沈む太陽、輝く月
高校二年生の春、朝日結良は癌によって子宮を全摘した。
それにより揺らぐ価値観、男性への嫌悪。いつしか結良は恋愛から遠ざかるようになった。大学生になってからも結良はモテたが、断り続けたため周囲から嫌われていく。
大学三年のある日、友人の工藤杏菜から友達として女の子しか愛せない船橋姫花を紹介してもらう。軽やかで真っ直ぐな姫花に触れ、結良の固く閉ざされた心は少しずつ揺れ始める。やがて二人は流れのまま恋人になるが、結良に寄ってくる男性たちへの嫉妬から、姫花は涙をこぼす。初めて見せた姫花の弱さに触れ、結良は自分の想いが恋だと気付き、姫花を抱きしめてキスを交わす。
沈んでいた未来は、姫花という「月」の光によって再び輝き始めるのだった。
私には子宮が無い、高校二年生の春に摘出したからだ。
子宮頸がん、それが私の病名だった。度々体に異変があり、気になって病院に行ったところ色んな検査をされ、最終的にそう診断された。私の歳では非常にまれらしいのだが、まれだろうが多かろうがなってしまったものは仕方ない。
ただ、医者の説明が進むにつれ、両親は号泣し始めた。子宮全摘となるからだ。
病巣部が少し深い所にあったたため、また再発リスクを考えた時にその方が安全だと言われたからだ。両親は散々どうにかならないかと言っていたが、私の心はすぐに決まっていた。だから、自分の口から全摘をお願いしたのだった。
「将来子供が産めなくなるんだぞ」
そう泣きながら言われたけど、私にとって大事なのはそこじゃなかった。別に子供が人生の全てじゃなかったし、そういう手術をしないと死に至るのならば未来よりも今を優先したかったからだ。
ただ、親が悲しむ気持ちも当然理解できた。きっと色んな未来を私を通して想像していたに違いない。それを考えると、胸が張り裂けるような思いだった。
けれど、私は人生こんなものだと妙に悟った気分でもあった。
順調に一流企業に就職し、素敵で優しい高収入の男性と結婚し、二人の子供に恵まれて子供も素直に育って金銭の心配なく生きていく。そして親に可愛い孫の顔を見せ、三世代で笑い合う家庭。
そんな理想、みんな手に入れられるわけじゃない。努力不足や小石に躓いた程度の不幸でも失われる未来。私の場合、躓いた石が大きかっただけ。ただそれだけの事。
だって両親だって従妹だって友達だって、何一つ傷の無い人生なんか歩めていない。きっとみんな理想の人生から程遠い。だから私もそうなっただけ。みんなと一緒になっただけなのだ。
それに子供だって欲しくても出来ない人がいるみたいだし、そもそも良い相手がいなければ無理なのだから。
だから別にハンデだとは思わなかった。ただ数多ある選択肢の一つが無くなっただけ。
ただそれだけなのだから……。
もうどうしようもない身体、だからどこかで諦めをつけるしかなかった。
少し長めの入院期間を経て学校に戻れるとなった時、友達はみんな温かいメッセージを送ってくれた。手術による処置だけで放射線治療をしなかったおかげで幸いにも髪の毛はもちろん、身体の変化はあまり無かった。
だから学校に行けるとなればみんなと会いたいという喜びと希望が溢れていた。
「おー、結良。もういいのか?」
「うん、何とかね。早くみんなに会いたかったからさ」
登校の途中、最初に声をかけてくれたのは仲の良かったクラスでも人気者の男子。だから私は笑顔でうなずいたのだが、それから耳を疑う言葉を投げかけられた。
「なんか噂で聞いたんだけど、癌だったんだって? 思ったより髪の毛抜けてないのな。大した事無さそうで良かったよ」
一瞬にして彼の事が嫌いになった。同時に手足が冷たく、こんな事を言う人だったとはという絶望感で胸が苦しくなった。
あんなにも親が号泣し、私だって人生の一大事として決断した事が軽んじられるのが許せなかった。入院前にほのかに抱いていた淡い恋心のようなものはすぐさま憎悪に転換され、同時にもしかしたらみんなそんな風に思っているのかもしれないと思うと暗澹とした気持ちになった。
登校してから教室で復帰を祝ってもらい、変わらず接してくれる友達の姿は嬉しかった。そうして子宮を取ったと言えば、女友達は自分の事のように悲しみ、寄り添ってくれた。
けれど男子は違った。頑張ってすぐ退院したのに軽く感じさせる言動と態度。面白いと思っているのか、ハゲなくて良かったなと笑う人が多くて内心不快感でいっぱいだった。私は次第に男子全体から距離を置くようになっていった。
正直、子宮を取ってからずっと考えていた事があった。それは男の人と恋愛をしても良いのかという事。
恋愛って結局はその先に結婚があり、もっと先には出産がある。けれど子供を産めない私に恋愛は意味があるのだろうかと考えていたのだ。おまけに傷もある身体、きっと嫌がられるだろう。
私はもう、人並みの未来には立てないのだから。
入院前は人並みに男子に憧れ、恋もした。けれど今、将来を考えた時に子供を産めないというのは大きな選択肢の阻害になるだろう。そうしたら恋愛をする意味なんてあるのだろうかと自問自答を散々繰り返していたのだ。
けれど今、子宮が無くなって子供が産めない体になった時に男子と恋愛するのかと思うと強烈なブレーキがかかり、そうすると男子の魅力と言うものが途端に目減りしていった。そしてあらわになる負の要素。
