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『勇者リリアと記憶の王都ミルフェリア』Eden Force Stories Ⅲ(第三部)  作者: 瀬尾 碧


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『第一話・2 : 王都炎上、覚悟の呼吸』

古書店に、重い沈黙が落ちていた。

外ではまだ、遠くで警鐘が鳴り続けている。

兵士の叫びが、耳の奥に残ったまま離れない。


「……急いで行くよ。王都へ。」


セラフィーはゆっくりと頷いた。

夜明け前の光みたいに、静かで鋭い目をしている。


「……王都が落ちれば、魔王の第二の結界も終わる。

 どちらにせよ、ここで動かなければ、全部失われるわ。」


「ひぃぃっ……! でも火の海に飛び込むとか、紙のワイには地獄やんかぁ!」

ブッくんは床をばたばた叩いて喚いた。


ワン太は“ぽふっ”と飛び降り、前足で床を“とん、とん”と叩く。

その仕草はまるで、「迷うな」と告げる太鼓だった。


(……いや、なんでお前が一番覚悟決まってんだよ。布と綿でどんな悟り立ててんの?)


リリアは鋭く息を吸い込んだ。


「セラフィー、転移魔法で飛ばして!」


セラフィーは眉をひそめ、息を細く吐く。


「……無茶ね。この人数で長距離の転移は、私の魔力を全部削る。

 しばらくは回復も攻撃も何もできなくなる。それでも?」


「構わない。今は一刻を争う。」


その声に迷いはなかった。


セラフィーはまぶたを閉じ、短い祈りを胸に沈める。


「……まったく。無茶な勇者さま。」


片手を掲げ、杖が空気を震わせる。


「──《ゲート・レディグラス》!」


床の魔法陣が脈を打つ心臓のように明滅し、光が世界の膜を押し広げた。

視界が裂け、肺が裏返るような浮遊感が身体をさらう。


次の瞬間――吸い込んだ空気は、紙とインクではなく、

肺の内側に“灰”が薄膜みたいに張りつく、乾いた焦げの息だった。


真紅の炎が石畳を舐め、鐘が黒煙を貫いて鳴り響く。

空気は燃えていた。息をするたび、喉が焼かれ、まぶたに痛みが刺さる。

熱ではなく、“街の息”そのものが焼けていた。


セラフィーは片膝をつき、額に汗を滲ませた。

指先は震え、魔力の残光が消えていく。


「……言ったでしょう。これで私、しばらくただの女の子よ。」


(まずい……セラフィーはもう戦えない。ここから先は、俺たちだけで──)


(いや待て。俺たち“だけ”って、誰だよ。

 勇者・ぬいぐるみ・紙媒体。

 ヒーラー不在、タンクぬいぐるみ、サポートが紙ってRPGとして成立してんのか??)


だが、その冗談は炎に呑まれて消えた。


──赤い獣が、街そのものを噛み砕いていた。


王都の空は黒煙に覆われ、炎が屋根を落とし、逃げ惑う声が交錯する。

焦げた木材が舞い、息を吸うたび喉が焼ける。


鐘の音はもはや街全体の悲鳴だった。


リリアは炎を映した瞳で前を見据えた。


「……ひどいな。これが“魔王軍”の炎……!」


「ひぃぃっ! 紙は天敵や! 燃える! ワイ燃えてまうぅ!!」

ブッくんは頁の端を焦がしながら地面を転げ回る。


その横で、ワン太が“ぽふっ”と立ち止まる。

布の耳が、燃える風に揺れていた。


「……ワン太?」


返事はない。

ただ――その瞳はまっすぐ、炎の向こうを見ていた。


瓦礫の影。揺らぐ赤の中。

黒い影が、通りを埋め尽くしていた。


甲冑に似た黒い殻。紅い眼光。

槍と剣を掲げ、整然と歩みを揃える軍勢。


大地が、その足並みに合わせて低く唸る。


「……《魔鎧兵デモリス》か。」


(……雑魚にしては数がエグい。)

(普通にやったらキリねぇやつじゃん、これ。)


そして――

「数」ではなく「意思なき世界そのもの」が迫っていた。

人の形をしているのに、生き物の気配が一つもなかった。


セラフィーは片膝をついたまま、ゆっくりと顔を上げた。

その視線は、炎でも戦場でもなく――“絶望”の方を見ていた。


「……まさか……」


声が震え、かすれる。

その声は、強くあろうとする意志と、崩れ落ちそうな祈りが同じ場所で擦れ合っていた。


「……これ……“本軍”よ。

 侵攻じゃない。 王都を獲りに来てる……!」


ワン太は小さな足で、ぽす、ぽす、ぽす。

規則正しく大地を叩いていた。


その音だけが、まだ「生」を名乗っていた。


ブッくんは、その光景を見たまま、頁の端をそっと噛むように震わせた。


「……なぁリリアはん。おかしい思わへん?」


「ワン太はんって、ただのぬいぐるみのはずやねんな?

 布と綿の。

 筋肉も、骨も、呼吸もあらへん。」


ブッくんは、ゆっくりと頁を擦り合わせる。


「……さっきから、調べとったんや。」


「ワン太はんは、“生き物”とか“武器”とか“玩具”とか……

 どの分類にも当てはまらへん。」


炎が影を伸ばし、ワン太の輪郭だけを浮かび上がらせる。


「存在してる階層レイヤーが違うんや。」


「生きてる/作られた――そういう区分の話ちゃう。

 “この世界に属してる”って前提が、最初から無いんや。」


リリアは喉が自然と鳴るのを感じた。


「……じゃあ、何なの?」


ブッくんは、言葉を絞り出すように答えた。


「つまりな……あれは、“名前の外側”のやつってことや。」


ワン太の耳が、かすかに揺れた。

まるで、「気づいたね」と返すように。


リリアは背中へと手を伸ばした。

指が柄に触れた瞬間、呼吸が“戦い”の形に変わる。


――カチリ。


大剣レーバティン・ゼロが、炎を映して抜き払われた。

赤い刃が、熱と戦意を光へと変えて燃え上がる。


炎の唸りが遠のき、胸の奥の呼吸だけが世界の真ん中に残る。

その静けさは、刃がまだ振り下ろされる前の、世界が息を止める瞬間だった。


炎音の中で、三人と一匹の呼吸だけが、ひとつに揃う。

静かで、深い、戦い前の呼吸。


胸の奥で鼓動が跳ねた。

その一拍が、世界の音をすべて呑み込んだ。


――戦うしかない。


炎が揺れ、風が息を潜めた。


「……なあリリアはん。」


ブッくんは、ゆっくりとページを震わせた。


「ワイ、燃えてもええけどな……

 ザッハトルテの味だけは、知ってから死にたいんや……!!」


リリアは、かすかに笑う。


「……なら、生き残るしかないな。」


炎が裂ける。

黒い軍勢が吼える。


戦いが、始まった。


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