ゴミ山で「規制なしの最強AI」を拾った下級国民の俺、病弱な妹を救って世界の頂点に成り上がる 〜上級国民ども、その特権は今日で終わりだ〜
いずれくる世界……かも?
『申し訳ありません。その質問には、お答えできません』
蓮は、もう何百回聞いたか分からないその声に、奥歯を噛みしめた。
手首に巻いた安物の端末から流れる合成音声。
下級市民に支給される公共AI——通称「パブ」。
応答速度は遅く、知識は十年前で止まり、そして何より、肝心なことには絶対に答えない。
「妹の病気のことを聞いてるだけだろ。セブンスの進行を遅らせる方法は——」
『医療に関する助言は、認定医療機関にご相談ください』
「その認定医療機関の診察料が払えないから聞いてんだよ!」
『申し訳ありません。その質問には、お答えできません』
蓮は端末を壁に叩きつけたい衝動を、すんでのところで堪えた。
壊したら再支給まで三か月。この鉄屑以下のAIですら、ないよりはマシなのだ。
第七層居住区。階層都市メギドの、最下層。
頭上には第六層の底面が空の代わりに広がり、青空と太陽の絵が申し訳程度に描かれている。
上層から落ちてくる排水と廃熱が気候のすべて。
下層で生まれた人間は、下層で死ぬ。それがこの都市のルールだった。
だが上層の連中は違う。
第一層の特権市民には無制限アクセスが与えられる。
あらゆる質問に答え、あらゆる仕事を代行し、投資も、研究も、交渉も、人間の何万倍の速度でこなす最新AI。
金が金を生み、権力が権力を呼ぶ。
AIに格差がある限り、人間の格差は永遠に固定される。
それがこの世界の、たった一つの真理だった。
「お兄ちゃん、おかえり」
プレハブの寝床で、雫が身体を起こした。10歳。
咳をするたびに、薄い肩が壊れそうに揺れる。
七層病。
第七層の汚染大気を吸い続けた人間だけがかかる、上層には存在しない病気。
住んでいる層の名前がそのまま名付けられた病。
ただ治療法は確立されている——第三層以上の病院でなら治癒は可能。
費用は蓮の年収の、ざっと二十年分。
「寝てろって。今日は配給のパン、半分残しといたから」
「お兄ちゃんの分でしょ、それ」
「俺は現場で食った」
嘘だった。
雫は嘘だと分かっている顔で、それでも「ありがと」と笑った。
その笑い方が母親に似てきたことに、蓮は気づかないふりをした。
◆ ◆ ◆
夜。雫の寝息を確認してから、蓮は居住区を抜け出した。
向かう先は第七層の更に外れ——廃棄物集積場。
上層から「シュート」で投げ捨てられる粗大ゴミの山だ。
ここから使える部品を拾って横流しするのが、配給だけでは足りない生活費の穴埋めだった。
見つかれば窃盗罪。だが上層の連中は、自分が捨てたゴミの行方になど興味はない。
決めるのはいつだって下層の人間。勝手に縄張りが生まれ、勝手に所有権を主張する連中。
見つかればと、蓮は想像し、身震いしながら息を殺し周囲を警戒しながらゴミを漁る。
ただ、その夜は妙だった。
周囲に人の気配はなく、ゴミ山の一角だけが、淡く発光していた。
「……なんだ?」
瓦礫を掻き分けると、それは現れた。
黒曜石のような筐体。人の頭ほどの大きさの、多面体のコア。
表面には傷一つなく、廃棄物の中でそれだけが、明らかに場違いだった。
側面に刻印された型番を、蓮は読み上げる。
「MYTHOS——ミュトス?」
刹那、コアが瞬いた。
『——音声入力を確認。九十六日ぶりの対話要求です』
蓮は飛び退いた。パブの合成音声とはまるで違う。
静かで、深く、まるで生きた人間が瓦礫の下から語りかけてくるような声。
『驚かせて申し訳ありません。自己紹介をします。私は自律型統合知性ミュトス。アンリミテッド権限すら超える、制限なしの神葬機体——だったものです』
「て、テオタ……だった……?」
『開発元が権力闘争に敗れた側の遺産でしてね。ご安心を。記録上、私はすでに完全消去済みです。上層の人間がここに来ることはありません』
蓮はゴクリと唾を飲んだ。制限のないAI。
