孤独な戦い
病院からの帰り道、役所に寄った。
出生届を出すためだ。
受付で紙を渡され、記入欄を埋めていく。
生年月日、性別――
そしてその下に並ぶ文字。
『父の氏名』『父の続柄』『父の本籍』
ペン先が止まる。
まるでこの書類が言っているみたいだった。
「この子に“父親”はいないの?」って。
――いるよ。本当はいる。
心の奥がずきずきと痛む。
でも私は、深呼吸をしてからその欄を空白のまま進める。
「父親不詳」ではなく、空白。
きっと将来、この子に説明する時が来る。その時は、逃げずに話そう。そう決めた。
「未婚……ですか?」
窓口の人が確認する声が、やけに冷たく聞こえた。
決して悪意があるわけじゃない。仕事として淡々と処理しているだけ。
だけど、私の心はその一言でガリガリと削られていく。
それでも私は、震える手で署名を書いた。
この子の“母親”として。
「はい、これで手続きは完了です」
あっけないほど簡単に、娘は“この世界の一員”になった。
――
その瞬間から、私の孤独との戦いが始まった。
産休や育児休暇、社会保障。
調べれば調べるほど複雑で、用語も意味不明だった。
「シングルマザー用の支援もありますから」
窓口でそう言われたけど、なにがなんだかわからなくて。
ただ、今は昔ほど非嫡出子や嫡出子やひとり親に偏見がない世界になったことが
せめてもの救いだった。
その次の日も、私は母乳を冷凍して、また病院へ向かった。
ある日、NICUの看護師さんが声をかけてくれた。
「最近、表情が柔らかくなりましたね。娘さん、頑張ってますよ」
その言葉だけで、また泣きそうになる。
誰かが“私たち”を見ていてくれる。それだけで十分だった。
現実は重たい。未来は怖い。
でもこの子となら――
一緒に未来に行ける気がする。
気持ちが少し前向きになったから、次に進まないと!
そして携帯の画面を何度も見つめた。
――認知だけは、してもらわなきゃ。
あの日、母親を連れてきて言われた言葉が頭の中で何度も響く。
『子どもはいらない。責任は取る。認知くらいならしてもいい』
認知くらい。
その言葉が、ずっと胸に引っかかっていた。
でも、それでも――この子のために。
私は、久しぶりに元彼の番号を押した。
コール音が何度も鳴る。
その間に、手が冷たくなっていく。
「……はい」
低い声。相変わらず感情がこもっていない。
「……認知だけ、お願いしたい」
私は無理やり声を絞り出した。
「この子に……あなたの存在を、残してあげたいから」
しばらく沈黙が続く。
まるで、天秤にかけているみたいに。
「……わかった。手続きの時、連絡して」
それだけだった。謝罪も感情もなかった。
でも、それでいい。
この子が大きくなった時、父親の名前が**“空白”じゃない**という事実だけが必要だった。
後日、役所で認知届を出してもらい、正式に認知された。
それでも、私は泣かなかった。
これは喜ぶことじゃない。ただの“義務”を果たしてもらっただけだ。
娘の小さな指が、また私の指をぎゅっと握る。
この温もりだけが、今の私にとっての**本当の“家族”**だった。
ただ、後から知った胎児認知・・・それがあれば出生時から父親の子になっていた・・・
私が無知だったから出生後での認知になってしまった・・・
悔やんでも仕方がない!子供の為にできることをしなくちゃ!!!
認知が済み、ほっとしたのも束の間だった。
次に待っていたのは、養育費の話だった。
最初は、「話し合いで決めよう」と思っていた。
お互いに顔を合わせ、子どものためにと。
でも現実はそう甘くなかった。
「月2万円なら払える」
彼の言葉は冷たくて、私の心は凍った。
月に2万円で、この子を育てられるわけがない。
誰かに相談したくて、私は弁護士のもとへ向かった。
「養育費は双方の収入で決まります」
専門家の言葉は現実的で、私の理想を簡単に打ち砕いた。
「彼の収入を考えると3万が妥当だと思います。」
「でも、払わなくなるリスクもあります。
だから調停や公正証書でしっかり残しておくことが大切です」
月3万で子供を育てられるわけがない。
それでも仕方がない。ないよりは・・・
この子を守るために、私は法律の力を借りる決意をした。
その後、調停を申し立て、公正証書で養育費を正式に記録してもらった。
いつか彼が払わなくなるかもしれない不安は消えない。
でも、少なくとも今は、この手続きが私たち母子の盾になる。
娘の寝顔を見ながら、私は静かに誓った。
「あなたを守るために、どんな戦いも諦めない」