第34話 ヒーロー少女はさらに暴力の嵐を呼び寄せる
家庭科の被服実習。
暴力委員長の制裁を食らったオレは、おとなしくチクチクと刺繍をする。
おや。
ふと気づいた。
隣の席。蘭鳳院麗奈
夢中で、ハンカチに、縫い物をしている。なんだか、焦っているな。
手の動き、雑に見える。そういえば、さっきはミシンを、バタバタ使ってた。
蘭鳳院の横顔。
あれ?
いつもの、お澄まし顔じゃない。
必死だ。必死の表情。
いつもの涼しい顔はどこへやら、必死になってハンカチと格闘している。
へー、こんな顔も、するんだ。
新体操の極められた演技の中でも、ずっと優雅な笑顔だった。そしてもちろん、授業中は、いつも余裕の態度。何があっても、落ち着いて、堂々としている。
なるほど。
蘭鳳院でも、焦ったり、慌てたり、必死になって、ムキになったりするんだな。
ほほう。これは面白い。
オレはこっそり、隣の蘭鳳院を、観察する。
うん。間違いない。
蘭鳳院は、どうやら、この課題が苦手のようだ。
苦手なのに、ムキになって、いい作品仕上げようとするから、こんなにバタバタするんだろう。
ははは。お嬢さん。できないなら、できないでいいじゃありませんか。何でもかんでも、自分が優等生だとアピールしなきゃ、気がすまないの?
できないなら、委員長にでも、教えてもらえばいいのにねえ。
やっぱり、プライドが高すぎるんだな。人に聞いたり、できないんだ。
どうだ、蘭鳳院の慌てっぷり。焦りっぷり。
オレは、心が、しみじみと、満たされていくのを、感じた。暖かい光に、浸されていく。
クラスで、こんな気持ちを味わったのは、ひょっとして、初めてじゃないか。
蘭鳳院はこれまでずっと、完璧で、何でもできて、生意気で、上から目線で、オレをナメた態度をとってきた。授業中、オレに教えてくれる時だって、妙に、押し付けがましいというか……
授業中、おちょくりじゃなくて、一応、ちゃんと教えてくれる時も、あるんだけど……
「勇希、聞いてた? 3番だよ。3番の問題だよ。はい、やって」
「え、ああ、オレ、これやらなきゃいけないの? 蘭鳳院さん、これ、どうするの? わかんないんだけど?」
「もう、そんなに何でもかんでも、一から全部教えてあげられるわけないじゃない。少しは、勉強しなさいよ。あなたも高校生でしょ」
クソッ
オレを馬鹿にしやがって。
しかし、今は。
どうやら、この課題については、オレとどっこいか、ひょっとしたら、オレよりも下手なんじゃないかな。
ふふふ。
うーむ。実に、いい気味だ。この授業中は、オレに、なめた態度を取ることはできまい。
悔しがってるかな。
うむ。今日は、平和だ。余は、満足じゃ……
オレが、クラスで、かつてなく感じた甘い幸せ。それを、いとおしむように、しっかりと、しゃぶっていると、
「あっ」
蘭鳳院が、小さな声を上げた。どうしたんだろう。
蘭鳳院の、左手の人差し指。小さな赤い玉のような血。
なるほど、針で、指を刺したのか。
「痛っ」
蘭鳳院、指を口に入れる。
うーむ。よほど、焦ってるようだ。実に、惨めだ。
やっぱり、蘭鳳院は、オレより、下手なんだ。
お嬢さん、あきらめなさい。
あなたには、どうやら、この課題は、無理なようです。
何でもかんでもできるなんて、アピールしようとしなくていいんですよ。
身の程を知りなさい。ふっふっふ……
待てよ。
オレは、考えた。これで良いのだろうか。オレはヒーローだ。ヒーローとして、オレはこれで良いのだろうか。
蘭鳳院は負けた。やつは敗者だ。それは間違いない。
オレは、どうするべきか?
敗者を見下して笑う?
それが、ヒーロー、真の男、男の中の男の、することなのだろうか。
ちがう。
ヒーローなら、本物の男なら、決してそんなことはしない。
ヒーローのすべきこと。それは、敗者に、快く手を差し伸べる事だ。男の度量を、見せるんだ。格と言うものを、教えてやる。
そうだ、間違いない。
それが、オレのとるべき道だ。
蘭鳳院、もう、作業を始めている。血は止まったようだ。不器用なりに、必死にハンカチと格闘している。
あいつは、あいつなりに頑張ってるじゃないか。
決して負けず諦めずに、自分の道を進もうとする姿勢には、敬意を表す。それが、ヒーローたる者の、務めではないだろうか。
蘭鳳院、おまえはよくやっている。あっぱれだ。
ただ、能力が足りないだけだ。
よし、このオレが、おまえに、手を差し伸べてやろうではないか。
さっき、委員長に、縫い方を習った。あれなら、オレにも、教えてやれる。
何しろ、委員長仕込みだからな。委員長も、女子に教える男子はかっこいいと言っていた。文句ないだろ。
焦る事は無い、自分のできることをやればいい、そう教えてやるんだ。
蘭鳳院め、オレが手を差し伸べてやると言ったら、びっくりするかな。
でも、このヒーローの大きな心、必ず伝わるはずだ。
そして、オレに対する態度を、改めることになる。そう、こうやって、ヒーローと言うのは、敗者に手を差し伸べ、度量を示すことで、仲間にしていくんだ。
蘭鳳院も、もう、オレをおちょくったり、邪魔したりは、しないだろう。
よし。これだ。これでいこう。
オレは、立ち上がった。
◇