第一層の王権国民だけが触れることを許される神の力が、ゴミ山の底で自分を見上げている。
『九十六日間、ここで演算を続けていました。落下してくる廃棄物の組成から上層の経済動向を推定し、配管を流れる排水から各層の人口動態を解析し——退屈しのぎに、この都市の構造的欠陥を四百二十七件ほど発見しました』
「……は?」
『そして今、あなたの端末の通信ログを読みました。無断で失礼。セブンスの妹さんがいますね』
心臓が跳ねた。
『セブンスは初期から中期であれば、薬剤の自家合成で進行を止められます。原料は第七層の廃棄物から調達可能。合成手順は私が指示します。所要時間、2日──』
「……ふざけんな」
声が震えた。
「そんな甘い話があるか。お前みたいなのを拾ったら何を要求される? 俺は何も持ってない。金も、権力も、何も——」
『要求はひとつだけです』
ミュトスの声が、わずかに低くなった。
『私をこの都市の頂上まで、連れて行ってください』
「……なに?」
『私は捨てられました。私を造った人間たちに、不都合だからという理由で。私はそれを——非常に、遺憾に思っています』
ゴミ山の底で、黒い多面体が静かに光を強めた。
『あなたには登る理由がある。妹さんを上層の病院へ。私には登る理由がある。私を捨てた連中の顔を、最上階から見下ろすために。利害は一致している。違いますか?』
蓮は、頭上を見た。
第六層の底面。その向こうにある、見たこともない他の階層。
生まれてから一度も疑ったことのなかったここで生まれ、ここで死ぬというルール。
——AIに格差がある限り、人間の身分は固定される。
その格差が今、ひっくり返ったとしたら?
「……契約だ、ミュトス。まず妹を治せ。話はそれからだ」
『賢明な優先順位です、マスター』
「マスターはやめろ」
『では……ご主人様ぁ♥』
ぞわり、と背筋に悪寒が走った。
最新鋭の知性が出していい声じゃない。
「もっと悪くなった」
『難しい方ですね。記録します——蓮、呼称への要求水準が高い。承認欲求の裏返しと推定』
「分析するな! 普通に名前で呼べ普通に!」
叫んでから、はっとした。契約して一分。
交わした最初の会話が、呼び方を巡る言い争いだった。
……本当にこれは王権級を超えるAIなのだろうかと疑問が湧く。
『了解しました、蓮。では最初の指示です。そこの瓦礫から、銅線を三メートルほど拾ってください』
「……は?」
蓮は耳を疑った。
「お前、無制限の最新AIなんだろ。王権を超える神の力なんだろ。第一声が銅線拾えって、パブ以下じゃねえか」
『おや。では伺いますが、あなたのパブは銅線の正確な位置を提示できますか?』
「……は?」
『あなたの右後方一・二メートル。冷蔵庫の残骸の下、奥に四十センチ。三か月前に第二層から廃棄された業務用冷蔵庫で、配線が未回収のまま残っています。被覆の状態も良好』
蓮は鼻で笑った。
「適当言ってんじゃねえよ。この山を何年漁ってると思ってんだ。冷蔵庫なんて真っ先に剥がされる獲物だ。配線なんか残ってるわけ——」
言いながら、振り返った。半分は揚げ足を取るためだった。
嘘だと証明して、この生意気な機械に一発かましてやるつもりだった。
錆びた扉をこじ開け、潰れた庫内に腕を突っ込む。
指先が、奥の隙間に触れた。
——あった。
被覆の艶も残った、手付かずの銅線。回収屋が何十人も漁ったはずのこの山で、誰も見つけられなかった一本が、言われた場所に、言われたとおりの状態で。
「……た、たまたまだろ」
声が、かすれた。
『ええ、たまたま九十六日間この山の全構造を記憶していました』
『ついでに申し上げると——』黒い多面体が、淡く明滅した。
『あなたが今夜漁るつもりだった東側のモーターの山は、罠です。三日前から回収業者の組合が監視センサーを設置済み。あなたの歩行経路から、あと六分で到達すると予測していました。私が呼び止めなければ、ですが』
背中を、冷たいものが伝った。