身なりを気にしない人も多いし、粗暴な人も多い。面白くも無いのにふざけて、下心丸出しで言い寄ってくる。それがもう、酷く醜悪に見えた。
でもきっとそれは全員じゃないとわかっている。でも、それでも男子という存在自体が無理だと思いつつあった。頭じゃなく、心が拒否しつつあった。仲が良かった男子でさえ心のどこかでそう思ってるんだろうなと考えると、心が冷めていく感じがあったから。
それよりも前にも増して女友達と一緒にいるのが楽しくて仕方なかった。同い年の男子に比べて身なりも綺麗だし、服にも気を遣っている。近くに居ても良い匂いがするし、何より同じような悩みを共有できるのが嬉しかった。
恋愛に意味を見出せなくなってしまった私は自然と男子から距離をとる事になった。そしてそれが思っていたより、私の人生において不都合が無かった。
むしろ、心地良ささえ感じつつあった。
だけど私に言い寄る男が減ったわけじゃなかった。
地元から少し離れた大学に進学した私は新生活に心躍ったけど、サークルの勧誘と称したナンパにうんざりしていた。元々それなりに男子からはモテてはいたが、大学生になって化粧を解禁した私と浮かれた男子が引き合う力は強く、断るのに毎度ストレスが溜まった。
もったいない、えり好みし過ぎ、お高くとまってる……陰で表で散々言われた。最初は手術の事を話して納得してもらおうとしていたけど、やがてもう面倒臭くなり、というかいちいち理解してもらう必要も無いなと考え、言われるがままにした。
子宮を取っただけで他は残してあるからそういう行為はできるけど、結局遊びになってしまう。もし好きになって結婚となっても、相手から選択肢を奪うのは私としては嫌だった。そして身体だけを求められるのはもっと嫌だった。
だからもうこの頃の私は恋愛から完全に遠ざかっていた。
というか、男の人に対しての不信感が強すぎて、正直知り合いじゃなければ関わり合いになりたくなかった。ナンパを断った後に浴びせられる負け惜しみにも似た暴言もそうだったし、何より高校生の時の嫌な思い出がずっと心にこびりついているから。
性的な目で見られるのも嫌だし、それに伴って変な嫉妬や反感を買うのも嫌だ。気にしないふりをしていても、いつだって心はささくれ立つし傷付く。痛くないわけじゃない、痛みから目をそらしているだけ。
でも誰も理解してくれない。いや、理解してもらおうとしても同じ身体じゃないからきっと深い所ではわかってもらえないだろう。
そう孤独感に苛まれる度、私はそっと下腹部を触るのだった……。
大学三年生のある日、私はいつものように部室にいて小説を読んでいた。八畳にも満たない狭く小汚い部室に私を含め、四人いる。私の他は漫画を読んでいたり、お喋りしたりと自由だ。
私が所属するのは文学界という文芸サークルで、自分で書く人もいれば読み専の人もいる本好きの集まりだった。講義の合間に立ち寄っては時間潰したりしている人が多く、私もその一人。
私は小説を書きはしない。自分であれこれ世界を創造し、それを文字にするなんてどういう思考回路なのかよくわからないからだ。大体講義のレポート提出ですら苦痛なのに。
だけど読むのは好きだ。読んでいる間は色んな人生を追体験し、自分が冒険したり名探偵になった気分になれる。そんなわけで古典、ホラー、ミステリ、サスペンス、ラノベと割と雑多に何でも読む。
今は友達からオススメされた百合小説を読んでいる最中。
「おっはよー。あ、結良、もしかしてそれ私が薦めたやつ? 結良って男に興味無いからこういうのどうかなって思ったんだけど、読んでくれてるんだね」
部室のドアが開いたので私が目を向ければ、黒縁メガネの奥で目を細めて嬉しそうに近寄ってくる工藤杏菜がいた。杏菜はこのサークルの中でもかなり仲が良い友達の一人で、私と同じく読み専。面白い本の情報交換をよくしている。
「うん、そう。こういうジャンル読むのは初めてだけど、なんか変な感じだね」
「変って、例えばどんな?」
杏菜が私の座ってるソファの隣に座ると、肩にかけていたバッグを下ろして顔を覗き込んできた。
「上手く言葉にできないけど、友情とか日常はキラキラしてていいなって思うんだけど、女の子同士での恋愛ってのがよくわからないから、こういうものなのかなって」
「あー、まぁその辺は男女の恋愛でも同じようなとこはあるから。ってそっか、結良は恋愛とかしないんだもんね」
思い出したように杏菜が大きく何度もうなずけば、私も小さくうなずき返す。彼女はもちろん私の身体の事も知っているし、恋愛を遠ざけている私の考えも知っている数少ない理解者の一人だ。
「いや恋愛に理解が無いわけじゃないよ。男女の恋愛はまぁその先に結婚があるじゃない。でも同性愛ってどうなのかなって」
「そこはほら、感覚でエモだけ感じればいいよ。絶海の孤島に殺人鬼はいないし、変な洋館に様々なギミックなんて無いんだから、創作として捉えなよ」
「そうなんだけどさ。どうもこの小説って設定がリアルだからそんな風に考えちゃうんだよねー」
こういう考えが野暮なのは良くわかる。でも、どうしても気になってしまうのだ。理屈ではどうにも理解できないから。
