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『勇者リリアと記憶の王都ミルフェリア』Eden Force Stories Ⅲ(第三部)  作者: 瀬尾 碧


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『第六話・4 : 歓声のない勝利』

夜の大地に、重苦しい沈黙が降りた。

黒い湖はまだ泡立ち、空気はなお焦げた匂いを孕んでいる。


リリアは剣を下ろしたまま立ち尽くしていた。

だがその背を覆う六翼の残光は、なお夜空を裂き、周囲を焼き尽くす勢いで燃え盛っていた。

瞳は虚ろに光り、彼女自身の意識がそこにないように見える。


「リリア……!」

セラフィーが震える声で呼びかける。

だが、その声は彼女の耳に届いていない。


嫌な予感が胸を突き上げ、セラフィーは掌を翳した。

低く、震えるような声で詠唱を紡ぎ始める。


「──我が視よ、真理を穿て。

 数値を記せ、理を顕せ。

 秘匿された存在を暴き出せ……

 《解析術式〈アナライズ・コード〉》ッ!」


淡い光がリリアの全身を包み込み、夜の闇に解析術式の紋章が浮かび上がる。

だが、セラフィーの掌に展開された解析UIは――

もはや「数値」を表示する器ではなかった。


【SUBJECT:LILIA=NOCTURNE】

【Lv:♾️9999 over】

【STATUS:UNMEASURABLE】


その三行だけが、焼き付いたように残る。


次の瞬間、表示欄に走った数値は、

読み取られるより早く崩れ落ちた。

桁が歪み、符号が反転し、測定という概念そのものが耐えきれずに悲鳴を上げる。


【存在値:──世界律逸脱──】


その一文が表示された瞬間、

UI全体がノイズ混じりに激しく震えた。


《WARNING:観測不可能》

《WARNING:観測を継続した場合、精神汚染の恐れあり》


赤い警告が次々と重なった次の刹那、フォントは潰れ、記号は意味を失い、解析画面そのものが――内側から裂けるように崩壊した。


それでもなお、文字化けした残骸が空気ごとノイズを撒き散らし、現実の理そのものが、きしむように歪んでいく錯覚だけが残る。


――理解だけが、遅れて追いついた。


「これは、世界が測っていい存在ではない」


その事実だけが、

壊れたUIの奥から、確かに突きつけられる。


天地を覆っていた黒炎よりも、今やセラフィーの喉を締めつけていたのは――

リリアという存在、そのものだった。


「……これじゃ……」

セラフィーが、言葉の途中で息を失う。

「デモリオンどころじゃない……リリア自身が……世界を、壊す……!」


ブッくんは頁をばたばた震わせ、半ば錯乱したように叫んだ。


「ちょ、ちょい待ちィィ!! ワイのレベル51やぞ!? セラフィーだってレベル62やぞ!?

魔王討伐に必要なんがせいぜいレベル50!

それが9999 overって……存在バグとかいう次元ちゃう!

運営も神様も手ぇ出されへん、最終エラーやんけェェ!!」


「……リリア!! 目を覚ましてッ!!」

セラフィーの悲鳴が、夜を裂いた。


――だが、リリアは答えない。


剣を握る腕も、虚ろに燃える黄金の瞳も、

そこに宿っているのは、もはや「誰かを守る意思」ではなかった。

意思を失い、方向を持たないまま溢れ出す、災厄そのもの。


(……だめ……)


