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英雄の妹ですが、兄貴のせいで変なフラグばっか立ってます〜誰かまともな人いませんか〜

作者: 夢ノ語部

 図書館の朝は、静かで穏やかで、何も起こらない──はずだった。

 私はその静けさが好きだ。背の高い本棚に囲まれた空間、紙の匂い、誰にも邪魔されない時間。

 ここでは誰も“英雄の妹”なんて呼ばない。ただのリリアとして過ごせる、大事な居場所。


「リリア・エルメロイ殿を、お迎えに上がった」


 ──その声が響くまでは。


 重く、低く、よく通る声。そんな声と共に、図書館の扉が、ゆっくりと開かれた。

 立っていたのは、異形の存在──背は二メートル近く、鋭い眼光、闇色の鎧に包まれた筋骨隆々の男。額には黒い角。

 まぎれもなく、魔族だった。


「リリア・エルメロイ殿。結婚の申し込みに参上した」

「はああああああああああああああああああああ!?」


 急に現れた、ただでさえ日常を粉砕する存在が、意味不明な事を言ってきた。

 魔族。それも、ただの魔族じゃない。


 全身から放たれる圧に、近くにいたおじいちゃん司書がひっそり逃げた。

 私も逃げたい。でも、その視線はまっすぐ私に向けられている。


「わ、わたし、あなたに会ったことも話したことも ──ていうか何!? 求婚!? 魔族!? 何この状況!? 意味不明すぎて頭爆発しそうなんですけど!?」


「我はヴァルグ・ザ=ラグナ。元・魔王軍第三将。現在は和平交渉団の特使。そして本日──貴女に求婚の意を伝えるために参上した」


 なんでそんな大物が!?

 なんで……いや、一つだけこんな魔族がやってくる心当たりはある。 


 私はリリア・エルメロイ。

 ただの図書館司書見習い。

 ──だけど、“英雄アレクの妹”という肩書きが、いつの間にか私をまともな人生から遠ざけていた。


「……兄、ですよね。兄が、なにか……語りました?」


 こんな異常事態も、悲しい事にはじめてではない。

 

 兄、アレク・エルメロイ。

 “光の英雄”と呼ばれた人類の救い主。数年前まで続いた魔族との 大戦争を終結させた英雄にして、私の実兄。


 あの人が戦場で剣を振るえば、味方は奮い立ち、敵は武器を捨てる。

 言葉を発すれば、国が動く。王が従う。

 ──それだけの“カリスマ”を持つ、真の英雄。


 でもその兄貴、妹のことになるとおかしいんです。

 マジで。

  

「語りあった。夜を徹して」

 

 ヴァルグの瞳が、一瞬だけ柔らいだ。

 

「アレク殿と多くを語り合う中で、私は人間という存在に希望を見出していた。人と魔は協調できる存在なのだと。だが──そう感じた決定打は、妹君の存在だった」


「決定打って何!? いや兄貴、何語ったの!? 妹のどこに希望あったの!?」


「アレク殿はこう言った。“彼女は強くない。ただ、日常に在り続ける。人類が戦場で傷ついても立ち上がれるのは、彼女が日常を守り、笑ってくれるからだ”と」

 

 ヴァルグは静かに目を閉じる。


「“戦場で勝った俺より、世界を平和に導くのは笑って生きる彼女の方だ”──と」


「兄貴ぃぃぃぃぃぃいぃぃぃ!!私一般市民なんだけどぉ!!」

 

 兄がシスコンで、妹について語るのはもう諦めてるけど。

 でもそれを受けて、心を動かされちゃう魔族の方にも問題あるでしょ!? なんなの!?


「私は信じた。彼の言葉の力を。──そして、そこに映った貴女という存在を」


 ヴァルグの声は静かで、でも揺るぎない。


「人と魔が争ってきたこの世界に、境界を越え、共に手を取り合える世界を作るために。貴女に、私の想いを伝えることは、平和の始まりだと確信している」


 ──それって、求婚というより、外交案件なのでは?