「女の子同士の恋愛、ねぇ……あっ、そうだ。私の友達に面白い子がいるんだけど、その子は女の子しか愛せない子なんだよね」
パンと胸の前で手を叩いた杏菜は嬉しそうに口角が上がっている。私は知り合いにそういう子がいないので、ちょっとだけ興味を引かれた。
「それって女の子が好きだから面白いって事?」
「違う違う、面白いのよその子自身が。で、男に興味が無いわけ。結良も男に興味無いんでしょ、案外話が合うんじゃないかな?」
「そんな強引な」
でもそんな強引さも杏菜の良い所だ。どうしても私は諦めが良すぎる代わりに、先に進もうとする気持ちが少ないから。
「まぁまぁ、いいじゃない」
そう言いながら杏菜はもうスマホで何やらメッセージを送っていた。どうも私に拒否権は無いらしい。
「えっとね、今日は都合悪いから明日なら大丈夫だって。お昼食べながら三人で話そう」
「えっ、知らない人と一緒にお昼食べるの?」
「私がいるから大丈夫。それにね、勝手に色々話してくれるタイプだから何か話そうとしなくても大丈夫だよ。心配性なのはわかるけど、多分すぐに平気になるから」
どんどんと進む展開に私は少しばかりの期待と、大きな不安に襲われる。初対面の人はいつだって苦手だから。でも、杏菜自身がどちらかと言えば地味なオタク気質なので、きっと同じような子だろう。
それに杏菜がそこまで言うのなら、大丈夫なのだろう。彼女とは三年間の付き合いだけど、私の事を本当に良く理解してくれているのだから。
そう思えば少し気が楽になっていった。
「あっ、結良こっち」
翌日、講義を終えてから指定された時間に学食へと向かうと杏菜がぴょんぴょんと跳ねながら手を挙げていた。目立つその仕草に私はつい頬が緩む。そしてすぐ傍にいる人を確認すると、一瞬で笑顔が強張った。
杏菜の隣に立っていたのは金髪ボブの女の子。いかにもパンクロック好きですみたいなファッションをしている。笑顔を絶やさず内心嫌々ながら近付くと耳に沢山のピアス、月のイヤリングとどう見ても杏菜の友達とは思えないような風貌だった。
「紹介するね。彼女は船橋姫花、経済学部の三年で同い年だよ」
「どうもー。私の事は姫花って呼んで欲しいかな。タメだし、堅苦しいの嫌いだからさ」
思っていたよりも可愛らしい、優しい鈴のような声。そのギャップに私はおっと思ったけど、でもそれは一瞬の出来事だった。
何故なら初対面なのに砕けた調子で話す様子に私は笑顔を作り続けるのが限界に近付いていた。ヤンキーと言うかギャルと言うか、この手の人間は苦手なのだ。距離感バグらせてドカドカ土足で上がり込む感じが。
「姫花、彼女は朝日結良。同じ文学界の友達なんだ」
「初めまして。あの、私もどう呼んでもいいんで」
ぺこりと会釈すると、姫花が目を輝かせながら杏菜の肩を抱いた。それはどこか真っ直ぐで、曇りない瞳。私が忘れてしまった輝き……。
「えー、言ってた通りメッチャ美人。しかも凄い、なんか凄い清楚な感じ。杏菜の友達にこんな人いたんだ」
こんなに大声で褒められると、さすがに居心地が悪い。初対面だし、社交辞令なんだろうけど人多いからなぁ、ここ。
けれど杏菜も姫花もそういうのは気にしない素振りで、笑い合っている。
「何だと思ってるのよ、私を。結良、姫花にはほんと気を遣わなくていいからね。さ、お腹空いたし何か食べよ」
そうは言っても初対面。私は曖昧に笑いながら、帰りたいなと思いつつもそれが叶わないのを知っているので居心地の悪さを抱えたまま後に続いた。
だってここで帰ると、杏菜に悪いから我慢しないと……。
それぞれ注文したものを手にして何とかテーブルに着くと、私達は自然と微笑み合った。それはこの混雑する学食で偶然空いた席を手に入れられた喜び。特に姫花がもう嬉しそうにしていたので、何だか悪い人じゃないのかもと少しだけ思った。
「じゃあとりあえず、いただきます」
杏菜の音頭に私達が続く。いつものように私が手を合わせると、ふと姫花もそうしているのに気付いた。見た目からしててっきりそういうのはダサいと思っているのかなと勝手に考えていたのだが、どうもそうじゃないのだろうか。
だとしたら私、見る目が無いのかも。
「ねぇ杏菜、彼女私と似てるって言ってたけどどの辺が? 全然清楚っぽいし、真面目そうだし、どこ見てそう思ったの?」
カレーを頬張りながら姫花がそう問いかけると、杏菜はうどんをすするのを止めて私の方を見てニヤリと笑った。
「男の人と付き合えないとこ」
「はぁ? 何言ってるのよ、どこにこんな美人が男と付き合えないって? どっからどう見てもモテない要素なんか無いじゃない」
大声でそう言われ、私は恥ずかしさのあまり視線を落としてチキン南蛮を頬張る。一緒の席にいるけど、少しでも他人だと思われたかった。
「違うって、姫花。結良はね……あ、言っていい?」
確認を取るように杏菜が私に視線を向けてくると、私はもうここまできたらとうなずくしかなかった。
「結良はね、昔癌で子宮を取ってるんだ。だから男の人と恋愛ができないみたいなの」
「え、そうなの?」
驚きながら目を大きく開き、次第に自分の痛みのように悲し気な感じになる姫花に私はもう最初に抱いた怖さを忘れ、杏菜にするようにうなずき返した。いつの間にか怖さというものが薄れていたのかもしれない。
