第54話 はい、あーんして、いつか見た夢の続き
「どれを、食べる?」
蘭鳳院が、小さなかわいい弁当箱を、オレに差し出す。蘭鳳院、ベンチの上、オレににじり寄ってくる。距離がすごく近く。
うわわわあっ!
展開が早くない? 蘭鳳院、ちょっと落ち着いてよ。こっちは、いろいろ心の整理とか、頭の整理とか、全然できてないだけど。このままじゃ、ずっとできそうにない……
あぁ……あれこれ考えている場合じゃない。とにかく、もらおう。
お弁当をおすそ分けしてもらう。ただ、それだけなんだ。
蘭鳳院が、何を考えているのか、この状況がいったい何なのか、それは後でゆっくりゆっくり考えればいい。
早くしないと。昼休みが終わっちゃうし。
オレは、蘭鳳院の、弁当箱を見つめる。
昨日と同じ。白飯に、煮物。ちくわ、玉子、昆布、野菜……
どれにしよう?
いや、こういう時、ぐずぐず迷っているのは、さすがにまずい。この状況でも、オレにそのくらいの判断はできる。よし決めるのだ。決断するのだ。1歩進むのだ。逡巡してはならない。
オレは言った。
「ちくわ、ください」
「ちくわ?」
蘭鳳院は、自作の弁当に目を落とす。
「あ、そっか。昨日、妃奈子が、食べて、おいしいって言ってくれてたもんね。それで食べたくなったんだ」
いや、その……
別に満月とか、それは関係なくて、オレは純粋に、蘭鳳院の煮染めたちくわが食べたくて……玉子も食べたかったけど……
ええいっ! 男の決断だ。とにかく、ちくわで!
「あ、そうだ」
蘭鳳院が、オレの弁当箱に目を落として言った。
「私にも、勇希のお弁当分けてね。どれも美味しそう。パパの手作りなんだよね。ウィンナーもらっていい? 昨日から気になってて」
ウィンナー?
「ええ、もちろん。どうぞ」
オレは答えた。
「お弁当交換だね」
蘭鳳院が、言う。お澄まし顔に、ちょっと笑み。
お弁当交換。
蘭鳳院のちくわ、オレの、ウィンナー。
うむ。なるほど。気が楽になった。なんだか……力が抜けた。
そういうことか。
蘭鳳院、オレの弁当が気になってたんだ。食べたかったんだ。隣の席の弁当って美味しそうに見えるよね。なんだ。それでお弁当交換しようって言う話だったんだ。それだけ。
あはは。
そんなに難しい話じゃなかったな。蘭鳳院は、オレがどうこうじゃなくて、オレの弁当、オレのパパの作った弁当。そっちが本命だったんだ。
うん。問題なし。
喜んでお弁当交換しようじゃないか。
「はい、どうぞ」
蘭鳳院、自分の箸で、ちくわを、つまみ上げる。そしてオレに差し出す。
えええっ!!
オレは、ゾワッとなる。
なに、また!!
これ、どうしろっていうの!!
オレの目の前に、差し出された、ちくわ。
そうだ。昨日も、蘭鳳院は、こうやってちくわを満月に、箸でつまんで差し出して、満月は……そのままパクっと、蘭鳳院の箸からちくわを……
まさか、まさか……?
つまり……
オレに、あーん、してくれてるの?
このままパクっといけって?
うきゅっ!
うっきゅーん!!
なに? これ!?
この前のチョコボールスティックの時は、受け取れなかったけど、これはどうやっても、行かないわけにはいかない。
ここまで来て断るなんて、絶対無理。蘭鳳院、オレのことを追い詰めている? なんで?
ダメだ。
次から次へと、展開が早すぎるんだ。いろいろ立ち止まって考えたり、とてもできやしない……いいのか? 本当にこれでいいのか? このまま流されちゃって……
そして、依然として、目の前には、蘭鳳院が箸でつまんでいる、ちくわ。
迷ってる時間なんてない。ちくわをもらうと決めたんだ。そして、蘭鳳院が、オレに、あーん、してくれているんだ。
ここで行かねばーー
男らしく、あーん、されてやろうじゃないか!