「無理! むりむりむり!! 私、ただの一般人です!! なんでいきなり人類代表みたいなポジションに!? 誰か代わってぇええええ!!」


 私の叫びが、図書館の天井にこだまする。

 しかし、誰も私と目を合わせないし、図書館なのに注意にすらこない。


 どうやら自分でどうにかするしかないらしい。泣きそう。 


  ──まず、深呼吸。落ち着こう。


 私は少しにじんできた涙を拭い、深く息を吸い、そっと吐く。目の前の状況が現実であることは、もう認めるしかない。

 元・魔王軍将軍ヴァルグ様(なんか様付けしたくなる風格)が、図書館に現れ、正式に求婚を申し込んできた。

 原因は兄の語り──それも、戦争と和平の只中で夜通し語られたという妹プレゼン──。


 兄貴、どこで私の話してんのよ……!


「その、すみませんが。私、結婚とか全然考えたことないんです。ましてや外交カードになるような存在でもないですし……」

 

 精いっぱいの理性で、どうにか断ろうと試みる。

 けれど、ヴァルグの表情は崩れない。


「理解している。貴女の意思を最優先することが、アレク殿の望みでもあった」

 

 ……それはまあ、そうだよね。

 でも続けて口にした一言で、私はぐらりと膝を折りそうになった。


「ただ、既に各国の高官や神殿筋では、“リリア・エルメロイの存在が和平を導いた”との見解が共有されている」

「 なんで!? 誰のせい!? 兄貴だよねやっぱりぃぃぃ!?」


 逃げ出したい気持ちをこらえながらカウンターの端にしがみつく。

 この数年、確かにおかしなことは増えていた。

 通りすがりの人に拝まれたり、よく知らない貴族から果物籠が届いたり、「リリア様の奇跡を語る会」なる謎の集会まで目撃した。

 でも全部スルーしてた。気づかないふりしてた、だって私一般人だしって、なのに──本当にそういう方向で話が進んでたなんて!?


「貴女を讃える歌が、吟遊詩人たちの間で流行しているそうだ。“静かなる英雄の心臓”と」

「そんな二つ名いらないわああああああ!!」


 その辺の棚に突っ伏しながら叫ぶ私。

 静かな心臓ってそれもう死んでるでしょ!

 そんなツッコミをする暇もなくヴァルグは真顔で続ける。


「アレク殿が語った。“戦場では人は動かせる。だが、心を繋ぐには、静けさと継続、心の傍にいてくれる存在こそが必要だ。──それを体現するのが妹なんだ”と」

「何言ってんの兄貴……」


 兄は確かにカリスマの塊だ。

 剣を振らずとも、言葉一つで軍を動かし、敵を味方に変える。

 そしてその力を──妹に全振りしてくるのが最大の問題なんだよ!!


「私、ただの一般人なんです。普通に働いて、普通に疲れて、たまに食べすぎてお腹壊す程度の人間なんです」

「だがそういう“ただの人間”が、世界を変えることもある。それが、アレク殿の語りの核だった」

「あるかもしれないけど!私は絶対違うから!」


 それでも、断らなきゃいけない。今ならまだ、世界規模の面倒に巻き込まれる前に止められるかもしれない。

 私は意を決して、はっきりと口を開いた。


「ごめんなさい──そのお申し出、私は──」


「リリア様ーっ!!」

 

 その瞬間、図書館の扉がバァンと開き、今度は別方向の混乱が飛び込んできた。


 ……嫌な予感しかしない。


 現れたのは、一人の女性騎士。

 全身を白銀の鎧に包み、冷たい灰色の瞳が鋭く光る。


 私はすぐにその人の名を思い出した。


 セリナ・ヴァルトレア。

 王国騎士団団長。兄とともに戦場を駆け抜けた、“五剣”のひとり。

 その名を知らぬ者はいない。

 パレードで見かけたこともある。

 その時は静かに優しい笑顔を浮かべ、落ち着いた佇まいは全ての女性の憧れの存在といっても過言ではないほど。


 今はその落ち着いた佇まいとは対極にあるほど取り乱しているのだが。


「……セリナ、様……?」


「報を受けた。魔族が王都に姿を現し、英雄の妹君、リリア様と接触したと」


 なんで私はセリナ様に様付されてんの?