「そうなの。子供もう産めなくてさ。だから、男の人と恋愛するのが無理ってなって」
「え、何で? そこ取っても恋愛はできるんじゃないの?」
あぁ、彼女も大多数の男の人と同じ無理解者なのか……。
「そうかもしれない。でも、子供産めないからさ。付き合ってたらやがて結婚、出産ってなっていくじゃない。そういう選択肢を私のせいで奪うのは嫌だから」
何百回と説明したその言葉。けれど姫花は首を傾げるばかりだった。そうしてカレーをすくおうとしたスプーンの動きを止めると、じっと私を見詰めてくる。
「んー、結良って真面目だよね」
今までのトーンとは違って落ち着いた、でも優しい響き。その視線の真剣さと相まって私は思わずドキリとしてしまう。ただその感情に今は付ける名称が無い
「真面目?」
「うん、真面目。だってさー、最初からそんな事を考えて恋愛する子なんか周りにいないよ。寂しさを埋めるため、好きな人と一緒にいたいだけ、そんなんで十分でしょ」
姫花の言う事は確かにその通りかもしれない。ただ私は人とは違う、そう考えてもしょうがないだろう。私の心にすうっと影が落ちかけ、胸がかき乱され始めた時だった。
「まぁそこが結良の良いとこなんだけどね」
杏菜が笑顔でフォローしてくれると、私の凍り付きそうだった心が少し軽くなった。
「うんうん、真面目なのが悪いってわけじゃないんだ。ちゃんとしてるって意味だよ」
姫花が笑いながら大きくうなずくと、彼女の耳に着いた月のイヤリングも揺れた。
「私なんかさー、寂しいから付き合いたいとかって気持ちのが大きくて。で、その先はあまり考えてないんだよね。ただその時を楽しくしたい、幸せになりたいってだけ」
あっけらかんと笑ってそういう姫花に私は次第に大きくなってきた疑問をぶつけたくなった。けれど初対面の人間にあまりあれこれ聞くのは失礼なのかなとも思い、躊躇してしまう。
だから曖昧な笑みを浮かべて視線をすうっと逸らすと、食い気味で姫花が顔を寄せてきた。
「あ、なんか遠慮してる? 別に私に気を遣わなくてもいいよ」
見透かされたような視線と言葉にドキリとしつつ、観念したように私は探るように姫花を見詰めた。
「えっとじゃあ、どうして女の人と付き合いたいって思ったの?」
すると姫花がまるで天気でも訊かれたかのように一切動じず、さも当然のように笑った。
「私はね、少女漫画からの影響かな」
「え、漫画?」
思いがけない答えにキョトンとしていると、少し照れ臭そうに姫花が笑う。
「そうそう。ほら、漫画とかで仲の良い女友達がわちゃわちゃしたり相談したりするシーンあるでしょ、あれ見て可愛いって思ったのが始まりかな。好きになる男の子とか出てもなんかイマイチのめり込めなくて。で、気付いたら女の子が好きなんだって気付いたの」
そんな単純な理由なんだ……。
言っちゃ悪いがあまりにも軽い理由だった事に私は衝撃を受けた。
私は勝手に同性愛者って男の人からトラウマを受けた、または何かしらの理由で愛せなくなって男の人という選択肢が消えたからだと勝手に思っていた。だからまさかそよ風が吹いたからあっちに行ってきたみたいな理由が信じられず、言葉が続かなかった。
「別に私、男の人は嫌いじゃないよ。でもそういう対象としては見れないだけ。普通の男女が恋愛するのと多分同じ感覚で女の子を好きになった、ただそれだけだよ」
「まぁでも女の子を好きになる感覚は私も少しわかるよ。だって可愛いもんね」
杏菜が同意すると、確かにそうかもしれないと思った。もうそういう対象として見ていないからか、男の人でもカッコイイ人や中性的で素敵かもって思う人はいるけど、大多数はそこらの女の子の方がよっぽど良く見える。オシャレへの意識の差だとは思うけど、納得できる部分はあった。
「結良はさ、男の人と付き合えないんでしょ。だったら女の子はどう?」
「どう、って……そういう対象としては見た事無いかな」
「え、何で?」
大きく目を開き驚く姫花に対し、私の方が逆に驚いた。予想外のリアクションに頭の中が一気にごちゃつき、何度もまばたきを繰り返す。
「何でって、そんな事を考えた事も無かったから」
「えー、もったいないよ。恋愛するしないは自由だけど、女の子と恋愛経験しないのはもったいないよ」
身を乗り出し力説する姫花に気圧され、私はやや身体を反らす。
「でも、女の子と恋愛って正直よくわからなくて。だって遊んだりするなら友達のままでもいいのかなって。杏菜からそういう小説オススメされて読んでたけど、いまいちピンとこなくて」
「あぁ、だから私が呼ばれたのか」
姫花がそう言いながら杏菜を見ると、うどんをすすりながらうなずいていた。
「うんうん、じゃあこれから結良にたくさん女の子との恋愛の良さを教えないとね」
「いや、別に私そこまで興味は」
やんわり断ろうとしたのだが、姫花は目を輝かせながら満面の笑みを浮かべていた。何だかその笑顔を見ていると、ちょっと可愛いなと思ってしまい、断ろうとした気持ちがどこかへと消えていく。
「いやー、杏菜ありがとう。結良面白い子だよ」
「でしょう」
面白い? 私が? そんな混乱を置き去りにし、杏菜と姫花が楽しく笑い合っていた。それがあまりにも幸せそうだったので、つい私もつられてしまう。
そして胸に芽生える温かな感覚。それは私がどこか置き去りにしてしまったものにまた巡り合えたかのようだった。
