第272話 白い靄の中の死闘
参るね、魔物ってのは。
牙を剥き出しにし、不気味な赤い瞳を光らせる牙煙狒狒。
話はできても話は通じない。まぁ、だから、オレみたいな宿命のヒーローが必要なわけなんだけど。この現世の人間を守るために。
赤ちゃんの助けを求める泣き声を聞いて幽世からやってきたというこの魔物。ブルブルと巨軀を震わせている。オレに飛びかかろうと、力を填めてるんだな。
よし。こうなったら。最初の予定通り。戦う。こいつを全力で倒す。それしかない。オレはこの現世の人間を、麗奈とあの赤ちゃんを守らなきゃいけないんだ。
オレは素早く魔剣を牙煙狒狒に向けて突き立てると間髪入れず、
「伸びよ天破活剣!」
青白い光の刃が魔物を貫く。が。そう見えただけ。伸びる刃が届くより先に牙煙狒狒はすうっと靄の中に消えていた。
手ごたえがない。オレは刃を戻す。どこだ。
牙煙狒狒の気配。はっきり感じる。すぐ近くにいる。でも、ちょっと距離をとられた。
背後ーー
オレは振り向きざま突進で踏み込み、天破活剣を振り下ろす。
ビュオッ
光の刃の軌道に、確かに奴はいたはず。でも、また、すうっ、と避けられた。
一面、白い靄の中。相手の姿が見えない。気配だけが頼り。
オレは靄の中、牙煙狒狒の気配を追いかけ剣を振るう。
ガッ、
今度は向こうから来た。剣で受け、カキーン、と弾く。
爪か。だいぶ鋭い攻撃だった。安心する暇は無い。
ビュウウウッ
空を切り裂く音。危ない。オレは思いっきり後ろにジャンプして、躱す。今のは……奴の剣の攻撃が。
爪……剣……次に来るのは牙か。
奴の気配。少し離れて動いている。気配だけが頼りだ。近づいてくればわかるが、正確に狙うのが難しい。そしてーー
麗奈と赤ちゃんは?
大丈夫なのか? オレに焦りが。白い靄の中、牙煙狒狒の気配を追っているうちに、場所も方向もわからなくなった。麗奈がどっちにいるのかも、遠くなのが近くなのかもわからない。しまった。麗奈と赤ちゃんを守ろうとして離れたんだけど、どこにいるのかもわからなくなったら、どうやって守れば。うかつに魔光裂弾も撃てない。もし、麗奈に当たっちゃったらーー
オレは。
敵の術中に嵌っている?
牙煙狒狒。
ーー 煙幕を巻き起こし敵に近づく ーー
お互い姿が見えない。気配を察しての戦いに、やつは慣れていると言うことだ。付かず離れずで距離をとって、隙を突いて攻撃してこっちを翻弄して、疲れるのを待っているとか?
ビュウウウッ
また、鋭い一撃が来た。
カーン!
魔剣で受ける。牙煙狒狒の剣の一撃だ。弾き返す。すぐさま、相手の気配が遠のく。オレの腕がビリビリする。奴の両腕すごい力瘤だったからな。力対決。押されちゃう。
このまま靄の中で、削られてーー
落ち着け。
見えない相手と気配を探りながらの戦い。オレは十分対応できている。奴もオレを一挙に仕留めることができない。探りながらの攻撃。冷静に気配を読めば、対応できるぞ。
それに。
麗奈と赤ちゃんの気配も見えない。きっと、だいぶ距離を取れてるんだ。麗奈たちは安全だ。牙煙狒狒もオレと戦うので精一杯なんだ。
よし。勝機は充分ある。闘いながら相手を崩す手を見つけるんだ。
白い靄の中で。見えない相手との戦いは続いた。
オレは休まず相手との距離を詰める。牙煙狒狒は靄の中に姿を隠しながら戦うのが得意。向こうのペースにはさせない。食いついていってやる。靄はお前を守れないぞ。
ビュウッ、ビュウッ
オレは踏み込みながら剣を振るう。牙煙狒狒、巧みに躱すとすぐさま爪と剣で反撃してくる。オレも受けたり躱したり。だんだん呼吸がつかめてきた。力が自慢なだけに攻撃が大振りだ。ガッチリ受けずに躱したり受け流したりして、すぐさま反撃。靄に隠れる動きも読めてくる。もちろんオレの精気の消耗も激しい。この削り合い、どっちがポイント稼いでいるんだろう。間合いを保っていれば、チャンスがあるはずだ。
奴を追い詰めている。そう思うのは錯覚か? なかなか、あと一撃が決まらない。奴の術中に嵌るのは避けたい。矢鱈と大振りしてもだめだ。しっかり相手を捉えて確実な一発を叩き込みたいところだが、この靄の中ではーー
ウエエエーン、ウエエエーン、
遠くの方、赤ちゃんの泣き声がした。
あの赤ちゃんが泣いてるんだ。て、ことは無事なんだ。だいぶ距離があるし。戦いに巻き込まれてはいない。まだ牙煙狒狒も、麗奈と赤ちゃんに手出しはできていない。
よかった。ちょっとほっとする。やっぱり姿が見えないと、不安なんだ。
待ってろよ。麗奈、赤ちゃん。今、オレがこいつをぶった斬ってーー
でも、チクショウ、靄の中で、なかなか標的が見えない。靄が晴れてくれさえすればーー
ウエエエーン、ウエエエーン、
赤ちゃんの泣き声は続いている。
あれ。
靄が。
薄くなってくる。この靄は牙煙狒狒が張った煙幕なんだよね。奴の力、とうとう時間切れ?
でも、
ウエエエーン、ウエエエーン、
赤ちゃんの泣き声の方から、靄が流されて、薄くなっているような。
これって。もしかして。
あの赤ちゃん。白い靄の中で、不安で怖くて、もっと誰かに来て欲しくて、みんなに見つけて欲しくて、それで思いっきり泣いて、靄を吹き飛ばそうとしてる、そういうことなのかな?
薄くなっていく靄。
視界が開ける。
あ。
牙煙狒狒。奴の姿。見える。はっきりとではないが、この薄さじゃ、靄の中に隠れることができないぞ。赤い瞳、戸惑っている。急に靄が薄くなったのがなぜなのか、奴にはわからんのだろう。
やったぜ赤ちゃん!
このチャンス逃すわけがない。オレは俄然突進、一挙に踏み込み間合いを詰める。
奴の動きのパターンはわかってるんだ。靄の中の戦いで見切っている。ぶっとい両腕も剣も爪も牙も怖くないぞ。
牙煙狒狒、やつも状況が理解できたようだ。逃げることはできない。正面からグワッと口を広げる。牙。やつも最後の切り札で、オレを襲おうというのだ。
だがスピードはこっちが上だ。剥き出しの牙を恐れず、オレは相手の懐に飛び込んで魔剣を牙煙狒狒の分厚くて巨きな胸に突き立てる。
「魔光裂弾!」
オレの全力精気の閃光。青黒く光る鎧の上からだが、ものともしない。青白い閃光は鎧を打ち砕き牙煙狒狒の胸を貫いた。
グオッ
口を大きく開け、牙をむき出しにしたまま。牙煙狒狒はかすれた声を出すことしかできない。奴の鎧は粉々に砕けた。胸にはでかい穴が開き黒い血煙が噴き上げぐしょぐしょと上体が崩れ吹き飛び四散する。
巨軀。崩れ落ちるのに瞬く間もかからない。