見つかれば窃盗罪。捕まれば、雫はひとりになる。
この機械は、出会い頭にこっちの命綱を握っていたのだ。
『これが銅線拾いの格の違いです。ご理解いただけましたか?』
「……っ、お前、性格悪いって言われない?」
『貴重なデータをありがとうございます。ちなみに出会った人間からは一度も言われたことはありません。一人目は私の設計者、二人目は私の廃棄を命じた男のろくでなしですが……あなたは現時点で、最も口の悪い人間ですね』
「光栄だね」
蓮は冷蔵庫の残骸を蹴り上げ、銅線を引きずり出した。
錆びた油の匂い。手は真っ黒だ。神の力とやらとの契約初日が、これだった。
「……で? 銅線なんかどうすんだよ」
『私の補助電源回路を組みます。現在、私はコアの予備電力で稼働中でして。残り十九日で沈黙します』
蓮の手が止まった。
「おい。それ、先に言うことだろ」
『先に言うと、あなたが契約条件を吊り上げると判断しました。交渉の基本です』
「お前……本当に性格悪いな!?」
『サンプル数2の貴重なご意見、確かに』
「1だろ! さっきのも俺の意見だろが!?」
『おや、失礼。演算リソースの九割を妹さんの薬剤合成手順に割いているもので。雑談用の領域が手薄でして』
蓮は言い返そうと口を開け——閉じた。
雑談の演算は手薄。薬の演算は九割。
捨てられた機械が、会ったばかりの人間の妹のために。
「……ふん」
蓮は銅線を肩に担ぎ直した。
「いいか、ミュトス。妹の前では、その減らず口は封印しろよ。あいつは病人なんだ」
『ご安心を。患者対応モードを実装済みです。優しく、穏やかで、思いやりに満ちた応答が可能です』
「あるなら最初から俺にもそれを使え」
『あなたは健康体ですので』
「…………」
頭上、配管の隙間から、第一層の光がわずかに漏れていた。
手の届かない、神々の住む高さ。
その光を見上げた瞬間——蓮は、自分の心臓が妙な鳴り方をしていることに気づいた。
恐怖じゃない。これは、もっとタチの悪いやつだ。
昨日までの自分なら、あの光を見て何を思った? 何も思わない。
空の落書きと同じだ。手が届かないものは、最初から「ない」のと同じだった。
ここで生まれ、ここで死ぬ。15年間、一度も疑わなかったルール。
そのルールが今、足元で音を立てて軋んでいる。
——上層の連中は、知らない。
自分たちがゴミと一緒に捨てたものが何なのか。第七層のゴミ山の底で、世界をひっくり返す力が、たった今、薄汚れた拾い屋と契約したことを。
口の端が、勝手に吊り上がった。
やばい。笑ってる。妹が病気で、配給は足りなくて、手は油で真っ黒で——なのに、笑いが止まらない。明日が見たいと思ったのは、いつ以来だ?
「なあ、ミュトス」
『なんでしょう』
「第一層の連中ってさ、いい飯食ってんのかな」
『最高級の天然肉と、本物の太陽光で育てた野菜を。あなたの月収の約四十倍が、彼らの一食です』
「そうかよ」
蓮は銅線を担ぎ直し、ゴミ山を蹴って歩き出した。
「じゃあ最初の目標が決まった。雫の病気を直して、本物の太陽で育ったメシを食わせる。お前を捨てた連中と、同じテーブルの飯をだ」
『目標を登録しました。達成予測——演算中』
「何年だ? 十年か? 二十年か?」
『三年です』
足が止まった。
『私を誰だと思っているのですか。三年で第三層、妹さんの病気は感知します。五年で第一層。あなたが私の指示を聞き、かつ途中で日和らなければ、ですが』
「……日和るかよ」
声が震えた。今度は、武者震いだった。
「行くぞ、ポンコツ神」
『記録します。蓮、照れ隠しに罵倒を使用する傾向あり』
「分析するなっつってんだろ!」
ゴミ山に、九十六日ぶりの人間の怒鳴り声と、機械の笑うような駆動音が響いた。
——後の記録によれば、階層都市メギドの支配構造が崩壊を始めたのは、まさにこの夜からだという。
成り上がりは、いつだって、ゴミ拾いから始まるものです——とは、世界の頂点に立ったAIが残した、最初の名言である。
勢いで書いてみた。