それから私達は度々三人で会う事が増えた。
主に学食でお昼を食べながらだったり、講義の合間に学内のカフェでお茶したりする時間が増えるのと比例し、私も笑う事が増えた気がする。
それはやはり、姫花が面白いから。そして何だかよくわからないけど安心するから。
話してる時のテンポもそうだけど、感情全部顔に出るから面白い。話自体も面白いし、何より読書の趣味も合う。一見すると金髪ピアスという怖そうな風貌なのに、実はよく本を読んでいるらしい。ジャンルの幅は狭いけど、本読み仲間としては嬉しい限り。
だからか、私が百合小説を読み終えると次々と貸してくれる。彼女曰く「布教」らしい。
「この前貸してくれたやつ読んだけど、切ない感じが良いね。なんか二人が恋するのにちゃんと理由があって、それが良かった」
今日は姫花と二人で学内のカフェにいる。杏菜は別の友達との約束があるからと今日は来れないみたいだった。
ただ姫花と二人になるのは今日が初めてじゃない。それに二人でいても姫花がいつも盛り上げてくれるから、私としては肩肘張らずに気楽でいられる。彼女のそういう人柄が段々とわかってくるにつれ、私も錆びついた心のドアが開いていく。
「でしょでしょ。結良はシリアス系のが好きなのかな」
「そうかも。ラブコメも嫌いじゃないけど、字にするとちょっときついかな」
「あー、確かにアニメとかになった方が面白さはあるかもね」
次々と貸してくれる百合小説と実際の姫花の話とで私は徐々に女の子同士の恋愛と言うものが頭では理解しつつあった。確かに同性ながらの距離感の近さからお互いを意識してという場面は甘酸っぱいし、色んな葛藤の末に告白へと至るのは私も胸が切なくなる。
ただ、やっぱり心ではまだ理解できなかった。
それもそうだ、いざ自分が女の子と恋愛をするとなればどうすればいいのか全く想像つかないのだから。どうやって愛すれば良いのか全然わからないままなのだ。
「姫花はこういう小説みたいな恋愛ってした事あるの?」
こういう質問も最近はできるくらいになってきた。そして姫花も相変わらず気にせず話してくれる。
「いやぁ、こんなに綺麗だとかドラマチックなのはないよ。紹介だったり、まぁナンパだったりでそういう関係になるけど、期間は短いね。一年くらいで大体別れてるよ」
「え、そうなの?」
純粋な驚きに姫花が苦笑しながら髪をかき上げる。その際、いつもしている月のイヤリングが揺れた。
「一年くらいすると見えてくるし、気遣わなくなってくるんだよね。同性だからか、なおさら。そうするとさ、女特有の嫌な部分が出てくるじゃない。変に勘繰り出したり、マウント取ろうとしたり」
「あぁ、わかる気がする」
「前の彼女もそうだったんだ。一緒に何か食べても、前に誰それと行ったあそこはもっと美味しかったよ。どこかに行っても、あっちの方が凄かったよって。一々マウント取ってくるのに嫌気がさしちゃってさ」
友達ではいないが、知り合いにはこういう人が確かに割といる。何だか姫花が不憫になり、私は同情するような目を向けた。
「結局、同性だからわかりすぎて嫌になる事も多いんだよね。恋愛ってどこかミステリアスな部分が残っている方が面白いからね」
「なるほどね」
この言葉は別の友達にも言われた事がある。もっとも、その友達は普通に男女での恋愛なのだが。だから姫花がそうこぼしたのを聞いて、あぁ女同士でも変わらないんだなと妙に理解してしまった。
ある日、私達は二人きりでチェーン店のハンバーガーショップでお昼を食べていた。休日に一緒に遊ぼうと杏菜も誘ったのだが、その日は法事があるからと断られてしまったのだ。ただもう最近はしょっちゅう姫花と二人で会っていたので、しょうがないねと言いながら二人で遊んでいたのだった。
ゲーセンに行って少し遊び、街ブラし、書店でたっぷり物色してからだったのですっかりお腹が空いていた。たくさん食べちゃおうかなとダブルチーズバーガーを頼んだのだが、半分ほど食べ進めると全部食べれるのかなと不安になりつつあった時だった。
「なんかさー、私達って付き合ってるみたいだよね」
ぽんと軽やかに投げられたその言葉はあまりにも自然で、でも強烈なインパクトがあったので私は思わずむせた。「大丈夫?」と心配されたけど、そもそもの原因は姫花なのだからその心配は嬉しくも何ともなかった。
「何言ってるのよ、急に」
私が半ば睨みながら姫花を見ると、相変わらずあっけらかんと笑っている。冗談なんだろうか、でもいつもの姫花のそれとは微妙に違う気がする。
「いやー、なんか最近思ったんだよね。結良と一緒にいる時間が一番長いからさ、もう実質付き合ってるみたいだよねーって。今はほら、私も彼女いなくてフリーだし」
「いやそれは親友でいいじゃない。ってか、親友って自分で言うのも恥ずかしいけど」
私は落ち着くようメロンソーダを飲む。今更関係性を定義づけるなんて恥ずかしいし、止めて欲しい。ただ同時に、全く嫌な気はしなかった。むしろ……。
「まぁ親友でもいいんだけどさ、一緒にいてこれだけ楽しいから付き合ったらもっと楽しいんだろうなって思ったの」
「いや、付き合うって言うけどさ……だってほら、付き合ったらそう言う事もあるわけでしょ」
