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『勇者リリアと記憶の王都ミルフェリア』Eden Force Stories Ⅲ(第三部)  作者: 瀬尾 碧


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『第二話 • 5 : 勇者、国家級ザッハを前に理性と食欲が決裂する』

その刹那──


──バキィィィィン!!


封印の扉が悲鳴を上げ、結晶の侵食に耐えきれず崩れ落ちた。

砕け散った鉄片と光の破片は、吹雪のように廊下へ乱れ飛び、

空気そのものが震え、弾け、流れを失った。


「きゃ──っ!」

セラフィーがマントを翻し、ブッくんがばたばたと頁を振り乱す。


爆風に煽られ、小さな布の影が宙を回転した。

「わっ……!」

リリアは咄嗟に腕を伸ばし、飛んできたワン太を抱きとめる。

(……やば……! 抱き心地モフモフ……いや違う今は集中しろ俺……!)


甘気の奔流が廊下を白く塗りつぶす。

視界も音もすべて溶け、世界が“甘い無音”に包まれた。


──その白が、ふっと晴れた瞬間。


世界は、まるで息をのみこんだように“止まっていた”。

床も壁も、乱れていた気流さえも、

さっきまでの混乱を忘れたように静止している。


その静止した時の中心。


そこにあったのは──

ただの菓子ではない。


《聖なるザッハトルテ》。


黒曜石の艶は光を呑み、影を孕み、

それでいて周囲の視線を強制的に吸い寄せる“甘美の重力”だった。


圧倒的で、神殿の祭壇のように荘厳で。

その場に立つだけで、膝が折れそうになるほど“格”がある。

それはもうケーキではなく──

この城の心臓であり、国家の最後の祈りそのものだった。


(……やばい。見てるだけで胃が震える……これ絶対うまい。)


その前に立ちはだかるのは、透き通る結晶の犬──いや、砂糖細工の聖獣。

カラメル色に光る牙が、床石を噛み砕くたび、甘い火花が散る。


一歩ごとに、空気の密度が上がる。

聖なるザッハトルテを前にしたその姿は、もはや“守護者”ではなく──


捕食者。


空気がひとつ、固く震えた。


「ひ、ひえぇぇぇぇっ!?

 なんで犬が国宝ケーキに噛みつきに行っとんねん!!

 散歩中の拾い食いやないんやぞコレぇぇ!!

 ザッハトルテを“犬用ジャーキー”扱いすなやぁぁ!!」


張りつめた空気のど真ん中で、ブッくんだけが盛大に裏返り、緊張という緊張を、文字ごと粉々に吹っ飛ばした。


リリアの喉がごくりと鳴る。


(……おい待て。

 守護者が“ケーキハンター”にジョブチェンジってどういう事態だよ。

 国家存亡が犬の食欲で左右される世界線やめろ!!)


「……リリア」

セラフィーが横目で問いかける。

「聖獣オルフェスを止めなければ……! ザッハを食べられた瞬間、この国は──」


――床石を砕く音は、すでに“破滅のカウントダウン”だった。


「──させない!!」


リリアが地を蹴った瞬間、空気が一段階重く沈む。

甘気が凝固し、**“見えない圧の壁”**となって押し返してきた。


(……来る。これは“甘味障壁”──甘さそのものが空気を固めるタイプ……!)


「リリア、前! 甘気の濃度が急上昇してるわ!」

セラフィーが剣を構え直す。


「任せてッ!」


魔力を脚に込め、リリアは圧の層へ一直線に踏み込む。

レーヴァテイン・ゼロが光の爪痕を走らせ、

甘気の膜に“通り道の起点”となる細い切れ目を刻んだ。


「わ、ワイもやったるでぇぇ!!」

ブッくんが涙目で呪文を解き放つ。

「焦げよ! 滅びよ! 呪糖黒焔カースド・ブラウンフレイムぇぇ!!」


黒炎が切れ目へ流れ込み──

──じゅぅぅ……!


焦げ甘い香りが爆ぜ、

リリアの刻んだルートは一気に焼き広がり、まるで“突破の線”のように道が開いた。


「今だセラフィー! 一気に抜けるよ!!」


三人の力がひとつに重なる。

光、炎、祈り──その衝突は轟音となり、

聖獣の前に立ちはだかっていた“甘気の防壁”が、音を立てて粉々に砕け散った。


だが──

その破砕音が響き切るより早く、聖獣はすでに踏み込んでいた。


巨大な結晶の脚が石床を抉り、

カラメル色の牙が“あと数歩”で聖なるケーキへ届く。

空気が、甘い絶叫のように軋んだ。


その瞬間、リリアの中で ぷつん、と何かが切れた。


(……ケーキを守る? 犬を止める? そんな高尚な話じゃねぇ!

 もっと単純なんだよ……!)


足元で砂糖の霧が、月光の欠片みたいにひらりと舞う。

胸の奥で――甘味への執念というより、もっと原始的な“飢え”がぱちりと火を噛んだ。


(……あの艶……あれ反則だろ。

 あんなん見せられて我慢できるやつ、聖人か味覚障害だぞ!?)


(……あれを犬に横取りされるとか、絶対に許せない。

 味覚とか理念とか以前に、魂が拒否する。)


「お菓子は“美味しく食べられて”こそ本望。

 なら──わたしが食べて守る。

 甘味を受け入れるこの身こそが、誰にも破れない結界よ。」


(……いや待て。

 セリフだけ聞いたら“神聖な守護者”っぽいけど、

 中身どう考えても“勇者の皮かぶった食い意地モンスター”だよな俺!?

 理屈で飾ってるけど、絶対ただ食べたいだけだろこれ!!)


セラフィーの瞳が、驚きと呆れを通り越し──

わずかに、祈るような光を帯びた。


(……そう。

 こういう時のリリアがいちばん強い……)


リリアは迷いなく踏み出す。

甘気が揺れ、世界が一瞬だけリリアの呼吸と重なった。

もう、誰にも止められなかった。


甘気の奥で、世界のどこかの“甘い運命の歯車”が、

かすかに──カチリ、と音を立てた。

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