うぐ……
その時、オレは気づいた。オレが、ちくわを蘭鳳院にあーん、してもらったら、次は、オレが蘭鳳院にウィンナー……
昨日は……爪楊枝に挿して、満月に、渡した。
でも、今日は、爪楊枝を挿したきゅうりはない! 爪楊枝は、使えない……
これ、どうする?
お弁当交換なんだよね。蘭鳳院は、オレに、あーんしくれている。という事は、オレも蘭鳳院に、あーん、して……そうするってこと?
蘭鳳院、それを望んでいるの?
もう、お弁当交換じゃなくて、
はい、あーんして、の交換……
どうしよう……
オレは、さすがに周囲が気になった。
花壇の前のベンチ。
校庭から引っ込んだ、校舎の間にある。今、人影は無い。
でも、急に誰か来るかもしれないし、上の窓から誰かが見てるかもしれない。
さすがに堂々と、ここで、はい、あーんして、の交換をやるか?
見られたら、どうなる? みんなに何か言われるだろう。言われても気にしなければそれでいい。そういうレベルの問題?
学校で、はい、あーん、しての交換なんて、堂々やってるの見たことないけど。
しかも、女子と男子で!
高校になったら、こういうの、いいのか? 普通なのか?
オレは頭が真っ白。
でも、目の前の蘭鳳院、お澄まし顔だ。いつもの。何でもないって顔をしている。
なるほど、蘭鳳院がなんでもないっていうなら、これは、いいのだろう。
蘭鳳院は、優等生で、何でもできて、クラスのリーダーの親友で、失敗なんかしてるの見たことない。
その、蘭鳳院が、しようって言ってるんだ。どうしてもしたいって言ってるんだ。
これは、蘭鳳院が望んでるんだ。
そういうことだ。
なぜ、オレと、はい、あーんしての交換をしたいのか、よくわからないけれど。
衆人環視であっても、蘭鳳院、たじろがずにこうするんだ。大胆にも。何の迷いもなく。まっすぐな瞳でオレを見て。
だから、オレがグズグズしてちゃ、いけない。
いいだろう。
受けて立とうじゃないか。もうあれこれ考えたって……
オレは男の坂道を上るヒーロー。
男の坂道に、はい、あーんして、の交換があるのならば、迷いなく、受けねばならぬ。
それが、蘭鳳院の願いならば、その心、オレが拾おう。蘭鳳院の、まっすぐな心を。
フッ、
それが、男。それが、男の中の男。それが、真の男。
最後の硬派だって、女子に、はい、あーん、してもらったっていいだろう。
もはやオレにためらいはない。
はい、あーんして、ごときで、ビビったりはしない。
みんなが見てるかも?上等だ。堂々とやってやる。
蘭鳳院よ、ついにおまえも、真の男に触れる時が来たようだ。
オレの目の前、蘭鳳院が持つ箸先の煮染めたちくわ。
うぎゅっ!
尊い!
尊すぎる!!
蘭鳳院が触れると、なんでも尊くなるんだ。
チョコボールもタンポポも、ちくわも。
これが、慈母星の力なのか。愛なのか。
オレの頭、なんだかぐるぐるぐるぐる。もう普通じゃない。
いよいよだ。
オレは、今から、慈母星蘭鳳院のちくわを、パクっといく。慈母星の愛を受け取る。
そして、今度は、ウィンナーを、箸でつまんで、蘭鳳院に差し出す。
蘭鳳院が、可愛い口を開けて……
ああ!
こんなに尊い、尊すぎる世界、あるの? あっていいの?
うっきゅーん!
