第255話 少女と少女の出会い
奥菜結理は、小学生の時、陸上をやっていた。走るのが何より好きだった。天輦学園中等部に入学した時、陸上を続けるか、他の部活にするか、悩んでいた。
「走るのも好きだけど、他の部も楽しそうだな。いろいろ見てみよう」
中等部1年の4月、入学早々。あれこれ部活見学をしながら、早朝はいつもの習慣で外を走っていた。
気持ちの良い春の早朝。奥菜はだいぶ汗ばみながら、最後のスパーク。もう少しで公園。そこで一休みしよう。
公園へ。最後の曲がり角を曲がる。その時ーー
「あっ」
「痛!」
出合い頭にぶつかった。急に人が出てきたのだ。
「ごめんなさい!」
奥菜は一礼して、また走り出そうとするが、
「おい、待てよ」
腕を掴まれた。
奥菜、ビクっとなる。
相手は、高校生くらいの男子。学生服だが、ズボンはダボダボ、学ランは肩に引っ掛けて着崩しただらしない格好。
険しい顔をして、奥菜を睨みつけている。
「おい、ぶつかっといてなんだ。痛てーじゃねーか」
「すみません」
また、奥菜が謝る。小さな声。奥菜は震えている。不良は苦手だ。喧嘩だなんだしたことがない。いかにも強面な男子高校生の態度に、すっかり怯えていた。
「すいませんじゃねーよ。ナメてんのか! こっち来いよ」
男子高校生はさらに凄むと、奥菜を公園に引っ張っていく。早朝、公園にはまだ誰もいない。奥菜は青ざめていた。どうしよう。助けを呼ばなきゃ。でも。体が固まっていた。声を上げることもできない。心臓が激しく動悸を打つ。このままじゃだめだ。だが、どうすることも、
「へっ、へっ、嬢ちゃん、付き合ってもらうぜ」
男子高校生は、奥菜を公園の奥へ引っ張っていく。広い公園。立派な植え込みがあり、人目につかない死角も多い。
奥菜は息が止まりそうになる。外から見えないところに連れ込まれたら。助けを呼ばなきゃ。声を上げなきゃ。
必死に叫ぼうとする。でも、声にならない。男子高校生は、ニヤニヤしている。
「嫌、誰か助けて」
奥菜が内心叫んだ時、
「ちょっと、何してるの?」
凛とした声。
植え込みの陰から誰か現れた。男子高校生は奥菜の腕をつかみながら、身構える。
現れたのは、セーラー服姿の女の子。中学生くらいだ。ボブショートの髪。キッと男子高校生を見据えている。
「なんだ、テメーは。中学か?」
男子高校生は、現れたのがまだ小さい女の子なので、余裕を取り戻す。
「その子を離しなさい」
凛とした少女の口調。大人びている。
「へっ、テメー、態度でけーな」
男子高校生はニヤニヤしながら、
「何か勘違いしてるんじゃねーのか? こいつは俺の彼女よ。これから2人でよろしくやろうってとこなんだぜ。てめーは、あっちに行ってろ」
違う! 奥菜は叫びたかったが、ガタガタ震えるだけで、何もできない。
「嘘!」
少女がピシャリといった。
「観てたのよ、あなたが大声出して、その子無理矢理引っ張ってきたんじゃない。離しなさい!」
「なんだと? テメー、いい度胸だな!」
男子高校生が凄むが、少女は怯まない。さらに強く、大きな声で、
「さっさと離して行きなさい! 人を呼ぶわよ!」
少女の剣幕。男子高校生、やや怯んだ。周りを見ると、公園にちらほら人の姿が。こっちを見ている。このまま少女に大声を出されたら、もっと人が集まってきそう。
「チ、」
男子高校生は奥菜の腕を離すと、少女を一睨みして足早に公園を立ち去っていった。
奥菜、座り込む。体の力が抜けた。
少女が駆け寄って奥菜を抱きしめる。
「大丈夫? 怖かった?」
「うん……」
奥菜、ボロボロと泣き出してしまった。ひとしきり少女に抱き締められながら、涙を流す。
少女はずっと優しく微笑んでいた。
「ありがとう」
泣きやんだ奥菜、やっと言えた。
「無事でよかった」
少女の微笑み。それはとても素敵で温かく、奥菜を包み込んでいった。
瞳を潤わせる奥菜。
「助けてもらっちゃって……ごめんなさい。私、どうしたらいいかわからなくて……すごく臆病で」
少女は真剣なまなざしで、
「どうして謝るの? 悪いのは相手だよ。あなたは何も悪くない。どう見ても高校生だったよね。高校生のくせに、えーっとあなた、中学生?」
「はい……中学1年生です」
「そっか。私と同じだ。私もこの春から中学1年生」
「えっ」
奥菜は少女を見上げる。少女の姿、とても大きく見えた。大人にしか見えない堂々たる態度。それが自分と同じ中学1年生だったなんて。
「すごかったです。私と同じ中学一年なのに……怖くなかったですか?」
少女はにっこりとして、
「うーん、怖くなかったかっていえば、そうでもないけど。でも、ここは公園。人もくるし。大声出せば大丈夫だろうって。私も喧嘩なんてしたことないのよ。大声だけは出せるの。さ、立と」
少女に手を引かれて奥菜は立ち上がる。
その時、気づいた。少女のセーラー服はーー
「あの、ひょっとして、天輦学園ですか?」
「え? わかるの?」
「はい。その制服。あの、私も天輦学園中等部なんです」
少女は、ぱっと顔を輝かせる。
「同じ学校だったんだ。この近くに住んでる? じゃぁ家が近所なんだね。よろしく。私は剣華優希」
「あ、奥菜結理です」
「学校で会おうね」
◇
奥菜結理は、天輦学園で、ボクシング部に入部した。剣華優希はチアリーディング部だった。
奥菜は剣華に、一緒にチアをやらない、と誘われたが、
「私、剣華さんに助けて頂きました。これからは、剣華さんを、他のみんなを助けることのできる人間になりたいんです。ボクシングをやります」
キッパリと言った。
剣華と一緒にチア。すごくやりたかった。ずっといつも、剣華と一緒にいたかった。でも。
でも。一緒にいたら、ずっと甘えちゃう。いつまでも助けてもらうばかりになる。それじゃダメだ。いけない。自分の力で戦い、立ち上がれる人間にならなきゃないんだ。
「そう、結理、がんばってね」
奥菜が、ボクシング部に入部すると告げた時、剣華は満面の笑顔だった。
奥菜の想い、剣華はしっかりと受け止めたのである。
奥菜はボクシングに汗を流す学園生活となった。
いつでも、どんな時でも、剣華を見ていた。
奥菜にとって、剣華は、永遠にヒーローなのだ。




