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1000gの命

朝、まだ日が昇りきらない時間に目を覚ます。

 夜が明けるまでの時間が一番苦しい。

 夢か現実かわからないまま、胸の奥が空っぽで――

 でも私は起き上がる。今日も、病院に行かなきゃ。

 冷凍庫の中には、小さなパックに詰めた母乳が並んでいる。

 産んだばかりなのに、娘は自分で飲むことができないから、私が絞って持っていくしかなかった。

 病院のNICUのスタッフさんに渡すと、名前を確認してからすぐに冷凍庫に運ばれていく。

 「今日もありがとうございます」

 看護師さんがいつも優しい声でそう言ってくれるけど、

 正直、泣きそうなのはこっちだ。

 生まれてきたばかりの娘は、今日も変わらず透明なケース――保育器の中にいる。

 管に繋がれて、スポイトでほんの一滴ずつ母乳を飲ませてもらっている。

 一滴。

 それだけで精一杯。

 それでも……少しずつ、大きくなってきている。

 誤差みたいな数字だけど、昨日よりほんの数グラム重たくなっていた。

 「すごいね」

 声に出すと、眠っていた娘がぴくりと眉を動かした。

 それだけで、涙が出そうになる。

 母親としてできることなんて、本当にこれだけ。

 毎朝起きて、搾乳して、冷凍して、持って行って――

 たったそれだけのルーティンだけど、私にとっては命がけだ。

 夜、病院を出る時が一番つらい。

 帰り道はずっと心の中で謝っている。

 「ひとりにして、ごめんね」

 「でも、明日もまた来るから」

 1000gちょっとの小さな命。

 この子は今、生きるために毎日、戦っている。

 だから私も負けられない。


その日は、朝から少しだけ違和感があった。

 NICUに着くと、いつもより保育器の周りが静かだった。

 「あれ……呼吸器、ついてない?」

 透明な箱の中――娘の口元から、管がなくなっていた。

 「今日から酸素濃度を下げてみることになりました。お母さんが来るとよく反応するからね」

 看護師さんが微笑んで言った。

 その言葉だけで、涙腺が崩壊しかける。

 私が来ると“反応する”。

 ――ちゃんと、わかってくれてるんだ。

 保育器の扉をそっと開けて、小さな小さな娘の手に指を添える。

 まだしわしわで、細い。骨ばっているのにふにゃっとしていて、不安定な感触。

 でも。

 ――ぎゅ。

 その瞬間、本当に微かな力で、娘が私の指を握り返してくれた。

 息が止まった。

 心臓がどくん、どくんと音を立てる。

 「……握った……」

 周りの音も、人の声も聞こえなくなっていた。

 この世界に存在しているのは、私とこの子だけだ。

 小さな指が、細い力で私を掴んで離さない。

 ――この子は、生きようとしてる。

 「ありがとう」

 心の中でそう繰り返す。

 「産まれてきてくれて、ありがとう」

 「生きようとしてくれて、ありがとう」

 そしてその日の夕方。

 「ふぇ……」

 か細い声が保育器の中から聞こえた。

 今まで聞いたことのない――**娘の“泣き声”**だった。

 「……泣いた」

 声が震えた。

 今まで管が喉に入っていたから、泣くことすらできなかったこの子が。

 やっと、産まれてきたことを教えてくれた。

 「がんばろう、一緒に」

 私も、泣きながら笑った。

 この小さな手と小さな声は――

 この先、どんな世界よりも私にとっての光になる。



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