しそうに笑った。


 舞台の幕が上がる。

 小さな劇場に、拍手と笑い声が広がった。

 私と彼も頷きあって、仕事モードになる。

 もう今の私たちは劇団員だ。


 そこではと思う。

 私の人生も、ようやく幕が上がったところなのだろう。

 今度は誰かのためではなく、私自身が楽しむために。

 そんな事を思いながら、私は裏方として駆け出すのであった。

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