『第五話・2 : 師として赦せなかったもの』
背後で揺らめいていた白灰の景色が、“文の行頭”のように静かに折れ曲がった。
空はねじれ、地表は反転し、遠くの木々が“上へ沈む”という、因果の軸ごと歪む挙動を見せる。
その異変とともに、世界の手触りが変わった。
セラフィーが息を呑む。
「……この戦い、もう避けられないわ。」
その言葉が終わるより早く、リリアの剣が上段に閃いた。
――空気が沈む。
足元の大地が、音もなく張りつめる。
大地が震えたのではない。
ここから先は、退路のない《決闘》だと――
世界そのものが告げていた。
「――上等だよ、ラムタフッ!!
デモリオンごと、まとめて叩き潰してやる!!」
ラムタフは、その宣言にも微笑を崩さない。
愉悦の影だけが、わずかに揺れた。
「……師匠。
あなたに、私の歩む“野望”は砕かせませんよ。」
ラムタフはゆっくりと、愛刀を上段へ掲げる。
その動きだけで、空気が低く重たく鳴動した。
「あなたに教わったすべてを……私は魔王様と歩む“別の未来”で完成させたのです。」
淡々と紡がれた声。
しかし、その中に――かつて少年だった頃の影は、一粒も残っていなかった。
次の瞬間、ラムタフの口元が、ゆっくりと歪む。
笑い声は高くも荒くもない。
ただ、結果を知っている者だけが浮かべる嗤いだった。
「──哀れな師よ。
ここで終わるのは、あなただ。」
その嘲りに条件反射するように、リリアは言い返すこともなく一歩踏み込んだ。
レーバティン・ゼロを上段に掲げ、息をひとつだけ整える。
「――聖天に座す光の律よ」
刃が、応えるように白金へと燃え上がる。
夜気が裂け、光が集束し、剣先に“完成された答え”が形を結んだ。
「──《光輝衝破》ッ!!」
振り下ろされた一閃が、夜を断ち割る閃光となる。
白金の軌跡が地表を削り、空気を灼き、砦の影さえ押し潰すように突き進んだ。
だが──その刹那。
ラムタフの口から、まったく同じ詠唱が吐き出された。
「──《光輝衝破》ッ!!」
紅晶の陣が血のように脈動し、同質の光束が対向して放たれる。
二つの光が正面衝突した瞬間、世界が軋んだ。
閃きと閃きが噛み合い、雷鳴のような轟きが大地をえぐる。
白金の閃光が蒼白に揺らぎ、紅晶の光は血濁りのように脈打った。
──天と地が逆向きに叫ぶような、破滅の対位法。
やがて二つの光は、互いを喰い潰すように消え失せた。
「くっ……!」
リリアは剣を軋ませ、足を大地に縫いとめるように踏ん張った。
額に汗が滲み、喉の奥が焼けつく。
(……はぁ!? 何だその軌道……!
刃に魔力を“乗せる”順が、俺と同じだ……ッ!!
踏み込み→返し→収束……
全部、俺の“断流斬”の通し方そのものだ)
(……いや、待て。クソ……あいつ、一ミリも成長してねぇ。悪い癖、何ひとつ治ってねぇ)
(この三年間、何してた……?
どこで、誰の下で……
お前は、いったい……
“どんな未来”を選んだんだよ……)
胸の奥で、リリア──いや、その深層に潜む颯太そのものの怒気が弾けた。
それは言葉になるより先に血流へ叩きつけられ、心臓の鼓動を一拍だけ乱す、むき出しの“生の憤怒”だった。
「……クソがッ。ほんとに……腹立つわ、お前。」
衝突の余波が火花となって光波の裂け目を暴れ散り、砕けた樹々は、炭の羽根が空中でほろほろと解け落ちていく。
その光の嵐の中心で――
リリアの内で渦巻く魔力が、ついに“声”を得た獣のように低く唸り始めた。
怒りではない。焦りでもない。
ただ――これから放つ“一撃”のためだけに存在を昂らせる、氷刃めいた純粋で獰猛な衝動。
肺を灼く呼吸とともに、術式の核へ火種を叩き込み、リリアは静かに詠唱を放った。
「聖天に座す光の律よ――」
その時、わずかに遅れて響く。
背後から、かつての少年の声を思わせる、寸分違わぬ“写し声”。
「……聖天に座す光の律よ――」
リリアの眉が、わずかに震えた。
ラムタフの詠唱が追ってくる。
ただの模倣じゃない。
息の速さも拍も、心臓の鼓動すら合わせるように――完全に一致している。
胸の奥が鈍くきしんだ。
怒りとも焦りとも呼べない何かが、軋みの奥で静かに割れた。
詠唱を“奪われる”――それは、師として決して触れさせてはならない魂の核を、素手で握られるような感覚だった。
(……でも違う。
同じじゃない。
あいつの詠唱には、霊が通っていない。
俺の“表面”だけをなぞっているだけだ。)
(――なのに。
どうして“そこ”だけは変わらない……?)
そして――二人の声が完全に重なった。
「世界の歪みを断ち割る刃と成らん……!」
世界が一拍だけ息をひそめる。
そしてその静寂を裂くように、同時。
「――《 聖光崩雷 (せいこうほうらい) 》ッ!!」
白金と紅晶の雷閃が、
《レーバティン・ゼロ》の剣先と、《ゴラリス》の刀身から同時に迸った。
だが二つの雷閃が衝突した、その瞬間――
白金と紅晶の光は、完全に同じ速度で噛み合わなかった。
ほんの一瞬。
どちらが速いとも、強いとも言えないほどの誤差。
かつて同じ流派に連なっていた、二つの刃。
だが確かに、
衝突点が“ずれた”という感触だけが、リリアの掌に残った。
そのずれは、痛みでも衝撃でもなかった。
ただ――剣だけが、納得していない感触だった。
そのとき、リリアの胸裏に煮えたぎったのは、
この男が選んでしまった未来を、ひとりの人間として――
そして師として、どうしても赦せないという“痛烈な憤り”だけだった。