当然知識はある。そして女の子同士で付き合った先にどうするのかも、実際の映像では見ていないけどどういうものなのかは最近知った。だからそういう事を自分でもするのかと思えば、少し考えるだけで耳も熱くなる。
「そういう事って?」
けれど知ってか知らずか、いや絶対知ってて楽しんでいるんだろうけど、姫花が意地悪そうな笑みをもって訊き返してきた。これははぐらかしたままだとどんどん追及され面倒臭くなるパターンだ。
「だからその、身体の関係だよ」
姫花の視線に負けないように見詰めてそう言うと、まるで柳に風とばかりに軽やかな笑みを浮かべられた。
「それはそうでしょ。健全な人間なら当たり前の行為じゃない」
「だったら」
あまりに飄々とした感じが何だか馬鹿にされたように思え、ちょっとだけムッとしながら言い返そうとした時だった。すうっと姫花が静かに右掌を私に向けてきた。止まれと言わんばかりに。
「結良はね、何でもかんでも先に考える癖が強すぎるんだってば。それも立派な事だけど、たまには流れに身を任せるのも大事だよ。じゃないと恋愛だけじゃなく色んなチャンスを逃しちゃうよ。こういうのって大体、勢いに乗り切れないと置いてかれるから」
ぐうの音も出なかった。石橋を叩いて渡ると言えば聞こえはいいが、実際は決断できない臆病者であるとも自覚している。元々そういう性格でもあったけど、手術してからなおさら強まったのは否めない。
人生は後ろに流される電車のようなものだと思っている。安穏と現状維持していればどんどん後ろに流れ、得られるべきチャンスをものにできない。高速で後ろに流れる電車から、前へ走る電車へ飛び移るのは酷く怖く、リスキーな行動。でもそうしないと、何も得られない。
「まぁ、そういうとこはあるかも知れないけどさ」
あまりに強い姫花の言に私はひたすら自分へと無理に当てはめ、そういう人間なんだとうなだれる。
けれどそんな私の両肩をパンパンと叩いてきた姫花は満面の笑みを浮かべていた。顔を上げればにこやかに笑っており、その笑顔がいつだって私の不安を和らげる。恐怖を克服させるバネになる。
「じゃあほら、付き合っちゃおうか私達。それなら理解だって少しは出来るでしょ」
「えー……さすがにそれは」
でもやっぱり付き合うのはどうかと思ってしまう。
「流れだって、流れ」
「そうは言うけど」
押してくる姫花に難渋する私。当たり前だ、男の人とも付き合った事が無いのに、女の人なんて。でも、そう一生懸命言ってくれる事自体は嬉しく、どんどんとまんざらでもない気になっていく。実に不思議な感覚だった。
「まぁほら、お試しでいいからさ。何事も経験だよ、経験。嫌になったら解消すればいいだけだし。そういうのはもう、結良任せでいいからさ」
「そんな単純な話じゃないような……」
誰かと恋人関係になる事なんて、そんな簡単な始まりでいいんだろうか?
「簡単でも何でもいいの。ハイ決まり、今からスタートね。私と結良は恋人」
そう言って姫花が手を繋いできた。思えば姫花と手を繋ぐなんて初めてだったから、私はもうビックリしてしまい、少しの間固まってしまった。いたずらっぽく、でも艶っぽく笑う姫花に私は不思議と胸が甘酸っぱく締め付けられていくのを感じてした。
そしてその手は温かく、どこか湿っていた。そんな肌感覚に私の胸がきゅうっと締まると、それが伝わってしまったのか姫花が照れ笑いを浮かべる。
驚くほど拍子抜けな、あまりにも軽すぎる恋愛のスタートに私は気持ちの整理がつかないまま何だか流れでうなずいてしまっていた。
だってそれはあまりにも姫花らしく、どこか安心してしまったから。
付き合って何が変わったかともし訊かれても、正直ほとんど変化が無いと答えるしかなかった。
姫花と二人で遊ぶ事はそれまで通りで、特に目に見えて回数が増えた事は無い。まぁ今までもほぼ毎日学内のどこかで会っていたのだから、変わらない事によって寂しさを感じてはいなかった。
「私、他に付き合った人いないから手をつなぐだけでもドキドキするんだよね」
「あはは、中学生みたい。でも、そういう結良の緊張伝わるから、私もなんか、ね」
たまに誰もいない、例えばカラオケの室内で二人きりになる時に手を繋ぐのは増えた。歌の合間に話し込み、そっと手を繋ぐ。ただそれだけなのに、そんなの友達同士でやってる子も知っているのに、私はもう真っ赤になるくらい緊張した。
姫花も外見に似合わず、照れた笑いが可愛らしい。もうこの頃は最初に会った時のイメージはすっかり無くなってきていた。
ただ、その先は無かった。
正直もっと、積極的に来るものなのだろうなと勝手に思っていた。男女の付き合いですら一ヶ月もすればキスもするし、その先だってあるだろう。大学生ならなおさらだ。
でも姫花と付き合い始めて二ヶ月が経つけど、キスすらまだだ。
告白こそなんか軽い感じだったけど、それからは私に気を遣っているのかそれともお試しだと言った手前なのか、してこない。私に魅力が無いのかなとも思ったけど、でも姫花は一緒にいるといつも楽しそうに笑っている。
期待していないと言えば嘘になる。でも自分からするのは恥ずかしいし、どんな流れでするのかもわからない。しないのかと訊くのも、何だか上から目線の嫌な女みたいだ。
もしかしたら姫花も奥手なのだろうか?