 そんな当然の、しかしどうでもいい疑問を口にするにはあまりに空気が重い。 

 セリナの視線は、私ではなく、隣に立つヴァルグに向けられていた。

 空気が引き締まる。セリナの手は剣の柄に添えられている。緊張が走る。


 ヴァルグは、一歩前に出て、静かに頭を下げた。


「我はヴァルグ・ザ=ラグナ。元・魔王軍第三将、現・和平交渉団特使。そして──英雄アレクの妹、リリア・エルメロイ殿に求婚の意を伝えるため、訪問した」


「──求婚、だと?」


 セリナの目が、ほんのわずかに細まった。


「お前が、この王国において、誰に対してその言葉を向けているのか、理解しているのか?」


「理解している。だからこそ真っ直ぐに伝えに来た。我が意志に偽りはない。彼女の姿に人と魔の未来に希望を見たのだ。私は彼女に、個としての想いを。そして……共に人と魔の架け橋として歩めることを望んでいる」


「……なるほど、リリア様ならその大役も片手間にこなすだろうが」


 あの?こなしませんけど?

 知らない所で私の能力が過大評価されている。


 小さく口の中でつぶやいたツッコミはどこにも届かない。

 セリナはヴァルグに明確な敵意がこめて言葉を続けた。


「──魔族が、リリア様の何を知っている」


 私は、凍りついた。

 きっとこれは殺意というものなのだろう。

 ヴァルグに向けられた殺意の余波は、ただの図書館勤務の一般人からすれば、身動きが一切出来なくなるほどのものだった。


 だが、殺意をまっすぐ向けられたヴァルグは、ただ、一瞬だけ、目を伏せるようにして──ゆっくりと口を開いた。


「アレク殿は、こう語った。“我が妹は、パンと卵を同時に焼こうとして、フライパンを真っ黒に焦がした。その上で、焦げたフライパンに『焦げるなら先に言ってよ!』と怒鳴るような、愛すべき存在だ”と──」


「やめろぉおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」


 私は悲鳴をあげながら、机に突っ伏した。


 今、口にされたそれは──

 まぎれもなく、私の中で“黒歴史三傑”に入る朝の出来事だった。


 兄が語ったの!? それ魔族との外交の場で話したの!?!?


 ……無理。恥ずかしさで今、魂がフライパンで焼け焦げてる気分。


 そんな私を尻目に、セリナは真剣な顔のまま、ぽつりと呟いた。


「……そのエピソードは、記憶にある。アレク殿は、妹君のそういう在り方を“人間性の強さ”と表現していたな」

「嘘でしょ!?王国軍でも広まってんの?私の黒歴史!」


「うむ“妹は失敗しても、それを世界のせいにする勇敢さがある”とも」

「……あれは、“リリア様の無意識なる王者性”の象徴と、私も感じていた」


「やめてよそんな言い方ああああああ!!!


 二人は本気だ。真顔で私の黒歴史を語り、静かに共鳴している。

 なんだこれは、新しい地獄か。


「“靴下を左右逆に履いて現れた妹が『仕様です』と堂々とした顔をした。それを見て私は、この世界に真実があると確信した”」

「……“戦場で命の危機は何度かあったが、妹がこけた拍子に飛ばしてきた包丁が一番危うかった。きっとあの日々が俺を戦場で生き残らせたのだ”とも」

「それな」

「それな」


「それなじゃねぇえええええええええ!!!」


 私の意識が、静かに地に落ちていく音が聞こえる気がした。

 もういっそ、この場にある本全部に埋もれたい。何も聞きたくない。


 そして、しばしの語りの静寂のあと──ヴァルグは静かに、凛として言葉を重ねた。


「彼女の人間としての弱さも未熟さも、そのままに受け入れ、笑って日々を生きる姿は──世界に必要な強さだと、私は信じている」


 その言葉はただひたすらに、真っ直ぐだった。

 セリナが、その顔をじっと見つめる。


「……アレク殿が妹君を語る時の“温度”は、私も忘れていない。そして、こうして他者が同じ熱を持って彼女を語る姿は──いいな」


 ごく、わずかに。

 その鋼のような瞳に、納得の色が滲んだ気がした。


 良くないが?


