第266話 カルガモとチョコロール
「おはよう」
麗奈が声をかけてきた。
朝の学園。始業のホームルーム前。いつもの日常。
オレの隣は蘭鳳院麗奈。何が何でもこの美少女が座る。まだ席替えとかあるわけないし。ずっと隣なんだ。
「……おはよう」
うぐ……
うぐぐ……
麗奈め。相変わらずのお澄まし顔。
オレのほうは。ロクに眠れず。
昨日見た、いや見せられたイソギンチャクパンツ。
あれが頭にチラつく。
いかんな。ヒーローロードどころか、普通の学園生活も、これじゃ。
だからといって。
「蘭鳳院さんとうまくいってないので、席、変えてほしいです」
と言ってみる?
……ダメ……それは。
たかが女子を怖がって逃げたなんて。
そんなことしたら、もうオレの事を誰もヒーローだと認めてくれないだろう。
だいたい。
たかがパンツじゃないか。イソギンチャクだろうとなんだろうと。
ビクビクする必要は無い。
女子のパンツなんて、これまで散々見てきたんだし。イソギンチャクは……初めてだけど。
うむ。試練だ。男の坂道。いろんなものにぶつかる。イソギンチャクが出てくる時だってあるだろう。オレは笑ってくぐり抜けてやる。
そうだ。
蘭鳳院よ。
オレに何をしても無駄だぞ。オレは女子などに惑わされぬ。
◇
昼休み。
オレはさっさと弁当を済ますと、購買部へ行ってチョコロールパンを買ってきた。1袋に2個入ってるやつ。お得だ。
隣の蘭鳳院は、昼休みになるとすぐ教室を出て行った。学食へ行くんだろう。なんだかほっとする。やっぱり……授業中は普段と同じでも、圧を感じる……
あー、もう。麗奈は毎度涼しい顔してやがるのに、なんでオレだけこうもキリキリ舞いさせられるんだ。まぁ、いい。いずれ男を見せてやる。
フッ、
隣の美少女よ。待っているがよい。とにかく力をつけなきゃ。よし。チョコロールパン。今、食べようかな。それとも放課後にしよっかな。
教室に戻った時、ふと、気づく。
チョコレートロールパンの袋に、猫のマスコットのイラストが。オレが昔から手癖で書いている猫にちょっと似ている。オレはマジックで、猫のイラストに少し書き足してみる。おお。まるっきり、オレの猫になった。
バタバタと走る音が。
「ねえ、みんな、大変よ!」
瞳を爛々と輝かせた満月妃奈子が教室に飛び込んできた。インフルエンサー気質映え女子が興奮している。
なんだ。
「カルガモ親子! カルガモ親子が、学校の池に来てるの! ここに来るのは、何年かぶりだって!」
大音量のアナウンス。
みんな、おおっ、となる。
ここはのんびりした東京郊外だけど。カルガモ親子なんて、確かにあんまり見ないよな。学校に来るどんなVIPよりも、インパクトのあるニュースだ。
みんな一斉に立ち上がり、見に行こう見に行こうと、動き出す。おいおい、そんなに騒いだらカルガモ親子も逃げちゃうんじゃないのか?
「勇希も行こうよ!」
満月がオレの腕を掴む。陽キャ女子グループに、取り囲まれた。
女子たちの圧。なんだか断れない……そうだな。見に行くか。カルガモ親子なんて、見たことないし。いいだろう。チョコロールパン。やっぱり後で食べよう。オレは机の上に置いたままにして、みんなと一緒に学園裏手の池の方へ。ワイワイと盛り上がりながら。
◇
蘭鳳院麗奈が学食から教室へ戻る時、メールを受け取った。スマホを確認する。
「麗奈、ノート貸してくれて、ありがとう。とても助かったよ。今日忙しいから、とりあえずお礼にチョコロールパン買って、麗奈の机の上に置いておくから」
一年生の女子からだ。クラスは違うが中等部以来の友人。
チョコロールパンか。
いつもダイエット減量を気にしてるけど、好きなので、たまに買って食べていた。1袋に2個入っている。今日の昼食はあまり食べてない。せっかく友人が買ってきてくれるんだ。一個食べちゃうかな。
教室へ戻ると、チョコロールパンが置いてあった。隣の机に。
おや?
麗奈は考えた。ずいぶん早いな。もう持ってきてくれたんだ。間違えて勇希の机に置いちゃったのね。
その時、またメールの着信が。
満月からだった。
「麗奈、どこにいるの? 裏の池に、カルガモ親子が来てるのよ! みんな来てるよ!麗奈も来て!」
相変わらずだなぁ、妃奈子。
なるほど、それで教室がガランとしてるんだ。せっかくだから観に行こう。可愛い動物は好きだし。そうだ、向こうでこれを食べよう。
麗奈は、勇希の机の上のチョコロールパンを、自分のバッグに入れると、教室を出た。
カルガモ親子の来訪とチョコロールパン。
これが一文字勇希と蘭鳳院麗奈に思いもよらぬ事件を引き起こすのである。