考えるより先に、身体が理解してしまった。

あの剣が振り下ろされれば――

敵も、味方も、地形も、区別されることなく“消える”。


喉が凍りつき、心臓を直接掴まれたように呼吸が詰まる。

次の瞬間、自分たちが光の奔流に呑み込まれる光景が、予測ではなく、確定した映像として脳裏に焼き付いた。


その刹那──。


ワン太が歩み寄り、

何のためらいもなく──ぽん、とリリアの手に鼻先を触れた。


それは力への干渉ではない。

言葉でも、命令でもなく、

“思い出される前の名前”に触れただけだった。


次の瞬間、

世界の喧騒が、音の出どころから消えた。


暴走していた数値は意味を失い、

六翼の残光は、燃え尽きる前の灰のように淡くほどけていく。

触れたその一点から、

現実が「元の呼吸」を取り戻していった。


狂乱していたUIは、

ノイズを吐きながら、まるで眠りに落ちるように点滅し、

赤い警告は、抗うこともできず静かに砕け散る。


やがて波形は輪を描いて収束し、

荒れ狂っていた光は、

最初からそこに無かったかのように、夜へ溶けていった。


【STATUS UPDATE】


【Lv:999(LOCKED)】

【ATTACK:9999(FIXED)】

【DEFENSE:9999(FIXED)】

【SPEED:9999(FIXED)】


【EXISTENCE STATUS:STABLE】

【NOTE:VALUES ARE SYMBOLIC】


【ANCHOR:DETECTED】

【ANCHOR ID:UNKNOWN】


《NOTICE:EXCESS OUTPUT HAS BEEN SEALED》

《NOTICE:FURTHER MEASUREMENT IS PROHIBITED》


赤の警告ウィンドウは霧散し、

代わりに淡い蒼光のUIが浮かぶ。

暴走は収束し、すべての数値が「9999」で固定された。


それは、世界が

“上を見るという発想そのもの”を、静かに捨てた証だった。


だが、それでもなお──

魔王討伐級の十倍を超える力は、

人の領域を超えたまま“安定”を刻んでいた。


リリアの黄金の瞳に、ようやく理性の光が戻る。

「……っは……」

肩で荒い息をつき、剣を握る手がかすかに震えた。


(……俺……いま、何してた……?

デモリオンをぶった斬ったまでは覚えてる。

けど、そのあと……記憶が、真っ白だ……)


リリアの肩が小さく震え、剣を握る指先に、ようやく“人間の温度”が宿った。


セラフィーは、全身から力が抜けるのを感じながら、呟いた。

「……ワン太……あなたが、リリアを繋ぎ止めたのね……」


彼女は深く息を吸い、恐怖を隠さず告げる。

「……落ち着いた……でも……あなたは、もう……」


ブッくんは頁をばたばた震わせ、震え声で絶叫した。

「おいおい……! リリアは……リリアはもう、デモリオンよりヤバいんちゃうんか!?

レベル9999 over!? ワイは見たで……はぁぁ!?

核兵器どころやないわ! 宇宙兵器やんけ!!

世界、何回リセットされんねん!!」


リリアは答えなかった。

ただ剣を握りしめ、俯いたまま、震える息を殺していた。


勝利の余韻よりも、

自分が“守る側”から、いつの間にか“恐れられる側”へ踏み込んでしまったという感覚が、胸を覆い尽くしていた。


(いや……おい待て。

ほんとに……俺が、何をしたってんだ……?)


(あれだけの怪物を討ち倒したんだ。

安堵と歓声に包まれていいはずだ。

なのに耳に届いてくるのは、仲間の歓声じゃない。

セラフィーの、怯えを帯びた囁き。

ブッくんの、半狂乱の絶叫──それだけ。)


(……ふざけんなよ。

俺はあの地獄を、この手でぶった斬ったんだぞ。)


剣先から、まだ熱を残した光が、ぽつりと地面に零れ落ちた。


なのに──

耳に届くのは、歓声じゃなく、動揺と戸惑い。

視線を合わせることすら躊躇うような、怯えだった。


守るために振るった剣は、

いつの間にか、仲間を遠ざける刃へと変わり、

怪物を討ったはずの力は、

怪物を超えた“何か”として、恐れられていた。


(……これじゃ……)

(俺は……勇者なんかじゃ、ねぇ……)


“災厄”──

その言葉を否定する理由が、もう……見つからなかった。


夜風は、祝福ではなく、沈黙だけを運んでいた。


その静寂は、

歓声を奪った沈黙じゃない。


――歓声という選択肢そのものを、

世界から奪ってしまった存在へと、

自分が堕ちてしまったことを突きつける沈黙だった。


それこそが、

剣を振るって得たものの中で、

何よりも残酷な“敗北”だった。

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