「フタ」
蘭鳳院が、いった。
「え?」
「フタ、出してよ。それとも、お弁当の上に置いてもいい?」
オレは、弁当箱のフタを差し出す。蘭鳳院が、その上に、ちくわを載せる。
今度は、オレが、蘭鳳院の弁当箱のフタに、ウィンナーを載せる。
オレは、蘭鳳院のちくわを食べる。
「美味しい。すごく美味しい!」
「大げさね。ただ、温めただけだよ」
蘭鳳院が、オレのウィンナーを食べる。
「美味しい、すごく美味しいよ」
「大げさだな。温めただけだよ」
オレたちは、ベンチに並んで弁当を食べた。
春爛漫の花壇の水やりして、一緒に弁当を食べる。
ちくわとウインナーの交換をして。
なんだか……ものすごく大きなことを、成し遂げたような……気がする。
弁当を、食べ終えた。
蘭鳳院が言った。
「勇希の、パパって、料理上手なんだね」
「うん、上手だよ。ママも作るけど。パパは、オレがいっぱい食べるのを見て、いつもニコニコしてる」
「へえ、いいな」
蘭鳳院は、春の青空を見上げる。
「勇希は、パパにいつもご飯作ってもらってると、やっぱり、自分がパパになった時、子供にご飯作ってあげようって思うの?」
うん?
また、いきなり……
オレがパパになったら?
それは、全然考えたことないというか、考える必要がないというか……
オレが男子やるのは、ヒーロー認定審査のある、18歳までだし。
オレが親になったら?
どうだろう。
オレはこれまで、ママとパパに何でもやってもらってばかりで、自分が親になってどうこうって考えたことなかった。
料理とか、あれこれの家事とか、とにかく苦手だ。
「オレが親になったら……うーん……その、相手の女の子が、そういうの、料理とか、得意だったら、任せちゃってもいいかなぁって……オレ、あんまり得意じゃないから……」
「え!」
蘭鳳院が、オレを見る。
ちょっと、気色ばんでいる。いつものお澄まし顔じゃなくて。
あれ?
オレ、まずいこと言ったかな。別に、料理が女子の仕事だって言っているんじゃなくて、そういうの、得意な方がやったほうがいいんじゃないかなぁっていう、ただそれだけのことなんだけど……まずい?
この前の、家庭科の惨劇のことを思い出した。女子に家事やらせる男はダメ?
まずいか? 言い方がおかしかったかな?
蘭鳳院も、こういうの気にするんだ。
ちょっと、ちゃんと説明しなくちゃ……
でも、蘭鳳院が問題にしていたのは、そこじゃなかった。
「勇希」
蘭鳳院、すごく真剣な表情で、オレを見つめている。
「あなた、女の子と結婚したいの? 女の子と結婚できるって言ってるわけ?」
ん?
なに?
蘭鳳院、いったい何を言ってるの?
なんだか、蘭鳳院、すごく、ただならぬ気配で。声の調子もいつもと違う。
瞳をしっかり見開いて。身を乗り出してきて。
こんな蘭鳳院、見たことない。
オレが、女の子と結婚……それが……蘭鳳院を、ひどく揺さぶった?
なんで?
どうしてオレと女の子の結婚か……?
「あ」
蘭鳳院は我に帰った。
体を引く。いつもの、お澄まし顔。
オレたち、見つめ合う。
オレも何て言ったらいいのかわからなくて。
「あの」
蘭鳳院が言った。
「勇希って、女子お断りじゃない? だから、女子との結婚とか、そういうの全然考えてないのかと思ってた」
どこかぎこちない言い方だった。
言い訳してるみたいな。
本当は何を考えていたんだろう。
オレたちはベンチに並んで座って、ぼんやりと花壇を見つめていた。
チューリップ。水仙。菜の花。スイートピー……色とりどり。柔らかく、暖かい春風にそよいでいる。
「そろそろ行こうか」
蘭鳳院が言う。
オレたちは花壇を後にした。
オレの前を歩く蘭鳳院。黒い艶やかな髪が、春の風にさらさらと揺れて。
ライトブルーのスカートが、翻り、白い太ももが、チラチラする。
オレは赤くなった。
( 第八章 花壇の決斗 了 )