「……貴殿のような男が、彼女に心を寄せるというなら──私は、それを否定しきれぬ」


「良くないが!?!?」


「ヴァルグ殿、先程の非礼を詫びよう。あなたはリリア様の事をよく理解しているようだ」

「あの、二人とも兄貴からの伝聞ですよね?初対面ですよね?」


 ヴァルグとセリナは静かに握手を交わす。

 そしてヴァルグは私を見る。


「もちろん、はじめは伝聞だが、こうして出会い私は心から貴女に惹かれている。それだけは、確かな事実だ」


 ──ああ、やめてほしい。

 そんなふうに真剣に言われたら、ギャグにもできない、目をそらす事しかできなくなる。


 そんな風に私が気まずさを感じたときだった。


「失礼致しますっ! リリア・エルメロイ様はご在館でしょうか!」


 扉がまた勢いよく開く。今度は何!? 出入り激しすぎない!?

 少しだけ助かったと思う気持ちがあるが、厄介事の気配を感じてすぐにでも逃げだしたい。

 扉から入ってきたのは、派手な羽飾りとマントを翻した、気取った雰囲気の若者だった。


「……誰?」

「吟遊詩人、アール=リシェンと申します!」

 胸に手を当て、やけに芝居がかった仕草で頭を下げる。

「本日は、リリア様を讃える叙事詩を完成させたので、ぜひ直接お届けに……!」


「いらないです」


「読ませてくださいっ!!」


 もう土下座の勢いで膝をついたので、断りきれなくなった。

 私が勢いに負けて首を傾げた瞬間、詩人は懐から紙束を取り出して、勝手に朗読を始めた。


「──“光の剣の傍らに咲いた、静謐なる白百合”」


 誰だそれは。

 

「“彼女の微笑みは、戦火に疲れた英雄の心を包み、未来へと導いた”」

「“時に姉、時に友、時に……恋人のように”──」


「ストップストップストップ!!!!」


 机を思い切り叩いて立ち上がった。


「今、なんて言った!? “姉”!?それどころか“恋人のように”って言ったよね!? 妹だよ!? 妹だよ私!!?」


「兄妹のように深く結びついた関係性は、文学的比喩として──」


「文学の名を騙って大嘘をつくなああああああああ!!」


 思わず紙束を取り上げて確認する。

 「光と白百合の詩篇 第一部」──分冊!? これシリーズ化してるの!?


「アレク様の語りを聞いて、これはもう……“運命の結びつき”だと確信したんです!」

 詩人は真剣そのもの。

「兄妹という言葉では、足りない何かがあると思いませんか!?」


「全く思いません!」


 顔が真っ赤になっているのが分かる。熱じゃない、羞恥と怒りと殺意混じりのやつ。

 でも、周囲の反応は──なぜか感動している。


「……なるほど、美しい詩だ」

 ヴァルグが真顔でうなずいた。


「兄妹では足りない絆――なるほどそういうのもあるのか」

 セリナも詩集を読んでいる。目が本気だ。


「やめて!? 賛美しないで!?」


 詩人が最後の一節を、劇的な抑揚で締めくくる。


「“兄と妹──その絆こそ、世界を照らす双星の光”──!」


 静かに感嘆の息が漏れる。


 ヴァルグとセリナは真顔で感動しているし、私だけが全力で床に突っ伏している。


「……これは、凄い」

 詩人が一言

「自分でもうたいあげていて、泣きそうになりました」


「私は泣いてるよ! 色んな意味で!!」


 ほんとにもう……やめて……この地獄から脱出できるボタンないの……?


