第50話 雨の日の相合い傘 背の高い女の子に傘をさしてもらうのは、アリですか
オレは、奥菜と、学校の正面玄関で待ち合わせた。今日も勉強会だ。
「待ちましたか?」
奥菜が現れた。かわいいえくぼを見せている。
「そんなに待ってないよ。今日もよろしくお願いします。さぁ、行こ」
みんな、オレたち2人のことを見ているけど、オレは意に介さない。堂々としてやるんだ。クラスの女子と、勉強会するだけだしな。
玄関を出ようとしたオレたち。
あ、
「雨だ」
「雨ですね」
春の雨だ。しとしと。でも、しっかり降っている。とうぶん、止まないだろう。
「しまった。オレ、傘持ってないや」
「私も。うっかり、天気予報見てませんでした」
「どうしよう、奥菜さん、ショッピングモールまで、走る?」
「ええ、いいですよ。走れば、すぐです」
オレたちが雨を突破しようとした、その時、
「あれ、どうしたの?」
声がした。
委員長だ。剣華。そして、蘭鳳院が一緒にいる。
「結理に、一文字君、お揃いで。あ、ひょっとして、勉強会? 最近、結理が、一文字君に、勉強教えてるっていうじゃない」
奥菜、真っ赤になっている。委員長の前に出ると、とにかくダメなんだ。
オレは言った。
「うん。奥菜さんに、勉強教えてもらってるんだ。とても助かってるよ」
「へえ、結理、えらいじゃない」
委員長に褒められて、奥菜、もう限界を超えている。
「あ、あの…その……全部、全部……委員長に教えてもらったことを、私は……やっている……だけで……」
真っ赤。
「本当に本当に、委員長の教え方、上手です! 素晴らしいです!」
舞い上がっている。なんでも委員長が正義の子だ。
「2人は、傘持ってないの?」
蘭鳳院が言った。
「うん。駅前まで走っていけばすぐだから。今から行こうと思ってたんだけど」
オレは言った。
剣華が、
「私と、麗奈、傘持ってるから。入れてあげるよ。結理、ボクシング部の対抗戦近いじゃない。風邪ひいたら大変だよ。一文字君だって、身体濡らさない方がいいでしょ?」
「そりゃ助かる。ありがとうございます」
「ねえ、勉強会なんでしょ? 私たちも一緒にやるよ。麗奈、いいでしょ」
「いいよ。私たち、ただ、お茶するだけだったし。勉強しながら、お茶するのもいいよね」
え?
今度は委員長と勉強会か。圧が強そうだけど、大丈夫かな……
しかしまあ、女子たちにも、委員長にも慣れてきたしな。問題ないだろう。
「じゃあ、よろしくお願いします」
奥菜に、もちろん異存があるわけない。顔を真っ赤にしてうなずく。
「結理、入りなよ」
剣華が、奥菜に開いた傘を掲げる。
「あ……はい……こんな、こんな……ことって……いいんでしょうか……私……私……だって、だって、だって……こんなの、あんまりにも……」
奥菜、ぶるぶる震えている。
顔は見なくたってわかる。奥菜の心臓とか血管とかが、持ちこたえられるのか、すごく心配だ。委員長と2人で傘さして歩くって。
奥菜、委員長が好きすぎるので、委員長と2人きりになるのがダメらしい。2人きりだと、とても心臓がもたない。
でも今日は、オレたちもいる。4人だから、大丈夫だろう。
オレは相合傘の、委員長と奥菜を見守る。
「入って」
蘭鳳院が、傘を、オレに掲げる。
「ありがとう」
オレは、蘭鳳院の傘に入る。
剣華と奥菜の傘の後ろについて、オレたちも、雨の中、歩き出す。
春の雨。暖かい。
ん? これは。
蘭鳳院に傘を持ってもらっちゃってるけど、いいのかな。ここは男子として、
「あの、オレ、傘持とうか?」
「どうして? 私の方が、背高いよ」
蘭鳳院は、お澄まし顔で。
そういうものか。
1つの傘に入って、並んで歩くオレたち。距離がすごく近い。
いや、いつも、机を並べているし、この前の、美術のペアワークでは、抱きついたりしちゃったけど……
春の雨の、湿った空気の中の、甘い匂い。
蘭鳳院。
春の光で、いっぱいの教室の中。薄暗い木立の中。夜の雨の中。
いつも、すごく綺麗で別世界感がある。
でも、そこにいる情景ごとに、何か違うような。
蘭鳳院は、特にオレのほう見ていない。いつもの調子だ。お澄まし顔。
美術のペアワークのことがあっても、オレに対する態度は変わらない。
オレだって……
そんなに、クラスメイトと、深い関係になっちゃいけないんだ。蘭鳳院は隣で机を並べている子。それでいい。
「そういえば、今日は、満月は?」
「妃奈子なら、他の子と、約束があるんだって」
「そうなんだ」
さすが、クラスの、ビジュアルリーダー、陽キャリーダー、忙しいんだな。
委員長剣華も、もちろん忙しく飛び回っている。交友関係は広い。
蘭鳳院はどうなんだろう。
剣華満月の親友と、部活以外、友人関係ってあるんだろうか。オレは、蘭鳳院のプライベートについて、何も知らない。当然だけど。
あれ。
誰かが、こっちへ、走ってくる。雨の中、傘も差さずに。
黒いフードジャンパーの男。
「あっ!」
オレと蘭鳳院は、同時に叫んだ。
黒フードの男、すれ違いざま、前を歩く剣華の鞄を奪って、ダッシュしていく。
ひったくりだ。
この辺は閑静な土地なので、高校から駅に行くまでに、街灯のない暗がりがある。時々危険なことも起きるので、学校も注意喚起していた。そろそろ街灯をつけるって話だったんだけど。
今日は雨だし、暗がりだしで、オレたちも完全に油断していた。
「ちょっと、待ちなさい!」
剣華の凛とした声が響く。
危ない。オレは思った。委員長の横の奥菜が、飛び出そうとしている。委員長の危機に、殺気立っている。黒フードの男を、追いかけようと、
「奥菜さん、待って」
オレは、後ろから、奥菜の肩に手をかける。
奥菜が、振り向く。目が血走っている。大事な大事な委員長の危機なんだから、こうなるだろうけど、危ないな。
「オレがなんとかするから」
オレは、逃げ去る黒フードの男を目で追う。
男の走る先。自転車が停めてある。なるほど、あれで逃げるつもりか。用意周到だな。ここで狙ってたんだ。最初から女子高生目的のひったくりか。許せんな。
オレは、道路を素早く見回し、小さい石を拾う。これで充分だろう。
ビュッ!