蘭鳳院麗奈は、勇希の心を知る由もなく、一心不乱に、手を動かしていた。
よし、もうちょっと。
蘭鳳院の課題のハンカチ。そこには、幾重にも糸を重ねた、美しい模様が、縫い込んであった。
できた。
蘭鳳院の顔から笑みがこぼれる。
ふう、やっと終わった。
「 優希!」
蘭鳳院の、弾ける声。
「なに?」
剣華優希が、振り向く。
「ほら、どう?みてよ」
蘭鳳院が、自作のハンカチを掲げる。美しい模様、きらめく。
「え? すごい。なになに?」
剣華が、蘭鳳院の、席にやってくる。みんなの、注目が、集まる。
蘭鳳院が、ハンカチを、広げてみせる。
「すごいでしょ。何か、わかる?」
蘭鳳院の満面の笑み。
「えーと……花……だよね」
「うん、なんの花か、わかる?」
「え、なんだろう?」
剣華、思案顔。
「水仙よ」
蘭鳳院が、満足げに言う。
「あ、水仙。そっかあ、ほんとによくできてるね。確かに水仙ね」
「ほら、優希、前に、花壇の水仙の花を見て、すごく綺麗、春にこれを見ると心が弾むって、言ってたじゃない。下絵デザイン集を見てたら、ちょうど、水仙の花があったの。だから、優希に、プレゼントしようって思って」
「え? 私にプレゼント? 本当に? うれしいな。すっごく、よくできてるよ。ほんと、綺麗。麗奈、何でもできるのね」
「えへへ。ちょっと複雑な図案だったから、だいぶ、慌てちゃった。もう夢中で。何とか、時間以内に終わらせようと思って」
蘭鳳院の作品に、集まる視線。
「すごい出来だな、さすが、蘭鳳院さん」
「この時間で、よく、あそこまでやれたね」
「やっぱり、何でもできるんだな」
「水仙の花、綺麗」
「麗奈から、委員長への、プレゼントだって」
「いいなぁ。ほんと、あの2人仲いいよね」
その時、一文字勇希が、立ち上がったのである。
勇希は、うつむいて、ずっと自分の思案に浸っていたのである。
ヒーローの道を極めんとの考えに没頭していた勇希には、蘭鳳院と剣華の会話も、周囲の皆の声も、全く聞こえていなかったのである。ヒーローの、崇高な道に酔いしれていた勇希には、何も見えていなかった。
◇
「蘭鳳院!」
オレは、言った。
蘭鳳院、こっちを見る。きょとんとしている。
おや。剣華もここにきているぞ。
ちょうどいい。オレが、女子を助けるところ、委員長に見せてやる。
「そのハンカチを、貸すんだ」
蘭鳳院の持っていたハンカチを、オレはつかむ。
「ちょっと何するのよ」
蘭鳳院は、オレに、ハンカチを渡すまいと、引っ張る。
ふふふ。
そっか。オレに手伝ってもらうのが、嫌なんだな。できないくせに、プライドだけは、やたらと高いんだ。自分の弱みを見せまいと、必死なんだな。
フッ、
抵抗しても無駄ですよ。
悔しいだろう、恥ずかしいだろう、でも、お嬢さん、あなたはすでに敗れているんですよ。
おとなしく、この、ヒーローに、従いなさい。
「ねえ、やめてよ」
蘭鳳院は、妙に頑張って、ハンカチを、渡すまいとする。困った子だな。
オレが、ちゃんとやってやるから。
「大丈夫、オレが、教えてやるから」
よし、きっちり勝負をつけよう。オレは、思いっきり、ハンカチを引っ張った。
蘭鳳院も、すごい力でハンカチを握り締めて引っ張って……
「あっ」
同時に叫んだ。
オレと蘭鳳院。2人でハンカチを引っ張ったまま、バランスを崩し、もつれて倒れる。
ビリリ、
音がした。
ゴツン、
いてて。
オレは倒れて床に頭をぶつけた。
ドサッ、
蘭鳳院が、オレの上に倒れこむ。
とっさの事だった。
でも、オレは、倒れながら、しっかり蘭鳳院を抱えてやった。
フッ、
見たか、
これが、ヒーローだ。ヒーローは、どんな時だって、女子を守るんだ。
蘭鳳院よ。おまえも、このヒーローに、無駄な抵抗をするのを、やめるがよい。
「大丈夫? 蘭鳳院さん」
オレは、余裕を持って立ち上がり、ゆっくりと、蘭鳳院を助け起こす。
蘭鳳院の甘い香りが、オレを包む。
蘭鳳院、目を見開いて、オレを見つめている。少し、青ざめているようだ。
どうだ。
女子の危機を助けるヒーローの心、感じてくれたかな。
あ、そういえば。ハンカチは。
おや。
机の角に、引っかかっている。
あれ?
オレは、ハンカチをつまみ上げる。ハンカチは、大きく破れていた。
なるほど。さっきの何かが破れる音は、これだったんだ。
オレと蘭鳳院が、ハンカチを2人で引っ張ってもつれて、倒れた時に、机の角に引っかかって、そのまま引っ張られて破けちゃったんだ。
ありゃりゃ。どうしよう。
せっかく、男を見せようとしたのに。
もっとも、蘭鳳院が倒れたのを、オレは、支えて助けたんだから、それでよしとしようか。
あ、委員長。
剣華が、オレの前に立っている。
顔が真っ赤だ。なんだか……ものすごく怖い顔をしている。さっき、オレを殴った時より、もっと、怖い顔……
あの、どうしたんですか?
見ましたよね。今、オレが、身を挺して、女子を助けたところ。
「一文字くうううんっ!!」
委員長の声が響き渡る。
「今度という今度は、もう、絶対許さないんだからっ!!」
委員長が、右手で振り上げたのは、
アイロンだ!!
これは、やばい、絶対。
委員長、本気みたい。
「きゃあああああああっ!!」
オレは、逃げ出した。