「──失礼致します」

 新たな声が、図書館の奥から響く。

 今度は、落ち着いた気配とともに、ローブをまとった男女数人が入ってきた。


 うそ。やめて。今は誰も来ないで。むしろ全員出てって。


「……あの、どちら様?」


「我らは神殿より参りました。調和の乙女──リリア・エルメロイ様に、お伝えすべき神託がありまして」


「ちょ、まっ……ちょっと待って!? 私、今“魔族の求婚”から“詩のモチーフ”にされて、“神託の対象”になったの!?なんなの今日!」


「貴女の名が、我が神に届いたのです。“光の語り部が讃えしは、調和を象徴せし白き乙女なり”──この言葉が、昨夜、神殿に響きました」


「それ光の語り部って兄貴のスピーチのことじゃん!? 神様じゃなくて兄貴だよそれ!!」


「いえ、神は往々にして選ばれし者を通して語ります。アレク様はその“器”であり、貴女こそが“啓示”なのです」


「やめてよ!! そういう逃げづらい宗教的言い回しやめてよぉぉぉ!!!」


 私は椅子を盾に後ずさる。

 詩人はその隣で震えながら言った。


「……えっ、私、神話の誕生に立ち会ってる?やば……これは筆が進むな……」


「書くなぁあああああああ!!」


「すでに神殿では“聖女迎祭”の準備が進んでおります。まずは今月末、王都中央広場にて小規模な感謝式を──」


「式!? もう予定されてるの!? 私、まだ了承してないのに!?」


「貴女がどうであれ、天命は止まりません」


「やめてその“完全に詰んでます”みたいな台詞ぅううう!!」


 セリナが静かに呟く。


「……だが確かに。彼女には、秩序を象徴する器のような、そういう空気がある」


 ヴァルグもうなずく。

「その存在に惹かれる者が後を絶たぬのも、必然かもしれぬ」


「ねえ!! なんで!? なんでこの状況で“納得”が進行してるの!?」


 周囲がどんどん“信者の目”になっていく。

 神官も詩人もセリナもヴァルグも、なぜか空気が統一されてきてる。


 ──そして私は、理解する。


 この世界で“私という存在”は、もう私の手を離れている。

 それもこれも全部が全部、元凶は、あいつしかいない。


「……もう、無理。耐えきれない。……兄貴のとこ、行く。どいて」


 そう呟いた私の声に、宗教家、詩人、王国騎士団団長、元・魔王軍将軍が道をあける。


「これが……英雄の血か」


 誰かがそう呟いたが、私はそれに気づかなかった。


 ――――


 王城の執務室。

 大戦争を終結させた兄は王家に雇われ働いている。

 めったに帰ってこない兄の顔を見るのはいつぶりだろうか。


 書類の山、剣が壁にかけられた簡素な装飾、背の高い椅子に座る兄。

 その金の髪と落ち着いた笑みは、昔と変わらない。けれど今の私は、それを穏やかに見ていられなかった。


「よく来たな、リリア。元気そうで何より──」


「元気なわけないでしょおおおおおおお!!!」


 怒鳴り声が、元気いっぱい執務室中に響いた。


「魔族に求婚されて! その魔族と騎士に過去の恥ずかしい話バラされて!詩人に兄妹で世界を照らす光とか言われて! 神殿には聖女認定されたんだよ!?ねえ、これ、誰のせいだと思う!?」


 兄はちょっと目を見開いて、それから小さく笑った。


「……それ、全部俺のせい?」


「そうだよおおおおおおおお!!!」


 ついに拳で机を叩いてしまった。怒りに任せたら音が想像以上に響いた。


 でも兄は、ひるまない。むしろ楽しそうにさえ見える。


「でも、俺はただ“リリアを褒めた”だけだよ?」


「その“褒めた”の内容が問題なんだってばぁあああ!!!“靴下逆に履いて仕様だと言った妹は世界の希望”って何!?」


「いやだって、かわいくない? 」


「やめろおおおおおお!!ちっちゃい頃じゃん、いい加減忘れてよおおお!!せめて広めないでよおおお!!」


「ははは、無理だなぁ」

 