改めてそう考えると、私はまだまだ姫花の事を良く知らないのかもしれない……。
付き合い始めて二ヶ月半が経ったある日、私はいつものように姫花と杏菜とで学食でご飯を食べようと向かっていた。講義が各所で終わったこの時間は廊下も混雑し、お昼時という事もあって人で溢れている。
姫花とは学部も違うから、いつも現地集合。今日は杏菜も加わって三人で食べるから、いつも以上に話が盛り上がるんだろうな。それを思えば楽しくなってきて、足取りも軽くなりつつあった時だった。
「あの、ちょっといいですか?」
一階の廊下を歩いていると、不意に私の目の前に男の人が立ちはだかった。髪の色が明るい、イマドキのファッションや髪型を取り入れた彼はその見た目に反し、どこか緊張した面持ちをしている。
「え……私、ですか?」
突然の事に驚いたものの、雰囲気的にあぁ告白してくるんだろうなというのを察した。実際こういう場面には何度も出くわしているので、私の方が妙に落ち着いている。
だって、もう答えは決まっているのだから。
「俺、四年の森って言います。あの俺、朝日さんの事をずっと見てて、すごく素敵だって思って」
体育会系にでもいたのだろうか、声が大きい。礼儀正しいのはいいけれど、ここが廊下だというのを忘れないで欲しい。さっきからチラチラとこちらを見てくる好奇の視線が痛いし、恥ずかしい。また何か私の知らない所で嫌な噂が流れてしまう。
「それで、もしよければ付き合ってもらえませんか」
「ごめんなさい、私そういうのは全部断ってるの」
被せ気味に告白を断ると、私は小さく会釈して脇を抜けようとした。けれど彼はなおも私に向き直り、勢いよく頭を下げてきた。
「まずは知って欲しいです。付き合うとか一旦置いといても、俺と仲良くなってもらえないでしょうか。お願いします」
たまにいるんだよね、妙な根性持ってる人。でもこんなに真っ直ぐな人、なかなかいない。きっと私の他に良い人見つかるよ、すぐ。
「ごめんなさい、急いでいるので」
申し訳無さそうにもう一度頭を下げ、脇を抜けようとする。
「あの、連絡先だけでも」
けれどまだ引き下がらない。だから私は軽く手を挙げ、微笑みを渡した。
「それもごめんなさい。私、これから恋人に会いに行くんで」
私にすがる声はもう無かった。代わりに近くにいただろう彼の仲間と思しき人たちが背後で彼を慰めていたみたいだったけど、周囲の雑踏に紛れすぐにかき消えた。
私はそれを置き去りにし、学食へと向かう。待ってる人がいるから。
「あ、姫花お待たせ。杏菜はまだ来てないの?」
学食の入口近くで姫花が立っているのが見えたので、私は軽く手を挙げ近付いた。姫花は機嫌が悪いのか何だかむすっとしているけど、私はいつも通り接する。
あんな事があったから少し遅れてしまっただろうか。いやでも大した時間じゃなかったと思って時計を見れば、五分遅れてしまっただけ。だとすると何だろう、学食の中身を決められなくて悩んでいるのかな?
「ねぇ、今日は何食べる?」
何が姫花をそんな表情にしているのかわからないから、あえて寄り添わず普通に接する。だって姫花がそういう表情を見せたのは初めてだったから、どう声をかけて良いのかわからなかった。どんな態度をすればいいのかわからなかった。
だからあえて普段通りに接する。今まではこれが最適解だった。
「私はそうだな……カツカレーにしようかな」
すると突然姫花が私の手首辺りをつかんだ。私は驚いて姫花を見ると、更に眉根を寄せながら無言で歩き出す。怒っているような、憎んでいるような顔。
「え、ちょっとどこに? 杏菜は?」
「黙ってついてきて」
少し強い言葉に私は何だろうと思うの半分、怖さ半分で言われた通り黙ってついていく。いつもの姫花じゃない。そう思っただけで急に外見通りの怖さが滲み出てきてしまう。
ほどなくして逃げないと踏んだのか、姫花が私をつかんでいた手を離した。でも相変わらず無言のまま。私も今更逃げようとも思わないからついていくけど、どんどんと学食から離れてしまう事に杏菜への申し訳なさが立ってくる。
やがて学食から離れた別館一階隅にある女子トイレの前に着いた。別館は今時間人も少なく、ましてやここのトイレは私もほとんど来た事が無い。だから中に入っても、当然誰もいなかった。
「ねぇ一体何なの? こんなとこまで連れて来て」
歩いている最中からふつふつと湧き上がっていた怒りが、ここに来て顔を出す。何の説明も無いまま杏菜を置き去りにし、こんなトイレの中まで来させるなんて何を考えているんだろうか。
すると背を向けていた姫花が振り返った。その顔は今にも泣きそうで、でも睨みつけていた。私は想像もしていなかった表情に驚き、まるで時が止まってしまったかのよう。
「……もう、我慢できないよ」
振り絞るような声、こぼれ落ちそうな涙。けれど私には何が何だかさっぱりわからず、それもまた怒りになって眉間に寄せるしわを深くしてしまう。
「は? 何が?」
すると姫花がぎゅうっと両拳を握り、うなだれる。地面にわずかな水跡が広がったような気がした。
「男の人にモテる結良が。さっきも告白されてたでしょ、私見ちゃったんだ」
「あぁ、あれは」
弁解しようと思った矢先、姫花が濡れた頬そのままに私の両腕をつかんだ。その力は思っていたより強く、痛みが走る。けれど姫花の様子からそれは些細なもののように思えた。