オレは、2、3歩進み出て、石を、自転車めがけて投げる。
ガシャーン!
派手な音を立てて、自転車が倒れる。黒フードの男、ぎょっとして立ちすくむ。
オレは、大声を出した。
「おい、カバンを返せ。2発目が行くぞ」
黒フードの男は、慌てて、剣華の鞄をこっちに放り投げると、自転車に駆け寄り起こし、必死に漕いで逃げていった。
石を投げられるなんて、みんな慣れてないからな。びっくりするんだ。
剣華は、鞄を拾うと、オレのそばに来て、
「一文字君、ありがとう」
みんな、寄ってくる。
蘭鳳院がオレに、奥菜が剣華に、傘をさしかける。
しとしと降る春の雨の中、オレたちは2つの傘の下、4人で寄り添って。
3人の女子の、香水の匂い、髪の、肌の匂い、オレを包む。
「いや、別に」
オレは言った。
「剣華さんには、いつもお世話になってるから。それに、追いかけたりするのは、かえって危ないよ」
お世話になっている。なんだか微妙だけど、とりあえず、こう言っておかねばならない。
「助けてもらったのは感謝するね、だけど」
剣華は、真顔。
「人に向かって、石投げちゃだめ。怪我させたら、それはそれで大事だよ」
「あはは。絶対、相手には当たらないように投げたから。こんなこと、めったにしないよ」
剣華は、にっこりする。
「うん。一文字君なら、わかってるよね。自分がいいと思ったからといって、正しい結果になるとは限らないんだよ。私の鞄より、一文字君の方が大事なんだから」
委員長剣華、怒ってるんじゃなくて、オレを心配してくれてるんだ。
「心配してくれて、ありがとう。オレ、元野球部だから、投げるの正確だよ」
「そっか。そういえば、この前の土曜日、野球部の試合に参加して大活躍したんだって?」
「え、まぁ……それほどでもないけど」
今日は月曜日。土曜日の事は、早速クラスで話題になっていた。あんまり目立たないほうがいいんだけど。
剣華も、瞳をキラキラさせている。
「その話も聞かせてね。そうだ、今日は、私が一文字君におごるから」
「え? ありがとう」
委員長におごってもらうのか。
オレも偉くなったものだ。これも男修行の成果か。
オレたちは、また、歩き出した。
蘭鳳院が言う。
「濡れた?」
「うん、ちょっとね。全然問題ないよ」
「学校の近くで、こんな事件が起きるなんて、ちょっと怖いね」
「うん。もうすぐ、街灯がつくって言うけど」
「それまで、私のことを、毎日送ってくれる?」
「え?」
蘭鳳院は、こっちを見て、クスっと笑う。
「冗談よ」
もう……
「でも、送ってって言ったら、本当に送ってくれそうだよね。勇希、なんだかんだ、優しいから」
またまた。
すぐ、おちょくってくるなあ。この子は。オレの事、結局どう思ってるんだろう。
確かに、オレはヒーローだ。
ヒーローたるもの、女子を守るのが務めだ。だからって、何言っていいってもんじゃないんだぞ。
オレたちは、何事もなくショッピングモールに着いた。
「そうだ、勇希」
イルミネーションがキラキラする入り口の前で、蘭鳳院が、傘の雫を落としながら言った。
「これ、あげる」
なんだ?
蘭鳳院が、鞄から取り出したのは、薄いプラスティックのシートに挟まれた、
「あ、これ、タンポポ?」
「うん。この前、美術の課題で公園に行ったでしょ。その時、摘んでだの。押し花にしたの」
「タンポポの押し花なんだ」
「勇希、シロツメクサの花輪くれたじゃない。あれもしっかり押し花にしたのよ。あれ、ずっと取っておくからね。だから、この押し花も、ずっと持っていて」
「うん。ありがとう」
タンポポの押し花。綺麗にできている。蘭鳳院は、細かい作業得意なんだな。
蘭鳳院が言った。
「今日、勇希、委員長に、お菓子おごってもらうんでしょ?」
「うん」
「じゃぁ、勇希、あなたは私にお菓子おごって」
「え? どうして?」
「だって、今日おごってもらえば、またお返しができるじゃない」
蘭鳳院が悪戯っぽく笑う。
春の夜の柔らかく、暖かく湿った空気を纏ながら。