 そういって笑った後、ふと兄の表情が曇った。

 まるで冷たい空気がスッと入り込んだように、声色が変わる。


「それで……ヴァルグから、求婚されたんだって?」


「う、うん……でも、それも結局は兄貴が──」


 言いかけた瞬間、兄の瞳が鋭く細まった。

 戦場で敵の将に向けていた、冷ややかな目。まさにそれだった。


「……リリアに、手を出したってことか」


「違う違う違う!! 何もされてない!! 求婚って言っても、真面目なやつだったから!!」


「だとしても、俺の妹に求婚って言葉を使った時点で論外なんだが」


 静かな声だったけど、怖い。ぞくっとくる種類の怖さ。


「“人と魔の架け橋”とかそういう価値があるって話だから!!」


「は?価値があるから結婚しようだと?なるほど、魔族は相容れないようだ滅ぼすべきだったか」


「わー!!バカバカバカバカ兄貴!!大体兄貴のせいじゃん!!」


 思わず叫んだ。

 でも、その言葉をぶつけた瞬間──胸の奥が、じくりと痛んだ。


 兄の語りは、確かに私を見てくれていた。

 だけど、いつの間にか“語られた妹像”は、私自身とは別の生き物になっていた気がして──。


 この怒りは、全部そこに繋がっている。


「……私はね、“誰かの希望のため”に生きてるんじゃないんだよ」


 ぽつりと、そう言葉を落とすと、兄がゆっくりと私を見た。


 そう、兄はいつもそうやって私を見てくれる。

 目と目が合ったまま、言葉は重く、沈黙が落ちた。


「……私はね、兄貴が語る“私”に、ずっと違和感があったの」


 私は言葉に迷いながら、沈黙を破るように、私は静かに口を開いた。


「“日常を守る象徴”とか、“世界を繋ぐ心の拠り所”とか……そんなに立派な人間じゃないよ、私は。ドジで、すぐ取り乱して、紅茶もこぼすし……包丁もとばすし……ねえ、兄貴は、ちゃんと私を“普通の妹”として見てくれてた?」


 兄はしばらく黙っていた。

 何かを言うべきか、言ってはいけないか、迷っている顔だった。


 けれど──やがて静かに、口を開いた。


「……見てたよ」


 その声は、意外なほど穏やかだった。


「俺にとって、お前はずっと普通の妹だった。ドジで、言い訳が多くて、でもすぐ拗ねて、でもちゃんと謝れる。そういうの全部含めて、俺は、お前がいてくれたから──」


 一拍、間が空く。


「帰る場所があったんだよ」


 ああ、と心が震えた。


「俺があの戦場で戦えたのは、お前が“変わらずにいてくれる”って思えたからだ──ただ、お前が、そこにいるってことが、力になったんだ。俺の希望そのものだったんだよ」


 それは、きっと誰にも話したことがない言葉だった。

 英雄として語られる兄が、誰にも見せなかった弱さだった。


 私はそっと視線を落とす。


「……嬉しいよ。ありがとう」


「うん」


「でもね」


 顔を上げる。兄と目を合わせる。


「それでも、私は“誰かの希望のため”に生きるんじゃない。“私のために”生きるだけなの。ちゃんと分かってよね」


 兄は、ふっと目を細めた。


「……そう言うと思った」


「兄貴こそ結婚とかしたら?妹離れしてさ」


「いや、それは無理。お前が妹である限り、俺はお前の話を永遠にするぞ」


「うるさい!!」


 なんだろう。

 まだ腹は立つけど、少しだけ、心が軽くなった気がする。


 私は、英雄の兄が誇りであると同時に、英雄の妹である事が嫌だったんだ。

 英雄の妹という虚像だけが一人歩きしてるように思っていた。


 でも、兄が私を誇ってくれていることは本当のことだった。

 虚像なんかじゃなかった。

 それなら私は私として、英雄の妹として恥ずかしくないように。

 ──私は私の意思で、ちゃんと答えを出さないといけない。

 

 あの求婚に。


 私の人生を、私自身で決めるために。


 ――――

 

 朝の光が差し込む広場の一角で、私は彼と向き合っていた。


 ヴァルグ・ザ=ラグナ。

 元・魔王軍の将であり、和平交渉団の特使。

 そして何より──“私を、嫁にしたい”と真面目に言ってきた、魔族の人。


「改めて、聞かせてほしい」

 彼の声は静かで、澄んでいた。

「貴女の意志を」


 私は頷いた。


「……正直、びっくりしたよ。最初は怖かったし、意味もわかんなかったし……でも、兄貴が語った私の姿を、真剣に受け取ってくれてたことはちゃんと伝わった。あなたが誠実で、優しくて、真面目な人だってことも」