「私がずっとずっと我慢しながら、結良の気持ちを育ててる最中だったのに。あんな風な告白してきて。結良モテるってのは知ってたけど、あんなの見たら」
顔をくしゃくしゃにし、ぽろぽろと涙を流す姫花の姿に私はぞくりとした強い感情を胸に抱いた。それは私の今まで抱いてきたほのかな気持ちに強い色を塗るかのよう。でも、まだ私はそれと真正面から向き合いたくなかった。
「姫花、あのね」
「わかってる、何だかんだ言っても結良はアッチ側なんだって。だってあの時の結良、ずごい落ち着いてたからさ」
あぁ、場慣れしてるがために勘違いさせてしまったのか。
「違うよ姫花、そうじゃない。私はあれを断ったんだよ。そこまで見てなかったの?」
「え、そうなの?」
少し強く言うと、姫花はぽかんとした顔になって私を見詰めてきた。
「ちゃんと断ったよ、当たり前じゃない。私の恋人は姫花なんだから」
私が微笑むと、姫花がまた泣きそうな顔になっていく。その顔に私の胸はもうぐっと甘酸っぱく詰まり、気持ち良い痺れが広がっていく。
「私、丁度告白されてるとこを見て、もうパニックになって逃げて……」
私をつかんでいた力が抜けていく。今にもこぼれ落ちてしまいそうな姫花を私はとっさに抱き締めた。ふわりと香る姫花の香り、そして伝わる柔らかさ。私、正面から女の子を抱き締めた事ってそういえば無かったかもしれない。
そんな事すらも今まで、拒絶していた。
「大丈夫、他の人の告白なんか受けたりしないよ。ところでさ」
私は身体を離し、じっと姫花を見詰める。ぐしぐしと姫花は目元を拭い、化粧が落ちるのもいとわずに涙を払う。そんな行為ですら、胸が締め付けられた。
「我慢してるって、何? 私、ずっと魅力無いのかもって悩んでたんですけど」
「え……、だって結良、最初にそういうのは嫌って行ってからから、だから」
「私のために我慢してくれていたんだ」
感動と、でもそのまま伝えるのが恥ずかしいから少しの意地悪を混ぜてそう訊けば、姫花は素直にこくりと顔を赤くしながらうなずいた。その姿があまりに愛おしく、考えるよりも先にまた抱き締めていた。
「あぁもう姫花、好き。大好き。私、やっとわかったかもしれない」
ぎゅうっと抱き締めたままそう囁くと、姫花も強く抱き締め返してくれた。
「結良好き、愛してる。私もう、我慢しないよ。いいんでしょ」
「うん、いいよ」
囁く吐息が耳を、心を熱くする。抱き締めている個所から体温が伝わり、感情が伝わり、愛が染み入る。ずっとこうしていたい、でもこのままじゃほんの少し物足りない。
きっとそれは同じ想いだったのかもしれない。
私達はすうっとほぼ同時に身体を離すと、見詰め合う。まだ揺れる姫花の瞳の中に映る私は私をじっと見ている。大丈夫、もう心配いらない。
そっと私は姫花の頬に手を添え、顔を近付けた。ゆっくりと閉じる姫花の目、私もすうっとまぶたを閉じ、鼻息がかかる距離まで近付いていく。
「愛してる」
初めて触れた柔らかな唇の感触、ほんの少しの涙味。けれどもうそれだけで私の心も、姫花の身体も震えた。気持ち全部伝わり、愛おしさで満たされていく。身体の先端から力が抜け、身体の中心部が熱く燃える。
そして同時に姫花の苦しさが伝わってくる。孤独と不安、それはきっと私がいたずらに与えてしまったもの。私に勇気が無くて受け身だったから、傷付けていた。
そうだよ、姫花だって怖かったんだ。愛されたいと願って、ずっと私を想い続けていたんだよ……。
溢れる思いが止まらない。ただ、このままだとわからない事もあった。
「姫花」
「あぁ、結良ぁ」
すっと唇を離す。そうして姫花を見れば、もうすがるように私を見ている。泣きそうに、艶っぽく顔を赤らめたまま、かすれるように私の名を呼んでいた。すると一気に身も心も昂り、それと同時に理性が砂のように崩れていく。
我慢なんかできなかった。
「結良、愛して……んうっ」
だからまたすぐに確認するように唇を重ねた。
あぁ、同じじゃない、さっきよりもずっと愛しさが増していく。初めてのキスなのに私はもう夢中になり、姫花の髪をかき上げた。指先に触れたピアスと、月のイヤリング。その刺激が私の中にずうっと刺さっていた呪いのような棘を浄化していく。
あぁ、私が好きになったのが姫花で良かった。姫花に選ばれてもらえて良かった。彼女じゃなきゃ、私はきっと未来を閉ざしたままだった。こんな気持ち知らずに、どこか孤独なまま生きていた。
姫花の好きが、私を救ってくれたんだろう。諦める事でしか保てなかった私を。
「……杏菜、ずっと待たせてるよね。怒ってるかな?」
長いキスが終わり、私達は温もりを交換するように抱き締め合っていた。そうしてふと思い出したもう一人のお昼を約束した友達の事を考えると、ちょっとだけ申し訳なく思ってしまう。
「かもね。まぁ、一番に報告してあげよっか。それで許してもらおうよ」
「いいのかなぁ、それで」
「駄目なら今日の学食おごってあげよ。さ、そろそろ行こうか結良」
今度はいつものように明るく笑った姫花が私の手を引いた。
「あ、待って姫花」
「え、何?」
歩き出そうとした瞬間、私はある事を思い出した。
「化粧、直した方がいいよ」
「あ、そ、そうだね。こりゃもう、明日のもおごらないとならないかな」
「その時は一緒に出そうか」
クスクスと笑いながら、私達は顔を見合わせた。
沈んでいた太陽、それは私の未来や希望。でも姫花という綺麗な月が私に新たな輝きを与えてくれたんだ。
そしてその月はもう、沈む事を知らない。




