どうか愛して
この国では何百年に一度、聖なる力に目覚めるものがいる。王家と結ばれることが聖女の幸せであり、国に繁栄をもたらすとされている。
「俺を愛してくれ」
聖女の覚醒により婚約解消となり三日も経たずして殿下がやってきた。本来ならば記憶喪失を疑うが、ちょっとした事情がある。
聖女として覚醒したのが赤子だったのだ。
この国で最大の禁忌は子への虐待である。
同時に、年端もいかない子供を手なづけ篭絡することを固く禁じている。聖女の成長を待つことも言語道断だ。
「俺は死にたくない。死にたくないんだ」
私は首をぶるぶる横に振り、怯える殿下を見下ろす。
「死刑にはならないじゃないですか」
虐待は死刑にならない。ある程度の自由が保証され、集団生活をしながら更生を目指す牢に入る。刑期を終えれば、牢を出る。
生きてさえいれば、の話だが。
子への虐待および性虐待により収監された者は、だいたい5日以内に死ぬ。他の受刑者の手で殺されるからだ。
5日以内という期限は、大抵の受刑者はそのまますぐ殺すことをせず、色々苦しめて殺すので、だいたい5日というざっくり期間になっている。色んな意味で、ざっくり。
初日からもう、半殺しになってる。
「そんなに死を恐れているのは何故です。聖女に惹かれたのですか」
「そんなわけないだろ! 歴代の王子がみな聖女に運命を感じ惹かれたことで、俺も聖女に惹かれると考えた王が俺を殺そうとしているんだよ‼」
「まぁ、この国ではそれが一番正しい道ですよね」
この国で、子は宝。
王よりも民が全て。
王子はいずれ国の頂点に立つ存在だが、それは象徴としてだ。
主は王になく民にあり。歴代の王は絶対的に崇められながらも、民に誠心誠意忠義を持ち尽くすことでその権力を絶対とし、この国は強くなっていった。
だから、王子が聖女に手を出しそうなら、サッサと殺す。
王も思うところがあるだろうが、自分の子が年下の子供に手を出すくらいならば、自分で殺すほうがいいのだろう。
牢に入れば、早く殺し欲しいと願うような目に遭わされるのは確実だし。
「俺は聖女なんか好きじゃない。皆、それが分からない。だから婚約を結びなおす」
「俺は聖女を愛すると、三日前におっしゃったじゃないですか。私に愛しているとは、一言もいわなかった貴方が」
「それは国の為だ。聖女の力は偉大だ。その力なくして国の繁栄は無いからこそ……」
この国の慣例だ。降臨した聖女を庇護する。信仰がこの国を守り、世界に安寧をもたらす。そのためには、ある程度の犠牲はつきものだ。
そんなこと理解している。
「……俺を愛してくれ」
殿下は繰り返す。
私は「国命とあらば」と承諾した。
◇◇◇
殿下と私は改めて婚約した。私の気持ちを知っていた両親も王家も祝福してくれた。
家の為にも国の為にも殿下の為にも、最適な形だった。
◇◇◇
時は過ぎた。殿下は陛下と立場が変わり、それに伴い私も立場が変わっていった。馴染んだ味は懐かしい味と呼ばれ、ドレスの型は歴史を彩った産物として紹介されるようになった。鮮やかではっきりしていた瞳も髪も、お互い淡くなっている。それが退色によるものか、視力の衰えなのかは分からない。おそらくどちらもあるだろう。
「俺を愛してくれてありがとう」
ともに花畑を見ていると、陛下が呟いた。私は笑みだけ浮かべた。
国の為だから別れた。
婚約解消について、彼はそう言った。それが正しかったとしよう。
私のことを愛していたけど、国の為に別れた。
でもどうだろう。
再度婚約が結ばれ、結婚した。こうして共に老いた。
でも聖女が幼かったことで、死にたくないから愛した可能性だって、否定できない。
信じたいとは思う。この人を、愛しているから。
でも好きだから信じられるなんて正しさを、私は持つことができない。この人は死にたくないから私を隣に置いたという前提がないと、隣に立つことすら怖くて出来なかった。
私はたしかに苦しかったから。
別れを告げられた日、聖女の降臨にあたって婚約が解消されることは分かっていても、国の為だと知っていても、心のどこかで期待していたのだ。ありもしないのに。一緒にどこかへ行こうと、言ってほしかった。逃げてしまおうかと言ってほしかった。
私はちゃんと、それは駄目だと止めるから。
逃げようと言ってくれたことだけ胸に留めて、思い出として自分の身勝手な思いを手放すことが出来たから。
そういう葛藤を、多分この人は分かっている。分かったまま、そばにいる。それが私にも分かるから、何年経っても責めきれない。
陛下は私の笑みに対して、柔らかく微笑み返す。
優しくて静かな眼差しだった。




