第43話 隣の美少女はヒーロー少女を受け止める
「ねえ」
蘭鳳院が言った。
「いつまで、私に抱きついているの?」
オレは、蘭鳳院を抱きしめて、胸に顔をうずめたまま。
「芋虫は?」
「もう、とっくに木に戻したから」
「なんであんなことをしたの?」
「だから、あんなに怖がるなんて思わなかったんだもん。わかったから。もう大丈夫だよ」
「蘭鳳院の、イジワル」
「本当に、わざとじゃないから」
「ホント?」
「ホント」
「ホントに?」
「ホントにホント」
オレは、やっと蘭鳳院から離れた。汗をかいている。震えは、どうにかおさまった。
風が吹いて、木立が、ざわざわと揺れる。途端に、オレに、恐怖が走る。
蜘蛛。芋虫。その他いろいろ。あんなのが、ここには、うじゃうじゃいるんだ。
大変だ。こんなとこにいちゃいけない。
「蘭鳳院、ここを出よう」
「え? どうしたの、急に」
「さぁ、早く」
もう一瞬でも、ここにいるのは嫌だ。オレは、置いてあったオレと蘭鳳院のバッグと画板をひっ抱えると、蘭鳳院の手を掴んで、走り出した。
「ねえ、そんなに慌てなくても、大丈夫だよ」
ほんの少し走るだけで、オレたちは明るい芝生の公園に出た。不気味な暗がりとは、おさらばだ。
春爛漫の光が降り注いでいる。さわやかな風。少し暑い。
オレは、ふうっと息を吐いた。
振り返る。
蘭鳳院。
引っ張っていた手を離す。危険地帯から脱出する時も、オレは、女子を見捨てず、ちゃんと守った。ヒーローの務めを果たしたのだ。
オレは、バッグと画板を緑の芝の上に置き、そのまま座り込んだ。蘭鳳院が、オレの横に座る。
オレたちは、しばらく黙って座っていた。
春の陽気。本当に気持ちいい。
オレは、やっと平静を取り戻した。
ふと、思い出す。
オレは、蘭鳳院に抱きついていた。しっかり抱きしめていた。
蘭鳳院の身体の、甘い匂い……思い出せる。
蘭鳳院の、ほっそりした腰……感触……しっかりオレの両腕に残っている。
オレの頭を撫でてくれた蘭鳳院の手……優しかった。
そして……オレは、蘭鳳院の胸に、顔をうずめていた。スレンダーな身体なのに、胸は、けっこうボリュームがあった。柔らかくて、弾力があった。
オレのCカップより大きい。いくつくらいだろう……
ズキュッ、
動悸。オレの胸の奥、熱くなる。
「ねえ」
蘭鳳院が言った。
オレは、隣の蘭鳳院を見る。蘭鳳院も、こっちを向いている。オレたちは、春の芝の上に、並んで座りながら、見つめ合っている。
「勇希、さっき、あなたが私にしたことだけど」
蘭鳳院、いつものお澄まし顔とは、ちょっと違う。頬に、朱みが少し差している。
「本当に、虫が怖かったの?」
「え?」
なんだ? 何を言い出すんだ?
「蘭鳳院さん……あの……いったい、何が言いたいの?」
「ううんと……勇希が、私に抱きついたの、本当に、虫が怖かったからなのかなって」
蘭鳳院、少し目を伏せた。
え?
どういうこと? 何を考えてるの?
まさかーー
オレが、蘭鳳院に抱きつきたくて、虫のことをーー
蘭鳳院!
オレは、ヒーローだよ! 男の中の男だよ! 真の男だよ! 最後の硬派だよ! 女子に抱きつきたくて、虫が怖いなんて嘘つくとか、そんなの、そんなの、
あるわけないじゃないか!
「蘭鳳院さん、オレ、本当のこと言ってるから」
ここは、きっぱり言っておかなきゃ。
「あの、オレ、本当に本当に、怖かった。すごく。蜘蛛とか、芋虫とか、ああいうの絶対ダメで……だから、蘭鳳院さんが、抱きしめてくれて、本当に、助かった。嬉しかった。信じて」
蘭鳳院、じいっとオレを見て、
「そうだよね。勇希は、女子に変なことできないもんね。でも」
蘭鳳院は、小首をかしげた。
「ほんとに、私に抱きついている時、変なことなにも考えなかったの?」
「……ほんとに……考えてないよ」
オレは、蘭鳳院の、胸のボリューム感とか、弾力とか柔らかさとか、思い出す。蘭鳳院の、甘い匂いも。
ズキュッ、
また、動悸が……胸も顔も熱くなる。でも、でも、絶対これ、不純じゃないぞ。本当に……
蘭鳳院は、まじまじとオレを見つめる。
「ほんとに?」
「ほんと……」
「ほんとに、ほんと?」
「ほんとに……ほんと……」
蘭鳳院が、いたずらっぽく笑った。
「じゃあ、私に抱きついていた時、何考えてたの?」
「え……」
ずっと虫が怖くて、ぶるぶるしてた、なんて、言えない……
「……蘭鳳院って、とっても、あったかいなあって」
蘭鳳院は、クスっと笑った。
「そうなんだ。わかった。でも、間違えないで。私が勇希を抱きしめたんじゃなくて、勇希が、私に抱きついてたんだからね」
「うん……わかってるよ……」
オレは、ほっとした。なんだか、すごく。
春の陽気、降り注ぐキラキラした光の中、オレの心は、すっかり温まっていた。