 ヴァルグの目がわずかに揺れる。

 それでも彼は何も言わず、ただじっと私の言葉を待っていた。


「それでも、私はあなたの気持ちに応えることはできません」


 小さな声だった。けれど、はっきりと口に出せた。


「私は“誰かの希望”とか“人と魔の架け橋”とか“平和の為”とか、そういう理由で結婚したくない。自分の人生を、ちゃんと自分で選びたいんだ」


「……わかった」


 ヴァルグは静かに頷いた。その仕草に、潔さすら感じる。


「それが貴女の意志なら、我はそれを尊重しよう──ただ、その意志を貫く強さに、今、強く惹かれるのだ。この想いは捨てなくても良いだろうか?」


「……ずるいな、それ」


「貴女が誠実である限り、我もまた、誠実であり続ける。それが我ら魔族の誇りだ」


 私は思わず笑ってしまった。


「……ありがとう。あなたが真面目だったから、ちゃんと断るって、私、言えるようになったんだ」


「貴女が語る“貴女自身の言葉”を聞けて、本当に良かった」


 ヴァルグはそう言って、背を向けた。


 その背に手を振ることはできなかった。

 でも──少しだけ、胸の奥があたたかかった。


「これで……少しは、落ち着くといいな……」


 私は、ようやく深呼吸をした。

 これでいい。

 もしまた会う事があれば、紅茶の1杯ぐらい一緒に飲んでも良いかな。

 そう思える。


 ――そして、また愛すべき穏やかな日常が戻ってくる。

 

 私は、図書館の椅子に深く座り込んだ。


 木漏れ日が窓から差し込んで、紙の香りが鼻をくすぐる。

 背の高い本棚たちは、変わらず私を静かに囲んでくれている。


 ──ここが、私の居場所だ。

 ただの私でいられる場所。


「はぁ……落ち着く……」


 あの日は何だったんだろう。

 魔族に求婚され、騎士と意気投合され、詩人に叙事詩にされ、神官に聖女認定され──


 でも、私は自分で選んだ。ちゃんと、言えた。

 兄にも、ヴァルグにも、自分の言葉でぶつけられた。

 他のアレコレは……まぁ兄貴に投げておけば良いだろう。


「これからは、静かに生きていこう……」


 そう、思っていた。

 ──その時だった。


「失礼しまーす! 王国南部の第四王子からの親書をお届けに来ましたー!」


「は!? なに!?」


 バタン!と扉が開く。

 まただ! まだいたの!? もう終わったって言ったじゃん!!


「すみません、先に北方連邦の王女様からの使者がいらっしゃっていて──」


「おいこら、そっちより我が聖国の法王庁の優先順位が──」


「吟遊詩人協会から、続編の監修お願いに来ましたー!!」


「しばらくお茶会をご一緒できませんかって、王妃様から──」


 なんか多い!? なに!? え、増えてない!?!?


「こ、ここ、図書館なんですけど!? 静かにする場所なんですけど!!?」


「“静けさの象徴”ですから!」

「“調和の乙女”ですから!」

「“日常に現れた神話”ですから!!」


「やめてその称号ぉぉぉぉおおおお!!!」


 床に膝から崩れ落ちる。涙出そう。

 ようやく終わったと思ったのに、なんで!? なんでみんな来るの!?!?


 そっと本棚の陰に隠れようとしたその時。


「……あの、リリア様、もし静けさが必要でしたら──」


 ほわん、と目の前に紅茶の香りが立ちのぼった。

 見ると、完璧に注がれたティーカップと、笑顔の司書が一人。

 この図書館で働く同僚で――


「“リリア様を讃える静寂の間”を設けましたので、こちらに──」


「だ・か・らそれが!! 地獄なんだよぉぉぉぉおおおおお!!!」


 私は叫んだ。


 心の底から、魂の奥から、全身を込めて。


「ねぇ……お願いだから──誰かっ!! まともな人いませんかぁぁぁああああああああああ!!!」


──完。

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