第5話 ヒーロー跡目の宿命
「ただいまー」
転校初日。
男子デビュー初日。
学校の授業が終わると、私はすっ飛んで家に帰った。
クラスの誰かに話しかけられたり、からかわれたりする前に教室から急いで逃げ出した。
逃げ出す?
ヒーローが逃げ出すってのは、ちょっと……だけど……
初日にちょっとヤラカシすぎちゃった。
もちろん、ほとんど、蘭鳳院のせいなんだけど。
しかし、女子高生が、いきなり男子高校生になっての学園生活だ。
そんなにすんなり行かなくても当然よね。
とにかく女子だとバレなかった。それでいいんだ。
まずはそこ。
家の玄関で、私はふうっと息を吐いた。
「おお、勇希、帰ったか」
パパが出てきた。
うちは、ママもパパも働いている。
ママは、会社に出勤。
パパは、リモートワークというやつ。基本的に家の書斎で仕事をしている。会社にはたまに行けばいいんだそうだ。
だから、私の弁当も、家事も、大体はパパがやっている。
パパは優しく微笑んでいる。
「学校、どうだった?」
「うん。なんとかなったよ」
「顔が青いぞ。女子だとバレなかったか?」
「私、人面犬に取り憑かれている?」
「ハハハ。大丈夫なようだね。さすが勇希だ。意外となんでもなかっただろう」
「うん……」
なんでもなくはなかった。
それにしても、パパはずいぶん呑気だなぁ。
ま、心配させても仕方がない。
「やっぱりちょっと緊張しちゃった」
「そうか。そうだよね」
「疲れたから、ちょっと休むね」
「そうしなさい。今日からスタートだからな」
私は2階の自分の部屋に行って、詰襟学ランを脱ぎ捨てると、ドタッとベッドに倒れこむ。
うぐぐ……
男子高校生の生活。男子の私。
これでいいのかな。
でもこれがずっと続くんだ。
だけど、本当にホントなのかな。
ヒーロー跡目とか、一族の宿命とか、呪いだとか。
相変わらず、なんのこっちゃだ。
でも。
娘を男子生徒にして、エリート校にいきなり転校入学させて放り込むとか、とても冗談とは思えない。
だいたい、なんで女子の私が、男子として学校に入学できたんだ?
天輦学園高校。
限られた人しか行けない。すごいエリート校。
兄が通っていたけど、私には本来縁のない世界。
学校の空気、生徒の毛並み、全部違ってたな。
エリート校に通う兄のことを、私は素直に尊敬してたんだけど。
エリート校に通うのって、そんなにいいのかな?
そして。
蘭鳳院麗奈。
隣の席の子。
うーむ。
あいつのことを考えるのはやめよう。
ただ、転校生にいたずらして喜んでるだけの子だ。
大した事じゃない。
こっちは、それどころじゃないんだ。
宿命。ヒーロー跡目。
いろいろよくわからない。ママとパパにちゃんと訊いてみよう。
「ねぇ、ママ、パパ。あの……やっぱり、いろいろ知っておきたいんだけど」
夕食の後、ママとパパを前に、私は言った。
「なあに」
ママは言った。優しい笑顔だ。
「今日はうまくいったんでしょう?」
「うん……」
うまくいった。うん。うまくいったぞ。
「でも、その……いろいろ気になって……」
「あ、勇希ちゃん、さっそくお悩みね」
ママの顔がぱっと明るくなる。
「わかった! 恋をしたのね? 入学早々、恋の悩み? 新しいとこ行くと、そうなっちゃうのよね! ママもそうだったから! 相手は誰? あ、わかった。隣の席の女の子とかでしょう?」
「なにいってるの!」
私は大声を出した。
昔から能天気なママだったけど、さすがにひどくない?
こっちの気も知らないで。
だいたい、なんで恋するの? しかも隣の席の子に。
隣の席の子。
蘭鳳院麗奈。
ありえないよ!
そいつがやばいんだよ!
「ねぇ、ママ、ふざけないでよ。私、今日1日、女子バレしないかと、ずっとビクビク、ハラハラし通しだったんだよ」
「大丈夫、勇希ちゃん!」
ママは頬を紅潮させる。
「あなたは私の娘だもん。何だってできる。かっこいいヒーローになれる。もう間違いなしよ!」
「気安く言わないでよ。呪いとかで脅されてるんだから私。それに恋とか何言ってるの? 私が男子生徒として、女子と交際するってこと? そんなこと、できるわけないじゃない」
「ヒーローに不可能はないのよ。勇希ちゃん、あなた、立派なヒーロー男子よ」
だめだ。
ママの能天気お気楽ぶりには、とてもついていけない。
私は本題を切り出す。
「で、そのヒーロー跡目のことなんだけど。やっぱりその、本当なのかどうか、もうちょっとちゃんと教えて欲しいの。いきなり宿命だ呪いだって言われても、よくわからないし」
ママとパパは顔を見合わせた。
パパが言う。
「何度も話したけど、古くからのしきたりで、あれこれ話すわけにいかないんだ。私たちだって全部わかってるわけじゃないしね。時季が来れば、勇希、お前にも必ずわかるようになっている。だから、ママとパパの言うことを信じて欲しいんだ」
「うん……わかったけど……やっぱり男子高校生になるって大変な事だし。なるべく、一族の宿命とか、なんとか、それが本当だって言うことを、わかるようにしてくれたらいいんだけど」
また、顔を見合わせるママとパパ。
ママが言った。
「それもそうね。じゃぁ、しきたりに反しない範囲で、ちょっと、世界を見せるだけなら、いいかな」
パパもうなずく。
「うん、いいだろう。勇希、本当にいいんだな?」
「うん……いろいろ知れることは知っておきたい」
世界を見せる?
なんだろ。
ママとパパ、一旦奥へ引っ込む。また戻ってきたときには、ママが、小さな木の箱を抱えていた。
箱を、テーブルの上に置く。
蓋を開ける。
中には。
白い布に包まれているもの。
ママが布をほどく。
出てきたのは、ガラス玉。
直径20センチ位の、透明なガラス玉。
ママが手に持つ。
ママとパパ、すごい真剣な顔をしている。
なんだか私、ぞわっとした。
ママが言う。
「勇希ちゃん。この玉を見て」
私は、ガラス玉を見る。
ぐわん、
なんだ?
いきなり世界が歪んだ。そう感じたんだ。
急に周りが真っ暗になる。
ただ、目の前にあるガラス玉。
ガラス玉が、白く光っている。
ガラス玉に見入る私、吸い寄せられる。
そのまま。
うわあああああっ!
私は、ガラス玉の中に吸いこまれた。